魔法使いの弟子(Ⅷ)
(朝早くにすみません)
(よいよい。早起きは老人の性じゃて)
天高く、そこには龍がいた。雲上の高みから下界を見下ろすその瞳には、地上を闊歩する人の群れが映る。
(作戦は、一撃で終わらせろ。です)
(ほっほ。それはまたわかりやすいですな。では僭越ながら参りましょう)
龍が雲間に突っ込み、重力に任せた落下よりも速く地上へと降り、その姿を人の前に晒す。
威風を放つ龍の登場に、多くの者がそれが敵であることに気づかないまま棒立ちになる。だが、その中の一人が龍の姿に驚くこともなく巨大な斧を片手に地面を強く蹴ると、龍の正面に躍りかかった。
だが無情にもそれより早く、龍の口から超高温の火炎熱風が吐き出される。真正面から飛び掛かってきた男は呆気なく炎に飲み込まれた。
「姉さん!」
「っ!」
地上で戸惑っていたものたちも続いて炎に飲み込まれていく。
(・・・・・・・)
思惑通りの光景。そのはずなのに、どうしてかアーリアは敵の動きに違和感を感じる。
そこへ、最初に炎に呑まれた男が炎の渦を突破して飛び出してきた。龍の鼻先へと、戦斧を両手で振りおろす。
「おおおおおおおっ!!!!!」
一撃は龍を直撃する。
だが。
龍は蚊でも止まったかのように、鱗で止まってしまった戦斧を払い飛ばすと、今度は人の足で届きようのない高みに昇る。そして特に怒るわけでもなく地上の人間をただ睥睨する。
「・・・・あ、あ」
ブレスの効果範囲から免れた内の幾人かが龍の赤眼に映る。
もう一度ブレスを吐けばその消し残しも一掃できるだろう。
(龍爺さん、離脱を。終わりです)
だが龍はそのまま転回すると離脱していった。
危難が去ったのを見て、斧を振るった男は振り返る。
そこにあったのは炎に包まれた義勇軍の惨状。
天災のような龍との遭遇によって、余りにも呆気なく義勇軍は壊滅した。
けれど。
「やっべ、俺生きてる!?」
「私もだー」
「・・・・・奇跡」
そこにあったのは、惨状ばかりではない。
ガウェインは敗北を受け入れながら、犠牲を最小限に抑えられたことに安堵する。
だが。
「ユ・・・タ・・・・?」
仲間を、なによりユタを失ったセラが、ただ呆然とユタが居たはずの場所を見つめていた。
ユタ達が別の場所で生存していることを知らずに。そして知らされずに。
「これで良いんだな。ユタ」
空を駆ける龍。
(どうして一撃のみなどと?)
予めアーリアが出していた指示、一撃離脱。だがその指示を龍爺は不可解に感じていた。それで倒しきれたというのなら分かるが、倒しきれなかったというのに追撃させなかった理由が不明だ。
それを当然の問いとして、それでも従ってくれた龍爺に信頼を向けながらアーリアはその説明を始める。
(昨日、魔王様と話しまして予言めいた力を持つ者の存在を仮定しました。仮定ではあるのですが、もし未来がわかる予言者がいたとして、自軍が敗北することがわかっていたら普通なら防ごうとするはずです。ですが龍爺さんを前にしてそれはまず不可能。ならば予言者は義勇軍に何を指示するでしょうか)
(退却、ですかな)
(はい。普通なら義勇軍ごと逃げたはずです。朝早くの襲撃を予期できれば夜が明ける前に身を隠すなりの方法をとったはずです。ですが私は今日、義勇軍への襲撃を『絶対に』行うと決めていました。絶対に逃がさないと)
(ほう)
(その時点で義勇軍の未来はどうしたって敗北だったはずです。ですが敗北ではあっても全滅ではなかった。私が一撃で離脱するよう龍爺さんに指示したことで、あの狩り場において、生き残る可能性が生まれた。つまり予言者には、生き残る、ないし生き残らせるチャンスが残っていたわけです)
そこで予言者には選択が生まれる。可能な限り犠牲を減らす選択肢が。
(いくら龍爺さんの攻撃とはいえたった一撃。未来を知ることが出来れば、救える人数は決して少なくはありません)
(なるほどのう。生存人数を指標に、予言者の有無を推し量ったということじゃの)
(加えて言うなら予言以外の能力の関与や、その能力者の権限、脅威度などについてもですね。もし予言者なりが、私が「義勇軍」を狙っているということまで知り得て、その情報を利用して義勇軍を解散する選択をしていたら襲撃は行いませんでした。そうしていたら犠牲者はゼロになっていたわけです)
繰り返すがこれは仮定でしかない。たった一度のアーリアの違和感から始まる壮大な妄想の類である。だからこそ、何の成果も上がらないことも想定していた。
(先ほどの戦闘を見るに、予言者などいなかったのか、思ったより微妙な結果になってしまいました。生存者は半分より少ない程度、これでは確証には至りません。ですが)
(?)
