魔女と魔獣(Ⅰ)
ミツメの町の宿屋の一室。
「別に来なくて良いの」
フィブリルが言う。
「行きます」
ヒメ様が言う。
「ヒメは心配性なの」
「心配ですからね」
それで話がついたのか二人は一緒に部屋を出ていく。
ヒメ様とフィブリルの声が遠ざかっていくのを聞き取りながら、シャルは寝たふりを続ける。
先ほどまでオーマの説教が行われていた部屋に、今はシャルが一人。ヒメもフィブリルもシャルを無視したように出ていってしまった。
以前ネクスタの町の宿屋では夜中に突然叩き起こされて、担がれていったものだが今シャルの力は必要ないと判断されたのか。
それにしても、オーマ様に一人で行動するなと言われたそばから、何故ヒメ様はまた一人で動いているのだろうか。あれと一緒だから二人だとでも言うつもりなのだろうか。
まあ、隣のベッドでくんずほぐれつを始められるよりは余程ましな展開か。シャルは誰も戻ってこないことをもう一度確認してからベッドを抜け出す。
そして現在の状況を把握するために、魔力感知の網を広げる。
「ごめんなさい。後回しにさせていただくっす」
そして一言、冒険者集団に連行されているオーマの魔力反応に追悼の意を示して、シャルは部屋から姿を消した。
シャルがトアル遺跡の隠し部屋へと姿を現す。
「便利なもんっすね」
『魔女の部屋』と瞬間移動したシャルは、暗闇に目を慣らしながら周囲を探る。
誰もいないようだ。
そう判断をつけると、この場所を基点に再び魔力感知を行う。そしてセラの反応を見つけた。
まず、現在の状況をまとめる。
先日、この町ではギルド『漆黒の戦火』を主とする魔王討伐クエストが実施された。
しかし結果は惨敗。セラの弟であるユタを初めとして、多くの冒険者が死亡した。
これによりショックを受けたセラだったが、現在では入れ替わりの力を使って荒っぽい方法で新ギルド『セイレーンの歌声』のメンバーを集めていたらしい。
そこへやって来た勇者一行だが、まんまとセラの思惑にはまり、勇者オーマはその玉体を奪われてしまった。
事件の共謀者、ガウェインから話を聞き、一行は翌日まで事態の解決を待つこととした。しかし就寝間際、何らかの理由で入れ替わりが解除される。
オーマが行方知れずとなると共に、元の体に戻ったフィブリルがヒメと共にガウェインを止めに向かった。
と、まあこんなところか。
で。問題となるのが入れ替わりの特殊能力を持つ『カグアの魔眼』を、セラに与えたのが他ならぬシャルだということ。
ユタの死に絶望したセラは、ところ構わず自殺しようとしていた。だがそれは叶わなかった。ユタの最期の呪いによって死ぬことを封じられていたからだ。インチキ魔法も大概にしてほしいものだが、それだけ死に際した願いというのは強いものなのだろう。
そしてそれによってセラは生き続けることができた。しかしシャルはそこに一抹の不安を抱いていた。確かに体は生存することができた。だが心はどうか。ただ死なないというだけでセラの心は生きる活力を得られるのだろうか。答えはノーだ。
シャルが行うべきはセラに生きる理由を与えることだった。だから、シャルはカグアの魔眼をセラに与えた。
――カグアの魔眼の能力を好きに使ってくれて構わなかった。
――暴れてくれて構わなかった。
――町を守ってくれればなお良かった。
――フィブリルやガウェインたちと傷を舐め合ってくれればそれで良かった。
そうなるように、生きる活力になり得る可能性を、いくつか与えたつもりだった。
馬鹿弟子に押し付けられた後始末に、シャルなりに努めたつもりだった。
だがセラは、シャルの想定に反して勇者に手を出した。
侵してはならない禁忌に手をかけた。
セラの行いは全てシャルの責任だということくらい分かっている。だから、失敗した実験の後始末くらい、自分で済ませる。
「シャル、ロット?」
暗闇から聞こえたのはひどくしわがれたか細い声だった。
「『曙光』」
シャルは魔法を唱え、暗闇に光を灯す。
トアル遺跡の深奥、複数の牢屋によって形成された十字迷路。その牢屋群の内の一つにセラは手枷で繋がれていた。
その姿に、七日前の健常は無く、痩せこけた体が彼女の飢餓を示していた。
「ここにフィブリルを繋いでたんすか」
だが今いるのがセラ本人だとしても、今までここに繋がれていたのは、体を入れ替えられていたフィブリルだったはずだ。ここまでの飢餓に実際に苦しんだのはフィブリルだ。
「食事は・・・与えていたの。でも食べてくれなかった。お陰で、自分で死ぬことも、出来ないわよ」
