第三十九話 嘘つき
違和感を残しながらも通路の先に何もないことを確認し終え、そのまま進むか迷った末、通路に並んでいる四つの扉とその内部を先に探索することにした。
――がちゃがちゃ
鍵がかかっている。
しかしどちらにしろ、左右に二つずつ並ぶ部屋には全て鍵がかかっていた。なので折れた通路の先に進む。一度覗いた時に分かっていたことだがそこは見覚えのあるエントランスだった。
「まるで貴族の豪邸のような造りだ。ここがエントランスだとするとさっきまでのところは地下だったのだろうね」
「地下にあんな仕掛けを作るぐらいだ。趣味が悪い貴族だった事は間違いないな」
リンの考察に嫌味を付け加える。それにしてもこいつ普通に話せるんだな。
「そうかな?案外あれは襲撃者対策で、逃げ道を確保するためのものだったのかもしれないよ?」
「それは・・・・確かに」
貴族・・・時の権力者が権力の喪失に恐怖を覚えるのはいつの時代も同じだ。貧民が反旗を翻した時の為の脱出口。だがこの館の所有者は権力者ではなく吸血鬼だ。まあ、吸血鬼にも権力関係なしに逃げる理由があったかもしれない。
思い返してみればあの甲冑通路などは追撃をかわす脱出用の最たるものと言えるのではないか。だとするとあの先の鍵のかかった扉こそ本当の脱出口なのでは。
・・・・・・・・・・・・・・・・
閉じ込めちゃったんだよなー「あれ」を。
いやいや、今まさに目の前に出入り口があるじゃないか。エントランスだ。玄関口だ。ここから出れば何の問題も。
がちゃがちゃ。
――何か見えない力で閉ざされている。
「ですよね・・・」
やはり開かないか。想像していたことだ。館からの脱出でそのまま玄関から出られた試しがない。少なくとも扉解放のための何かをしなければならない。
「開かない以上、また探索するしかないか」
「なら、二階と一階があるようだし手分けして捜すかい?」
「あほ言え。別行動なんてもってのほかだ。常に二人で行動する。いいな!」
「僕と離れたくないならそう言ってくれれば多少なりとも――」
「黙れ」
「全く、随分と照屋さんのようだね。リーナ君もなんとか言ってあげたまえ」
「・・・・・・・・・・・」
そんなリンの言葉に俺は驚きに目を丸くする。
「どうしたんだい?彼はなんて?」
「いない・・・」
「ん?」
「リーナがいなくなってる!」
いつだ!?いつから・・・って決まってる。さっきぼーっとしてた時だ。でも何で・・・。
「それは大変だ。すぐに見つけてあげないと」
「あ、いや・・・・・・・、その必要は・・・・・・ない」
「どういうことだい?」
「あいつはもともとこの館の住人だ。一人になろうと俺たちよりよっぽど安全だろう」
さっきの―――俺とリーナもこの館で目を覚ましたという―――説明との矛盾に、しかしリンは大して構いうこともなく。
「安全だから探す必要が無い?それは違うだろうオーマ。会いたいから探すんだ。それが愛というものさ」
「お前は見えないんだろ」
「ならこの愛は君のものだね」
「愛じゃないから」
「そうかい?」
じゃあ何なんだろうね。といった表情でこちらを見てくるリン。相変わらずの鬱陶しさだ。
「とにかく一階から順に見て回るぞ」
「おうとも」
二階へと続く階段を正面にして右側、来た通路とは反対に伸びる通路を進む。左右対称の造りになっているらしく同様に五つの扉が並んでいた。そしてやはりその全てに鍵がかかっていた。
「鍵だらけだな」
すべての扉を確認し終えひとりごちる。
「後は二階だけだね。案外もう終わりに近づいていたりしてね」
「そうだと良いが」
それにしても窓が一切ない。地下は地下だから仕方ないが、一階まで窓が無いのは住人が吸血鬼だからだろうか?外からは窓も見えていたのだが。
行く当てが無くなり通路を逆戻りするその時、背後から音がした。ぎぎぎと音がする。扉の開く音。
振り返る。
「「「「「バタン!!!!!」」」」」
「うお!」
一斉に全ての扉が勢いよく開いた。完全に誘われている。
「お招きにあずかり光栄だね」
「ならお前が行って来いよ」
「ああ、もちろんそのつもりさ」
そう言うとリンはそのまま一番手前の左の扉に入っていった。
本当に行かれると負けた気になって癪だ。
「やれやれ、行けばいいんだろ行け―――」
がちんッ!!
