カグアの魔眼(Ⅱ)
「ZZZ」
セラが睡眠状態に陥っている。これもシャルの魔法によるものである。催眠魔法『スリープ』。拘束魔法『バインド』、麻酔用の無痛化魔法『ディペイン』と合わせてシャルの実験の前準備となる。どれか一つでも解けると実験中に被験者が暴れ出す可能性があるため慎重に重ね掛けしていかなければならない。
飲ませたのは『メカリの水薬』。特定の魔物に使うことで目玉系のアイテムがドロップするようになるアイテム。人に使うとこうなる。
「たったらー」
――シャルは『盗賊の目』を手に入れた。
もちろんこんなもの人に使って良いわけがない。というか使えない―――はずなのだが、例外的に盗賊にだけ有効で、この『盗賊の目』が手に入る。使えるのならいいんだろう。
手に入れた二つの目玉をシャルは特殊な液体の詰まった瓶に突っ込み蓋を閉めてアイテム袋に入れる。
そこまでをこなれた動作で終えて、シャルは項垂れる。
「・・・・はあー」
やってしまった。
つい魔女っぽく話してしまった。恥ずかしい。穴があったら埋めてしまいたい。・・・セラを。
悪のりが過ぎた。そもそもが死にたがっていたセラである。意識を奪わずとも正々堂々お願いすれば快く実験台になってくれたのではと思う。だが、それはそれでどうなのだろうとも思うのだ。
シャルの魔女のような言動にも理由はあった。まず一つはシャルのことを水色の魔法使い呼ばわりしたこと。密かに怒っていた。
そしてもう一つの理由。セラの自暴自棄について。
魔王討伐を掲げ旅立った、『漆黒の戦火』を代表とする義勇軍。その消息は、魔王軍の先鋒に勝利したという報告を最後に、途絶えていた。出発から二日目の時点でだ。
それから更に三日後の今朝、義勇軍は九割以上の人員を失って、数人だけが絶望の中帰って来た。セラはその一人である。
町に帰って来た冒険者たち。それが凱旋でないことは誰の目にも明らかであり、その無力感たるや、後にオーマに伝える際、ぼかして伝えるより知らないことにした方が良いと判断した程である。
周囲から浴びせられる失望の視線、同情の視線、やはりという諦念の視線。そんな視線を受けながらセラは虚ろな目をしていた。人の皮を被った屍、とでも言おうか。虚無と後悔に呑まれながら彼女はどう見ても死を求めていた。言葉にはしていなかったし、表に出してもいなかったが、シャルにはそう感じられた。
それに対しシャルは思うのだ。
(死んでどうなるんすか)
目を失くし、無惨な状態となったセラをシャルは憐れむように見つめる。どうしてこうなってしまったのか。いや、もちろんこの状態はシャルのせいではあるのだがそういう意味ではなく。
この人も旅立つ前は快活で姉御肌な人格者だったとシャルは記憶している。それがどうして死に憑りつかれてしまったのか。
死は人を変える。彼女はこの五日程度で、何を見てきたのだろうか。何を失ったのだろうか。それを知るつもりはシャルには無い。知るまでもなくなんとなく予想出来てしまう。
ただ、その上で彼女には立ち直ってほしい。生きてほしい。生きる意味を見出してほしい。
だからこそシャルは魔女を演じたのかもしれない。絶望の縁にあるものに希望をもたらすこともまた、魔女の役割だから。
と言ってもそれはそれ。他人の言葉に説得力があるわけもなし。一通り感傷に浸ったところで、シャルはセラの改造を始めることにした。
「ふんふんふふーん」
ちなみに魔女の噂とシャルは無関係である。遺跡を住処としてはいるが、人を攫って実験台にしたことなどない。せいぜい周辺の魔物を取っ捕まえて魔法やアイテムの実験をしていたくらいだ。たまに突然変異した魔物を放置したことでクエストにされたこともあるが、ちゃんと処理したので大丈夫だ。
よってこれはシャルにとって初体験である。
学校じゃ教えてもらえないことが一杯できる。冒険者は楽しい。
・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
目蓋の裏に光を感じる。朝を迎えたのだろう。朧気にそう決めつけながらセラはいつもの寝起き調子で目を開こうとする・・・直後。
「あぐっ!?」
激痛が走った。頭の奥をハンマーで殴られるような痛みが断続的に襲いかかる。寝起きの出来事に事態を把握する余裕さえなくただ痛みにのたうつ。
「セラさんー、起きるっすよー。朝っすよー」
そんなセラの枕もとで能天気に呼びかける者があった。その声にセラは一瞬痛みすら忘れて戦慄を覚える。
「シャルロット!あなた!―――いづッ!」
「あー、暴れちゃだめっすよ。術後は安静にしてもらわないと。ほらゆっくり息を吸って、吐いて、痛みが和らいできたら目を開けるっすよ」
