カグアの魔眼(Ⅴ)
短い説得でシーファをどかせたフィブリルは、うずくまるセラを見下ろす。セラと言っても自分の体、自分を見下ろすというのは中々に稀有な体験だ。
「事情を話してもらうの、セラ。戦えない私の体なんかを乗っ取って、何をするつもりなの?何があったの?」
「何があった・・・、何をするつもり・・・」
うつむくセラの目元はさっきの衝撃で乱れた髪によって隠されている。口元だけが見てとれるがそこから何らかの感情を読み取ることはできない。
「あなたたちは何をしているの・・・?」
セラが静かに、けれど燻りを感じさせる問いを吐き出す。
「はてな」
フィブリルはなんのことか分からず、はてなを声に出す。何をしていると言われても、何もしていない。おかしな質問だ。
そんなとぼけた態度に怒ったのか、はたまた別の怒りを示すためか、セラはいきなり握り拳を壁に叩き付ける。ガウェインとシーファが警戒し、視線が集まる中ゆっくりと開かれた拳の中からは、深々と壁に突き刺さった、果物ナイフが現れた。
奇妙だ。私の体でそんな芸当が出来るはずがない。ナイフを壁に突き刺す腕力もないし、ナイフを装備することも出来ない。せいぜい道具として何かを切るぐらいが関の山。それは体の持ち主である私が一番よく知っている。
「いい加減にしなさい」
そんなイリュージョンを起こしながらセラは暗い雰囲気でいい加減にしろとのたまう。
「セラ、言葉が足りない」
それでもフィブリルはとぼける。するとセラはきっと顔を上げフィブリルたちを睨み付ける。紫と翠が混じったひどく濁った目をしていた。
「わたくしたちは負けたの!あの龍に手も足も出せずに!大戦力を送って!一大反撃を為して!それで負けたのよ!?なのに何をあなた達はへらへら笑っているのよ!」
セラの叫びを受けてフィブリルとガウェインは黙り込んだ。今度こそ伝わった。
「負けた・・・?」
シーファがそれを初めて聞いた事のように聞き返す。
「もうわたくしたちには抵抗する戦力さえ残されていない!あの敗北でそれが証明されてしまった!じゃあ、次攻めてこられたらどうするつもりなのよ!のんびりしている場合じゃないでしょう!? 少しでも戦力をかき集めて!少しでも長く抵抗を続けて生き残ろうとするべきじゃないの!?」
「・・・・・・・・」
セラがそう訴えてもフィブリルとガウェインの二人はだんまりだ。
セラの言葉は正しい。本来ならば、こうしてセラに構っている時間さえ惜しいはずだ。残った冒険者に再度集結を呼びかけ、なけなしの戦力を集め、こちらの戦力不足を悟って襲い来る魔王軍に備えなければならないのだ。なのに。
二人は黙ってセラを見つめていた。
「ねえガウェイン、聞きたいことがあるの」
そのどうしようもない様子にセラはガウェインに水を向ける。
「なんだ」
「義勇軍が負けるってあなたはわかっていたの?」
「・・・・・・・・」
また、黙り込む。
それが答えだった。
「皆が死ぬってわかっていたの?」
「・・・・・・・・ああ」
ガウェインはそう答えた。セラの瞳孔が開く。
「やめてよ。じゃああの戦いはなんだったのよ!!皆はなんで死んだの!?」
聞かずにはいられないのだろう、あのクエストの裏にあった思惑。
「あれが最後の抵抗だった。一矢報いたかった。だが失敗した。それだけだ」
滔々と淀みなく告げられるガウェインの言葉は、まるで予め用意されていたかのように即座にセラに突きつけられる。
「じゃあ、・・・あの子は」
「無駄死にだった」
セラが言おうとした最悪の言葉を、ガウェインは先に答えてしまった。
セラの頭が真っ白になる。
怒り、怒りでしか有り得ない。むざむざあの子を死地へと向かわせたガウェインへの怒り。許せない。そんな感情が沸き上がる。
沸き上がる、はずなのに。
セラの内側で紫の双眸がいやらしくにやついた。
「そうですか。あの子は・・・・わたくしの弟は、なんの意味もなく死んだのですか」
凍っていた。
それまでの激昂は、穏やかな微笑に代わり。
そんな心が崩壊していく。
「お前・・・」
「泣いてるの?」
「泣いている?わたくしがですか?」
フィブリルに言われセラはきょとんとした顔をする。フィブリルにとってはそれが意外だった。端的に言えばガウェインに対してもっと怒るものと思っていた。
