第二十八話 ヒメの決意
どうしてこんなことになってしまったのだろう。私が一体何をしたというのか。
「・・・・・・」
しましたよね。はい。いろいろしました。
オーマとヒメがベッドをよそに、床に正座している。膝を突き合わせて正座したまま、オーマが何も言わないままに数分が経過し、そろそろヒメも息苦しく感じて来た。説教がいつ始まるかも分からないし、シャルは一人難を逃れて息をひそめているし。おかしい、聞いた話では正座させるのは私の役割だったはずだ、なのにどうして私が正座しているのだろう。などとヒメは自問する。
いや、それ自体は自業自得ではあるのだが何故オーマまで一緒に正座しているのか。
ヒメとフィブリル(オーマ)。身長が近い女性二人、対面して正座すれば自然と相手の顔を窺うことが出来る。けれどオーマは目を閉じたままヒメのことを見ようとしない。
「あの、オーマ?」
沈黙に耐えきれなくなりヒメがオーマに呼び掛ける。その声はオーマの静寂に怯えるようでもあり、早く叱ってほしいと懇願するようでもあった。
呼ばれたオーマはゆっくりと目を開き、それから口を開く。
「俺はお前を失いたくない」
「えっ?」
開幕オーマがデレた。先程までの沈黙は思考のためのものだったのか、その言葉に迷いはなく落ち着いたもの。けれどそんなオーマのデレは一瞬で消え去る。
「ヒメは俺の仲間だ。その仲間を不用意に危険に晒すと言うのなら、それがお前自身の行動であっても許すつもりはない。よって、有罪」
いきなり最終判決が出ていた。許されなかった。
罪の存在が被害者の許容可否によって決まるこの国で、オーマが許すつもりが無いというならヒメは有罪となるのだろう。だがここでおめおめと引き下がるような性格をヒメはしていない。
「異議あり!」
「却下」
「聞いてから却下してください!」
自分でも却下されることを前提にしていることに気づいているのかいないのか。ヒメはぴっと育ちのよさを感じさせる真っ直ぐな姿勢で挙手する。
「一応聞こうか」
「仲間ではなく嫁です!訂正してください!」
「棄却」
「棄てられました!」
「ヒメの罪が認められた場合、ヒメには勇者一行から抜けてもらうことになる」
一瞬オーマが何を言っているのか、脳が理解を拒否する。ひめにはゆうしゃいっこうからぬけてもらう?
「え」
「異議を出すなら慎重にな」
あっさりと、オーマが信じられないことを言う。いつからここは審判の場になっていたのか。説教じゃなかったのか。
「俺は当然ながら、お前という戦力を数に入れて物事を考えている。そのお前が勝手な行動で一人突っ込むなら、それは俺たちの行動の妨げになり、下手をすれば窮地に陥る可能性もある。命令を聞かない個は集団にとって邪魔なだけだ。ヒメ、お前もそれは分かるよな?」
「はい・・・」
オーマが言葉を全く荒げずに、冷静にヒメの異議を切って捨てたのち、ヒメの除隊理由まで述べる。いつもなら適度にふざけていればオーマもそれに乗ってうやむやになっていた筈。
このオーマ、手強い・・・!
ヒメがオーマの静かな怒りを再認識している間にオーマは話題を移行させる。
「お前と・・・・いや、お前に向けられていた視線、気づいてたよな。なのに何で一人で危険に飛び込むようなことをした」
シャルにも視線が向けられていたことは、シャルがそこで寝ている手前意識して言わずにオーマはヒメをなじる。
いよいよ本題。オーマに黙ってヒメが勝手に喧嘩を買いに行ったことについて。不可抗力で襲われたというのならオーマも責めはしなかっただろう。けれどヒメは、行けば襲われることを知りつつ、それがオーマに心配をかけることを知りつつ、踏み込んだ。
それは確かにヒメの手落ち。裏切りとさえ言えるかもしれない。
しかしその件は。
――ごめんなさい
――おう
あの時にもう完全なる和解をしていた筈。
「あの。それについてはもう許してくれたのでは・・・?」
「誰がそんな事言った?」
許されていなかった。勘違いだった。
あれ?
いつもなら手に取るようにわかるオーマの思考が一切感じられない。オーマの体じゃないからだろうか。それとも私に心を閉ざしているというのか。後者だとすれば一体何故!?
