魔法使いの弟子(Ⅶ)
もし未来を知ることができたら。そんなありふれた仮定を前においらは思う。
変えられなければ意味がないと。
――魔王城。オーマの部屋。
「っ!」
読書アンド父娘団らん中。突然、俺の膝の上でごろごろしていたアーリアが緊張に身を固くした。しばらく観察するも、アーリアは沈黙したまま微動だにしない。
俺の膝の上でアーリアが緊張するなど、普通では到底考え得ぬことだ、というのは嘘で、この状態は別段珍しいことではない。
恐らくは前線に送っている部隊に何かしらの変事があったのだろう。前線といえばここより遥か遠き地のことだが、アーリアにとっては精神を繋げた自軍の様子。軽く目を閉じるだけで事態が把握できるし、そこにいるかのごとく指示を出すこともできる。
情報の鮮度が重要な戦場において、情報の送受信を必要としないアーリアはまさに魔王軍の守護神と言えた。
そんなわけで魔王軍の指揮はアーリアに一任している。俺はアーリアの頭を撫でてやりながら深くは気にせず読書を続けた。
「ごめんなさい」
アーリアが次に口を開いたのは、オーマが次の本に突入する前のことだった。
「負けたか」
本を置きながら、オーマはアーリアに報告を続けさせる。
大事な報告だからと、体を起こしたアーリアはそのままベッドを降りてオーマの前に直立する。
「はい。斥候部隊二十名が五十人規模の人族に襲撃を受け、全滅しました」
斥候部隊。現在、オールド砦とその周辺を侵犯している本隊より遥かに先行している調査のための部隊だ。本隊との間に存在する人族の拠点をまるで無視して進ませながら、ある町の調査に行かせていた。
それが全滅。
「全滅ってことは逃げる時間もなかったのか」
「いえ、私の指示が無視されました」
「無視された?」
「はい」
人族の襲撃に遭ったその斥候部隊は、アーリアの命令を無視して各自の判断で戦った結果、全滅したということらしい。
多少無理のある行軍であった為、斥候を任せたのは失っても構わない、俺に対して不満を持つ忠誠心の薄い連中だった。
おおかた人族に奇襲でもかけられて逆上したのだろう。四天王とはいえ子供であるアーリアの命令を荒くれ者どもが無視したとしても不思議ではない。
と、思いたいところだが、アーリアに『絶対命令』という手段があることを考えれば、「無視された」というのはあり得ない。とするとアーリアは無視されたのではなく、無視するに任せた。私心からそいつらを見捨てたという線が濃厚だ。
理由としてはそいつらが俺の悪口を言っていた、とか。
うわ、ありそう。
建前上は魔族を統一したことになっているが、一枚岩にくっついているだけの苔のようなやつらもいる。そんなやつらでも生かしはしたかったのだが、アーリアの独裁には困ったものだ。
「独裁とかじゃないです。こんぷらいあんすの精神です」
コンプライアンス?法を守る精神か。
「軍法を破れば切り捨てるのか」
「命令遵守は軍隊の基本です。それを守れないものを内に置く道理はありません」
「それはそうだが。まあ勝敗は兵家の常ともいう。気にするな」
斥候部隊自体が邪魔者を消すための方便だったのではと思えてならないが、聞くに聞けない。
「それはそうとして、おかしな点がありまして」
「なんだ」
思い返せば初めての敗報である。アーリアだって勝てる戦いで負けるようなことはしない・・・・はず。今までが順調すぎたとはいえ、敗北には意味があるはずだ。アーリアが変だと感じたのならそれだけ注意が必要だった。
「敵がこちらの部隊の場所と規模を完全に把握していたように思えました。準備万端で待ち構えていたような」
「向こうも斥候を出していたんじゃないか」
「それは、ないと思うのですが」
索敵に自信のあるアーリアが遺憾の意を示す。
アーリアの索敵は物でもなく魔力でもなく、心を探る。そこに思考の波があればその存在に気付けるのだ。だから、姿を隠す、魔力を消すといった一般的な隠密ではアーリアには通用しない。
そんな特殊な網を兵士を経由して広範囲に広げているのだから、相手の斥候や裏工作部隊はまず用をなさない。
たからといって万能というわけでもない。何せ魔王軍全体を指揮しているのだ。睡眠をはじめとしていつ警戒網に穴が生まれても不思議ではない。だからアーリアには適度に気を抜くように言ってある。なんならその力を使わなくてもいいぐらいだ。それだけ魔王軍は戦力的優位にあるのだから。
