第十五話 難敵
「・・・・・・・」
「・・・・・・」
沈黙が続く。
しかしそれは深呼吸をして意を決したようなヒメによって破られた。
「オーマは私にくっつかれると・・・・迷惑ですか?」
「・・・・・」
どう答えようか逡巡する。
議題はくっついてくるヒメを俺が拒絶したことについて。あの場面では迷惑そのものだったが、別にくっつかれること自体が嫌なわけでは無い。だが、プロポーズやら何やらを断った手前、しっかり拒絶しておくべきかとも思う。
「オーマが何を嫌がっていたのか全く分からないです」
「そこか・・・」
「だって、オーマは嬉しかった・・・ですよね?」
「・・・・・・」
「沈黙は肯定と受け取ります」
問題はそこではない。嬉しいか嬉しくないかはこの際どうでもいいのだ。
「・・・・・ヒメ、前提として俺はお前のことが嫌いじゃないし、むしろ好きだ。お前に親しくされたら嬉しいし、キスなんて出来るもんなら正直したいくらいだ」
「それは良かったです。ほっとしました。遠慮なくしてください」
「しない」
「したいのにですか?」
「したくてもだ。俺はお前の恋人でもなければ夫でもない。する理由がない」
「なら―――」
「ならないからな」
「むぅ、記憶喪失だからですか?」
「そうだ」
それ以前に貞操観念だとか倫理観だとかそういうものを気にしてほしいと思う俺の常識は間違っているのだろうか。記憶喪失とは恐ろしいものだ。
そんな協議の末、
「オーマの主張はわかりました。と、いうことで―――」
ヒメは落ち着いた言葉づかいで、俺の意思へ理解を示す。
「―――いちゃいちゃするのだけは許してください!!お願いします、私の生命線なんです!」
が、今までの落ち着きはなんだったのかというほど、いちゃいちゃのあたりから必死になりだした。ヒメが慌てるのを初めて見た気がする。こんなことで見たくなかった。
一瞬呆気にとられるも、直ぐに我に返り反論する。
「そんなもので命を繋ぐな!だいたい恋人とかそういうのにはならないって言ってるだろ!」
「それはわかってますよ?でもいちゃいちゃするのは別ですよね!?」
胸の前で両こぶしを握り力説するヒメ。
「別じゃない!」
「いちゃいちゃは万国共通のコミュニケーション手段です!」
「恋人以上限定のだろ!」
「可愛いもの限定です!」
「俺は入らないじゃねーか!」
「入ります!」
ヒメは強情だと知ることとなった。
真の議題はヒメが俺といちゃいちゃしていいかどうか。
もちろん否。否なはずなんだ・・・・・・・。くそう。
抵抗し続けるヒメに対し、打ちひしがれながらも俺はただひたすら拒否を繰り返す。いちゃいちゃ禁止と。
「とにかく、俺がいちゃいちゃする意志がない以上、いちゃいちゃは成立しない」
そんな中ヒメが呟くように口にした言葉は―――
「・・・・むぅ。やっぱり私はオーマのように好き好きオーラが出せていないんでしょうか」
―――聞き捨てならないものだった。
「ちょっと待とうか」
誰がいつどこで好き好きオーラなんてものを出したというのか。
「私、初めて知りました。愛されないかもしれないことがこんなにも辛くてこんなにも恐い事だって。なのにオーマはそんな中、私の為に頑張ってくれた。あんなにも暖かい感情を伝えてくれた」
「ん・・・おーい?」
なんか急に語り始めた。さも良い話であるかのように。
「愛を伝えず、ただ愛を受けようなんて都合のいい考え間違ってますよね。オーマはあんなにもわかりやすく、伝えてきてくれたというのに」
「その前に勘違いしてることがあるんだけどー?」
「オーマの愛に私はイチコロでした。オーマもそうでないとおかしいです。つまり私の好き好きオーラが未熟と言うことに・・・」
うん、だめだこれ。聞いてない。
「なら、今まで以上に私の好きと言う気持ちを伝えながらオーマに好きなってもらうのを待つのが正解なのでしょうか。いちゃいちゃするのも我慢して・・・」
結論が出ようとしていた。そこまで悪いものではない気がする。
「答えは断じて否です」
気の所為だった。