「何を、今更隠してもあなたの本性はばれているのよ」
戦慄と共に意識を失う前の記憶がよみがえる。当のシャルが行った暴挙を。しかしすぐにそれを頭の痛みがかき消す。
「あー、そういうのは後でいいっすか?あんま時間かけてられないんすよ。ほら麻酔が効いているうちに開けとかないとさらに苦しいことになるっすよ」
「目・・・・そうよ!私の目は!?」
「だからそれを今から確かめようと、というか、さっさと開ける」
「ひぐ・・・」
凄味のある声を出され、セラは何も言えなくなる。だが自分の目がどうなっているのかが気になるのも本心である。無事であればいいが。
死を求めてはいたが体の欠損は死んだ後の話。いざ失うことになれば苦痛も感じる。
セラは言われたままに痛みが収まってきた頃合いを見計らってゆっくりと目を開けていく。目に光が当たったことで痛みが走る。それに耐えて少しずつ開けていくのをシャルは隣で何も言わずに見守る。
「・・・・・・」
目を開けた後、世界は。
以前と何も変わらなかった。
恐る恐る自分の体も見下ろしてみるが変化はなかった。
「もとに戻ってる? 何も変わってない?」
「何かあった方がよかったっすか? なら丁度良いことに職業を『バーサーカー』に固定変更する方法があるんすけど、やってみるっすか? 多分一生もとに戻れないっすけど」
「いやよ」
「そうっすか。なら下半身を馬に変えてケンタウロスになってみるというのは」
「いやよ!」
視界が回復したことによって見られるようになった周囲の状況は、意識を失う前と何も変わらない、覚えのない部屋のベッドの上である。先ほど感じた光は天井にある発光体によるものでシャルの使う魔法と推測される。多分朝ではない。
要するに何も変わっていない。何かされたのは確実なのに何も変わっていないことが何よりも不気味に感じられる。
「ちゃんと、説明してくれるのでしょうね」
「説明いるっすか?」
「あたりまっ!・・・えよ」
セラはシャルに詰問しようとして、沸き上がる恐怖によって及び腰になる。シャルのあの冷たい目を思い出してしまった。下手に機嫌を損ねれば存在を抹消されかねない、生物的恐怖を思い出させるあの目は、かつてセラを見下した龍の瞳と重なって感じられた。
「ふーん」
けれど当の本人はセラの恐れなど関知しないとばかりに思考にふけるように顎に手をあてる。
「教えた方がいい実験になるかな。放置されるのも寂しいものがあるし。うん」
実験・・・?
やがて一人頷いたシャルは腰につけたアイテム袋からあるものを取り出す。
それはそこいらにある瓶に無色透明の液体を詰めた容器。中には目玉が二つぷかぷかと浮いていた。
「それは?」
「あなたの目」
「そう・・・・わたくしの目なの」
セラは落ち着いてその言葉を受け止める。驚きを露にしない思慮深さがそこにはあった。
「意外に冷静っすね。もっと驚きそうなものなのに」
「驚くほどのことでもないわ・・・・って、はえええぇぇえーーー!?」
「時間差っすか」
そこには驚きを露にする短慮さがあった。当然とも言える反応だが。
「わたくしの目って、どういうことよ!」
「『盗賊の目』」
「?」
「所持しているだけで隠された罠やアイテム、敵の位置を把握できるレアアイテムっす。いやー運良く手に入ってよかったっす」
「運良くって、強盗じゃない!猟奇的すぎるわよ!」
「いやー、生き盗賊の目を抜くってこういうことっすかね」
「普通そういうのってダンジョンの奥地で息絶えてしまった盗賊から手に入れるものでしょ!? なんで生きているわたくしから取っているのよ!」
「緊急事態ってのもあるっすけど、なによりセラさん死にたいんじゃなかったっすか? どうせ死んで手に入れるなら、死んだ後に無遠慮に持っていくより、生きてるときに貰った方が礼儀に篤くないっすか?」
「体の一部持っていくのに礼儀も無遠慮もないわよ」
「ごもっとも。けどうちも流石に気が引けたんすよ?」
「それで実行に移してるんだからあなた悪魔よ。どうせならすぱっと殺しなさいよ」
「嫌っす。まだ前科は持ちたくないっす」
まだ、らしい。
「それで説明を続けてもいいっすか」
「・・・・聞きましょう」
シャルが本当に悪魔なら目を奪うだけ奪って放置することも、殺してしまうこともできたはずた。だが現状セラは無事に生きており視界は何故か保たれている。その理由を聞くことをセラは優先した。
本音を言えばシャルに殺された方が望み通りと言えた。シャルが本気でそれを望んでいるなら無条件で自分の目を渡していいとも思っているのだから、この時のセラの厭世ぶりは大層なものであった。
「これは魔女の契約っす。魔女の契約の基本原則は等価交換。何かを与える代わりに何かを要求する。つまりうちは何らかの契約の対価にあなたの目を貰ったと、そういう形にしたいんすよ」
