第三十一話 躊躇
「こんばんは、オーマ様」
そう言って微笑んで見せるのは、かつて魔王と共に現れた魔王軍四天王が一人、アーリアである。どちらかと言えば敵である。何回か刺されたし。
今回も刺されるのだろうか。
「で、なんでお前がここに?」
こんばんはの挨拶をスルーしたオーマは、倦怠感もあらわにアーリアに尋ねる。人間の町の、ギルドの中の、地下牢に現れたアーリア。まさか四天王ともあろうものが捕まっていたわけでもあるまい。
それだけではない。何故あの赤髪の少女、アーシェが死んでいないと言えるのか。何故シーファが四天王たるアーリアの名を知っているのか。聞きたいことは数あり、それは勇者として当然の着眼点であった・・・が。
「・・・・・・しゅん」
挨拶を返さなかったことでアーリアが寂しそうに耳を垂れてしまっていた。俺の心がキリキリと罪悪感を訴えている。どうしろと言うのか。
「こんばんは」
「・・・・あ。・・・はい!こんばんは!」
結局は折れてこんばんはを返すオーマに、今度は耳を立てて尻尾をふりふり、照れくさそうな笑み。これが四天王の実力か。相手の絶大な戦力にオーマは戦慄する。
「もう一度聞く。何でここに?」
とはいえ、オーマも自分の質問がスルーされるのを良しとしない。再び同じ質問を繰り返す。
「・・・少し待ってください」
けれどアーリアはすぐには答えず、オーマが収容されている牢の鉄格子へと手をかける。そのまま静止しているかに見えたが、直にそれが認識違いだとわかる変化が起きる。
鉄格子が歪んでいた。片手で、大して力を込めている態勢にも見えないのに鉄の棒は飴細工のように曲がっていき、やがて隣の鉄棒にも接し二本まとめて曲がっていく。
何か怒らせることでもしただろうか。物言わぬ暴力を前に嫌な予感が湧き上がる。だからといって牢屋の中、手枷をはめられたオーマに逃げるすべなどなく、彼女の目的が仮に暗殺なら一つの物語がここで終わることになる。
(どうしよう)
そんな弱気なオーマが覚悟を決める暇もなく、アーリアがもとの場所から一歩分移動すると、鉄格子は材料的限界を迎える前に地面と天井からお別れする。引っこ抜かれた形だ。アーリアは手の動きを止め、その手にある曲がった鉄の棒を眺めていたかと思うと、手離してもう二本、同様の流れですっぽすっぽと抜いていく。
どういう構造をしていたかは知らないが、どうもこの牢屋の設計には欠陥があったようだ。あんな細身の少女にあっさり破られるようでは、牢屋としての役目を果たせるものではない。
と、牢の不良を責めてみても。
ヒメなら余裕だろうなと、ヒメが鉄格子を一刀両断する光景を想像して現実に引き戻される。牢が悪いのではなく、アーリアもまた人並外れているのだろう。
誰だよ男女が対等だとか言った奴。どう考えても女性の方が強いだろ。
自分の知る範囲での力関係が明らかに女性優位であることを再確認しているオーマを余所に、ひと一人が十分に通れるほどの隙間が出来上がっていた。アーリアの手から鉄の棒が放り投げられ、からんからんと音を立てる。
「全く。オーマ様を牢屋に入れるだなんて無礼にもほどがあります」
アーリアはぽんぽんと手を両手ではたき合い、腰に手を当て憤慨する。
「え、なに?何が起こってるん?脱獄してる感じ?今脱獄してる感じ?ならうちも一緒に行きたいかなーて」
「・・・・・・」
隣の牢屋にいるシーファの言葉は完全に無視して、アーリアは視線をオーマに向けて、たった今自分で作った鉄格子の隙間から牢内に入って来た。
「・・・・・・」
「・・・・・・・」
「なんで無視すんのー?」
オーマは無言。アーリアも無言。誰もしゃべらない静寂の中、二人の距離は縮まっていく。
オーマが唾をのみ込む。それでもアーリアは足を止めず、座り込むオーマの真ん前まで来たところでしゃがみこみ、オーマの手枷に手をかける。そして動きを止めた。
今度は正真正銘固まったらしく、うんともすんとも言わない。
「アーリア・・・?」
呼ばれるとアーリアはびくっと跳ね上がる。
「はっ!? 違います!変なこととか考えてないです!このまま腕の中に潜り込んだら抱きしめてもらうことになるのでは、なんて考えてないです!」
「そうか」
思考が漏れてる。いや、違う。おそらくはわざと他愛もないことをばらすことで真実を隠す交渉技術だ。実際そんなこと欠片も思っていないのだろう。アーリア、油断できない子だ。
「もうバレバレやん」