口ひとつ開閉するのも苦労するようで、のろのろと途切れ途切れの言葉を発する。
自身の体力を極限まで削って、ここぞというときにセラに自害させない。あの引きこもりの企みそうなことだ。それでも、舌を噛み切ろうとすら出来ないのはユタの呪いのせいだろう。
「まだ死にたいんすか?あれだけのことをしてきて?」
「あれだけの・・・ことを・・・したからよ。もう・・・死ぬべきだと・・・思わない?」
「思わないっす」
「そう。だったら、その体、貸してくれない?」
セラは苦しそうに顔を上げ、シャルと目を合わせる。シャルは真っ直ぐにその目を受け止める。セラの瞳から魔法具の発動を感じた。けれど。
「・・・え?」
何も変わらない。
視界が変わっていないことに気付いたセラが不思議そうにシャルを見る。
「目を合わせて『カグアの魔眼』をつかう。お手軽っすよね」
「・・・・・・・」
大したことではない。入れ替わった瞬間にシャルも同じことをしただけだ。条件が満たされた状態で入れ替わるのだから、心構えが出来ていればノータイムで再び入れ替わることが出来る。
「でももう、要らないみたいっすね」
勇者の邪魔をするなという忠告を無視したのだから。
「契約解除ということで、悪しからず」
シャルがそう言うと、セラの片目が零れ落ちた。
「・・・・・」
「手前勝手に言わせてもらえば、あんたの気持ちも分からないではないっす。うちも三年前に両親を亡くしてるっすから。だから、あんたみたいに死にたいとも思ったっす。でも聞こえた気がしたんすよ。死ぬな。生きろ・・・って。セラ、ユタは・・・、あんたの弟は何も言ってくれないんすか?」
「・・・・・・言うわけ、ないじゃない。あの子はもう、死んだのよ」
「・・・・・そっすか」
ああ、難しい。人の心。
シャルには魔法があった。心の痛みを紛らわせてくれた魔術の深淵。のめり込むほどに悲しさを忘れた。でもセラにはそれがない。ユタを失った後、縋るものが何もない。それを与える者に、シャルはなれなかった。
ならもう仕方ないか。
「セラ。もう一度聞くっす。本当に死にたいんすね」
「ええ」
「分かったっす。おやすみなさい」
弟子の不始末を片付けるのも、師匠の仕事だ。
まず馬鹿弟子の呪縛を解く。
「解―――」
解呪を唱えようとしたその時。
悪寒が駆け巡った。
「――!?」
素早く近づいてくる存在。どこぞの王女様を彷彿とさせる速さだが即座にその可能性を否定する。いくらヒメ様でもフィブリルを連れてこの早さでここまでは来れない。
なら、これは。
咄嗟に視線を横の十字路へと向ける。
魔力の軌跡がそこに現れることを示していた。
そして、現れる。
白い髪。上へと延びる獣特有の耳。暗闇の中光る金の瞳。四肢を地につけた前傾姿勢で、その分岐に踏みとどまりながらその者はこちらを睨み付ける。人の姿でありながらどこまでも獣臭い。
目が合うや、魔族の獣は地面を蹴って飛びかかって来た。
「また、あんたっすか!」
咄嗟に物理障壁を張りつつ接触を避け、反射的に浮かべた魔法弾を迎撃に放つ。
魔獣はシャルの攻撃を躱すこともせずその身に受けながら、バリアごと体当たりをぶちかます。
吹き飛ばされるシャルの体。ダメージは薄いが仰け反り中は何もできない。このまま連撃に入られるとまずい。だが恐れていた追撃は無かった。地面を転がりながら勢いを殺し、すぐさま立ち上がるシャル。その周囲には再び紅蓮の炎が展開される。
「なんなんすか!お前は!」
苛立ちも露わにシャルは問いただす。再三に渡って目の前に現れる、魔族の少年に。
「『雪牢』」
少年はそんなシャルに構わず、魔法を唱える。すると辺りが急激に凍り始める。だがそれはシャルに向けられたものではない。
凍り付いたのは牢屋。セラの囚われていた牢屋が分厚い氷の壁によって封じられた。
それは、害するというよりは、守るための牢に見えた。
「お前らがセラに何かしたんすか」
「はあ? 知らねえよ。てめえらが勝手に壊れてってるだけだろ。こちとらいい迷惑だっての」
そこで初めて少年はシャルに向けて言葉を発する。その余裕ぶった物言いに、いい加減頭に来ていた。
「はっ。丁度良いっす。だったらそろそろケリつけようじゃないっすか」
「・・・・・・・そうだな」
呆れもせず、笑いもせず、少年は首肯する。
「顕現せよ。『灼熱地獄』」
「・・・・・・」
