吸血鬼お姉さん(Ⅳ)
屋敷内の片隅、二人並んで座り込むヒメとオーレリア。窓からはもう朝日の光が差し込み始めていた。どれだけ時間が経過したのか。オーマから音沙汰はない。キュウちゃんが助かるかどうかはオーマ次第。
勇者になってもオーマの負担は増えるばかり。なら私も、少しでも自分のすべきことをしなければならない。
「さっきの話の続き、してくれませんか」
オーレリアさんが魔王軍の四天王になったという話に及んだところで謎の愛の戦士が突如館から出てきたため話がぶった切られてしまった。あまりにも怪しすぎたためつい投げても良い気がしたが、よく考えるとダメだった気がする。でもオーマだと思わせておいての彼の人だった私の気持ちも少し慮ってほしい。
そんな怪しげな風貌の「男」をどうしたものかと悩まされている間にオーマも出てきて、今に至る。気絶させておいて外に寝かせたままも悪い気がしたので屋内にさっき運び込んだ。毛布もかけておいた。
そんなことよりもヒメの脳裏に浮かぶのは今見てきたキュウちゃんの惨状である。平和の中、知ろうともしなかった魔族の現実。知らなければならない。オーマの傍にいるためには。
そんなヒメの気持ちが伝わったのだろう。顔を俯かせていたオーレリアは少し顔を上げ話し始めた。
「オーマ達の病気を治す方法って言うのは、エリクサーを使うことだった。それを飲ませるだけで病気は治った。私からしたらそれが喉から手が出るほどに欲しい。で、断られたら奪えばいいか、程度の気持ちでだめもとで頼んでみたら『いいぞーやるやる十個ぐらいでいいか?』って、エリクサー十個を渡された」
「・・・・・・・・・・・・」
ヒメはそれを無言で聞く。
「奪うまでもなく譲られて逆に疑いもしたけど、ずっとそんな調子で子供たちを治してきたのを見てきたし、私一人騙そうとする意味もメリットもわからなかった。だから信用することにして、エリクサーをキュウちゃんに使った」
それで晴れて治ったのなら良かった。しかし、先ほどのベッドに横たわった彼女を見る限り。残念ながら。
「ここからがちょっと言いにくい話になるんだけどね」
――ごくり。
「それで、治っちゃった」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
「治った。キュウちゃん生還」
「ちょ・・・・・・へ?」
予想との真逆の展開に理解が及ばず、一度漏らした疑問符を再び繰り返す。
「でもね。エリクサーがしたのはきっと毒の浄化だけだったんだろうね。完治には至らなかった。魔法使いの子も言ってたけど毒を除いた後、栄養のある食事を摂らせないといけない。再発を防ぐためには不毛の地の魔族領では不足だった。そんな結論に至るぐらいには私たちも大よそ事態を把握していた」
ひとまず。ひとまず最大の疑問は置いておこう。一旦話が区切られてからでも遅くはないはず。
「だから、オーマと利害が一致して、オーマと共に子供たちを救うために、ついでに魔族の生活改善のために人族と戦争を始めた。これがヒメちゃんの聞きたかったことでいいかな?」
「あ・・・・はい」
そうなのだが。それが知りたかった魔王軍の背景なのだが・・・・・・・・。
「あの・・・それで」
なるほど。娘の恩人。それがオーレリアさんのオーマに従う理由。それはわかった。わかったけど。
「その、助かったキュウちゃんが、何で今あんなことになっているのかと」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・?」
「『?』・・・じゃなくてですね!」
おかしい。何だこの空気は。今までの暗い雰囲気がどこかへ行ってしまっている。
「オーマが今救おうとしている、彼女は、あの姿は何なんですか!!?」
「ああ、あれは、垢だね」
そんな馬鹿な!?