「黙りなさい、そこのしーふ」
「はい」
初めてシーファに反応を見せるアーリア。その言葉にシーファは何も言い返すことなく黙り込んだ。
「お前らどういう関係だよ。というかそろそろ説明してくれ。まさかアーリアも人のことほったらかしにするタイプなのか?」
現在ほったらかしにされ過ぎて蚊帳の外を通りすぎて牢の中だ。いい加減にしてほしい。泣くぞ。
「随分傷心のご様子ですね。けれど勘違いされているようですが、勇者であるあなたに説明して差し上げる道理が私にはありません」
そう言ってアーリアは鉄で出来たオーマの手枷をいとも容易く握り砕いてみせる。その後、解放されながらも赤く痕が残ってしまったオーマの手首を優しくさする。ひんやりとした冷たい手だった。
「なら、ここに何しに来たんだ。俺が目的か?」
口で何と言おうとアーリアがしているのは今のところ俺の解放である。
「・・・・・・」
「アーリア?」
オーマの手に触れたまま、またしても固まってしまったアーリアにオーマは怪訝な目を向ける。
「オーマ様・・・」
アーリアはオーマの手を導き、その手のひらに自身の頬を擦り当てる。
「ふあぁ」
そして、凄く安心したような、あるいはずっと待ち望んでいたものを手に入れたときのような緩んだ顔で陶然とした息を漏らすアーリア。
すりすり。
そしてまた自らの匂いを刷り込むかのように手のひらにじゃれつく。
なんだこのかわいい生き物は。尻尾があらぶっているじゃないか。
そう言えばアーリアとは家族だったか。ならこれは家族の再会なのか。
ぼんやりと、その事実を思い出したオーマは、その状況でしなければならないことが有ると気付く。
「アーリア」
短く名を呼びアーリアを抱きしめる。
「!?」
抱擁。
それは親愛の情を確かめる行為。愛する者と、愛を確かめる行為。
そう。
そこには愛があった。
家族愛が。
「あう・・・」
今になって思えば、アーリアを魔王の支配下から解放したいと思ったのも家族の絆によるものかもしれない。見たところアーリアは年下。魔王にいいようにされて許せるはずもない。
アーリアを抱きしめるとその華奢な体が更に小さく感じられ、保護欲が掻き立てられる。勇者と魔族である前に、家族同士なのだと実感させられる。
アーリアもまた、先程の恐ろしい行いなど嘘のように大人しく腕の中に収まる。
家族って素晴らしい。などと、家族の再会を完璧に演出したところで。
「ところでアーちゃん、俺とお前ってどういう関係だ?」
「はひ!??」
変な声がアーリアから出た。何を驚いているのだろう。家族関係を聞いただけなのに。
「だから関係だ。俺は、お前にとっての何だ」
抱擁を解いて顔を覗き込む。アーリアの顔は朱に染まっていた。
「何と言われても、あの、えと、わ、私は」
「難しく考えなくていい。一言で言ってくれ」
「ひとっ!?・・・・・・ひと・・・こと・・・・・。・・・・・・・す、す」
「す?」
すで始まる家族関係が思いつかない。すっとこどっこいとか?そんな風に思われていたらどうしよう。
「す・・・・好きです!!好きな人ですっ!!!」
「・・・・・そうか。ありがとう」
「・・・・」
「・・・・ん?」
言い切ったアーリアは顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。嫌われてなくて一安心だが、結局関係は分からないまま。どうも混乱して変な結論になったみたいだし、まあいいとしよう。
しかし・・・好きな人か。きっとアーリアにとっては家族みんなが好きな人なんだろうな。良い話だ。
「うぅ・・・」
「あー、それはひどい、アーリアが可哀想すぎる。オーマ!そこは返事したらなあかんやろ!」
「黙っていてください!」
「はい」
やはり言い込められるシーファ。けれど返事とはどういうことだろう。俺にとってのアーリアがどうとかいう話だろうか。
「俺もアーリアのことは好きだぞ?」
「・・・・・・!!」
ぶんぶんぶん。
アーリアの後ろで荒ぶる尻尾。
「家族として」
「・・・・・・」
しゅん。
アーリアの後ろで消沈する尻尾。
「知ってました。知ってましたとも。ええ」
その消沈する様子、更に詳しく言えば、この世を儚み今にも身投げしそうな様子に、ある一つの仮定が生まれる。
「・・・・・・もしかして、好きって、家族としてではなく男女の仲として言ってるのか?」
「・・・・・・」
ぴっきーん!
