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カグアの魔眼(Ⅳ)

「一大事なの?」


「見た通りだ」


 フィブリルの問いかけにガウェインが返す。


「ただいま」


「おかえりー」


 シーファとフィブリルが姉妹で挨拶を交わす。


 血まみれのセラを抱えて、ガウェインは町長宅・フィブリルの部屋を訪れる。不躾な訪問客を迎えたのは芋虫がごとく布団にくるまって寝転がるフィブリルだった。


 翡翠の瞳は宝石のように美しく、髪は絹糸のように滑らか、顔立ちはすこぶる端整、声はかの海魔セイレーンと聞き紛う程・・・・のはずなのだが、そのどれもが今はくすんでいると言わざるを得ない。髪はぼさぼさ、眠気に抗う様な半目、女性として油断しきった気だるげな声。


 こんな姿がフィブリルの平常であった。海の男を惑わすといわれるセイレーンであるが、現状完全に本人が惑っている。


 ガウェインにとって最も身近な回復役はフィブリルだった。ギルド本部に行けば回復役の一人もいるだろうが、余り広めたくはない状況だ。可能ならば内密に事を済ませたかった。


「セラの治療を頼む。あと服を着ろ」


「何を言って~、いるのかね~♪布団こそが~我が衣服~♪耐寒性能MAXなのだよ~♪」


 と歌いながら布団一着で踊り出すフィブリル。残念ながらそれでセラの傷は快癒する。歌詞の内容は一定しないから、最早何でもいいのだとは思うがもう少し厳かな歌を頼みたい。あと服を着ろ。


「はあ、ひい、ふう」


 たったそれだけのことで疲れたのかフィブリルは足を放り出すようにして地べたにへたりこむ。その拍子に際どい所まで生足が露わになる。一歩間違えば扇情的な光景だがガウェインは一歩も間違えること無く平常心である。布団の下はガウェインの知る限りすっぽんぽんだがいつものことなので仕方がない。何故服を着ないのかは本人のみぞ知る。


「それでなにようかね、ガウェイン君」


 気取った調子で用件を尋ねてくるフィブリル。


「その前に縛らせてくれ」


 その言葉にフィブリルは絶句する。


「・・・・・・・、しーふぁ、助けて」


「拘束プレイに目覚めたんか」


「何を言っているんだ?」


 首を傾げつつもガウェインは手際よく傷の治ったセラを持ち前の荒縄で縛り上げていく。セラの不可解な言動行動を警戒してのことである。下手をすると目覚めた途端誰かに襲いかかることもあり得る。


「しかもセラなんかに!」


「なんか言うな!」


 前者はフィブリル、後者はシーファである。フィブリルの妹であるシーファは、実の姉以上にセラを慕っているところがある。仕方のないことである。


「説明が難しいことなのだが、迷えずの森でシーファがセラを襲っているところに出くわしてな」


「ひゅー、やるー。日頃の恨みー」


「やってへん!」


「百合だった? お姉ちゃんどきどきするの」


「百合でもない!」


「シーファに話を聞いたところ、どうもシーファはその間セラとして物事を認識していたようだ。心身が入れ替わっていたらしい」


「見苦しい言い訳なの」


「言い訳ちゃうもん!」


「何らかの魔装備によるものかもしれない。セラにも話を聞きたくてここにつれてきた。だがシーファによるとセラが相当おかしくなっていたらしくてな。何かに意識を乗っ取られている可能性もある。だから拘束した」


 そこまでを説明したところでフィブリルが納得に頷く。そして更に質問を重ねる。


「どうして私の部屋で?」


「特に理由はない」


「特に理由のない迷惑が私を襲うの」 


 事情を把握したフィブリルはさも迷惑そうに起き上がると膝歩きでセラに近づき顔を覗き込む。


「おい、あまり近づくな」


「まあ、シーファがセラを襲うなんてありえないのは確か。私にならともかく」


「・・・・・・」


 シーファが無言になる。本当に襲おうかと思っていそうだ。


「でも、セラだってむざむざ魔装備に手を出すような馬鹿とも思えないの」


 セラの頬をさするフィブリル。それは、ようやく帰って来た親友を迎える親愛の行為に見えた。


「いや、最近のセラの様子は何をしても不思議ではない危うさがあった」


「さっき言ってた自暴自棄の話? それにしても自分以外に害が及びそうなことをするとは思えないの」


 セラを捜しに迷えずの森に行く前、ガウェインはこのフィブリルの部屋に居た。義勇軍に同行していなかったフィブリルにこれまでの経緯を伝えていたのだ。その時にセラのことも相談という形で伝えている。帰途において、散々自殺しようとしたことを。


