第八話 お酒
一方、ヒメ。
足の下にあるキノコが凄まじい勢いで黄色い粉を噴出しているが、踏んでしまったものは仕方ない。素直に謝ってヒメは振り返る。
黄色い胞子が溢れる中、どさ、どさっと何かが落ちる音が聞こえた。振り返って見るにオーマとリンが背負っていたものを落とした音のようだ。
「え・・・」
見れば二人の眼はあらぬ方向を見つめていた。ちょっと怖い。
「そこに、愛のエデンがあるのかい?」
突然リンは何やらつぶやいたかと思うと木々が茂る森深くへと走り去っていった。呆然とするヒメたちをおいて。
「あの馬鹿者は・・・」
たまちゃんがため息を吐きつつ頭を抱える。
そしてオーマの方はというと、その場で一心不乱に踊っている。踊り狂っている。その頭の上ではリーナちゃんが暴れ牛を乗りこなすかの様にバランスを取っていた。その二人の踊りは、見ていると不思議と精神がやられそうになる。
「格好・・・・良くは無いですね」
オーマの痴態?を、何一つ見逃すまいと注意深く観察するヒメ。これはまずいという事は私にもわかる。オーマのプライド的に。
「何とかしてくれませんか!ヒメさん!?」
時間を忘れてオーマを観察しているとリーナちゃんから何か言われた。少し呆けていた時間を遡り、何を言われたのか思い出す。
「あ、ヒメさんになってる」
前はおばさんだったのに。どういう心境の変化か。
「そこはどうでもいいですから!!」
どうでも良かったらしい。ならそれはいいとして、何とかしろと言われてもどうしたものか。治そうにもアイテムの類いは全部オーマのアイテム袋の中だ。となると。
「しばらく待とう。自然回復するはずだから」
「おじさん踊らせ続ける気ですか!?」
「我はあの阿呆を追う、うぬらは自分で解決せい」
そう言ってたまちゃんがリンさんの去っていった方向へと追いかけていく。ヒメはあえてそれを止めはしない。仕方のない事なのだろうが、見事に分断されてしまった。リーダーがこうなってしまうと途端にもろくなるのはパーティの常だ。
物憂げにふうと息を吐き出すヒメを見てリーナは意外感を示す。
「ヒメさん割と冷静ですね?」
リーナにはそう見えたらしい。ヒメとしてはこの状況にどういう行動をとるべきか、割といろいろなものが渦巻いているのだが。いろいろなものが。
「最終的には何とかなるはず」
「いい加減かつ楽観的に過ぎますね」
何気にリーナちゃんと二人で話すのは初めてだ。私たちが話さなくてもなんだかんだオーマが間に立って話を繋げてくれる。私たち二人がオーマにばかり話しかけているというのも大きいだろうが。
と、これぐらいのことを暢気に考えられる程度に私は正気を保っている。どうやら幻惑にかかったのはオーマとリンさんだけらしい。何故私にはかかっていないのかは、きっと運が良かったのだろうと思うことにする。
そんな間も踊り続けるオーマ。そこで動きがあった。
ぐびぐび!
オーマが突然アイテム袋から星酒『天波』を取り出し飲みだしたのだ。
「・・・・・・」
「・・・・・?」
・・・・・なんでだろう。
ピタッ
それでも大人しくオーマが正気に戻るのを待っていると、オーマが踊るのを停止した。回復したのだろうか。
「オーマ、大丈夫ですか?」
「あ、だめですよ」
正気に戻ったのかとヒメはオーマに近づく。リーナが注意するが時すでに遅し。
さっ
ヒメが伸ばした手をオーマが凄い勢いで身をひねって躱した。余りの避け様にヒメはショックを受ける。ある意味大ダメージ。
「まだおじさんは混乱しています」
「ああ、そうなんだ。そう、混乱。今のは混乱してただけだよ。・・・・本気で嫌がられたなんてことはなかった。うん、無かった」
「凄い動揺しますね。声が震えまくってます」
酒瓶の半分まで飲んだオーマが、それまで虚空に向けていた視線を真っ直ぐヒメへと向ける。動揺していたヒメにはあまりにも鋭すぎる視線だ。
「うえ?」
思わず怯えるヒメ。オーマのその目は狂気に侵されていた。ぐるぐると渦を巻いている。
「あ、混乱がなおりました」
オーマの頭上でリーナちゃんはそう言うけどこれは・・・。
「ほろ酔いに上書きされました」
ヒック
「酔っぱらい・・・?」
