魔女と魔獣(Ⅳ)
イーガルが目を覚ましたとき世界は光で満ち溢れていた。イーガルの目蓋を突き刺さんばかりの光の奔流、これまでを日の差さぬ土地で暮らしてきたイーガルにとって、強すぎる光は攻撃魔法と誤認しかねないものであった。
(敵襲!?)
だから真っ先にそう思ったのは、イーガルの危機察知能力からすれば当然のことであった。
明るすぎる光がイーガルの視界を塞ぐ。その状況でまず第一に取る行動は、視界の回復を待たずその場を離れることだ。視界が奪われた直後の硬直こそ最も狙われやすい隙となる。視界の確保や視覚以外での状況確認、つまり耳や鼻での情報収集は回避行動を取った後に行う。
光に反応してそれらの行動を取ろうとしたイーガルを、体の異常が制止する。手足が動かない。それどころか全身がぴくりとも動かない。
(なんでっ、動けねえんだ・・・っ)
眩しさに耐えながら体の不動に焦っていると、イーガルの目の上に光を妨げるように影がかかった。光の緩和を感じて目を開くと、目前に黒い影が見えた。
(手か?)
イーガルの目の上に翳されたのは、手のひらのようであった。
「ごめん、眩しかった?」
落ち着いた声で手が謝ってくる。正しくはその手の持ち主だろう。不快に思う間もなく、手と入れ替わるようにして顔に布がかけられる。そのあと近くを走る足音がして、シャー、と何かが擦れる音がしたあと、世界が暗くなったのを布越しに感じる。
「これでどう?」
声と共に、顔に被せられていた布が取っ払われる。光が薄くなった世界は多少なりともイーガルを落ち着かせた。
だか、そこが見知らぬ世界であることには変わりない。視線は忙しなく周囲を観察する。白い壁に白い天井という無機質な印象を与える空間。その中で唯一活力を感じさせる存在、先ほどの手と声の持ち主だろう、水色の髪をした少女が目をきらきらさせてイーガルの顔を覗き込んでいる。雪の中で会った時とは違い軽装だ。
無害そうなガキの姿に、イーガルは別のものを想起する。
「アーリア!」
最も大切な家族を思い出し、寝ている体を起こそうとする。だがやはり体は動かず起き上がることが出来ない。
(だから、なんで、動けねえんだ)
いくら力を入れても体は返事をしない。動けないイーガルの苦慮に答えたのは、またしても少女の声だった。
「麻酔が効いてるから。無理はしない方が良い」
「ま、すい?」
聞き慣れない言葉だった。
「パパが手術して、魔毒を取り除いた。もう一人の子も重体だったけど、一命はとり留めてる」
「は?」
このガキは何を言っているんだ?
知らない単語を並べられイーガルの頭が混乱する。ますい、しゅじゅつ、まどく、じゅうたい。どれも聞いたことがない言葉だ。
「加えて二人とも重い栄養失調、しばらく療養が必要。君も、女の子も。・・・・・ああ」
ぽかんとしている俺を見て、ガキは言葉が通じていない可能性に思い至った様子で、とてとてと寝ているイーガルの足元を回り込むと、視線を反対側に誘導する。
しかしイーガルは首すらまともに動かすことができない。そんなイーガルの首を、チビガキは無理矢理反対に向かせた。
――グギッ
「いっでっ!」
「あ、ごめん」
言うほど痛くはなかったが、反射で叫んでしまった。向けさせられた視線の先、そこには死んだように眠るアーリアの姿があった。台の上に乗せられ、清潔そうな白の布に包まれている。
「繰り返すけど生きてる。あ、えっと、どうやって伝えればいいんだろ」
「言葉はわかる。難しい言葉以外。だから分かりやすく言え」
眠っているアーリアを見つめたままイーガルは言う。
「俺たちは死ななかったのか」
「うん」
「生きてるのか」
「うん」
「生きられるのか」
「うん」
頷き。その肯定をどれ程望んでいたか。
「そうか」
どれ程嬉しかったか。
「だから君ももう少し眠った方がいい」
「知らねーやつの前で寝られるか」
口以外まともに動かない状況で、それでもイーガルは警戒を解こうとはしない。