「だが現におかしなことになっている」


「まあ、そうみたいなの」


 ガウェインの方を見ながらフィブリルが肩を竦める。


「取りあえず起きて貰わないと話が進まないの」


 そう断じたフィブリルは気付けの歌を歌おうとして再び絶句する。ガウェインの方からセラへと意識を向けたところ、目が合ったのだ。気を失っているはずのセラがぱっちりお目々を開いてフィブリルのことを凝視していた。


「脇が甘いのよ。三人して」


 フィブリルはつぶやく。


「セラ起きてた・・・・・お? あー。おー。おーーー」


 目覚めたらしいセラがきょろきょろと周囲を見渡す。


「セラ、起きたか」


 シーファの言うように確かに不可解な声を上げ始めたセラを、ガウェインは驚きもせず事情聴取を始めようとして、硬直する。


 とさりと、布団が落ちた。


 露わになる女性の肢体。布団一枚ながら何だかんだ守られていた裸体が衆目――と言っても身内ばかりだが――に晒される。


「え?」


「おまえ・・・だから言っているだろう、服を着ろと」


 ガウェインがいわんこっちゃないと顔面を手で押さえる。


 フィブリルが立ち上がったのだ。普段は手で押さえている布団を、まるでそれが当然であるかのように手放しで立ち上がれば、布団は落ちる。自明の理。


「ふ・・・。私の布団着用術は一朝一夕にこなせるものではないの」


 セラが得意げに言う中。


「い、いやあああああああーーーーーーー!!!!!!!」


 男の前に裸体を晒してしまったフィブリルの絹を裂くような悲鳴が上がった。例え自分の体でなくとも人に裸を見られるという事態が、狂気を吹き飛ばし恥性を生み出した。


「フィブリル?」


「お姉ちゃん?」


「出ていきなさい!!!!!!早く!!」


「どうした!? 頭でも打ったか!?」


「悪いものでも食べたん!? おかしいでお姉ちゃん!」


「出ていけえええええーーーー!!!!!」


 と、普段裸を見られようとまるで気にしないフィブリルは、ガウェインとシーファの二人を怒声で追い出した。




 バタンッ!


 ガウェインとシーファの背後で扉が強烈な音を立てて閉まる。


「なあシーファ」


「なんや」


「ついにフィブリルに人並みの羞恥心が芽生えたということで良いのだろうか?」


「それはないわ」


「そうか・・・・ないか」







「はあ、はあ、はあ」


 フィブリルの目じりに涙が溢れる。


「脇が甘いのはそっちなの。セラ」


「どの口が・・・・。信じられない。未だに自分の部屋で裸で過ごしているなんて」


「誰が見るわけでもなし、普段は布団も着ているから問題ないの」


「ガウェインに見られるでしょう!?」


「ガウェインは夫なの。見られて困るものは何もないの。そもそも露出度じゃセラやシーファとそんなに変わらないの。あんなに生足を晒して、おへそ出して、袖すらないような服を着ておいて二人ともなんで文句を言うの? こんな服、下着と変わらないの。破廉恥極まりないの」


 自分が着ている服装を散々に貶すセラ。


「あなたはその下着すら着ていないじゃない!! あなたのその貞操観念どこから来るのよ!? とてもシーファと同じ環境で育ったとは思えないわ!」


「シーファは・・・・貰われっ子だから・・・・」


「うそ・・・・初耳よ」


「嘘だもの」


「あなたいずれ後悔するわよ」


 いや、させてやろうとフィブリルは、いや、セラは誓った。


 そんなこんなでセラは首尾よくフィブリルと入れ替わったのである。




 セラがクローゼットの中から適当な衣服を見繕って着始める。


 ガウェインやシーファが何も言わず服を持って来てはクローゼットの肥やしになっていく日々がついに終わりを迎えようとしている。いつの時代も終わってしまうというのは寂しいものだ。縛られたままのフィブリルは心にもない涙を浮かべる。


「それで、どういうつもりなの?まさか私の体を使ってみたかっただけとか?」


「そうよ」


「歌姫はつらいの」


「無職でしょうが」


「無職だけどねー」


 歌姫、ではなく、無職のフィブリル。自称歌姫は戦闘が出来ない。そして戦えない自称歌姫は冒険者とはみなされない。職業とは戦う際の各冒険者の役割を言うものなので、冒険者でないフィブリルに職は無い。