こちらに視線を定め一歩ずつ近づいてくるオーマ。ランニングシャツを身に纏ったオーマ。酒瓶片手にオーマ。赤ら顔のオーマ。何と言うか駄目人間臭がする。流石の威圧感にヒメと言えども後ずさらずを得ない。オーマが正気であれば間違いなく逃げろと言うはず。
「ヒメ、動くな」
不意にオーマが静かにそう告げる。
「はい」
思わず従ってしまうオーマの声。後ずさっていた足が動かせなくなる。相変わらずのイケメンボイスだ。
「今、治してやるからな」
治す?何を治すというのだろう。この胸のドキドキでも治めてくれるのだろうか。私の眼を捕えて離さず少しずつ近づいてくるオーマ。それにヒメは金縛りにあったように動くことが出来ない。
「ちょっと何でじっとしてるんですか!?逃げるのですヒメさん!」
「心配してくれてありがとね。でも、私はもうだめみたい」
「ダメじゃないでしょう!余裕で振り払えますよね!?」
「ヒメ・・・」
「オーマ・・・・」
「うわ、無視する気ですよ」
リーナちゃんはオーマの頭の上で髪を引っ張り必死に止めようとしてくれているが、その小さな体ではどうすることも出来ないらしい。リーナちゃんの奮闘むなしくオーマはヒメの前に立ち、右手をヒメの肩にかける。
「あ・・・」(ぽっ)
「あ・・・じゃ、ないです!!!」
オーマの吐息が熱を帯びている。少し酒臭いがそれがまたヒメの頭にもやをかける。
「じっとしてろ、バカ」
そう言われてはもう流れに身を任せるしかない。オーマが正気であれば絶対に向かわない展開。それに抵抗しないことに罪悪感を感じつつも圧倒的期待感がそれに勝る。ヒメは目を閉じた。
オーマは空いている方の手で星酒『天波』の瓶をぐいっとあおり、中身を口に含んだままヒメに口を合わせる。体をぴくりと震わせつつも無抵抗に開かれたヒメの口へとオーマは口内の液体を流し込んだ。
「~~~~~~!!!!!」
「~~~~~~!!!!!」
ヒメとリーナ、二人の言葉にならない叫びが重なった。
ヒメは熱に浮かされた頭でぼんやりと考える。これでいいのだろうかと。オーマの方からの接吻、だがそこにオーマの意思はなく。でもこれはこれでありです!最高です!
そうこうしている間もオーマの口からとろとろと液体が流し込まれてくる。
ツンとした香りと共にのどがやけつくように熱くなる。これはお酒の味?それともオーマの味?どっちにしろ混ざりあってるからよくわからない。けど。
「ん・・・・・く」
「・・・・んく・・・・・んぐ」
「もう、やだ・・・」
流し込まれるまま全てをのどを鳴らして飲み込んでいく。全てを流し込まれた後、オーマの顔が離れていく。二人の唇を繋ぐように唾液のつり橋が伸びていく。
気づけばオーマのぐるぐるしていた目がきりっとしている。その変化がどういう経緯によるものかを考えもせずヒメはオーマに体をゆだねる。
「・・・・ヒメ」
「オーマ・・・」
「やっと・・・・、二人きりになれたな」
「・・・・・はい」
「くっ、こうなったら多少強引にでも」
「いい加減我慢の限界だ」
そう言ったオーマの手は肩から背中、腰へと下っていきヒメのお尻を撫でる。
「んぅ・・・・・・我慢?」
「ああ。ずっと言ってるだろ・・・俺はお前のことが好きだ。愛して、・・・・・・・・」
ふと、今までどこかぼんやりとしていたオーマの眼が焦点を結ぶ。二、三瞬きをしてヒメの顔をまじまじと凝視する。
「え」
「私もオーマのことが大好きです!だから―――」
「・・・・・・へ」
「続き、してくれないんですか?」
「続き、・・・・・・・続き?」
一拍。
「はあ!?続きっ?何の!?」
自らしていた抱擁を振りほどきオーマは思いっきり後ずさった。その頭の上で一仕事終えたと言う様にリーナが額を拭っていた。
――オーマは酒技『悪酔い』を覚えた!
『悪酔い』
お酒アイテムを使ったとき、女性を相手に口説きにかかる。対象は敵味方含めランダム。効果もランダム。おっちゃんの専用技。
『リーナの悪戯』
ごく稀にリーナが何かしてくれる。
思いっきり後ずさったためにたたらを踏んでしまった。途端視界が開けたように周囲の情報が次々と入ってくる。だが、重要なところへの理解は回らない。
目の前でとろんと惚けて物欲しげにこちらを見てくるヒメ。どういうこと?どういうこと!?