「じゃあ『スリープ』」
けれど警戒に反して、意識は泥に沈んでいく。気を張る力も無かったのか、それとも。
「おやすみ、わんちゃん」
無意識に信頼してしまったのか。
「ZZZ」
催眠魔法に対する耐性くらい、あったはずなのに。
眠りの中で、誰かに頭を撫でられた気がした。
「うわーーわーー、やーめーろォーーー!!」
一人、むず痒さの余り暴れるシャルがいた。
再び目が覚めた時、目の前にあったのは真面目くさったオッサンの顔だった。角ばった顔に水色の髪とひげが生えたおやじ。円形の透明な物体で目の防護をしている。一言で言えば怪しい。それはもう怪しい。
一目見てイーガルはそれを敵と判断し、体を無理矢理跳ね起こす。その拍子に全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げ、激痛に見舞われる。
「ぐおおうあああ」
口からも悲鳴が上がる。
「おお、もう立てるのかい。感心感心」
「て、てめえはなにもん、ぐあああ、いてええー」
「はっは、楽にしたまえ。私の名はカドケウス。カドケウス=ウィーチだ。君達を助けた命の恩人と解釈してもらって相違ない。よろしく頼むよ」
「恩人だあ?」
即座に反論しようとして、その場所が前の場所と変わっていないことに気づく。アーリアも眠ったままそこにいる。あれは都合のいい夢ではなかった。
「てめえ何が目的だ」
だが、相手が変わっている。イーガルの警戒心は保たれる。
「ああ。そうだね。治療費をどうするかは後々考えていこう。幸い労働力としては申し分なさそうだ」
「はあ?」
ちりょうひ?
「今はまず、ゆっくり休んで体調を整えなさい。妹さんを心配するならね」
妹?アーリアのことか。
「・・・・・・敵、じゃねーのか?」
「難しい問題だが、君達が暴れたりしない限りは味方であることを誓おう」
「お前らは、なにもんだ」
思えば先程もした質問だが、頭が回っていなかった。しかしオッサンは違う答えで違う情報をよこす。
「医者だ。共に病気と戦う、仲間だよ」
「仲間・・・・?」
「ちなみに君達を見つけたシャルロットは僕の娘でね。出来ればでいいんだが仲良くしてやってくれ」
苦笑しながらオッサンが指差した先に、椅子の上で座ったまま眠っている先程のチビガキの姿があった。
(なんでこいつ、こんなとこで寝てんだ?)
こっくりこっくりと首を上下させる様子はとても寝にくそうに見える。
「ところで食事は出来そうかね?」
「飯!」
そう言えば腹が減っていた、もうどれくらい食を断っていただろうか。思い出すともう食べ物のことしか考えられなかった。目の前のオッサンがうまそうに見えてくる。
「涎を垂らして見ないでほしい。まあ食べられそうなら食卓に案内しよう」
案内ということは既に用意してあるのだろうか。このオッサン意外に強いのか。食事を行えることが当然であるかのような余裕が感じられる。一体どれだけの魔族や魔物を葬ってきたのか。
「その前に、シャーリィを部屋に運ぶから待っていてくれるかい?」
「シャーリィって誰だよ」
「シャルロットのことだよ。私たちの可愛い天使さ」
「どうでもいい。さっさと終わらせて案内しろ」
「ああ、すぐ戻る」
イーガルの乱暴な言葉に気を悪くする様子もなく、カドなんちゃらのおっさんはチビガキを抱えてその場を立ち去る。
その間にイーガルは台の上で寝ているアーリアの様子を見る。
とても呼吸が浅い。顔色も良くない。だが生きているのは確かだ。
本当に助けられたのか?まだ信じられない。
「待たせたね。行こうか」
言葉通り、あまり待つことも無くおっさんが帰ってくる。
アーリアを一人残すのは心配だったが、正体不明のこいつらを見極めるのが先決だ。食事が出来るのであれば逆らう理由はなく、言われるままに着いていく。もちろん最低限の警戒は残して。
