第四十九話 黒い帽子の魔法使い
ざわり。
緊張が走った。
オーマが黒いローブの者をシャルと呼んだ。その言葉、その名にこの場にいるほとんどの者が驚きを見せる。驚いていないのは意識のないガウェインとその介抱をしているフィブリル、もともと反応に乏しいアーシェくらいのもので、セラやシーファ、周囲の冒険者たちは誰一人例外なく固唾を飲んで、オーマと黒いローブの者の対峙を見守っている。ヒメでさえ予想外の名前だったのか小さく口を開いたまま黒いローブの者を見つめる。
そんな衆人環視の中、名指しされた当人もまた逡巡するように長い無言の間を置く。沈黙の末に振り返ったその者は、黒の帽子のつばを左右両手で掴み、胸の前に移動させてその素顔をさらす。ゆっくりと下ろされていく帽子の向こうから現れたのは見慣れたシャルの顔と、感情を押し殺したような人間味のない面差しだった。
警戒心を丸出しにした瞳、これまで付き合って来た中で見せたことのないシャルの表情にオーマは言葉を失う。
オーマとシャルのしばしの沈黙。
「シャ―――」
「なんでここにいるのか、っすか。それはむしろうちが聞きたいんすけど・・・。まあ簡潔に言うなら、後始末ってとこっすかね?」
見かねたヒメがシャルに何か言おうとするのを遮って、先に口を開いたのはシャルであった。
「後始末・・・?」
オーマが繰り返す。あの得体の知れない頭部を吹き飛ばしての「後始末」発言。あれを生み出す過程にシャルが何かしら関わっていたのだろうか。それともこの場にいる誰か特定の人物を指して始末すると言っているのか。シャルらしくない物騒な発言に周囲の空気が異常なまでに張りつめ、重くのしかかる。
なんというか、らしくない。シャルにしては不遜な物言いと周囲の空気にオーマは異常を感じる。どうして周囲はここまで緊張しているのだろうか。相手はシャルだ。“あの”シャルなのだ。それがどうしてここまで警戒をもたらすことになるのか。
確かに俺だって最初は警戒した。だがそれは余りにも怪しい行動を取っていたからであって、シャルと気づいてからはむしろ警戒が解けている。
・・・だが周囲は違う。有象無象の冒険者たちは目の前の怪しい人物を見て―――ではなく、シャルと思わしき人物を見て、緊張の糸を張り巡らせた。シャルとわかってなお警戒しているのだ。
オーマはシャルに向けられる視線と、そこに含まれる正体のない不安を敏感に悟る。思えば町に入った時に感じた視線もこんな風に腫れものを観察するような気味の悪さだった。
敵視ではないが、負の感情であることは否定しようがない。そんな無数の視線にシャルは今晒されている。それがわかるからこそ。
(ミスったなぁ・・・)
オーマは心の内で空を仰いでいた。不用意にシャルの正体を当ててしまったことを過ちと思ったがために。
順序を整理するなら、シャルが怪しい行動を取ったから周囲が警戒しだしたのではなく、周囲がシャルを警戒していたからシャルもまた怪しい行動を取らざるを得なかったのではないか。
シャルの、感情を押し殺した表情がこちらを見ている。こんな顔を見せたくなかったから素通りしようとしたのではないか。
魔力は感じない。顔も見えなかった。シャルは気付かれないことを望んでいた。なのにどうして呼び止めてしまったのか。
・・・・・・。
(ま、いいか)
なにはともあれ相手がシャルとわかったのだ。この期に及んでなにを遠慮する必要があろうか。俺はただ寝たいんだ。
「もう用は無いんすけど、邪魔・・・・・・・・へ?」
オーマらを睥睨しながら何か良からぬこと言おうとしたシャルだったが、その続きはオーマの行動によって遮られる。
「・・・・・・・」
つかつかと。
オーマがシャルに向かって歩き始めた。その歩みに警戒や迷いはなく、無言のうちにシャルとの間合いを詰めていく。
それに対し反射とも言える速度でシャルは周囲に薄青色の透明な壁を出現させる。けれどオーマは軽く邪魔なものでもどけるような仕草でそれを消滅させてしまう。
「え、ちょっ、え!? 何で・・・」
ノータイムでガードを打ち消されたシャルはまさに信じられないものを見たような目をする。
シャルが使ったのは『退魔の結界』。オーマの魔力の強さを知るがゆえに魔法そのものを根源的に無効化する破魔の力で対抗しようとした、のだが、対してオーマが使用したのもまた同じく『破魔の力』。
先ほどゴーレムに使った『解呪』という魔法の本質は呪を解き魔を破る『破魔の力』。『解呪』を『纏い』の応用によって手に纏わせれば、ヒメの『破魔の剣』と同様の効力を、手で触れることで発揮することが出来る。オーマはそれを理屈抜きに即興で思いつき実行した。
