第二十三話 共闘
―――ミツメの町、宿屋。
「「ふぃ~」」
ヒメとリーナが気の抜けた声を上げる。場所は宿屋付きのお風呂場。その浴槽に身を沈めながら二人はそれぞれに極楽を堪能していた。
「は~」
「ふ~」
二人一緒に入っておきながら、何か話すでもなく目を閉じたまましばらくを過ごす二人。
何故ヒメとリーナが二人一緒にお風呂に入っているのかと言うと特に深い理由は無く、ヒメがリーナを誘いリーナがそれを承諾しただけである。
それでも敢えて理由を求めるのならば、オーマと離ればなれになってしまった悲しみを二人で分かち合うため、だろうか。
「中々にお風呂というものも趣きがありますね~」
「分かってくれますか~」
「まあ、この無駄に広くて深い湯船には成金気質を感じてしまいますが~」
「それは単にリーナちゃんが小さいからだと思います」
「そう言えばそうでした~」
のんびりと他愛ないことを話しながら身を休める。そしてまた沈黙。浴室の中、湯気が舞うのをリーナは黙って静かに眺める。ヒメがそれはもう熱心に入浴を勧めてくるので来てみたがこれは中々にいいものだ。
ヒメはそんなリーナを、泳がないのかな。といった視線で眺めるが一向に泳ぎ出す気配はなく少ししょんぼりする。
魔族人生初めてのお風呂に入るリーナではあったがその態度ははしゃぐでもなく落ち着いたもの。体の極端な小ささゆえに足が底に着かないながらも自然に浮かぶのか水中で見事なバランスを取り佇んでいる。
「どうかしましたか?」
「泳げるほど広い湯船があったら普通泳ぎませんか?」
「泳ぎませんよ」
実際には泳がないではなく泳げない。生まれてこの方泳いだことなどないリーナである。仮の姿でもなければ今頃水中に留まる事すらできず沈んでいたかもしれない。ちなみにこの体でも五感はだいたい通じているのでお風呂は堪能できる。
「そう言うあなたは泳ぐんですか?」
「この歳で泳ぐことは無いですけど」
「子どもの頃は泳いでたんですね」
「それはまあ、泳がない方が失礼といいますか」
「マナー違反者を見つけました」
「なんのことでしょうか」
それよりも何故そんなマナーをリーナが知っているのかとヒメは思うのだが。不思議とリーナちゃんは人族の風習に通じているようなきらいがある。
「それでヒメさん」
「なんでしょう」
「どういうつもりですか」
「・・・?」
「私を誘ったのは何か企んでいるからでしょう」
「ばれていましたか」
「当然です」
「ばれたのなら仕方ありません。正々堂々と言いましょう。リーナちゃんと裸のお付き合いをしようと思い立ったのです」
「・・・・・・・はあ」
「仲良くなりましょう」
「そうですか」
「はい」
「それだけですか」
「はい」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「ふぃ~」
「はぁ~」
「いいお湯ですね~」
「そうですね~」
二人でほのぼのとお風呂を堪能して、二人は仲良くなりました。
「って、なるとでも思ったんですか?私はあなたのことを信用してません。そう簡単に胸襟を開くとは思わないでください」
「おお~」
「何ですかその感嘆」
「いや~誰かが言ったようなセリフだな~と思いまして」
それはどこぞの魔族の女の子だったり、魔王に攫われた王女だったり、あるいは記憶喪失の勇者だったり。見事に類が友を呼んでいた。それともオーマと関わっていると自然とツンデレるんだろうか。
「何ですかそれは。・・・・まあ、いいです。そちらに話がなくともこちらにはあります」
「わかってます。オーマの寝室にどうやって入り込むか、ですよね」
「違います! そもそも私は出入り自由ですし、簡単に入れますし」
仮の体なら壁を通り抜けることぐらいできるのだ。
「裏切り者がいた!」
「話を逸らさないでください。下手過ぎです」
「・・・・割と本気ですけど」
「・・・・・・聞かなかったことにします」
冗談でもなく、リーナちゃんがいれば内側から鍵を開けることが出来る!とか考えていそうな視線を極力無視して。
「それでお聞きしますが、あなたはお母さんたちと共謀して何を企んでいるんですか? オーマおじさんに何をさせようとしているんですか」
その質問にヒメは驚く。てっきり何もかも知っていると思っていたから。知った上で私たちを誘導するものだと思っていたから。
しかしそうではなかった。ただ着いて来てるだけだった。となると、かなり扱いが変わってくる。
「・・・・リーナちゃんはどこまで気づいているんですか?」
そこで凛とヒメの空気が変わる。オーマというその一言がスイッチとなったのか、一つ息を吐いた後、その真剣さは別格のものとなっていた。