そびえたつ尻尾。
「きたーーーーーー!!!!!!」
叫ぶ盗賊の首領。
「どうなんだ?」
当たりらしいリアクションだが本人の口から聞くまで確証は得られない。重ねて問いかける。
「あ、あう、あわ、・・・・い、いえ・・・家族としてでしゅ」
「やっぱりそうだよな」
「何で退いたーーーー!!!?」
「うるさいです!黙れです!」
「はい」
やはり家族としてという受け取り方でよかったようだ。しかしもし仮に、さっきのが愛の告白だったとすれば俺はなんと答えただろうか。
(・・・・・・)
いや、考えたところで詮無い事だと、オーマは想像を打ち消した。
「話を戻しましょう。ここにはちょっとした確認と、何と言えばいいのでしょうか、オーマ様に働いてもらう為に来ました」
さっきまでの慌てっぷりもどこへやら。落ち着きを取り戻したアーリアはまるで人が変わったように冷徹な雰囲気を漂わせている。
「・・・・・・・つまり俺が働いていないと」
「はい」
「なんだと・・・・」
きっぱりものを言うアーリアだがその体は言葉と共にオーマの懐の内へと潜り込み、背もたれ椅子に腰かけるようにゆったりと体を預けてくる。害されると言う発想がないようで、完全に気を許して、まるで自宅でくつろいでいるかのようなリラックスぶりだ。
おかしい。冷徹な雰囲気とリラックスぶりって並び立つものなのか?
疑問に思いつつもそれをためらいなく受け入れ、触り心地滑らかな絹糸のごとき白髪を撫でているオーマ。こちらも完全にリラックスしている。
体が覚えているのだろうか。しっくりくるやり取りだ。ただ俺の股ぐらあたりをアーリアの尻尾がさわさわと触れてくるのがむず痒い。これ触って良いのだろうか。そんなことを考える。
オーマの空いている方の手がゆっくりとそちらに伸びる。知的好奇心。
「ヒメさんに裏切られて落ち込んでいたようですが、もう立ち直られましたか?」
けれどぴたりとオーマの手が止まる。それは今の空気を崩すに余りある言葉だった。
「あの馬鹿の行動はお前らの差し金か?」
低い声。誰かを大切に想うからこそのオーマの冷たい声。それが今自分に敵として向けられていることを、アーリアは寂しく思う。身勝手にも。
「彼女が勝手に動いているだけです。私たちの知るところではありません」
「嘘だな」
「何故そう思うのですか」
「尻尾が萎えてる」
「・・・・・・・・」
オーマの言葉を聞いてアーリアはわずかに体を起こし、視線を後ろに向ける。オーマの体と、アーリアの体のわずかな隙間で、それは確かにくたりと垂れていた。けれどその原因は嘘をついているからではない。
オーマも本気でそう思って言っているわけではなかった。
「揺さぶりですか」
一連のやり取り。オーマとしては単なる揺さぶりのつもりだった。実際に嘘を吐いていれば、今のやり取りで嘘を見抜かれたかもしれないと心を乱す。そうなればミスを起こすかもしれない。そんな思惑。
けれどアーリアは平静を保っていた。だからといって嘘を吐いていないと判断することは出来ないが。
その会話の意図がどういうものかはオーマにしか分からないはずだった。けれどアーリアはそれがミスを誘う罠だと理解していた。だから感情は揺れない。そのオーマへの好意に反して、隙はなかった。
「辛くは、ないですか」
なのに、オーマのこととなるとまた心底心配そうに言う。不安と後悔の入り混じった声。
「色々と辛い」
それが感じられたからオーマは包み隠さずに打ち明ける。ぶっちゃけ辛い。クエストは勝手に受けさせられるし、ヒメは従順なふりして人の言うこと聞かないし、体は入れ替わるし、魔族は裏でなんか動いてそうだし、説教したばかりなのにヒメは来ないし、牢屋には入れられるし。
「勇者を続けることはできそうですか?」