生真面目を絵にかいたようなアーリアにはそれも難しいようだが。
ともかく、アーリアは斥候の存在を否定する。ならば人族はいかにしてこちらの陣容を知ったのか。
「こちらに内通者がいたか、向こうに戦巧者がいるか、とか」
オーマは可能性を例示する。
「いくさこうしゃ?」
「いるもんなんだよ。未来を予見しているかのようにことごとく相手の上を行き、戦力差を覆して勝利を並べるような輩が」
「未来を予見、ですか」
「ああそうか。予言者そのものの可能性もあるのか。後はオーソドックスに千里眼使いとかな」
だが、可能性を挙げたところであまり意味はない。重要なのはなんらかの方法でこちらの陣容を把握してくる相手に、どう対処するかだ。
「それでどう対処するつもりだ?こっちが負けた以上そいつらは進軍を続けるだろ?」
報告を聞くだけ聞いてオーマからは何も提案せず、ただ相談役に徹する。アーリアを実質的支配者に据えて、ゆくゆくは俺なしで回せるようになってもらわなければならない。
その為にアーリアには負担をかけるが、それだけの器であると思っている。現にアーリアはこの状況において俺の思考に頼ることなく解決策を導きだした。
「向こうがチョコザイな手管を使ってくるなら、こちらは真っ向から力で押し潰すまでです」
力業を。
「正攻法だな。なら強いやつを送らないとな」
「龍爺さんに単独で向かって貰おうと思います。一人なら内通の心配はないですし、どんな戦略も潰せる力があります」
なるほど的確だ。
「だが、もっと適した奴がいるんじゃないか?」
「誰でしょう?」
「俺」
「却下です」
「あっそ。じゃあもういいんじゃね、龍爺で。あーあ、魔王様寂しいなー。もっとアーリアに頼られたいなー」
「魔王様うるさいです」
「はい。ごめんなさい」
アーリアは拗ねるオーマを一言であしらうと、龍爺に連絡を始めた。
どうもアーリアは俺に気を使ってしまうようだ。俺が人族と戦いたくないことを知ってしまったせいで。
(嬉しくはあるんだけどな)
俺を気遣ってくれるのは嬉しい。だが俺に入れ込みすぎている。俺に関することとなると情に流されて理を損じる。アーリアの明確な弱点だ。
「オーマ、アーリア。飯出来たから食うぞー」
そこへ料理担当のイーガルが扉を開いて入ってきた。
「アーリア、晩飯だってさ」
「はい」
オーマが立ち上がってアーリアを促すと、アーリアはオーマの隣に立ってその手を繋ぐ。
「今日のサラダはなー、人間の町から奪い取って来た野菜をふんだんに使って―――」
こうしてアーリア、イーガルと並んで食堂に向かう。病もなく飢えもない。平穏な家族の姿がここにはあった。
けれどこんなとき、ふと思うのだ。
何も知らない、善悪の基準すら持たない子供を兵士として利用している自分の手は、二人の頭を撫でていいほど綺麗なものなのだろうか、と。
ミツメの町の東方。町から二日ほど歩いた所で、義勇軍は勝利に沸いていた。
いつの間にかすぐそこまで迫っていた魔族の先鋒。それを義勇軍が見事に打ち破ったのだ。こちらに被害らしい被害はなく、完勝と言える戦果。ずっと敗戦続きだった人族にようやく訪れた一筋の光明。喜ばない方がおかしかった。
しかしそうすると、ユタの様子はおかしかったのかもしれない。
「ごめん、姉さん。ごめん」
「まだ謝るの?いい加減泣き止みなさいよ」
先程から涙ぐんで謝るばかりのユタ。
「でも、おいらのせいで怪我を・・・」
「こんなもの怪我のうちにも入らないわよ。それにあなたがすぐに治してくれたじゃない」
セラが既に傷跡もない腕をひらひらと動かす。ユタが回復魔法を使って治したのだ。
「でもおいらの魔法が」
「あそこであなたが魔法を撃っていなかったら隊列も崩れかけていたし、もっと大きな被害が出ていたかもしれない。だからわたくしに当たるとしても撃つことを選んだ。その選択は間違っていない。でしょう?」
「うん。でも」
「でももへちまもないの。私が良いと言ったら良い。逆らうことは許しません。わかった?」
「うん・・・・」
そこまで言われてもまだうじうじしている弟に、姉であるセラは困った子だとその額つつく。