「オーマの心が読めないです」
「今こそ読んで欲しいんだけどな?俺の心」
そのことを口に出てしてみると、ただでさえ暗黒に満ちたオーマの顔が一段と暗くなった。可愛い顔が台無しだ。
「ごめんなさい」
取りあえずヒメはもう一度謝ってみる。
「それはなんの謝罪だ?」
「喧嘩買いに行って、ごめんなさい」
「・・・・・・・」
ヒメの薄っぺらい反省には触れずオーマは再び沈黙する。まるでヒメの軽薄な心の内を見透かすように。あるいはそんな薄い壁で覆われた心の、更に奥を覗くように。
「ヒメ」
「はい!」
いよいよ怒られると思ったヒメが上ずった声を上げる。
「こういうときは、『ごめんなさい』じゃないだろう?」
オーマが、やれやれといった感じで不出来な子供を諭す声音で言う。
ごめんなさいじゃないとなると、もうあれしかない。
「ありがとう」
「『二度と同じことが起こらぬよう以後気をつけます』だ」
「えぇ・・・・」
このオーマ、常識的でいてどこかおかしい。怒りのあまりか普段の気さくなオーマおじさんがお隠れになっている。
「聞きたいのは謝罪じゃなく、どうしてそうなったか、今後どう改めるのか。もう一度聞く。どうして無茶をした」
「それは、無茶と思っていなかったといいますか、何とかなると思ってました」
ヒメにとってみればそうかもしれない。無茶でもなんでもなかった。実際どうかは別としてヒメはそう思ったのだ。オーマもその主張を受け入れ、納得する。
「だから、俺になにも言わず一人で行ったと」
「はい」
その通りと頷くと、心を読むまでもなくオーマから、駄目だこいつ、と呆れられていた。その後に続くのはきっと、早く結婚しないと、とかだろう。
「お前、一応王女だよな」
「一応でなくても正真正銘、混じりけなしの王女です。姫です」
王女にあるまじき無鉄砲さで、散々心配をかけてきた自覚のあるヒメはそれでもなお、堂々と姫を名乗る。
「頼むから、無茶しないでくれ」
「それは私が王女だからでしょうか」
どこか不遜にヒメは尋ねる。その手の言葉を散々、父親や兄、大勢の従者に言われてきている。それを素直に受け入れるようなら、そもそもこの場にはいない。
「お前だからだ」
けれどオーマは小さくそう言った。さっきまでのつれなさからは想像もできないほどに情がこもった呟きの声。純粋にヒメの心は高鳴った。
「はい・・・?」
けれど心底不思議そうに――正確にはもう一度言ってほしくて――首をかしげるヒメにそこで初めて堰を切ったようにオーマは声を荒げてヒメを叱責する。
「勝手に動くなつってんだよ!報告連絡相談、必須事項だろ!?事実と違う報告されて、万が一何かあったら助けようがないだろうが!買い忘れたものがある?それ聞いて、ああ、喧嘩買いに行くんだなって誰が思いつくんだよ!!」
「・・・・・オーマ?」
少し考えてオーマの名を挙げるヒメ。何だかんだピンチに颯爽と現れて、瞬く間に女の子になった大好きな人。
「ああ思いついたよ!!なんでだろうな!」
実際ヒメの別れ際の言葉に思う所があって、後を追いかけたオーマが自分を責めるかのように叫ぶ。もちろん皮肉だ。
「したいことがあるなら、それが危険でもするってんならせめて俺に言え!危険がないなら尚更俺に言え!俺が駄目ならシャルでもリンでも、リーナにでも珠玉にでも言えよ!一人で何とかしようとするな!もっと周りを頼れ!俺たちを信じろよ!」
「・・・・・」
一気呵成に、その感情を露にした叱責が終わる。顔をあわせて真正面からぶつけられたその訴えが、明らかにヒメを心配してのものだったからヒメは感極まる。
「ふぇ」
「ふぇ、じゃねえんだよ、ふぇ、じゃあ!」
とぼけた声を上げるヒメの両頬を、オーマは膝立ちになって両手でぐにぐにする。オーマにこうされるのが少し癖になりつつあることは否定しない。オーマもそうではないだろうか。そしていつもこうされた後に、許されている。
「ひゃんで、ほっぺひゃぐにぐにしゅりゅんでひゅかあ」
「お前が笑ってるからだ!」
そう言われて、ヒメは自分がにやけていたことに気付く。しかし、仕方ないではないか。怒っている理由が私の事がただ心配だったからなんて、にやけない方がおかしい。説教中でなければ襲っている。
それは父や兄と同じものかもしれない。それでもオーマに言われたことが何より嬉しかった。いや、同じだったからこそ、ヒメにとって何よりの証拠となったのかもしれない。