シャルの一声によって、周囲一帯が赤熱し始める。あちこちから炎が噴き出し、地面を溶岩じみた粘性の液体が覆い尽くす。隠れ家の近くだからと予め準備してあった侵入者撃退用フィールド魔法。発動すれば時間経過とともに内部の敵のHPを減らしていく。
「お前熱くねえの?」
問題は。
「めっちゃ熱いっすよ。だから、早く、死ねええええ!!!!」
自分も中にいればHPを減らされていくこと。
HP減少を緩和するために結界を張りながら、シャルの周囲に浮かべられた炎球がその密度を増しながら少年に向けて放たれる。
「効かねえよ」
しかし灼熱の空間も炎球もまるで恐れることもせず、少年は真っ直ぐに突っ込む。
その対応に、シャルがにやりと笑った。
「弾けろ」
少年が近くに来た瞬間、炎球は膨れ上がり破裂する。熱を帯びた礫が散弾となって周囲を攻撃する。
少年は眼前に飛礫をまき散らされ、面倒そうに顔を庇う。その時、足が止まっていた。
「仰け反りって知ってるっすか」
「は?」
シャルの問いかけに呆気に取られて手をどけた瞬間、目の前にこぶし大の炎の球が接近していた。避ける暇もなく顔面に直撃し、少年はたまらず一歩後退する。
それも一瞬の怯みに過ぎない。だが、立て直して再び進もうとした瞬間を、先ほどより少し大きい炎球がぶち抜く。
「まあ、簡単に言うと、攻撃された時に生まれる隙のことなんすけど。パーティ組んでたりするとこの隙を故意に生み出して全員で攻撃したりするんすよ」
説明する間も、一呼吸つこうとしたタイミングを狙うかのように、連綿と少年を魔法弾が襲う。
「でも魔法使い一人だと、一瞬過ぎて次の魔法に繋がらないんすよね」
「っ!」
いい加減少年も気づく。シャルの攻撃が当たるごとに、自分の体が一瞬硬直して、その硬直が解けた瞬間に次の魔法弾が直撃していることに。一切、動けないことに。
「だから仰け反り時間を伸ばすように、魔法を改造したんす」
「この、いい加減」
「一撃目が成功した時点で、もう終わってるんすよ」
「ちまちまやってんじゃねえよ!」
――『魔力解放』
少年の体に魔力が溢れ、一瞬仰け反りから解放されると共に、全ての攻撃に影響されない瞬間が生まれる。
当たれば動けなくなるなら、当たらなければいい。
一撃で終わらせればいい。
自らを前進させる一歩、強く地面を蹴る。
「それと、二重詠唱、前に見せてなかったっすかね?」
硬直を破った少年に対して、シャルはきっちり次を用意をしていた。低位魔法で足止めする間に詠唱を完了した高位魔法。
通路を完全に塞いで放たれる『大魔球』。
「なら、砕く!」
魔力が強化されている今なら、これぐらいぶち破れる。そう判断して少年は大魔球を殴りつけ、凍らせると共に砕き割る。
突破した。ようやく殴れる。そう思い前を見据えた少年の前に『灼熱球』が迫っていた。
「あれ、そういや、三重詠唱は見せてなかったっすか」
「ふざっけんな!!」
もうやってられるかと言わんばかりに少年は踵を返して遁走する。場所が悪い。ここでは機動力がまともに活かせない。
「ええー逃げるんすかー?格好わるーい」
逃げる背を見てここぞとばかりにシャルが嘲る。
「・・・・・」
ぴたりと、少年の足が止まった。
(うわ、なんて単純な)
シャルが挑発の成功に驚く。
「うっせえよ、ちび雑魚貧乳魔法使い!」
・・・・・・・・かちん。
「殺す」
「やれるもんならやってみろ!」
「『大魔球』!!『大魔球』!『大魔球』!!!!」
ドオン!ドォォオン!ドオオオオオォォォン!!!
「へっ!当たんねーよ!」
逃げる少年と追いかけるシャル。子供のような追いかけっこがしばし続く。シャルの魔力任せの攻撃は何度も何度も遺跡を揺らした。
やがて。
「・・・・・あ、魔力が」
「ざまあみろ!」
シャルのMP切れに、少年は即座に転回してシャルを襲う。攻撃を途切れさせたシャルは、その窮地において再びにやりと笑みを浮かべる。
「間抜け」
「っ」
再び笑うシャルを見て、まずいと感じた少年はまた距離をとる。接近戦に持ち込めば有利なはずなのに、そう出来ない。
警戒する魔族少年の前で、シャルは青い丸薬を口に含む。
「いやー、本当、間抜けで助かったっす」
「ちっ、ぺてん師が」
「誉め言葉っすね」
楽しそうにシャルは笑う。
再びシャルの周囲に赤い炎が浮かぶ。仰け反りコンボを始める起爆剤。そして二重詠唱によって充填される大魔球に、灼熱球。
「さあ、逃げ回るっすよ、ワン公」
「犬じゃねえ!」
その後続けられる二人の争いによって、遺跡は振動を続ける。その余波で一人の男性が恐々とすることになるが、それはまた別のお話。