「え、なに!?今俺何してた!?」
「ヒメさんの唇を奪って口移しでお酒を飲ませた挙句襲おうとしてました」
「何でそんなことに!!?」
「こっちが聞きたいです!」
地団駄を踏むように、というかジャンプしてリーナが責めてくる。察するに幻惑していたのは自分ということで、その挙げ句にヒメに手を出した。いや出してないのか?セーフなのか?
「ふにゃ」
ふにゃりと、ヒメが力が抜けた様に座り込む。
「だ、大丈夫かヒメ?ってか大丈夫じゃないよな!?すまん!」
「・・・・・・・」
「ヒ、ヒメ?」
「ぽーっ」
赤く火照った顔でオーマのことをぼんやりと見つめている。その傍に打ち捨てられた空き瓶。
「ちょっと待て。リーナ、ヒメに、酒を飲ませたのか?」
「オーマおじさんが、ですけど。口移しで、ですけど」
口移し?俺が?嘘だろ?俺って酒に弱かったっけ・・・?記憶喪失だから分からない。
いや、それよりもこのヒメは。
「ぽーっ」
つまり、酔っていらっしゃる。逃げたい、けど逃げるわけにはいかない。
「ヒメ、大丈夫か~」
「・・・・・・・・・・・・・」
返事が無い。まるで聞いていないようだ。
「困った」
「時間を・・・下さい」
悩んでいる間に返ってきたのはヒメのものなのかと疑うほど色気づいた声だった。思わずぞくりとしてしまう。
「・・・・・わかった」
座り込んだまま汚れるのも構わず、ぽや~っとしているヒメ。そっとしておこう。触れる者すべてを引きずり込みかねない今のヒメは危険だ。寝起きよりも危ないにおいがぷんぷんする。ヒメの視界から外れようと背後に回る。
「はあ」
ため息をひとつ。そうして思うのは。
「・・・・森、怖えええ」
「一発で壊滅状態ですもんね」
正直、全くこの状況は想定していなかった。戦闘のスペシャリスト、魔法の巧者、ハイレベルな盾、それが寄り集まってなおこの結果である。一歩間違えば全滅していてもおかしくない。一度のミスがここまでの窮地を作り出すものなのか。今も盗賊が束になってかかって来たら対応できるかどうか、ピンチなことには変わりない。
「ヒメさんの脱落はおじさんのせいですけど」
「リンたちはどこへ行ったんだ?」
「さあ?突然走り出したので何とも」
「待つしかないか」
迷いやすい森である以上変に道を逸れて探すより、目印の先である今の場所で待っていた方が良いはず。
「シャルが全力で地面に顔突っ込んでるし。それにしても一体何があったんだ」
「詳しくは知らない方が良いと思いますよ」
俺も思い出さない方が良い気がしている。
シャルの地面との熱烈なハグを引きはがし木に背もたれさせる。同じく放り出されていた女の子を起こそうと手を伸ばす。
「っ、オーマ!さがってください!」
「!?」
ヒメの警告。言われて振り向くよりも咄嗟に後ろに跳ぶ。そんなオーマを追いかけるように眼前に強烈な殴打が迫っていた。
「ぐっ」
辛うじて頭をずらし直撃は避ける。しかし頬をえぐったそれはHPを削るのには十分だったようで転職後ながらも着実に増えていたHPを大幅に減らす。が、それで相手の攻勢は終わる。ヒメが終わらせる。
「なっ!」
それは相手の驚きの声。
ヒメの接近に気付いた相手、ショートカットの栗色の髪をした女の子はナックルを着けた拳でヒメに素早く攻撃を放つ。高速で迫りくる相手に合わせたクロスカウンター。剣相手に悪手と思われたそれはだがヒメの剣より速く吸い込まれるようにヒメの顔に迫る。
「ヒメ!」
対して、ヒメはそれに構わなかった。構う必要すらなかった。
「・・・・・・っ」
その打撃はヒメを捉えてはいなかったから。終わってみればただの空振り。ヒメのあまりにも速すぎる踏み込みは回避と突撃を同時に成し遂げる。たった一度の交錯。一息で間合いに踏み込み次の瞬間には間合いの外にいる。それで勝負はついた。
はらはらと舞う布地。
「は・・・?」
最初に声を上げたのはオーマだった。次いで当の本人が自分の惨状に気付き、小さな悲鳴をあげる。
「ひぅ」
ナックルのみを残して彼女の装備は全て切り裂かれた。
慌てて体を隠すためしゃがんだ彼女をヒメは剣を仕舞いながら見下ろしていた。
「バーサーカー状態・・・」
リーナがそんなことをのたまう。その時のヒメの目は今まで見てきたそのどれよりも冷たい目をしていた。