「ひゃって、ひゃって、うえへへ。あ、で、でも、それを言うならオーマの方が」
自分一人でどうにかしようとすることにかけてはオーマの方が問題だと思う。
「あぁ!!?」
「何でもないです!ごめんなさい!!」
ああ。逆らえない。これが夫を立てる妻の心得。
「分かってんだよ。これがただの押し付けだってことも、お前なんか心配するだけ無駄だってことも、お前が俺より強いってことも」
「オーマ・・・」
オーマの頬を弄る手の動きが止まる。ヒメは微かに震えるその手に女性の柔らかさを感じつつオーマの次の言葉を待つ。
「それでも、お前のことが心配なんだよ」
悔しそうに、それが何に対する悔しさかは分からないけれど、ヒメにとって十分すぎるほどの台詞で、オーマは認めた。ともすればそれをプロポーズともとりかねないヒメの前で。
「・・・・・・・」
けれど、ヒメはなにも言わなかった。なにも言えなかった。
自分のずるさを知っていたから。オーマにそう言わせるよう強制させてしまったから。
私は頑固だ。頑固だから、お義姉さんからの説教程度では私は自分を変えない。変えたいとも思わない。変えるならオーマの言葉が必要だった。オーマに変えてほしかった。だから、無理をした。オーマに無理をする自分を見せた。オーマが、私はどうするべきだと思うかを聞いておきたかった。
「だから、お前に無理してほしくない」
そして言わせた。
「・・・・」
だからオーマがそう言ってくれるなら、私はそうするだけだ。
ひし。
「っ」
言葉に出来ないからと、ヒメはオーマを抱き寄せる。この気持ちが伝わればいいなと思いながら。その、今は小さな体を全身で包み込む。
(もう、心配はかけません。ずっと傍にいます)
「・・・・・・」
(オーマが言ったことです。無理するなって。ならオーマの傍にいないのは私にとって無理に当たります)
「おい」
(もう、離れません、離しません)
「・・・・・」
(約束です)
ぎゅむー。
「・・・・・はあ」
「お前、なんか勘違いしてるだろ」
ひとしきり怒りオーラをまき散らして、にもかかわらず抱き締められて冷めたのか、あるいは柳に風のヒメに嫌気がさしたのか、オーマがわずかに無気力になった口調でそう言う。
「何をですか」
夫婦であることは勘違いではないですよ。
「お前がいくら強かろうが、それがお前一人に責任を負わせていい理由にはならないんだよ」
「それは・・・・そうですね」
その通りです。そっくりそのままお返ししたいです。
「・・・・・・・」
ヒメが性懲りもなくまた反論を考えていたせいだろうか。沈黙が訪れる。しかし、そこで意外にもオーマの手がヒメの背中に回され、まさかの抱き合うかたちになる。あれ?なんかオーマが優しい。
「お前が何を隠しているのか、何のために隠しているのか、もう聞かないでいてやる」
「いいんですか?」
予想外の副産物にヒメは口元をほころばせる。そろそろばれる寸前だったので有難い。いや、もしかしたらもうばれているのかもしれない。だとしたらこれはオーマの譲歩。
「ああ。その代わり、ちゃんと俺たちに協力を求めろ」
オーマの語気が鋭くなる。これは交渉だと。オーマが一歩引く代わりに、私に一歩前に出ろと言っているのだ。その口調はヒメに四の五の言わず頷くよう求めている。
「繰り返すが、お前みたいな勝手に突っ走る馬鹿は、必要ない」
内容とは裏腹に優しい響きがするオーマの言葉。
「理で判断するならお前を切り捨てないといけない。だから誓え。もう二度と、一人でどうにかしようとするな」
だから分かる。それがオーマの精一杯の説教なのだと。今回のことで判断するならヒメは不要、どころか害になるとさえオーマは考えている。でもそこで終わらせず、教えることで次を改める機会を与える。それが説教。オーマの優しい所。
ヒメは心の中で頷く。分かりました、と。
でも、もう少しだけこうやって抱き合っていたいから、少しだけ先延ばしにしようとヒメは企む。
「協力してもらう事なんて何も・・・」
「ヒメ」
「はい!?」
出来心で否定しようとしたヒメに、オーマの闇が復活する。ヒメの緩んでいた気が一気に締まる。
「俺を怒らせたいのか?お前が本当に何も抱えてないって、それを信じろと?」
ああ。完全に気取られている。私もまたオーマと同じ轍を踏んでしまったのか。やっぱり漏れ出る何かがあるのだろう。好き好きオーラに似た何か。相手を思って悩む心は相手に伝わる。オーマの苦悩がヒメに気付かれたように、ヒメの苦悩もまたオーマに気付かれる。