(一人いました。龍爺さんの襲来に対して余裕を持っているものが)
(斧を持った男ですかな?)
(いえ。あの人は恐らく予め聞かされていただけでしょう。彼以外にも咄嗟に動けている者もいました。ですがその人たち以上に、一度見た光景を繰り返しているだけのような余裕を持つ少年がいたんです。炎の中に消えてしまいましたが)
(その者が予言者だったと?)
(確定的ですね。女性を庇ったように見えましたが、まさか戦場に出張ってくるとまでは思いませんでした。貴重な能力ではないのでしょうか。まあ、予言者が消えた以上恐れるものはありませんが)
(それはどうでしょうかな)
(え?)
(どうもアーリアは予言者の存在に囚われておられるようですな。予言者を捜すあまり他のことを疎かにしているのではありますまいか?)
(何が言いたいのです?)
(生き延びた敗者というのも、侮れぬものでしてな)
(・・・・・全滅させるべきだったと?ですがそれこそよくわからない脅威をみすみす逃がすことになっていた筈です)
(その予言者がもしずっと先の勝利を見据えていたのなら、自らの犠牲を許容できるほどの勝利がそこにあったのではありませぬか?)
(それは、まあ)
(それに先の敗北についても、準備できれば勝利できるだけの地力があったということではありませぬか?)
(むう)
言い負かされて口を閉ざすアーリアに、龍爺は巨大な口を吊り上げる。
(まあ老人の戯言とでも思いなされ)
(いえ・・・・・、心に、留めておきます)
龍は南の空へと消えていった。
ミツメの町から南に行ったところにあるガルード炭鉱場。そのダンジョンの入口に御守りの転移場所は設定されていた。
その場に転移したユタは、まずこの場にセラがいないことを確かめる。
(良かった。姉さんは来ていない)
自らの体で炎を受けることで姉を庇いはしたが、それで庇いきれるかの確証はなかった。姉が無事向こうに残っているという事実にユタはほっと胸を撫で下ろす。
それにしてもあれほどの熱量を受けて本当に生きていられるとは、案ずるより死ぬが易しとはこの事だろうか。
ただこれで安心してもいられない。もうすぐここに怖い人がやってくる。
ユタは続いて、暗い周囲に目を凝らして仲間を探す。
御守りの効力を知らされていなかった仲間たちが、自らの生存を信じられないというように確認している。おいら自身未来を知らなければ同じ反応になっていただろう。
ユタは火を点けた松明を掲げて、彼らの注意を集める。
「みんな!聞いてほしい。見ての通りここはミツメの町の側にあるガルード炭鉱場。おいらたちみんな死んでしまったんだけど、ガウェインさんが死んだときの保険に用意していた御守りの力でここに転送させられて来たんだ」
「ユタ君だっけ?それ本当?」
「そうなのか?」
「うん。だからこのあとの行動についても予めガウェインさんからおいらに伝えてある」
「おお。流石は漆黒の戦火のリーダーさね」
「じゃあ、どんな風に動けばいいのかな?」
皆いうことを聞いてくれるか心配だったけど、良かった。ガウェインさんのネームバリューのお陰で信じてもらえたようだ。身内の盗賊一家をはじめ、漆黒の戦火、そのほかの実力者達も、揃って隙だらけにこちらの言葉に耳を傾けている。
うまくことを運べそうだ。
全員の様子が未来通りなのを確認して、ユタは口を開く。
「うん。皆にはここで『死んでほしい』」
呪いをこめて言葉を吐き出す。
「ぇ?」
――カンブエーは呪われた
――カンブビーは呪われた
呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた呪われた
幸いなことに呪い耐性を持つ人はいなかったようだ。全員漏れなく死の予言にとりつかれた。
「ちょっと、これ、『死の予言』!?どういうことよ」
「どうもこうも、皆さんにはここで死んでもらいます」
陰を帯びた笑顔でユタは笑う。
ひとーつ。
「・・・・っ! 誰か!聖職者はいないの!」
「残念ですが、聖職者の方は皆さん運良く生き残ってますね」
そういう風にガウェインさんに進言したから。
ふたーつ。
「聖水は!?」
「無い」「同じく」
「これまた残念ですね。誰も持っていないようです」
未来視で確認済みだ。
みーっつ。
「ユタ君!どうしてこんなことするの!」
「まだ気付きませんか? あなたたちがここで死んで得する勢力なんて一つしかないと思うんですけど?」
よーっつ。
「魔王の、手先?」
「はい、正解です」
いーつ。
