軍師(Ⅲ)
「・・・・・・・」
「あ、アーリアちゃんおはよう」
「何であなたがここにいるんですか」
朝起きたアーリアが朝ごはんを作ろうと厨房に入った時、既にそこにはヒメがいた。
「えっと、ご飯作ってるんだけど?」
「そうじゃなくて、何であの部屋から抜け出してきているのかと聞いてるんです」
「何を今更。そもそもアーリアちゃんにもあの時会ったし、もう公認みたいなものだったよね?」
「認めた覚えはありませんしあの後警戒を厳にしたはずですが」
「普通に歓迎されてたよ」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」(にこ)
その笑顔に少し怖気が走った。
「・・・はあ。それで?何故ご飯を作ろうと?私が作るつもりだったのですが」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
結構長い沈黙の末、こわばった表情をようやくほぐし言葉を選ぶようにヒメは答える。
「お嫁さんは厨房を任されるべきだと思いまして」
魔王城の厨房にはおそらく人族のそれとほぼ変わらないだけの設備や道具はそろっているはずだ。オーマがイーガルの為に集めたものだが、ヒメも料理が出来るのならこの厨房に不備はないだろう。
もうあらかた作業は終わっているのかお玉を片手ににこにこしている。
「つまり魔王様の嫁としての自覚が出てきたと」
「そうそう、そんな感じ」
「嘘ですね」
ヒメにそんな気はさらさらないことがアーリアに伝わる。
「ありゃ、あっさり」
それどころか。
「何をたくらんでいるのか知りませんが・・・やめてください。あなたはただ大人しくしていてくれればいいんです」
「そのつもりだよ」
今はまだ。そんな後付けを想像することは避けられない。あんな話をしたというのに結果は伴わなかったらしい。
「・・・・・・・」
ヒメは頑固だ。それをアーリアは理解する。
「それより、はい、あーん」
差し出された小さめの匙。そこから漂うかぐわしい香りにアーリアはつい口を開けてしまう。今のヒメの感情に敵意は無い気がした。それが恐ろしいほどの抑圧の結果だとしても。
「おいしいです」
そして、料理に罪は無い。貴重な食料を無駄にするわけにはいかない。
「良かった」
「イーガルには敵いませんが」
「イーガル?」
「弟です」
「そっか。今度紹介してね」
「はい。是非」
そんな心にもない応酬。寒気がする。
「ところでここの食事ってどういう風にされるの?皆さんに食べてもらいたいんだけど」
「食堂においておけばみんな勝手に食べていきます」
すぐ隣だ。
「食堂・・・あああそこ」
「何で魔王城の構造を把握してる口ぶりなんですか」
「何でかな~」
「・・・・・・」
「それはそうと・・・・おいで!」
両手を空け、例のごとくヒメは腕を広げアーリアを迎え入れる態勢をとる。
「・・・・何で、そう言うときだけ本心から求めてるんですか」
「本心ですから!」
「・・・・・お断りします」
「・・・・ほう、魔王に私のこと頼まれたんじゃなかったかな~。アーリアちゃんのこと抱きしめられなかったら私きっとものすごく落ち込んじゃうんだけどな~」
「卑怯なっ!!!」
――ボスッ
アーリアはヒメの腕の中に飛び込んだ。
「うにゅ~もふもふもふ。あーもう可愛いなアーリアちゃんは」
「~~~~~」
むすっとした顔をするアーリアに構わずヒメはアーリアの体中を撫でまわす。撫でまわす。
やがて何かを我慢するように目を閉じ、縮こまるアーリアにヒメはようやく自分の失態を悟る。
「おと、ごめんごめん。ちょっと我を忘れてた」
「ちょっと?ちょっとですか。ふふ、ふふふふふ」
「また後でね」
「後で!?」
アーリアはようやく自分に任された役目がいかに難易度の高いものかを理解した。
「皆さん、美味しそうに食べてくれましたね」
「そうですね」
食堂に作った料理を並べていくと、数人の魔族が食べに来た。魔王の嫁の手料理ということで何の警戒もなく食べていく魔族たち。おおよそ好評。むしろ感涙にむせぶものまでいた。
「ところで何でついてくるんですか」
「ん。まあ、ちょっと、アーリアちゃんの観察を」
「悪寒がするのでやめてください」
「それはさておき」
「さておかないでください」
「ここってお風呂とかないんですか?」
「ありますよ。魔王城の裏山に温泉が。ほとんど使われていませんが」
「あ、良かった。では私の着替えなどは?」
「着替え?要りますか?」
「要ります」
何を言っているのだこの娘はといった表情でヒメはアーリアを見つめる。
「ふむ、それならオーレリアさんの物を借りますか。・・・・・・・・・・・・・・。二階の東廊下右手側、三番目の部屋がオーレリアさんの部屋ですので」
「ああ、あのやたらお酒で散らかってる・・・」
「だから何で把握してるんですか。まあいいです。その部屋の奥、右手側の衣装棚に入っている服なら使ってもいいそうなので」
