第三十三話 通訳不在
一寸先も見えない暗闇の中、誰かに手を引かれてオーマは走る。それも結構な速度で。
「速いって!止まれ!・・・・おい!」
速度がつきすぎて足元が覚束ないオーマが、前を走る誰かを制止する。しかしその誰かは耳を傾ける様子もなく、足も止めず起伏の激しい地面を難なく先行していく。
困るのは暗い中、前も地面も見えない状態で全力疾走させられていることだ。スリルが半端じゃない。
方向転換でもされようものなら確実に転ぶと戦々恐々のオーマだが、その時はその時で速度を緩めるという謎の気遣いがあった。どうやら前の何者かは俺が転ぶことで生まれるロスさえも惜しい程に急いでいるらしい。
「『曙光』」
当面の安定がオーマを次の行動に移させる。灯りの魔法。しかしそれによる光はわずか数秒辺りを照らしただけで消えてしまう。何度か使ってみるが、どうも時間制限があるらしく走る内に徐々にその光量を減らし、やがて消えてしまう。テントの中で使ったときは長時間持続したのだが、移動しながらだと勝手が違うのかもしれない。
それでも何度か目の前を照らした光は前を走る人物の正体を教えてくれた。
光に当てられて鮮やかな赤を示す髪、それが頭の左右で二つに別れてたなびいている。体格は緑のマントに隠されながらも、現在オーマの手を引っ張っている力からは想像もできないほどに小さく頼りないことが窺える。オーマからすれば見下ろす位置にあるその姿は、どこからどう見ても少女のものである。先程まで抱えていたアーリアと大差なかった。
「アーシェ」
そしてその少女こそ死んだ疑惑浮上中のアーシェである。面識はあれど本来脱獄の手助けをされるほどの関係性は無い。だというのに手を引かれてどこかへ連れていかれている現状に、もはやこの先を想像するのも億劫である。
前を走る人物の正体が明らかとなったため、今一度オーマは声を張る。
「止まれって!人の話が!聞けないのか!」
「・・・・・。」(ふるふる)
アーシェは首を振る。その否定がどの部分への返事なのかを少し考える。「話が聞けないのか」に対する返事だとすると「話が聞けないことはない」ということになる。
「聞けるなら止まれよ!」
「・・・・・。」(ふるふる)
暗闇だったから見えなかっただけで、首を振るという返事はしていたらしい。どちらにせよ止まる気がないことだけは確かだ。
「こんの・・・・」
一度本気で止めようと足に力をこめるも、靴と地面の間で生じた摩擦など、まるで存在しないかのように速度を落とさず走り続ける少女。また一人、新たなとんでも少女の登場である。
仕方がないのでそういうものとして受け入れ、灯りの魔法を連発しつつ、今度は視線を別に向ける。目に映るのは後方に凄まじい速さで流れていく石の壁。どうやら洞窟の中を走っているらしい。
しかしこの洞窟やたら広い。通路の大きさ自体は人が走ることに難が無い程度だ。けれど通路がいくつにも分岐しているようで、まるで迷路と言わんばかりの複雑な構造が予想される。単に走っている時間だけを考えても、その広大さは疑う余地がない。
本来こんな洞窟を探索しようと思えば、マッピングや拠点設置など遭難しないための対策が必須。光源においては必要不可欠である。にもかかわらず少女は迷うそぶりも見せずに駆け抜けていく。アーシェにしてみれば完全なる闇の中を何の頼りもなく進んでいるようなものなのに、どういう神経をしているのか。
ともかく何か確信がないことにはこうは動けない。目的地があるということだ。
抵抗の末、これ以上抗っても得るものがないとオーマは大人しく身を任せることにする。向かう先は人任せ。自然、厭味が口を突いて出る。
「次から次へと。そんなに人の事をたらい回しにするのが楽しいか?」
「・・・・・。」(こくり)
「頷くなよ」
楽しがられていた。
「・・・・・。」
ずざざ。
しばらく走り続けた後、突然オーマの手を引っ張って走っていたアーシェが足を止める。そこで働く慣性は後ろを走っていたオーマを目の前の少女へと衝突させる。
「ちょ!急に止まる奴があるか!」
「・・・・・!」(こくん)
ある!と自信満々に頷いたアーシェは、止まりきれずにぶつかって来たオーマを振り返って受け止めようとする。