「おじさんの正体、あなたと魔族のつながり、他にもいくつかありますが明確には理解していないので確信は持っていません。ですから知りたいです」
「・・・・知って、それをオーマに伝えるつもりですか?」
「事と次第によっては」
「なら、何も言えません」
その返事をリーナは予想していた。オーマに隠していることをリーナに明かすとは最初から思っていなかった。だから、脅す。唯一の切り札で。
「言わなければ、『おじさんの正体』を、『おじさん』に伝えると言っても?」
「・・・・・・」
それを言った瞬間。
「―――っ」
湯に入っているというのにリーナの全身を寒気が包む。とんでもない、殺気だった。ここにいないはずの本体を、今この瞬間に殺されても不思議ではない。そう思わせるほどの殺気を。
すぐに引っ込め、ヒメは頭を下げた。
「それは、やめてください」
「・・・・・」
怖かった。殺気以上に、それを一瞬で引っ込めて頭を下げてしまえる目の前の女性が。自分の激情すらあっさり抑え込める人が、いざ自分の邪魔をする存在が現れた時どれだけ非情になりきれるのか。ついそんな想像してしまったから。
それでもリーナは下がらなかった。声が上ずらないようにするのが精いっぱいだったけれど。
「・・・・それが何を引き起こすのかも予想はついています。今の反応を見ても。それがおじさんに不利益をなすというのなら私も避けます。だから私が知りたいのは、何が禁忌なのか。そしてあなたたちの目的が何なのか、です」
それがヒメにはあまりにも必死に感じられたから。
「そうですよね。知りたいですよね」
顔をこわばらせて聞くリーナにヒメは申し訳なさと共に微笑む。リーナがどれほどオーマに尽くそうとしているかを理解すればその要求を拒むことはヒメには出来なかった。だから真実を伝える。
「その、私たちの狙いなんですが・・・・・」
ごくり、とリーナがつばを飲み込む。
「知らないんです」
苦笑いと共にヒメはそう言った。
「隠さないでください!私は、おじさんの力に・・・」
その言葉をリーナは拒絶と受け取ったのか、しょんぼりと言葉尻をすぼめていくリーナに、誤解させてしまったとヒメが焦る。
「ごめんなさい!本当に知らないんです! 私も気付いたらオーマが勇者になってて訳が分からないんです!」
「え・・・?」
「・・・・」
それにようやくヒメの言葉が真実である可能性に思い至り理解の色が広がっていく。
けれど、理解したからこそ、リーナはもう一度信じられないと言ったような顔を作る。
「本当に何も知らないんですか?」
「はい」
今度は逆にヒメが叱られた子供の様に縮こまって俯く。それにリーナは驚愕を強くする。
「おじさんが何で勇者になってるのかわからないと?」
「はい・・・」
「知らないのにあんなに余裕ぶっていると?」
「余裕ぶってるつもりはないですが、でもリーナちゃんが言うお母さん達は誰よりもオーマのことを考えてる人たちです。そんな彼女たちが私に伝えず何かをしようとしているのなら、私は私の信じるままにオーマを守ります」
「それは信頼ですか?」
「はい」
「今、おじさんに疑われているとしても?」
「へ?疑われてますか?」
「疑われてないとでも思ってたんですか?」
「はい。まあ疑われても構わないですけど」
「・・・・・・」
リーナは絶句する。
今の状況は全てヒメへと疑いが向くように仕向けられている気がしてならない。なによりヒメ自身の行動が疑いの連鎖を引き起こしている。なのにそれをヒメは構わないと言ってのけた。オーマに疑われても構わないと。
「・・・・・・・私には、その信頼がないです」
それがリーナの与り知らぬところで育まれた信頼を前提としての宣言だから、リーナはそれに不服を示す。
「あなたはどうして・・・・」
「リーナちゃん?」
その後の疑問――というよりは八つ当たり――を口に出すことは出来ずに。不満も悔しさもないまぜになってそれでもこの状況でオーマのために何かしたいと考えた結果が。
「ならヒメさん。私と手を組みませんか?」
「手を?」
唐突な提案にヒメはきょとんとする。
「はい。同盟です」
この場にいる二人での、新たな信頼の構築。今の状況、ある意味でヒメは孤立していた。勇者側からも魔族側からも距離を取らなければならないその立場は協力者の存在が得られない。そして単独で出来ることなどたかが知れている。そのことにヒメは悩んでいた。それをリーナは理解していた。だからこそのこの提案。
「一緒に、オーマおじさんを守りませんか?」
リーナとしては全力で、今現在不安定となっているヒメの足元を見たつもりなのに。
「はい!是非!」
それをつい、ふざけるなと嫌味を言いたくなるぐらい嬉しそうな笑みで言われて。よく考えればこれこそヒメの思い通りだと思い至ってしまって、目の前の恋敵を恨めしく思う。