わざわざ獲物を養って、自分に好意を向けさせてから食べようとする酔狂な魔族かもしれない。少なくともイーガルが今まで過ごして来た世界はそういう世界だ。
出会い頭に殺すことが何よりも正しい世界。
「これが、食い物?」
そうして到着した食卓に並べてあったのは、イーガルが見たこともない奇妙な異食材であった。
「ああ、ママの手作りさ!美味しいぞ」
オッサンの言葉で、奥に目を向けると、テーブルの向こうで女が微笑んでいた。
「固いものは食べられそう?柔らかいものも用意してあるからよく噛んで食べるのよ?」
そう言いながら、イーガルが見たこともないゲテモノを器によそっている。
その不味そうな異物によって、疑いは確信に変わった。
「ちっ!やっぱり毒を食わせてなぶり殺すつもりだったんだな!」
イーガルはその手で並べられた毒物をテーブルごと払いのける。勢いのまま床に落ちる食器類が派手に音を立てて割れていく。ただでさえ不味そうだった毒の食い物が見るも無惨に床に散らばった。
「毒?」
女が図星をつかれ微笑みを強ばらせる。化けの皮が剥がれようとしている。
「こんな気色悪いもん出されたら俺だって気付く!騙すならもっと旨そうに見えるようにしろよな!」
女の顔が更にひきつる。
「・・・・・」
俺の指摘に女は浮かべていた笑みを完全に消すと、しゃがみこんで手近な肉料理を鷲掴みにする。
「君、その態度はまずいって!今すぐ謝って!」
「言っとくがてめえの魂胆だってもうわかり」
医者とか名乗るおっさんにも食ってかかろうとしたところで。
「うまいかどうかは、食ってから決めな!!!」
女が光の速さでイーガルに接近していた。片手でイーガルの両頬を押さえて口を開かせ、もう片方の手で肉料理をイーガルの口に突っ込む。
衰弱しているとはいえ、イーガルに反抗する暇さえ与えない疾風の襲撃であった。
「もが、もご、もぐ!・・・・ももっ!?」
イーガルの悲鳴。けれど反撃に動くことはなかった。その後、しばらく沈黙が流れる。
もぐ、もぐ、もぐ。イーガルの咀嚼音がしばし続く。やがて、ごくんと飲み込む音をさせてイーガルが口を開く。
「うめえ!」
食べかすを飛ばしながらイーガルは必死にその美味さを表現する。
信じられないほどに複雑な味。魔物の肉、血、汗、唾液、そのどれでも表せない複雑怪奇な味、なのにそれが一つの快感としてイーガルの口を満たしていく。
それを味わった瞬間、床に散らばったものが異物から料理へと変わった。
もっと食べたい。そう思って、床に散らばった料理へと手を伸ばす。
「こらっ!」
その手をぴしゃりと叩かれた。またもやイーガルには反応できない速度で。
「なんだよ!」
「落ちたものを食べない!意地汚いわね!」
「お前食わせた!」
「それは食べ物を粗末にした罰よ。・・・それで? 何か言うことはないのかしら?」
「はあ?」
「な・に・か・な・い・の・か・し・ら」
「謝って!ごめんなさいして!」
イーガルの後ろで泡を食っていたおっさんが、イーガルの耳に顔を寄せて言い聞かせようとする。
「なんで俺がそんなこと」
「ママを敵に回したら、この家で美味しいご飯にありつけなくなるから!」
「別に、俺はいらねえし」
「君の妹さんも食べられなくなる!妹さんが起きたときひもじい思いするよ!多分、私も!」
「・・・・・ぐ、・・・・・わ、悪かった」
「ごめんなさい!」
「ごめんなさい」
そっぽを向きながらではあるが、謝りはした。
「よろしい。うふふ、起きたばかりで混乱しちゃったのよね。もう食べ物を粗末にしちゃだめよ?」
「お、おう」
「作り直すから、二人は床のものを片付けて頂戴ね」
謝罪したことで鎮静されたのか、女は機嫌を戻したようだった。先程と同じ、暖かい微笑みがイーガルに向けられる。
それにしても、これだけの食べ物を無駄にして余裕を保てるなんて、こいつら一体どれだけ殺しているんだろうか。
俺たちも、食うつもりなのだろうか。