「? 今聞いたみたいな言い方だね」
「じゃあ、そういうことで」
用は済んだとばかりに立ち去ろうとするアーリア。
「? 一緒に行くんだよ?」
「・・・・・え?」
そんな言葉がヒメによってかけられた。
「胸ですか。やっぱり胸ですか」
「えっと、そこまで大きくはないと思うんだけど」
服を脱ぎ湯につかる二人。アーリアの視線はヒメの胸を凝視していた。
「持てる者の余裕というわけですか」
アーリアの恨みのこもった視線。
「それを言うならアーリアちゃんだって可愛いものを持ってる―――」
ヒメの手が無遠慮にアーリアの耳に触れる。
「ひゃう!!!!」
「おう?」
――さわさわ
「ん・・・・あわ、やめて・・・ください」
「・・・・・・・・ほうほう」
「あ、あの・・・ヒメ・・・さん?」
――なでなで
ヒメの手が湯の中のアーリアの尻尾に向かう。
「あの、そこは、だめ・・・」
「ここ、気持ちいいですか?」
「~~~っ」
「段々アーリアちゃんの喜ぶところわかってきました」
「いい加減にしてください・・・。怒りますよ・・・」
そんなアーリアの抵抗も声が震えていてヒメを燃え上げさせるばかりだった。
「頭撫でられるのも好きですよね」
「そんなこと・・・ないです・・・」
「ふっふっふ、口ではそう言っても体は正直ですね」
「・・・・ちが・・・」
「もっと気持ちよくなっていいよ」
「んぅ~~~」
頭、耳、尻尾にアーリアの弱点を見い出したヒメ。くすぐるように耳を撫でては同時に尻尾を少し強めにいじり倒す。耐え切れず声を上げたところを頭を撫でて更に追い打ち。
「あー癒されるな~」
それをヒメは癒しを得る為に行っていた。
やがて限界まで顔を赤くしていたアーリアの体からふっと力が抜ける。
「あ、観念し―――?」
「・・・・・・・」
「これはまずい・・・」
アーリアはのぼせていた。
「し、死ぬかと思いました」
「またしてあげるからね」
「結構です」
「今度はベッドでですね」
「殺しますよ」
その言葉には半ば本気の怒りが込められていた。アーリアの頭を冷やすためあたりに漂っていた冷気が増す。
「殺せませんよね。魔王には逆らえないですもんね」
「ぐ・・・・ぬぬぬ」
冷気が収まる。
「本当に魔王のことを慕ってるんですね」
寂しげな表情を見せるヒメ。
「当たり前です」
「つまり今、アーリアちゃんは私には逆らえません。ということはアーリアちゃんは私のものということに」
「なりません」
「魔王に恋心を寄せる魔族の女の子を堕とす、ですか。心躍りますね」
「なんで魔王様はこんな人を・・・」
「アーリアちゃんを調教することが今の私の楽しみです」
「今すぐに変えてください!」
「ふふ、どうしましょうか」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「ん?」
「もし・・・・」
「うん」
「このままヒメさんの傍にいれば、あなたは魔王様のことを許してくれますか?」
「ああ・・・・。答えはもちろんいいえだよ。魔王は絶対に私が殺すから」
そんな風にあっさりと親交の道は断絶された。
「・・・・っ!!」
「魔王だけじゃなく魔族も・・・ね。だから私に武器になるようなもの渡さない方が良いよ?」
そう言ってヒメは脱いだ服を入れていた籠から刃物を取り出した。厨房に置いてあったナイフ。そのまま自然な動作でアーリアを抱きしめる。
「・・・・・!」
アーリアの一閃。甲高い音を立てつつヒメが持っていたナイフは地面を滑っていく。
「あらら、失敗しちゃいました」
「っ!ふざけないでください!!」
「ふざける?何がです?」
「~~~~!」
さっきとは比べ物にならないほどの怒り。それは―――
「ごめんなさい。魔王様。私はこの人を見過ごすことが出来ません。この人を放っておけば必ず魔王様に害をなす」
――ここにはいない者への謝罪を発露の起点とした。
「うん。それが正しいよ」
すべてを悟ったような声がまたアーリアの感情を逆撫でする。
「魔王に伝えてくれますか?あなたのことが大嫌いですって」
――ばっ!
そしてアーリアが繰り出す右の手は狙い過たずヒメの腕を掴み、そして引っ張った。
「あ、あれ?」
ヒメは引っ張られていった。
「それは自分で伝えてください」
「えっと、さっきの謝罪は私を殺すからでは?」
「今あなたを殺せば、私は一生あなたに勝てなくなります」
「・・・・・そう」
「だから、あなたには真実を知ってもらいます」
「真実?」
そう言ってアーリアはその後、無言のまま裏山を下り、魔王城へ帰還、一階、階段裏の隠し扉にたどり着き・・・・。
「鍵が・・・かかってる!!」
「えっと・・・」
「・・・・・・・・くっ」
「・・・・・・・・」
膝を屈した。
「こんな所に扉があったんですね。気づきませんでした」
「いえ、忘れてください。開かない扉はただの壁です」
「そう。なら少し付き合ってもらえるかな。ダンジョン最奥、魔王の部屋へ」
「?」
鍵はあっさりと見つかった。