本当は連れてきたくなかったのだが、ユタがどうしてもというので断りきれず同行を許してしまった。それだけ最近のユタの成長は目覚ましかった。主に攻撃力の伸び。ハンマーを振り回すのが得意なシーファすらも超えているようであった。
先程の戦いでも、見覚えのない魔法を使うこともあってユタは確かな戦力となっており、本人は後悔しているようだが、セラとしては文句のつけようがない。
こうなってしまってはセラにユタを止める理由はなく、ただ無事でいてくれることを祈るばかりである。
「それにしても、あなたがそんな判断が出来るようになっていたなんて驚いたわ。魔法を使えるようになったことにもだけど」
「あ、それは」
「まるで、噂に聞いていたシャルロットちゃんね。情に流されず、確実な行動を優先する水色の魔法使い」
「うっ」
「縁がなくて共闘することはなかったけど、今度誘ってみようかしら。そういう子は盗賊に向いていると思うのよね」
「ほんと!?」
おや。ユタの顔色が変わった。
「ええ。それで、なんでそんなに嬉しそうなの?」
「ああ、えっと。なんでもないよ」
「そうかしら。泣き止んでいるみたいだけど」
「あ、ほんとだ。はは」
ユタに笑顔が戻る。
ここしばらく、ユタが一人で何かしていた為に二人で話す機会が無かった。それでもいざ話せば昔から変わることのない姉弟のやり取りに思わずほっこりする。泣き虫と言われてきた弟と、それを泣き止ませてきた姉。成長してもそれは変わらない。
「今日はよく頑張ったわね。明日からも頑張りましょう」
「うん!」
そんな可愛い弟を守りたい。弟だけじゃない。盗賊一家に、ガウェインたち、そしてミツメの町のみんなを。
必ず勝って、あの町に帰りましょう。セラは自分に言い聞かせた。
姉さんは立ち上がると周囲に向けて発言する。
「ほら、あなたたちもこちらを見てにやにやしてないで、明日に備えて眠りなさい」
「「「うぃーす」」」
盗賊の中でも戦闘力に優れた幹部盗賊さんたちも唯々諾々と姉さんの言葉に頷く。
続々と眠りにつく皆。そこに明日への不安はない。今日は勝ったのだから当然だろう。たとえ明日、逃れようのない破滅が訪れようと彼らは心安らかに眠りにつく。
でも大丈夫。破滅なんて起こらない。
姉さんは絶対に死なせない。
ユタは姉と共用のテントには向かわず、反対へと歩を進めた。
少し離れたところでガウェインら『漆黒の戦火』が仲間内で会話していた。
「例のものを協力者に行き渡らせた。その結果、俺達は自力で生き残るしかなくなった」
「ひっでーなー」
「リーダーは俺たちに恨みでもあんのかよ」
「まさか。不満があるなら今からでも抜けてくれて構わない。お前たちの命を無駄に散らせる気はない」
「だからそういうことを言うのが卑怯だっていうの。今更、一抜けたなんて言えないから」
「なあ?そこは黙っておいて気楽に戦わせてくれよ」
「そんな不義理なこと出来るものか」
「だろうけど」
「まあ、どのみちやることは変わらねえんだ」
「そうだね」
「私たちは死に物狂いで明日を生き抜く。でしょ?」
「ああ。お前たちの命。俺が預かる」
「だからそういうことを言うなっての!」
談笑が続く。その内容が穏やかならないことに気付いたものは、どうやらユタだけのようだった。
彼らの言葉の意味を考えるなら、恐らく出発時に与えられたこの御守りが、おいらたち協力者の命を救ってくれるのだろう。
そして、この御守りを持たない『漆黒の戦火』の人たちは明日、龍の吐く炎のブレスによって壊滅する。
漫然と生き残るおいらたちを残して。
それでも御守りを持つ姉さんは生き残る。最低条件は満たせる。でも。
それじゃダメなんだ。
意を決した様子でユタがガウェインに話しかける。
「ガウェインさん。少しいいですか」
ガウェインとは昔から面識があり、親しい間柄と言っても過言ではない。それでも今はリーダーといち協力者の関係。一応の礼儀を見せる。師匠に使っていた敬語よりランクが下がってしまうのはご愛敬だ。
「ユタか、なんだ?」
こちらに気付いたガウェインが車座を離れて歩いてくる。
「はい。実は明日のことでお願いがあるんですけど」
「なんだ?言ってみてくれ」
「おいらたち協力者を盾にしてくれませんか」
「は?」
「明日のことなんですが―――」
魔法使いの弟子のその言葉が未来を変えたのかは誰にもわからない。
変わる前の未来もまた誰にも分からないのだから。