「セラ姐・・・」
「ああ、そうですよね。そんなこと、当たり前でしょう。わたくしのたった一人の肉親だったのですから」
だが、今のセラはとても穏やかで優しい。
「あの子が楽に死ねて良かった」
「・・・・・は?」
ガウェインが聞くはずのない言葉を聞いて、自分の耳を疑う。
フィブリルがじっと見つめるその先で、「フィブリル」の目が更に濃い紫に変色していく。
「死ねて良かった? 何言うとるん? ユタが死んで良いわけないやろ!?」
ユタ。セラが言う「あの子」。セラの実の弟。そして、故人。
シーファにとっても友人以上の存在であったことは確かだ。それを姉本人が軽く扱うのをシーファが否定する。
「シーファ。大丈夫なのです。だってもうあの子は死ぬことがないのだから。死んでしまえばもう二度と死ぬことは無い。ね、幸せなことでしょう?」
「ちゃう!おかしいてそんなん!」
「いいえ。そんなことはありません。あの子は幸せです。死んで幸せになれたのです。そうでした、そんなことを話している場合ではありませんでしたね。もうすぐ魔王軍が攻めてくるのです。すぐに立て直さないといけません」
「そんなことって・・・」
セラは笑顔で優しく語らい掛けてくる。それは、まるでセラらしくなく、フィブリルらしくもない。口調すら誰のものかもわからない。
「・・・・・・・・・・・」
様子がおかしい。その一言で終わらせていいものか。違和感が凄まじい。まるで別の何ものかと入れ替わったかのようだ。いや、現実として入れ替わりが起こっている以上、その言葉もふさわしくない。
言うなれば、何か得体の知れないものに憑りつかれているのだ。フィブリルの体で起こる二重の異。人の体でなにを起こしてくれているんだ。
嫌な考えが止まらないフィブリルはガウェインに目配せをする。ガウェインは日常サバイバルでは頼りになるが、人を疑うことにかけてはかなりぼけているところがある。セラの変化を気付いているかどうかも怪しい。
この目配せは「私に任せて」の合図だ。ガウェインは頷く。シーファにおいては、セラがおかしいことには気づいているがどうすればいいかはわかっていないだろう。口を出すことはないはず。
「それで?立て直すって具体的にどうするの?」
「わたくしが歌姫になろうと思います」
「「「・・・・・・・・」」」
そんなことを大真面目に言われ、三人そろって絶句する。フィブリルの体で就職しようというのか。
「フィブリルにはカリスマがあります。わたくしが歌姫になることで皆の関心を集め、再び集ってもらいます。魔王に抗するために。なんなら多少強引な手を使っても構いませんし」
「強引な手・・・?」
カリスマがあると言われたことは少し嬉しかったので否定しないでおく。
「そう言えばまだ聞いていませんでしたね。あなた方がわたくしを手伝ってくださるのか」
「手伝う?何をなの?」
「この町の多くの冒険者を一つにまとめる自信がわたくしにはあります。けれどそれもあなた方が手を貸してくれるのならの話です。協力してください」
「断るの」
即答する。戦ったら負けだと思っている。この場合の戦うとはありとあらゆるものとの戦いを含む。例えば現実とか、自分自身とか。
「そうでしょうね。でしたらわたくしは、全裸で町中を闊歩することにいたしましょう」
ナイフを使わないから何事かと思ったらそういう脅し方をするのか。なるほど。
「待て」
ガウェインが止めに入った。
「ガウェイン、今は黙っておくの」
「黙っていられるか」
「・・・・そう」
止まらない勢いを察してフィブリルは譲ることにする。
「フィブリルにそんなことをさせられない。俺の妻だ」
「中身はセラなの」
諦め半分でフィブリルは否定項を提示するが。
「この場合外身が重要だ」
と、当然のように言う。
「やむをえん。協力しよう」
結果、ガウェインが頷いたのはセラに向かってであった。
「この人は・・・」
フィブリルは呆れる。ガウェインはあまりにも。
「はい。ありがとうございます、ガウェイン」
「ガウェイン・・・一度屈すると要求はエスカレートしていくの」
「それでも、お前の裸は俺だけのものだ」
「・・・・・・・・ガウェイン、良いおとこ」