「いやいや俺は普通に仲間として仲良くやりたいんだ」
「無理です!」
「何で!?」
「私が・・・・我慢できるはずないです。オーマといちゃいちゃしたい」
「ああ、そう」
そんなことを悲愴な表情を浮かべて言われて、俺はどうしたらいいんだ。
「・・・記憶喪失がここまで厄介だとは思いませんでした。流石オーマです。人のことをちょろい言うだけはあります。認めましょう、私はちょろかったです」
「言ってないし認めなくていい。むしろ厄介すぎる」
「今の言葉に大ダメージを受けました。もう、無理矢理するしかないですね。そろそろキスもしたくなってきました・・・・・オーマだってそうしたんです・・・私がそうしても・・・ぶつぶつ」
どんどん話が変な方向へ飛んでいく。最後の方は独り言のようになって聞き取れなかった。
「いきなり可能性を縮めるな。いくらでも他の方法があるだろう。あとお前言ってることが痴女っぽくなってきてるぞ」
「痴女じゃないです。オーマ専用です」
「頭痛い・・・」
「なら、どうしたら私はオーマといちゃいちゃできるんですか」
「まずそこから離れろよ!」
「出来るわけないじゃないですか!いくらオーマでも言って良い事と悪い事があります!」
「そこまでか・・・」
平行線だった。
どんだけいちゃいちゃしたいんだよこいつは。
「オーマ・・・」
「何だよ」
「ごめんなさい」
「・・・何でそこで謝る」
不可解な謝罪に俺が身を固くした瞬間、それが何の意味もなさないままに俺はヒメに抱き付かれていた。
「おい・・・」
「・・・・・・・・」
――ぎゅーー
「何だってんだ・・・」
そのまま何も言わずただ抱き付いている。顔が俺の胸に埋まる。それを突き放す気にもなれず、じっとしている。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・」
やがて見上げてきたヒメがぽつりと言葉を紡ぐ。
「嫌ではないですよね」
「・・・・まあ」
その言葉に不安そうにしていたヒメの顔が和らぐ。
「なら、問題なしです」
「ありまくりだ」
「オーマおかしいです。何で嬉しいのに拒否するんですか?心臓、こんなにドキドキさせて」
「ばっ・・・・な・・・!!」
「な?」
ばなな。
「て、違うわ!」
ヒメを引き離す。なんてこと言い出すんだこいつは。
「意地張らずに楽になりましょう?大丈夫。怖くないです。初めは慣れないかもしれないですが、次第にそれなしでは生きていけないようになりますから。騙されたと思って・・・」
「未来図が既に怖いわ!完全に依存してるじゃねえか!説得する気ないだろ!」
「もちろん私だけが楽しむわけじゃないです。オーマだって私に何してもいいんです。命令とは関係なしにオーマがしたいこと何でもさせてあげますし、してあげますよ?」
あーもう、こいつは。恥ずかしいことを次から次へと。
「ああ、そうか、じゃあしてもらおうか」
だが、ヒメのその言葉はチャンスだった。
「はい!キスでも、添い寝でも、頭なでなででも!」
それは主にお前の願望だろう。
「何でも、してくれるんだな?」
「あのいちゃいちゃしないというのは、そもそもの前提として無しですよ?」
少し不安そうにするヒメが聞いてくる。それ以前に女の子として危機感を抱いてはくれないのだろうか。抱いてくれないのだろうな。こいつ俺のこと大好きだしな。
と自惚れでもなく考えるぐらいには、ヒメの好き好きオーラは効果を発揮している。
何度も言うが、ここまで言われて嬉しくないはずがない。
だから少しヒメといちゃつくだけで聞きたい情報を得られるというのは悪い話ではなかった。
「なら―――」
ヒメの腕を掴み、逃がさないとばかりに目を合わせる。ヒメなら簡単に抜け出せそうな気がするが、この際それは気にしない。本人が逆らわないと言っているのだから。
「オー・・・・マ?」
何を期待しているのか潤んだ瞳を向けられる。今すぐ押し倒しても受け入れられそうな従順さだ。王女としてそれはどうなのだろうと思わなくもないが。
もし、今、無理矢理・・・。
――ドクン
え・・・・?