私はこの人を信用していいのだろうか。
それからは同盟に関して話し合った。
リーナはヒメの最も恐れていることは、オーマが傷つくことだと思っていた。それが気になって単独行動が出来ないのだと。その問題を解決すればヒメはオーマにとらわれず自由に動くことが出来る。
つまり結果として同盟の目的がヒメとオーマを引き離すことにつながっている。リーナの狙いがそれであることに気付いてヒメは笑う。
「リーナちゃんは、大人ですね。もう少し子供らしくても良いと思います」
簡略すると、ヒメがオーマから離れている間、オーマに危機が訪れた場合リーナがそれをヒメに伝えるというものだった。ヒメをサポートしながら自分は大義名分のもとずっとオーマと一緒に居られる。ついでにヒメはどっかに行く。そんな野望のもとの作戦だったのだが、ヒメはそれを笑って受け入れた。
そんなリーナのことを全く脅威とみなしていないような言い草に、もう少し怖がってくれてもいいのにと思うリーナ。
「別に、これだけで済ませるつもりないです。何かしてほしいことがあったら言ってください」
「そうでした。これは決めておかないといけません」
「何ですか」
同盟は明日から。今日これ以上起きているとオーマに怒られるとリーナは言う。オーマとの約束(食事など)のため、夜はオーマと一緒に居られないリーナ。その期間オーマの守備に穴が生じる。そこでヒメのオーマ寝室への引き入れを、同盟の内に入れるかが争点となった。きっと長い議論となることだろう。
「オーマの部屋に私を――」
「却下です」
却下だった。一瞬だった。おかしい。
そんな即断却下も誰かに似ているような気がした。
だからふと。
「リーナちゃん、頼りにしてます」
こんな風にまっすぐ言ったらどんな反応が返ってくるんだろう思っていたずら心で言ってしまう。すると。
「・・・・今日はもう起きます。お話、ありがとうございました」
唇をとがらせたリーナは逃げるように自らの仮の姿を消滅させた。
まるで幽霊のように。
ヒメは一人残される。
「そんなひとりでに消えるとかやめてほしい・・・・」
予想外のカウンターだった。
リーナの家で一人の少女が目を覚ます。
「結局聞けませんでした」
誰もいない部屋で独り言をつぶやく。聞きたかったのはあの人の本当に怖い所。
「あなたに、一体何が起こったんですか」
そんな傷だらけの心で。
今にも心が砕けてしまいそうな危ういバランスの上で。
「あなたは、どうして、笑っていられるんですか」
本当はわかっている。その答えがわかっていたから聞けなかった。
その理由をオーマを信頼しているから、の一言で答えられたら。
リーナは頬に手を当てる。赤くなっているのが分かる。にやけているのが分かる。あっちでのことは全部夢でも、そこで抱いた感情はあくまでリーナのものだから。
リーナにとって、どちらかと言えば嫌いに属するヒメに早速信頼の目を向けられただけでも、こんなに嬉しくなってしまうのに。
「ずるいです」
それを好きな人から向けられたら一体どれだけ嬉しくなってしまうのだろうか。
だから私ももっと、
「ヒメさんも、おじさんも」
信頼されたい。
お風呂を堪能しマイ桶にマイタオルとマイ石鹸を入れて部屋へと戻ろうとしていたところ、ピキューーーンと何かがヒメの脳裡を駆け巡る。
「オーマ、発見」
階段を上ろうとしていた足を引っ込め食堂の方を覗く。その瞳に映ったのは食堂の方でシャルと話すオーマの姿だった。背を向けて立ち去ろうとしたオーマをシャルが追いかけ、そのまま二人で外に出ていこうとする。
それを一秒として考えることなく自然な流れで追いかけようとして、足を止め自己嫌悪に陥る。
「はあ」
リーナちゃんに察せられるほど漏れていたヒメの不安。オーマと離れている一分一秒にオーマが無事でいてくれるかと憂慮している。
誰だってこんな風に四六時中張りつかれて嬉しいはずがないのに。何より自分自身があまりにも過保護な父親に辟易していたのに。
(遺伝してるなあ・・・)
オーマに死んでほしくない。そう思うのは当然のことだ。でもそう思うのとオーマをあらゆる危険から遠ざけるため束縛することは違う。
こんな何も説明せずにただ一方的に押し付けることを続けていれば私なら嫌がる。そう思う一方で。
オーマなら受け止めてくれると信じられるから。これがリーナちゃんのいう信頼だというのなら私はこのかけがえのない信頼を貫き通すだけだ。
「というわけで後をつけてきました」
「何も説明してないのに「というわけで」とか言うのやめろ」
「かくかくしかじか」
「伝わらないからな」
「私から逃げられると思ったら大間違いです!」
「・・・・・はあ」
シャルとの魔法講座が終わるやヒメが飛びついて来た。以上状況説明終わり。