「っ!その裏切り者を討ち取れーーー!!!!」
「それでは皆さん。無力な自分を盛大に呪いながら、死んでいってください」
むーっつ。
死の予言が成就した。
大して難易度も高くないダンジョンの炭鉱の入口が、その日、黒い血に染まる。
仲間の血が、まるでその場の唯一の生者であるユタを呪うかのごとく、黒く、黒く、その姿を蝕んでいった。
「随分と酷いことをするんもんだな」
ユタ以外の生存者を失くしたはずの場所でユタ以外の声が響く。
姿を現すのは服を黒で統一した一見して普通の男。けれどその正体をユタは知っている。
「遅かったね。魔王さん」
その名指しに魔王はほうと小さく感嘆の声を発する。
「なるほどな。本当に未来が見えるのか。それで?それは泣いてまでするほどのことなのか?」
人間の血に塗れて泣き崩れている少年の姿を、さも奇妙だと言わんばかりに見下ろす魔王オーマ。
「どうだろ。よくわからない」
少年は涙を拭おうともせず、受け答えをする。
「ただ一つだけ言えることがある。お前は必ず死ぬってことだけだよ」
その身にどす黒い邪悪なオーラを纏わせながら、ユタは立ち上がり魔王と対峙する。
「一人なら到底勝てなかった。けどおいらを呪ってみんなが死んでくれたことで、お前を倒す力を得たんだ。魔王さん」
――『死ねよ』
呪いを操る呪術師として、三十人の呪詛をその身に受けながら、その全てを目の前の魔王に注ぐ。けれど。
――しかし効果はなかった。
「え?」
「お前なー。そこは絆とかそれっぽいのを合わせとくところだろーが。呪いをいくら重ねたって俺には効かねーよ」
――魔王の反撃。
「俺の手はもう、数千人の血で染まってる」
魔王の右手がユタの胸を貫く。
――ユタに666のダメージ
ユタの胸からぼとぼとと零れ落ちていく血が、他の者の血と混ざりあう。
「予言の無駄遣いだったな」
引き抜いた拍子にユタの体が傾き、血の海に沈む。
――ユタは戦闘不能になった。
魔王が立ち去っていく。霞む意識のなか、辛うじて繋ぎ止めていた思考がそれを確認した瞬間、ユタは事切れた。
その直後、そこにはHP1で立つユタの姿があった。
「これで師匠には三回、命を救われたことになるのかな」
一度目は迷えずの森でアンデッドに襲われたとき。二度目は龍の炎に包まれたとき。三度目は、今、魔王から救ってくれた。
一度きりの消耗品である御守りをユタは二つ持っていた。
(多分、あのときだよね)
――隙だらけの姿勢を見て、シャルは見上げてくるユタの襟首をつかみ、同時に『バインド』で縛り上げながら地面に押し倒す。
――どうしてわかんないんすか。抗った所で無駄死にになる。あんたもガウェインも、その姉も。
と、言いながら御守りを渡してくれていたのだろう。
「師匠は優しいなあ」
それにとても凄い人だ。きっと魔王を倒すのはああいう人なのだろう。
なら、おいらにはおいらの出来ることがある。
ユタはアイテム袋から一冊の本を取り出す。
禁書。
師匠の隠れ家から拝借してきた魔法の書だ。これでも盗賊の端くれ、師匠のいない隙に盗むのに手間はなかった。
「我、願い奉らん。捧げるは我が命、ここに微睡む兵どもを、主が導きにより目覚めさせたまえ。偉大なる神の聖光、ここに」
師匠怒るかな。
姉さん怒るかな。
何度も考えた。どうすればより犠牲を減らせるか。けどこれが最善だと思ったんだ。
師匠に泣きついてでもついてきてもらえば、結果は変わったんじゃないかと今でも思う。でもそれは出来なかった。
だって、師匠にも死んでほしくなかったから。
姉さんが。師匠が。皆が大好きだから。
だからどうか、生きて。
「『メガ・サクリファイス』」
かくしてユタの命は失われた。
ユタの自己犠牲魔法によって、そこで死んでいったユタ以外の全ての者が蘇る。これで義勇軍の犠牲者はユタ一人だけ、ということになる。
それはユタの命を懸けた戦果であった。
けれど、それすらも。
「ばればれなんだよな」
戻ってきた魔王の炎の剣の一薙ぎによって死滅する。
(倒したはずの魔力が復活してまたすぐに消えれば、何かあったのではと確認しに来るのは当然なんだけどな)
流石に自分が死んだあとの未来までは確認出来なかったのだろうか。
(さて、アーリアに見つからないうちに帰るか)
(もう見つけてます)
(まじか)
(まじです。早く帰ってきてください)
(あいよ)
「ん?」
なんだ、この本?
『今日からあなたも自己犠牲!~あなたの命で救われる命がある~』
なんじゃこりゃ。