「うう。でもそれでオーマが怒るのは理不尽です」
「俺はちゃんとお前らに頼ってるだろ。むしろ頼りまくってる」
確かにそうだ。最近のオーマはよく頼ってくれる。今のところシャル寄りなのが如何ともし難いが。
「今はそうかもしれませんが。それでももっと頼って欲しいです」
「俺もお前に頼って欲しい」
「・・・・・っ」
(うわー)
オーマは、またさらっとそんなことを。いつもいつも事あるごとに、私の言って欲しい言葉をあっさりと言う。
今そんなことを言われたら。
「一人で抱え込むな」
「・・・・・・・」
(ごろごろ)
オーマの追撃に心のなかで転げ回る。頼りたい。その想いが膨らむ。私の隠し事を聞かないでいてくれるなら、それがどれほど厚顔無恥な行いでも私はオーマに頼りたい。
そうヒメが決意すれば、後はもう打ち明けるだけだった。
ヒメが一人でしようとしていたこと。ヒメのしたいこと。
けれどそれはオーマにとって多大な負担となる。それだけは最初に言っておかなければならなかった。
「私がやろうとしていることはオーマにとって、面倒で、厄介で、苦しいだけかもしれません」
「・・・・」
「そんなことにかかずらう位なら、なにも知らずに過ごしていた方がオーマにとっての幸せだと私は思います」
「俺の幸せを勝手に決めるな」
「それは、私のためなら不幸になっても構わないということですか?」
「不幸になるつもりはない。が、お前一人を不幸にするつもりもない」
やっぱり嬉しいことを言ってくれる。もはやわざとか。
「落ちるなら一緒に、ですか?」
「好きに受けとれ」
好きに受け取って良いのなら、好きと受け取ろう。
「オーマはちょろいですね。私の事大好きじゃないですか」
「俺はまだお前を許してないんだけどな?」
ヒメはまだオーマの前で周囲に頼ることを誓っていない。未だヒメはギルティなままだ。だが、ここでヒメの目的をオーマに打ち明ければ、それが誓いと同じ意味になるだろう。だからついにヒメは告白する。
「じゃあ、私のしたいことなんですが、オーマをすこしばかり、監禁させてほしいんです」
「説教は終わりだ。寝るとしよう」
「あれ?」
監禁と聞くやオーマがそそくさとヒメの抱擁を抜け逃げ出してしまった。説教が終わりだというので立ち上がってあとに続く。
しかしすぐに立ち止まる。当然だ。寝るための家具はすぐ傍にあるのだから。
「ベッドかぁ」
「ベッドですねー」
ベッドがあった。ベッドしかなかった。
「終わった・・・」
オーマは進退窮まっていた。まるで悪い終局を迎えたかのような煤けたその後ろ姿をヒメが抱え込むようにベッドに押し倒す。最上級の抱き枕が手に入った。
「オーマ」
語尾にハートマークがつきそうな機嫌のよさでヒメがオーマの耳元で呼びかける。
「穢される・・・」
涙ながらに体を許すかのような口振り。そんなオーマをいじめたい気持ちになりつつも残念ながらその体はオーマのものではない。なのであんなことやこんなことは出来ないのだが。
「どこまで許されるものなのでしょう」
他人の体を使うと言うのは中々に背徳的だ。
「一から十まで許されない」
「じゃあ十一から」
「やめろ。寝るだけだ。というか寝ろ」
「続きはまたオーマの体が元に戻ってからですね」
「続けたくない」
「またまたー」
ヒメはオーマの背中からどくと、いそいそとその傍らへ身を移す。上も楽しいけど、やっぱり隣が良い。オーマが焦るのも気にせずその懐に潜り込み密着する。
オーマの体ではないはずなのに、やはりその腕の中はとても落ち着く。失いたくないのは、私だって同じだ。
「さっきの約束―――」
口には出せなかったですが。今しばらく違えることとなってしまいますが。
ずっと傍にいるという約束は。
「―――絶対果たします」
それを聞いたオーマは首をかしげる。
「約束ってな―――」
そこまで言って、オーマは、いや、フィブリルさんは口を開いたまま目をぱちくりさせる。
目の前にいる相手はもはやオーマではなく初対面の女性であった。
「あなたは、どちら様?」
「ヒメ=レーヴェン。勇者の妻です」
ヒメは誇らしげにそう言った。まるで恋人のように彼女と頬を擦り合わせながら。
「きゃ、きゃあー?」
疑問符をつけて、フィブリルさんは控えめに悲鳴をあげた。