破魔の力と破魔の力。同じ系統の魔法がぶつかれば単純な力比べになる。よって魔力が強いオーマの魔法がシャルの魔法を打ち破ることとなった。オーマにとっては思いついたことを試して見たら成功した、程度の結果だがシャルにとっては違うようでことのほか驚いている。
ならその隙に歩を進めるまでだが。
「『解呪』と『纏い』っすか・・・」
すぐにその驚きも消えてしまった。
それでも無防備に接近を続けるオーマ。その姿に何を感じたのか、立ち尽くしたまま何もしないでいるシャル。オーマはやがてシャルを間合いに捉える。
「反撃しなくていいのか?」
「攻撃されてないっすからね」
「・・・・・・」
いつもの感じになっているシャルを密かに心地良く感じながら、けれどオーマはお返しとばかりに無表情を装いシャルの顔に手を伸ばす。それを映すシャルの瞳に失望が滲むのを見て、不快に感じながらもオーマは努めて無表情を保ちながらその頬をつまむ。
「・・・・っ!」
そして、何をされるのかと目を閉じ縮こまったシャルの頬を、満を持して左右に引っ張った。
ぐにい。
「・・・・・・」
「・・・・・・ほお」
続けてぐにゅぐにゅと揉み込んでみる。オーマの表情は難問にぶち当たった研究者のように悩ましげだが心の内ではにやにやしている。
「にゃんのみゃっ、むぎゅ」
頬を伸ばされる感触に、目を開いて「何の真似っすか」と睨んでくるシャルの顔を今度は反対にぎゅうと潰してみる。シャルの見事な間抜け面にオーマの心が癒される。
「・・・・・・」
しばしシャルの顔で遊ぶオーマの蛮行に周囲は固まってしまう。その反応にしめしめと次の行動に移ろうとするオーマの足元で赤い魔法陣が輝き始めた。
「お・・・?」
下からオーマを照らす赤い光に、オーマは年頃の娘の気難しさに舌を巻く。それはオーマではなく、シャルを中心としたシャルによる魔法陣。仕方なく頬を放すとシャルが帽子を被りなおし、その下でむっすーと不満顔を浮かべる。
その反応にオーマは相好を崩すと今度はシャルの手を掴み、走り出しながらその手を勢いよく引っ張った。
「・・・・へ!?」
それもまた予想外の行動だったのか、よろめくシャルの足の下に魔法陣が霧散する。そのままシャルはオーマに引っ張られるままに走らされる。向かう先はオーマが来た方とは逆の通路。シーファが来た道であり多分出口へ続く道。
「なんなんすかっ!」
「逃げる」
オーマはシャルにだけ聞こえるようにぼそりと呟く。聞こえたらしいシャルはいつもの調子でオーマに呆れた目を向ける。
「ヒメ、アーシェ、撤収だ!ミッションコンプリート!もうこんなところに用はない!」
緊迫した空気からどうなるものかと見守っていたヒメが、シャルを連れて逃走を始めるオーマを見て苦笑いする。
「でも走るなよ!傷に障る!」
「あいさー」
「・・・・・。」(あいさー)
感情を示すように気の抜けた返事をしたヒメとアーシェの二人は、オーマの指示通り急ぐでもなく徒歩でオーマ達を追う。オーマがどれほど先行しようが確実に追いつくと思わせる二人である。
そんな二人の返事を確認しようともせずオーマは前に向き直り足を早める。
「ほら、お前も使え!『瞬絶』」
「もう、なんなんすか・・・」
呆れを通り越して笑えてきたらしいシャル。オーマに連れられて走りながら笑いを浮かべる。
緊迫した空気そっちのけで走り始めたオーマとシャル、それに追従するヒメとアーシェに、その他の面々は口を開けて見送るばかり。その中でも気を取り直したシーファが逃げる勇者を呼び止める。
「待たんかあああい!どこいくねえええん!!!!!」
「どこか遠くへーー!!!」
もちろんオーマは待てと言われて待たない。
「「えー・・・」」
遠くのシーファと近くのシャルの、何を言えばいいのか分からないから取り合えず「えー」と言っとこう的なハーモニーを後ろ背にオーマたちは遺跡の出口を目指して通路に入っていった。
挨拶もなしに去っていった勇者とシャル、手を振りながら去っていったヒメとアーシェ。そんな退場を見送った後でフィブリルはぼやく。
「勇者って意外と軽薄なの」
「でも、良かった」
「シャルが無事で? ふん」
セラの安堵の一言に、シャルを仕留めそこなったフィブリルが不機嫌を隠しもせずに鼻を鳴らす。勇者ともあろう存在がこちら側に立つそぶりも見せずに、当然の様にシャルを庇ったのだから面白くない。
「フィー、シャルロットは何も悪くないのよ。悪いのは全部―――」