そんなヒメの驚きに呼応したかのように。オーレリアか身を揺らす。
「く、くふふふ」
「え?」
何故か忍び笑いが聞こえていた。それは段々と抑えきれなくなってきたのか大きくなっていく。
呆気にとられるヒメを置いて一人身をよじるオーレリア。笑い過ぎではないか。地面を平手でぺしぺしと叩いている。
「ふふ、あ~うん。私、君のこと好きだな~」
ようやく笑いを治めたオーレリアがそう言う。
「唐突に何を?」
「いや、うん。凄くからかいやすい」
「・・・・・・・・・・」
からかわれていたらしい。
「・・・・・・・・そろそろ真面目な話をしようか」
「お願いします」
「いや、そんな顔しないで~。ああ・・・・・なるほどな~」
憮然とするヒメの表情に、何か納得し始めるオーレリア。こっちは納得いかない。真面目な話?最初からそのつもりだ。
「まあ、さっき言った通り、結局はまた娘をほったらかしにして戦争なんか始めてるわけだけど、まあ、それでもいいと思ってた。最終目的のキュウちゃんを救うことに違いは無いからね。でも」
でも。
「私は君に殺された」
「それはっ・・・」
「ああ、別に良いの、恨みとかないから。覚えもないしね~。それに私、割と気に入ってるんだよ。君のこと」
「本当ですか?」
おずおずと聞き返してしまう。こっちにだって覚えがないのだから気にしなくていいと思うが、その『私』がしたことで今のオーマとのつながりがあるから切り離して考えることは出来ない。
「うん、本当に」
そんな私にオーレリアさんは頷いてくれる。
「良いおっぱいだったよ」
「何の話ですか!」
真面目な話ができない体質なのだろうか。難儀だ。周囲が。
そんなお義姉さんは寂しそうに言う。
「私が死んで、オーマが死んで、そしたら思っちゃった。その後、キュウちゃんはどうなったんだろ~って」
「・・・・・」
「私しかつながりが無い子がその後どうなるかなんてわかり易過ぎて、考える余地もないよね」
誰にも見つけられず、泣いている女の子が思い浮かぶ。
なら今日この出来事の目的は。
「娘をオーマとつなげること、それが今回の出来事の動機。別に治らなかった娘を勇者になったオーマに助けてもらおうなんて思ってない」
「でもオーマは今・・・」
「ここまで言えば流石にわかるよね。そう、ずばり、キュウちゃん引きこもり改善大作戦~!」
聞き間違いかと思った。
「もう一度お願いします」
「キュウちゃん引きこもり改善大作戦~!」
「分かりませんよ!!!想像すらしてませんでした!どういうことですか!?」
「そう、病魔が去った後、そいつはとんでもないものを盗んでいった。あの子の・・・生活力を!!」
「・・・・・・・・・・・」
「洒落にならない病気だった。自分の部屋に閉じこもり、掃除もしない、炊事もしない、お風呂にも入らない。ただ腐っていくあの子を前に私は何も出来なかった。本当に母親失格だった」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、オーマならなんとかしてくれるかな~って」
「オーマを何だと思ってるんですか!!!じゃあ、何ですか?病気がきっかけで引きこもった娘に出て来てもらうために、オーマにあんなかっこいい目をさせてるんですか!?」
「私から見るとそうなるね」
「・・・・・・・・・・・・・・」
ヒメはすくっと立ち上がった。
「あれ、どうしたの~?」
「じゃあ、シャルが手の施しようがないって言ってたのは何ですか?」
「さあ?手の施しようのない引きこもりだったんじゃない?それか、彼女なりに考えがあって乗っかったか」
ヒメはオーレリアに背を向ける。
「ああ、最後に二つ言わせてもらうとね」
オーマのもとに向かおうとするヒメに後ろからオーレリアは声をかける。
「キュウちゃんの名誉のために言っておくと今の話、嘘だからね!」
思わずよろめきそうになる。もう何が本当で何が嘘なのか。私も嘘をつくときはこれくらいした方がいいのだろうか。
「あと、もう一度言うけど」