――ドクン
なん・・・。
――ドクン
・・・この欲求は
――ドクン
ヒメが・・・・・。
――ドクン
顔が自然にヒメに近づいていく。それに応じてヒメが目を閉じる。まるですべてを俺に任せるように。もう、俺の行為を邪魔する者はいない。
――ドクン
だから俺は・・・。
・・・って!?
(危な!いま、俺・・・本気で!?)
我に返った。
「オーマ・・・?」
何も起こらないことに焦れたのかヒメが目を閉じたまま窺ってくる。
「~~~~~」
視線を地面に落とし自らを省みる。
今、俺はヒメにキスしようとした。その後は流れるようにヒメを襲っていたかもしれない。嘘だろ、今まで普通に理性を保ってきたのに、何で急に?
「あの、どうかしました?」
今度こそ目を開き尋ねてくる。
「・・・・・・・」
ヒメ・・・・。
いや切り替えよう。そもそもそのことだって分かるはずなんだ。どう考えてもおかしい。いきなりお前が欲しいなんて言うこの体は絶対におかしいのだ。何か、何かとんでもない理由があるはずなんだ。
「一つ質問する。それに答えたら、代わりにキスでもいちゃいちゃでもしてやる」
「結婚も・・・?」
・・・・・重い。
「ああ」
嘘だが。
「だが、答えなかったら・・・・、まあそれは置いておくが」
「何でですか!?」
そんなヒメの疑問には答えずに、ずっと気になっていたことをようやくこの場で尋ねる。
「では質問だ。お前・・・・・・何を思い出した?」
「っ!」
「明らかに『ヒメの記憶』を使う前と後で、お前の態度が違い過ぎる。看過できないレベルで、だ」
「・・・・・・」
「大方、記憶を失う前の俺との関係もそこに含まれていた。だから、今回みたいな状況になった」
ヒメは俺の言葉に一瞬視線を逸らすと、すぐにまた合わせてくる。今までのいちゃいちゃ欲求は消え、きりっとした顔をしていた。
「オーマ、言いませんでしたか?秘密だと」
凛々しくそう告げるヒメ。
「だから対価は用意した」
「・・・・・いちゃいちゃ・・・」
途端ヒメが極上の餌をぶら下げられたペットのような目をした。釣れそうだ。
「そうだ。それにそれだけじゃない。俺は知りたい、俺の過去を、お前のことを、全部。だから頼むヒメ。教えてくれ、お前の記憶の全てを。俺は全部知ったうえでお前と一緒にいたいんだ」
ヒメの目を覗き込む。そこにあったのは諦めと・・・そして隠しきれない悦び。
そのことに説得が成功したのだと思った。
「言います・・・けど、全部は無理です。少しずつじゃ、だめですか?」
「今すぐに、全部だ」
「無理です」
あれだけ嬉しそうな顔をしておいて拒否するのか。
「お前は、俺に知ってほしくないのか?自分たちの過去を」
「・・・・・はい。絶対に知られたくありません」
そう断言されたのは意外だった。
一体何を隠しているというのか。何かを隠されるのは気にくわない。だがヒメがそれだけの意思を持って隠すというのなら。俺はそれを知らないでおくべきなのだろうか。
「自分勝手なことを言ってるのは分かってます。でも、それでも、どうか私を信じてください。私はオーマの味方です」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
答えは否だ。
「なら、ここまでだな」
ヒメの右手を解放する。
「っ・・・・・オーマ・・・?」
おそるおそると言った様子で、こちらを窺ってくる。そこまで恐れながらも、決意は翻らない。
「・・・・まあ、ほどほどにだな。いちゃいちゃは」
「え?」
「少しずつでいいから話すように、それが条件だ。わかったらさっさと行くぞ」
振り返り山頂を後にしようとする。
ここで切り捨てたら本当に何も知れないままだ。なら今はヒメから得られる情報に推測を重ねていこう。
「あ・・・・・・・はい!」
その言葉と共に、ヒメは、俺にかけより、抱き付いて来た。
「結婚してくれるんですね!」
「するか!!」
突然ヒメが訳の分からないことを言い出した。
「話が違います!」
「お前が全部言わないならその話もなしだ!」