 無職なのだ。


 無職なのだ。


 フィブリルの主張としては、「戦ったら負けだと思っている」。




「どうかしら?」


 服を着終えたセラがくるりと一回転する。翡翠色のドレス。いつだったかシーファが持ち込んだものだ。翠一色はどうかと思うの。グリーンウーマンなんて仇名つけられたらお姉ちゃん立ち直れないの、お外に出られなくなるの。と言い訳して放置したドレスだ。それがどうだろう。凄く可愛いではないか。


 おまけにちょちょいとメイクアップもしたようだ。ぼさぼさだった髪はビロードのように滑らかに陽光を反射し、お目々もぱっちり開いて活発な印象を与える。見違えた風貌は自然と周囲にきらきらを浮かべる。さっきとはまるで別人のよう。女子力凄い。


 可愛い。だがそれを素直に認めたくない複雑なフィブリル心。


「年甲斐もなくはしゃぐのは止めるの。誰も得しないの」


 さく。


 フィブリルの顔の横に果物ナイフが落とされる。


「ごめんなさい手が滑ったわ」


「・・・・・・こわいの」


 何でもかんでも寝床周りに用意しておく大雑把さがこんな事態を招くだなんて。まあどうせセラが私を傷つけることはない。自分の体なのだから。いや、そういうわけでもないのか。





 さて、場も和んだところで核心に触れよう。


「・・・・ねえ。ガウェインが言うには、迷えずの森でシーファがセラを襲っていたらしいの。だけど、今の私たちみたいに入れ替わって逆転していたとすると、セラがシーファを襲っていたことになるの」


「そうなるわね」


 ガウェインが言っていたことだ。しかしフィブリルとセラの入れ替わりに魔装備が関与している様子もなく、セラに特段の異常は見られない。つまりセラの意思でシーファを傷つけたことになる。その上でフィブリルが聞きたいのは。


「妹を傷つけたら許さないって言ったの覚えてる?」


「ええ、覚えているわ」


 そんなことか、と軽い調子でセラは肯定した。


「そう、ならいいの。準備が済んだらガウェインたちを呼んでこれからの話をするの。セラもそのつもりだよね?」


「そうだけど、あなたはそれだけでいいの?」


 拍子抜けしたようにセラがフィブリルを見下ろす。糾弾されるとでも思ったのだろうか。


「いいの。セラはセラのしたいようにすればいいの」


「それがあなた達に害をなすとしても?」


 その質問の時、セラの目が変わった。フィブリルの友人としてではない精神的に見下すような目。フィブリル自慢の翡翠の瞳が、紫がかって見えた気がした。


 ようやくシーファの言う「様子がおかしい」の意味が理解できた。今までは入れ替わったこと以外は普段のセラだった。それが、まるでスイッチが切り替わったように雰囲気が変わっていた。嫌な感じだ。


「あ~、駄目なの。害をなさない範囲で頼むの」


「無理よ」


 がつっ!


 何の脈絡もなくセラがフィブリルの顔面を蹴り飛ばす。転がっていたボールを蹴り飛ばすような気軽さだ。身体的にフィブリルの攻撃力は皆無、セラの体にダメージは無い。


「痛いの」


「そう、良かった。次は悲鳴をあげて頂戴?」


 セラは床に刺さった果物ナイフを抜き取って手に持ち、今度はフィブリルの胸を蹴り上げる。ためらいがない。蹴り上げた胸の上に無造作に足を乗せ、体重をかけるようにのめり込む。そしてこれ見よがしにナイフを揺らす。


「あなたにはこの痛みがわかる? 攻撃される痛みが、殺される痛みが。 知らないわよね? いつだってあなたはぬくぬくと平和に包まれて。弱いままで」


「セラ? どうしちゃったの?」


「そんなあなたが昔から大嫌いだった」


 セラに足に敷かれ、それでもフィブリルは平静を崩さない。戦えないフィブリルではあるが、今ここで敗北があるとすれば、それはセラの言葉を額面通りに受け止めることだ。この雰囲気に迎合してしまいたくない。