そのオーレリアさんの声音が明らかに今までと違っていたために思わず足を止めて聞き入ってしまう。ヒメは振り返る。そこに、落ち込みを見せていた先程までのオーレリアは無く、ただ妖しげに笑む女性がいた。
そして彼女はヒメを戦慄させる。
「君がオーマを傷つけたくないと思うなら―――オーマを、一人にしちゃだめだよ」
ぞくっ。
一度既に言われた言葉。なのにまるで本性を見せられたように。印象が、警戒心が、認識が反転する。
だが沸き上がって来たのは敵対心や恐怖ではなかった。
矛盾。気付いていながら放置してしまった矛盾。何故そう言いながら私を引き留めたのか。
それは第六感が働いたかのように何の根拠もなく、ただ一つの事実を呼び起こす。
娘。わたしの信用する範囲に。オーマが信頼する相手の内に、オーレリアさんの娘が入るかどうかなんて―――――私は知らないのに。
ヒントをくれていたのに。
「悪戯っ子に夢を見せられてるかも知れないよ~?病気が治ってめでたしめでたし~、な夢をさ」
本当の敵は・・・・・・・忠告していたのは、今この時、オーマを一人にすること。
「・・・・・・っ」
ヒメは床を蹴った。
「ん~」
それを見送りオーレリアは思う。
「あの子に腹芸は無理かな~」
アーリアから伝えられた、魔王が勇者に殺される勇者事件。そしてオーマがそれを解決しようとする大まかな成り行き。伝えられたこの事件にはアーリアと、オーマの主観が大いに含まれている。それを排して考えれば、黒幕候補の一人は―――ヒメ=レーヴェンその人である。いや、であった。オーレリアの話にころころと表情を変える素直な子。もし今の彼女がオーマを殺そうと考えるようになるなら、一体どんなきっかけだろう。彼女は、家族を皆殺しにされたとの思い込みを越えてなお、純粋で素直だった。無駄に長く生きているオーレリアにとってみればからかいたくなるほどに。とてもオーマをたぶらかして騙し、殺すようなことをするとは思えない。
ただそれもオーレリアの中で可能性が低くなっただけだ。オーマを殺すだけの『きっかけ』が無いとも言い切れないから。
アーリアの言葉を疑ったわけでは無いが自分で確認しなければ気が済まない事というものもある。大事な弟の恋人とか、一大事だから。まあ、ともかく疑いはある程度晴れた。
なら、次に疑いを向けるべきは、・・・・・・現魔王か。
「面倒くさいな~」
本当に、高い恩を買ってしまった。
(まったく、オーマもヒメも少しは人を疑うことを覚えられないかな~)
ヒメの身体能力を以てして、本当に一瞬だった。
視界にオーマと共にいるはずのシャルを見つける。
「シャル!?」
びくっ
「ひ、ヒメ様?どうしたっすか?」
扉の前で蹲るシャルに嫌な予感が高まった。一人にしてしまった。
シャルの無事を見るや、視線と意識はそのまま今まさに開けている扉の向こうへと。
遅かった。
オーマが・・・。
裸の少女に押し倒されていた。
「・・・・・・・え?」
「・・・・・・へ」
順にヒメ、シャルの漏らしたつぶやき。そんな二人の視線をたどってオーマもまた自らの懐に目を向ける。
「・・・いや、あの、これは」
オーマもまたこっちを見て冷や汗をたらす。
「お・・・」
「お?」
裸の少女と抱き合っているオーマ。
「オーマが・・・」
それは。
「ラッキースケベされてます!!」
「・・・・・」
あ、オーマが呆れてる。
「・・・・・・・ほうほう」
しばらくして来たオーレリアは硬直するヒメの背中に覆いかぶさる。
当の体中に黒紫の痕を残す少女はオーマの胸の上で気持ちよさそうに寝息を立てている。
「・・・・・・・・・ねえ、オーマ?私の娘に・・・・・何してるの?」
それは先ほどの少し怖いお義姉さんの声だった。
「別になにもしてないからな!」
そんな、またひと騒動おきそうなやり取りの裏で密かにヒメは安堵していた。キュウちゃんはただのハーレム要員だったらしい。先ほど働いた第六感は俗に言う女の勘というやつだったのだと。
だが、もし一歩間違っていれば私はオーマを見殺しにすることになったのだと。そんな、悪夢から、私は目をそらした。
―――はずなのに。
オーレリアさんのさっきの言葉が胸を不穏にざわつかせていた。