それは受け止めるというより抱き留めるという方が正しいかもしれない。アーシェが狙うはオーマの腰に腕を回し、オーマの腹に顔を埋めてとる抱擁の陣。
そんな受け入れ態勢を脅威の動体視力で見抜いたオーマは、全力でその抱擁を躱そうと身をひねる。結果不安定になり体勢を崩したオーマは、アーシェを躱しながら肩から地面へと倒れていった。すごい勢いで。
「・・・・・!」
しかしそれを黙って見過ごすアーシェでは無い。させるか!とばかりに振り向いた時に離してしまった手を掴み直し、引っ張る事でオーマの体を引き上げ、何が何でも抱擁へと持っていこうとする。しかしあまりにも時間が足りなさすぎたのか、アーシェもまたオーマに引きずられる形で引き倒されてしまった。
「・・・・・。」
「なにしてんの、お前」
転んだ痛みとアーシェが腹の上に落ちて来た痛みのダブルダメージを受けながらも、実害はないようでHPは減らなかった。最後に唱えた魔法の灯りは保たれているからと、状況を確かめれば目の前にアーシェの顔があった。というか口に柔らかい何かが触れた気がするようなしないような。
向かい合う二人。仰向けになって地面に倒れ込んでいるオーマの上に、アーシェが覆いかぶさっていた。オーマの顔の傍、地面にアーシェが右手をついたことで辛うじて勢いを減じたらしく悲惨な顔面衝突は起こらなかった。別の起こってはいけない何かが起こってしまった気がするが。
「・・・・・?」
何をしているのかと尋ねるオーマに、接吻?と首をかしげるアーシェ。ああやっぱり今唇に触れたのはアーシェの唇だったのかと納得する。事故だし仕方ないが。
「・・・・・。」(ちゅ)
そうスルーしようとするオーマに再び同じ感触が走る。
「・・・・・何で繰り返す?」
再び触れ合った唇に不穏なものを感じる。経験に基づく嫌な予感とでも言うか。
「・・・・・。」(ちゅう)
三度目。流石にここまで来て偶然では済ませられない。故意によるものだ。オーマは右手を上げてアーシェの顔を押しのけようとする。
「・・・・・。」
それを左手で封じるアーシェ。
「・・・・・・おい」
とはいえオーマにも左手があるのでそちらでアーシェの口を防ぐ。
「・・・・・。」
そして無言で見つめ合う二人。もっとも熱っぽいものがあるわけでもなく、オーマのものは責めるような眼、対するアーシェは無表情という、なんとも冷めた視線の交錯である。
こういう状況で事故とはいえ唇が触れあったというなら普通嫌がるのは女性の方ではないだろうか。なのに何故悲しい事故をこの少女は繰り返すのか。しかし原因に心当たりがあるのもので、オーマも複雑な心境である。
ああああの記憶。ヒメの記憶と対をなす危険記憶。絶対に開けてはならない禁断の記憶である。
(でもそれしかないよなあ。やってることが記憶が戻った時のヒメと変わらないし)
黄昏はじめたオーマ。仮にアーシェが仲間になる未来があったとしても、使わずにおきたかった代物である。
しかしそうも言っていられない。事故とは言え、今の状況は倒れたオーマの腹上にアーシェが腰を落ち着けているというもの。アーシェが欲にまみれた狩人なら俺は哀れな獲物である。
「そろそろどいてくれないか」
「・・・・・。」(こくん)
穏便な解決を望んで、希薄な可能性をつなぎとめる提案は、果たしてアーシェに受け入れられる。アーシェはすごすごとオーマの上から退くと、オーマの前に手を差し出した。
「・・・・・いや、いい」
その手は取らず、自力で体を起こすオーマ。
「・・・・・。」
起き上がってアーシェを見れば、無表情のはずなのに無念の心情が何故か伝わってくる。言うなれば、「ガーン。ショックなんだぜ」とでも言っているようだ。
「ふむ」
「・・・・・?」
そう言えばちょくちょくこいつの考えていることが読めることがある。適当な当て推量のつもりだったがもしかして過去の交流がそうさせているのだろうか。
なにはともあれ、またもやの場面転換に、することは相変わらずの状況確認である。もしかして何も聞かずに成り行きに任せた方が精神的には楽ができるのだろうか。と頭をよぎるものがあるが、人間考えることをやめたら終わりである。
「お前、『ああああの記憶』使ったのか?」
「・・・・・。」(こくん)
「俺の体に入ってたから」
「・・・・・。」(こくん)