「今日はちょっとエキセントリックにバイオレンスだね」


 だからフィブリルは態度を変えない。人をおちょくるような態度を。


「・・・・・そうよね。あなたもそうなのよね、フィー」


「セラ・・・?」


 フィーとはフィブリルを呼ぶ時、セラのみが使う愛称である。フィブリルの態度にセラは諦めた様に愛称を使った。


「ガウェイン、シーファ、もういいわ入ってきなさい」


「・・・・・・・」


 フィブリルを虐げたままセラは二人を呼ぶ。現状を見れば「フィブリル」が「セラ」を虐めている光景だが、二人とも入れ替わりのことを把握している。現状を見れば理解はすぐだろう。


 ガチャリと扉を開け二人とも入ってくる。そしてその現場を目にする。二人は驚愕に目を見開いた。


「フィブリルが・・・服を着ている?」


「お姉ちゃんが・・・服着とる・・・」


「・・・・・」


「・・・・・・・・・」


 まずそこなのか。


「フィブリル、どういうことだこれは。いや、違うな、有り得ない。お前はセラなのか?」


 服を着ているという事実からフィブリルがフィブリルでないことを見抜いたガウェインが鋭く詰め寄る。その隣でシーファが険を帯びていた。


「セラ姐でもないやろ。誰か知らんけど、とりあえずぶん殴る!!!」


「っ!?」


 シーファの突貫。「セラ」の上に陣取っていた「フィブリル」を殴り飛ばす。吹っ飛んだ「フィブリル」は壁に背中を強打する。


「シーファ!? やり過ぎなの!?」


 セラの中のフィブリルが叫ぶ。


「お姉ちゃん、何言っとんの? あれはお姉ちゃんでもセラ姐でもない。情けなんか必要あらへん」


「私の体!」


「情け無用じゃーい!」


「聞いてくれない・・・」


「セラの体を攻撃されて頭に血が上ったようだな」


「姉の体が奪われてることには?」


「気にしていないだろうな」


「涙なの!」







「さっさと説明せんかい!! セラ姐どこやった!!? セラ姐になんかあったらただじゃすまさへんで!?」


「シーファ!近づきすぎるな!」


 ガウェインの忠告も聞かず「フィブリル」の胸倉をつかんで揺さぶり脅し始めるシーファ。


「その本人を攻撃しておいて何を言っているのよ、あなたは」


「お前はセラ姐やない!セラ姐の真似すんな!」


「あら、ひどいわね。分かってくれないの? わたくしのこと」


「・・・・・・・っ!」


 「フィブリル」の手がゆっくりとシーファの頬へ伸び、ゆっくりと撫でる。愛おしそうに、自分の所有物を愛でるように。


「ちゃう。あんたはセラ姐やない!セラ姐はうちのこと刺したりせえへんもん!!」


 シーファは「フィブリル」の手を払いのける。そう。そうなるのだ。今フィブリルと入れ替わっている目の前の相手をセラだと認めてしまうと、先にシーファを刺し殺そうとした者もセラだということになってしまう。シーファはそれを認めたくなかった。セラではない他の何かの仕業にしなければならなかった。


 例えばあの時シーファが握っていたナイフのせいにでも。


「そう。まあどちらでもいいわ。現実を認められない愚図なんて不要だもの」


 けれど、ガウェインがナイフへと逸らしておいた疑いの照準を、セラ自身が真っ直ぐ自分へと戻す。


「・・・・ぅ」


「ガウェイン、縄を解いて」


「あ、ああ」


 縛られて仰向けのまま二人のやり取りを聞いていたフィブリルがガウェインに助けを求める。縛られたセラの体だが、その中身がフィブリルであることはガウェインも既に理解している。注意を向けるべきセラも所詮はフィブリルの体。少しの猶予もないというわけでは無い。


 ガウェインは言われた通り縄を解く。


 縄を解かれたフィブリルは大儀そうに立ち上がりセラに食ってかかるシーファの肩に手を置く。


「シーファ。落ち着いて」


「邪魔すんな!」


 振り向いて口角泡を飛ばす勢いで、フィブリルにも食ってかかるシーファに、フィブリルは笑顔を浮かべてもう一度言う。


「落ち着いて、ね?」


「あ・・・・・・・・・、うん。わかった」


 フィブリルの説得にシーファは大人しくなる。


「セラ姐の顔で、言わんといてよ・・・」


「ふふ。シーファはお姉ちゃんのことが大好きなの」


「ちゃうし!そういうんちゃうし!」


 興奮しきっていたシーファをあっさり引き下がらせる。


 こういうところを普段から出していれば、姉の威厳など直ぐに回復するだろうに。そう思わずにはいられないガウェインであった。



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