「セラ、黙るの。人の眼孔に変なモノ埋め込んで暴走させる輩が悪くないわけないの」
「だからそれは」
「おかげで私の体がとんだビッチなの。いい迷惑なの」
「本当にごめんなさい」
「ああもう、謝らないの」
セラがすぐ謝ってしまう。ちゃんと私の陰謀だと説明したばかりなのに。・・・セラとの間に余計な貸しがついてしまった。セラの返済は長くなるだろう。対等な関係に戻れるのはいつの日か。それだけでもシャルを恨む理由にはなるだろう。
尤も、本気で憎むのはシャルの本心を聞いてからだが。
「そんなことよりガウェインは!?」
オーマに向けた制止の声をお約束のように一蹴されたシーファが、思い出したようにガウェインを心配する。ならば安心させてあげよう。
「鎮魂歌はばっちりだったの」
「鎮めんな!!起こせ!」
「そんなネクロマンシーなこと言われても困るの」
「人として起こせっていっとるんや!!」
ボケれば響く妹である。勇者が相手でもその性質を如何なく発揮していたようで一安心だ。姉として教えることはもうないと言っていいだろう。
そうこうしているうちに、ひとりでに体を起こすガウェイン。
「起きている。叫ばないでくれシーファ」
まだ本調子ではないのか、頭を抱えている。
「え、なんで起きんの?こわ!」
「マイケルみたいなこと言うわね」
「招魂の儀は成功したの」
「そうか、俺は、一度死んだのか」
「ううん別に」
「そうか」
何でもかんでも信用してしまう、善人も悪人も何でも来いの我らがリーダー。
フィブリル、セラ、シーファ、ガウェイン。
オーマはいい迷惑だという態度を頑なに崩しはしなかったが、だがこれが現実だ。
勇者の介入のおかげで誰一人犠牲になることなく一段落することができた。後は・・・・。
「総員!静まるの!!!」
「誰もしゃべってへんやん」
フィブリルの一喝。冒険者たちの注意が一気に集まる。
「我ら、勇者様の協力を得てついに勝利せり!!!」
引き継いだのはガウェイン。病み上がりなれどここぞとばかりに声を張る。ガウェインの鬨を受けたメンバーはそれぞれに勝ち鬨を上げ、遺跡空間に反響し、やがて一つの大きな喊声となる。うるさい。
「これより作戦を次の段階へ移行する。各100名、四班に別れて町の東西南北の警戒に当たる!我々がここに集った今こそ奴らにとっての好機。しかし勢いは我らにある!今こそ友の無念を晴らす時だ!」
「接敵しても交戦する必要はないの。魔王軍が確認され次第、休憩中の勇者を無理矢理派遣させる手筈になってるの。勇者が来るまで適当に足止めしとけばいいの。とにかく勇者一辺倒に絶対に死なないこと。分かったのー?」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」
「だが決して油断はするな。いざという時は命を懸けて勇者様を守れ!この戦いが俺たちの正念場だ!」
「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」
「セラ姐もなんか言ったら?」
「わ、わたくしは結構よ。皆には本当に迷惑ばかりかけて合わせる顔が・・・」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」」
「なんでそうなるのですか!!!」
ガウェインやフィブリルの時の三倍はあろうかという怒声を浴びて、思わず団員向けの演技だった敬語が出てしまうセラ。
「ギャップだな」「ああ。魔性のクールビューティーから一転、へりくだった態度、いいね!」「はあっ!?物足りねえよ!もっと見下せよ!もっと詰れよ!もっとおいらを虐めてくれよ!」「「「そうだそうだ!」」」「あの今になってすみませんが退団申請受け付けてもらえますか」
「セラ姐ええ感じやて!」
「知らないわよもう!ちゃんと帰ってきなさい―――」
そこまで言った所で不意にセラの体が傾いでいく。
「――あれ」
「わとと」
セラはシーファに受け止められ呆然と上を見上げる。
「その体で無理し過ぎなの。何日食べてないと思ってるの?」
「ちょっと待って・・・わたくし」
「いいから眠るの。明日には―――」
途中でセラの意識が泥濘に沈む。
「――全部終わってるはずなの」
「各人の健闘を祈るの。戦の後には追悼の唄を歌ってあげるの」
「総員!出陣せよ!」
「「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」
その日、魔王軍が姿を現すことは無く、平和な一日となって冒険者の疲労だけが溜まる結果となった。