本来そのアイテムは、道具袋という名の異次元袋に収められていた。そこから物を取り出せる人物はその道具袋の持ち主である俺だけのはずだった。しかし何の因果か、俺たちの体は入れ替わり、俺の体はここにいるアーシェが一時的に使っていた。つまりその間、アーシェが『ああああの記憶』を使えたということである。
「ヒメと知り合いだったのか?」
「・・・・・。」(こくん)
ヒメの発言の裏もとれた。
「オーマ」
発せられることが稀なアーシェの声で、自分の名前が呼ばれる。少しびっくりする。
「なんだ?」
「・・・・・。」
「・・・・・・・」
「・・・・・。」(じ~)
相変わらずしゃべらないアーシェは視線だけで何かを訴えかけてくる。そんな様子に頭をかきつつ、オーマはアーシェの頭に手を置く。
「まあ、無事でよかった」
なでなで。
「・・・・・。」
気づくと頭を撫でているオーマと、撫でられているアーシェの姿がそこにはあった。薄明かりで確証はないがアーシェの頬が赤くなっている気がした。
「俺はお前にとっての何だ」
アーリアにした質問をアーシェにもしてみる。しかし記憶喪失だからとはいえ、なかなかすごい台詞だ。
「オーマ」
オーマはオーマだとでも言うつもりだろうか。そういう心構えには興味がない。
「俺の職業」
「オーマ」
「好きな食べ物」
「オーマ」
「かっこいいと思うもの」
「オーマ」
「ああ、うん。もういい」
流れでいらぬことを言わせてしまったオーマが自己嫌悪する。
「・・・・・。」
そしてアーシェは、どやあと言いたげな無表情。
どうも心に傷を負っているらしく「オーマ」しか話せないようだ。取り敢えず俺のことを食べ物として見ることだけはやめさせなくては。
その一方で頷いたり首を振ったりはできるようだ。つまり質問も「はい」か「いいえ」で答えられるものにすればアーシェも答えやすいという事か。おいおい考えていこう。
「で、何で俺はここまで連れてこられたんだ」
質問というより独り言に近い自問。アーシェが足を止めた場所。見渡せば入り組んだ洞窟のどこか。一人ではさっきの牢屋に戻ることも、外に出ることも出来ぬほどには現在位置不明。制止しても聞かなかったアーシェがここで立ち止まったと言うことは、ここに何かあるのだろうと思われる。
「それよりどうやって生き延びたのかを聞くのが先か?そもそも何があったか」
「・・・・・。」
オーマ考えている間に、アーシェはリュックから何かを取り出しオーマに差し出す。それは紛れもなくオーマの愛剣、聖剣・白であった。
「・・・・何でお前が持ってる」
「・・・・・。」
アーシェは無言、無表情。やってやった感だけが伝わってくる。
そういえば、と記憶をたどれば、精神が体に戻ってからずっと聖剣を携えていた記憶がない。気付かなかった自分もどうかと思うが。その間ずっと聖剣はアーシェの手の内にあったようだ。
ちなみに道具袋と他の装備は体が戻った時から身に着けていて、捕まって牢屋に入れられた後もそのままである。甘すぎてびっくりだった。俺が指摘することでもないので黙って受け入れていた。
「それで聖剣を何に使った?」
アーシェから聖剣を受け取ったオーマはそれを掲げてアーシェに尋ねる。
「・・・・・。」
アーシェが目を閉じる。しばらくして目を開いたアーシェが伝えてくるのは「生き残るため、仕方なかったんだ・・・」というもの。
何に使ったんだ・・・。
疑えばきりがない相手をどうしようかと悩むが、結局は最後に一つだけ尋ねることにした。
「お前は、俺の味方か?」
「・・・・・!」(こくこく)
二度、頷かれた。
「そうか」
どうも勇者オーマには味方が多いらしい。
ならばとオーマは受け取った聖剣を腰に装備する。そして剣を抜き放ち構えた。
「・・・・・。」
アーシェもリュックから槍を取り出し、頭上でくるくる回した後、正面に構える。
アーシェへの尋問をそこそこに取り止めたのには理由があった。洞窟の奥から気配がしていたためだ。
キーキーと高く唸る声が、相手が話すら通じぬモンスターであることを教えてくれる。
「倒せってか」
「・・・・・。」(こくん)
そして暗闇の中に無数の紅い煌めきが浮かぶと、魔物との戦闘が開始された。
――ヒキコウモリの群れが現れた!