「体のいい押し売りなわけね。今すぐキャンセルするわ」
「そんなあなたに『カグアの魔眼』~!」
「胡散臭いわね」
「ここ大事なところなのでしっかり聞けっす」
「はいはい」
よく考えればシャルの気に障ったところで最終的に自分が死ぬだけなら特に恐れることもないと気付いたセラはもはや怖いものなしである。
「『カグアの魔眼』は、うちが作った魔法具っす」
魔法具とは文字通り魔力の込められた道具で、使えば持ち主の魔力の有る無し、多寡に関わらず定められた魔法を使うことができる便利アイテムである。
魔法具の存在自体はそこまで珍しいものではないが、大抵は宝箱から手に入り、自作するなどという話はあまり聞かない。
「魔法具って、作れるものなの?」
「もともと魔法具なんてものは魔力のあり余った隠居魔法使いが徒然なるままに作るようなもんっすからね。現役魔法使いに作れない道理はないっす」
「そうなの」
その辺りに知識の浅いセラはそのまま納得するが、実際には引退しても金銭に困らない程度に稼いできた名うての魔法使いが、生涯の叡知を結集させて創り出す、魔法使いにとっての集大成のことを言う。
「その魔眼が、今セラさんの目になってるんすよ」
「だから目が見えるのね。でも軽く言うけどこれ目の移植よね?そんなことできるものなの?」
「出来たっす。よかったよかった」
「・・・・・・」
もしかすると、気づかないうちにセラはいくつもの死線をくぐり抜けていたのかもしれない。
「ようするに目の代わりを用意したから、大人しくその目を渡せということね」
「そんなとこっすね。ただ、別にこの契約に従う必要はないっすよ。最大の問題だったうちの良心の呵責は十分に治まったっすから。後はもらうものをもらっていくだけっす」
「知らなかったわ。あなたがそんな自分本意な子だったなんて」
「別にいつもこんなことしてる訳じゃないっすよ? 今回は本当に急いでて・・・・って、この話が既にいらないんだった」
自分の言葉で、思い出したようにシャルは焦りを見せる。
「これからどうするかはご自由にどうぞっす。死ぬもよし、魔王を倒しにいくもよし、優雅に余生を過ごすもよし。そうだ、この拠点も好きに使っていいっす。魔力結界がかかってて知らない人はまず来れない癒し空間っすよ」
ほらこんなにレアな魔導書がたくさん!と言って本棚に手を広げるシャル。次の魔女にでもさせるつもりだろうか。生憎だが魅力を感じない。なにより魔法使いになれるほど魔力が多くない。
「気前がいいわね。それだけ大事なねぐらじゃないのかしら。いいの?譲ってしまっても?」
「ねぐらが無くなって困るようならその方が良いんすよ。無事に帰って来られるということなんすから」
「・・・・・・」
そう言えば彼女は何を急いでいるのだろう。
「その上で注意点が二つ。勇者の邪魔だけはしないこと。もし勇者に逆らったら、その時は残念ながら契約破棄とさせていただくっす。邪魔っすからね。そして次が一番大事」
二つ立てた指を組み直し一本だけ指をぴんと立てシャルはセラに告げる。
「魔眼の効果中に対象、および術者が死ぬとどうなるか、検証したことがないので分からないっす。絶対試しちゃ駄目っすよ。絶対っすよ、絶対っすからね。わかったっすか?ぜっーーーたい」
「・・・・・・」
試せと言われている気がしてくる不思議。
「それじゃうちはこれで。悔いのない選択を」
じゃあねー。シャルはそんな感じで後ろ手を振りながらセラを見知らぬ部屋に置いて立ち去ってしまった。
シャルが立ち去った後でセラは気づく。
「結局、魔眼の効果を教えてもらってないわね」
本当に目が欲しかっただけなのだろうか。ひどい話だ。
「くろすけ、おいで」
シャルは中空に『チーズ』を差し出しながらくろすけを呼ぶ。
声に呼ばれて現れたのは黒いもふもふの何か。大人の高さほどもあるその背にひらりとシャルは飛び乗る。
さて、種は蒔いた。後は花開くのを待つばかり。
あの魔眼が薬になるか毒になるか、どちらだとしても、彼女の生きる理由になってくれればいいのだが。
(・・・・・・ガウェインに伝えておくべきっすかね)
しばし逡巡するのは、くろすけに伝える目的地。ミツメの町に寄るか、リアン城下町に直行するか。
(ま、いいっすよね。別に)
「リアン城下町まで」
――ぬおーん、ぬおーん
相変わらず何の動物かもわからない鳴き声を上げながら、くろすけは走り出した。
最後に一度だけ今までいた部屋の方を見る。
もう二度と来ることが無いかもしれない、少しの間だけ使った自分の家を。
こうしてシャルは旅を始める。物騒な置き土産を残して。