けれど。一度決めたことを、ひっくり返すつもりはない。
「俺は、ヒメを信じてる。残念ながらそちらに行くことは無いぞ」
オーマは結論を言う。最終的にその質問がくると思ったから先に答えた。
「そうですか。残念です」
けれど返ってきたのは残念などとは欠片も思っていない声だった。
「・・・・・」(ガーン)
オーマは衝撃を受ける。オーレリアはオーマに魔族側について欲しいと言った。ならばアーリアもまた絶対にオーレリアと同じ考えだと思っていたのに。寂しがると思っていたのに。ショックだ。必要とされていないとは。
オーマが一方的に吹っ掛けた心理戦。先に揺らいだのはオーマだった。騙し合いとは全く関係のないことではあったが。
けれどオーマは勘違いしていた。そもそもアーリアにオーマと騙し合いをするつもりなど全くなかった。純粋に傷ついていないかと心配してここに来たのだから。故にこの揺らぎは見逃された。むしろ微笑まれた。
「それが、確認で良かったのか?」
オーマが魔族側行きを蹴った時点でアーリアの懸念は解消されていた。
「はい。人族を捨てて、こちら側に来る気になられては困りますから」
「ダメなのか?」
「ダメです」
「なぜだ」
先に断ったのは自分だろうに、拒まれて逆に食い下がろうとするオーマ。そこにはなんとも言えぬ寂寥感があった。それはまるで、娘を構おうとした父親がすげなく無視されたかのような。
「人族達と仲良くなりすぎです。もっとろんりーうるふになってください」
「よくわからん」
あるいは、拗ねている娘の対応に父親が苦心しているような、そんな光景だった。
そんな中アーリアの手がゆっくりとオーマの腕に触れる。
「ところでオーマ様、その格好は何ですか?」
「格好・・・?」
オーマは自身の服装、アーリアが言うそれを見る。囚人服などと言うものはなく、服装はそのままだった。
『おっちゃんのランニングシャツ』
何かと言われれば。
「何なんだろうな」
「みすぼらしいです」
「ぐふっ」
彼女は予想正しく暗殺者だった。心の暗殺者。
「勇者という救世主に等しい御方をこのように扱うとは・・・。オーマ様の臭いがします」
服装をけなしながらも、少し嬉しそうではあるアーリア。
「本人だしな」
鋭く攻めたつもりだったのにほのぼのした会話になってしまう。どうやら記憶を失う前の俺は相当アーリアに対して心を許していたようだ。背中から刺された間柄だと言うのに警戒というものを知らない。敵に対してそうなってしまう自分がもどかしくもあり、どこか心地よくも感じる。それが家族というものなら俺はどうしても否定する気にはなれない。
それにしても、互いにこうも気を許しあっているというのに、何故敵対する必要があるのか。・・・魔王の所為だな。なんもかんも魔王が悪い。
「というわけでアーリア、うちに来ないか?」
勧誘がないなら勧誘してしまえばいい。オーマはアーリアを誘う。何気にオーマによる初勧誘である。
「い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・行きません」
「長い長い。沈黙が長い」
そう指摘したのは盗賊の首領。ツッコミどころがあるとツッコまずにはいられない性分なのだろう。
それにしても。
「あと少しで落ちそうだな」
「うぐ」
『アーリア籠絡』は、オーマの勇者としての目標第一位である。魔王討伐より優先順位は高いのだ。
だから、いっそここで捕まえてしまえばいいのではないか。
手枷が外されたときに魔力も使えるようになった。だからアーリアを抱き締めると同時に分身を牢屋の外に作っておいたのだが。
気付かれているだろうか。
そう考えている今も、アーリアはオーマに身を委ねていた。