「なら、何してくれるんですか?」
「何で何かあること前提なんだよ、お前は」
「やっぱり、するよりされる方が嬉しいですか?オーマは。むしろ押し倒した方が良かったですか?」
「お前、懲りてないだろ!」
「懲りるわけないです。オーマと一緒に居られたらそれだけでもう幸せの絶頂です」
やっぱり、置いて来た方がいいだろうか。
「だめです、オーマは最後のチャンスをふいにしました。ここから先は私の全身全霊を持ってオーマにくっつきます」
また心を読まれた。
「何だよ、それ」
「閃いたのです。いちゃいちゃがダメなら一方的に甘えればいいじゃないかと」
「根本的に解決してないな」
「オーマ、オーマ、オーマー」
抱き付きながらすりすりしてくる。
「連呼すんな・・・何だよ」
「呼んでみただけです」
「次呼んだら、私刑な」
「何されるんですか、それ?」
「・・・・・・・・」
何しても堪えない気がする、こいつ。
「それよりも、なでなでしてくれたら私、いうこと聞きますよ?」
「お前、そんなことばっかり言って実際には自分のしたいことしかしてないだろ」
「そんなことないですよ。それにオーマはなでなでするの好きですよね」
「そんなこともないと思うが・・・」
「なら、試しに撫でてください」
「・・・・やめとく」
「・・・・・オーマ、釣った魚にもエサは上げてください。でないと大変なことになります」
「釣った覚えがない、自分からびくに入ってきた魚にまで餌をやる義理は無い」
「オーマって素直じゃないですよね。やっぱりツンデレです」
「なんだよそれ」
「でれでれするところが早く見たいです」
「しないから」
「オーマー」
「何だよ」
「呼んでみただけです」
「こいつは・・・・」
「本当に良かったです・・・・オーマにいちゃいちゃする許可がもらえて・・・」
「・・・・・」
「危うく、世界が滅びるところでした」
だからどういう意味だそれは。
放り捨てるわけがなかった。ヒメには港での件で恩がある。
それに、ヒメという戦力を失うわけにはいかない。
それだけだ。
くっつかれたままヒメと山頂を後にする。
あれ、そもそも何のためにこんなことになったんだっけ。ああ、そうだ。ヒメが敵が傍にいるかもしれないところでくっついてきたからそれを戒めるために。・・・て、何も改善されてない。
「オーマー」
またヒメがだらしなく弛んだ口で俺の名前を語尾を伸ばして呼んでくる。
シャルたちと合流してもこのやり取りは続くらしい。
「いい加減、怒るぞ」
「大好きです」
「・・・・・・・」
「大好きです」
「一回言えば分かる」
「オーマ」
「何だ」
「ん」
何故かヒメが頭を傾けてくる。
「?」
なでなで
しまった、手が勝手に撫でていた。この体、一体どうなってるんだ。言う事聞かなさすぎだろ。
「・・・。えへへ」
ヒメは嬉しそうにする。その笑顔に何となくすぐに終わらせるわけにはいかないような気がした。だからといって素直に撫でているのも癪だ。
撫でていた手を鷲掴みに変えてぐりんぐりんヒメの頭を回す。
「あうう~ごめん~なさい~」
しばらく続けたあと、
「頼むから気を付けるべきところでは気を付けてくれ。いちゃいちゃしてたら不意打ち喰らった、なんてこと嫌だぞ俺は」
意味もなくやった仕打ちに理由を後付けする。その一言を最後に、また撫でるのを再開。
「はい~えへへ」
何で嬉しそうなのか。
悔しいことに撫で心地良いし。
―――じ~
「シャル?」
シャルがこちらを物欲しげに見つめていた。
「うちもしてほしいっす!!」
「わたしも!」
は?何言ってんのこいつら、頭おかしいんじゃねえか?
「駄目っすか・・・?」
まあ、それでも別に拒絶することでもないので手招きする。
すると、嬉しそうにクロとシャル、二人して駆け寄ってきた。
「ほらよ」
アイアンクローでその頭をぐりんぐりん回してみた。
「そっちじゃないっす~」
どっちだよ。
「こうされるの久しぶり~~~」
お前はお前で、以前はされてたのかよ。
「私たち、仲良しですね!」
そうだろうか。