ガウェインはあまりにも演技が下手だった。慌ててフィブリルは馬鹿夫婦を演じる。
「待ちましょうか、そこの二人」
その慌ては気づかれなかったようで、見つめ合い、いい雰囲気を醸し出そうとする二人にセラが即、待ったをかける。
「二人とも空気読まな」
シーファまでがそんなことを言ってくる。
「二人ともわかってない。ガウェインがこんなにはっきり俺の妻宣言をしてくれるのは珍しい事なの」
「どうでもいいです」
「どうでもええわ」
なんでこんな時に息ぴったりなのか。セラもシーファも。
「つまり、今みたいに人の体を乗っ取ってそれを利用して強引に集めると?」
「その通りです。構いませんよね? それに、どうせあなたは自分の力を有効に活用しようとは思っていないのでしょう」
「・・・・・・・・」
確かにその通りだった。歌姫の力はまともに戦力に組み込めばチーム全体の能力を底上げする。それが相乗効果を生めば、軽く数段上の敵にも渡り合える。それがどれほど重要な能力かは言われなくともわかる。そしてそれを使わないことが宝の持ち腐れであることもわかっている。
「セラは、有効に活用できるの?」
「できますよ。フィブリルよりはずっと皆の望むフィブリル=ガルードを演じられます。なんなら―――ガウェインの妻という立場もあなたよりふさわしいかもしれませんよ?」
「かっちーん」
「おい、待てフィブリル、乗せられている」
「乗ってやろうじゃないのなの。ここまで言われて黙っていられるほどフィブリル=ガルードの名は安くないの」
「いや、安い」
「せやな。激安やろな」
「安かったみたいなの」
「ふふ、なら売ってくださいますか?」
「こんな安物売ったら損するの。価値が高騰するまで売らない所存なの」
「そうですか、なら、手伝いなさい。わたくしの価値が高騰するように。それがあなた達にする『お願い』です。わたくしの弟を、大勢の仲間を見捨てたあなたたちの義務です」
セラの瞳が発光する。妖しい紫の光。セラの目を注視していたフィブリルはその妖光をまともに浴びる。
「・・・・・・・・わかったの」
「フィブリル?」
「お姉ちゃん?」
「だけど、その義務があるとすれば、私とガウェインの二人だけ。シーファは何も知らなかったの」
「そうでしょうね。ですがあなたの妹はここで見て見ぬふりをできる悪い子なのかしら?」
「ううん。シーファはこんなときみんなのために動ける良い子なの」
「・・・・・お姉ちゃん」
「シーファ、行くの」
「うん!」
頷いたシーファは、すぐさまガラス窓を突き破って町長宅を脱出する。窓を突き破る必要はなかった。
フィブリルとセラの心が入れ替わっていることが広まれば、少なくともフィブリル=ガルードのまま活動はできない。それをシーファが考え付くかは不明だが、この状況下でシーファがまず初めに相談する相手はギルド本部長のはず。彼女なら的確な指示を出す。
「あらあら。普段仲の悪いふりをして、いざという時はツーカーなんですから、うらやましいです」
シーファが逃げても、相変わらず気味の悪い微笑みを浮かべたままセラは余裕の態度だ。
「セラとユタもそんな感じだったの」
「そうでしたでしょうか。もう二度と話すことはできませんが、そう言ってもらえると嬉しいです」
弟の話題を出されても動揺しない。最早彼女をセラと言っていいのかどうか。
全く、どうやってセラを正気に戻せばいいのか。
フィブリルたちは異常をきたしたセラの様子に、大人しく従うことを選択する。
想定通りの中に潜む紫光に、頭を悩ませながら。
だけど本当になんなのだろう。このセラの異様は。
「一つだけ聞きたいことがあるの」
「なんでしょう?」
「今日、シーファやガウェインと会う前セラは何をしていたの?」
先ほどセラの叫びに潰された質問をもう一度吹っ掛ける。
「ええ。それなら、シャルロット=ウィーチという優しい魔法使いさんと会っていましたよ」
微笑みとともにその名を挙げられフィブリルはげんなりする。
「ちっ、あの陰険魔法使い。怪しさ満点なの」
「シャルロットは敵ではないぞ」
「知ってるの。ガウェインがそう主張することが気に食わないの」
「すまん、よくわからん」
単に自分の夫より強い者の存在が気に食わないだけだ。