後を追おうとしたオーマの目の前で突如扉が開閉した。上下に。鋭い金属が噛みあうように。
ガチンガチンガチン
何度も繰り返して。
ぴちゃ。
血しぶきが頬についた。金属に血の赤が付着していた。見覚えのある金髪が血にぬれて。それが吸い込まれていく。真っ赤な口の中に。
「・・・・・・」
がちんがちんがちん・・・・・・・・・・・・・・。
しばらく開閉していたかと思うと、やがてそれは開いたまま再び静寂を取り戻す。扉の向こうには何の変哲もない部屋が広がっていた。
後ずさる。
膝が崩れる。
「・・・・・・・・お”ええええぇ」
吐き気がした。寒気がする。体が震える。死んだ。目の前で人が死んだ。ああ、ここまでされないとわからなかったのか。これは死だ。自分ではどこか夢のように認識される経験も、はたから見れば何度も何度も何度も俺は死んでいたんだ。俺を殺していたんだ。
でも違う。俺が怖いのはそうじゃない。目の前で関わりを持った人間が死ぬのが・・・怖いんだ。こんなにも。
ああ、だめだ。動けない。怖い、怖い、怖い。体が生きることに拒絶反応を起こしたかのようだ。あんなに生きていたかったのに、外に出たかったのに。今はただ、死んでしまいたい。自分の死で誰かが助かるなら俺は何度だって死んで良い。なのになんで。
なんで・・・・こんな苦しみに何で今まで耐えられたんだろう。
なんで、なんで、なんで。
ああ、そうか、わかった。『俺』は・・・・最初から狂っていたんだ。
しばらくオーマはそのまま蹲っていた。未だ止まらぬ嗚咽と脱力に苛まれたまま。
「やあ、どうしたんだい?そんなところで蹲って。僕がいないと駄目だって?意外と君は寂しがり屋だね」
「り・・・ん?」
顔を上げるとそこにはリンがいた。生きていた・・・。違う、生き返ったんだ。そしてまた死ぬ。その繰り返し。嫌だ。もう見たくない。
「何だい、そんな死人を見たような顔をして。僕はこの通り生きているよ!全ての人達に愛を届けるためにね!もちろん我が愛しの友にも」
「あほ・・・言え」
辛うじて出たその言葉が空虚に聞こえる。もう俺はここから一歩たりとも動く気力が。
「だからさ。そろそろ僕の友人を返してくれないかな。きっと彼も一人で寂しい思いをしているだろうから」
そんなことは分かって・・・・。
「・・・・は?」
リンにそう言われ気が触れたのかと思った。俺か、あるいはリンが。友人?誰のことだ。リーナ?だが俺が隠したわけでも・・・。
「こういう時は言い当ててあげるべきなのかな。君は偽物だ。君はオーマじゃない。って」
リンは何かを掴む仕草で口元に手をやり、未だ跪く俺を慈愛の表情で見てくる。
「お前、何を言って?」
「ただ勘違いしないでほしい。僕は君を拒絶するつもりはないよ。どうか君は君のまま誰を騙ることなく生きてほしい。君もまた美しいのだから」
「俺はオーマだ!わけわからん事言ってんじゃねえよ」
「分かるさ。愛を持って観察すれば君がオーマでないことぐらい。短い付き合いだから少し気づくのが遅れたのは申し訳ないけどね」
「愛?ふざけるなよ・・・」
そんな理由で偽物扱いされてはたまらない。俺は正真正銘のオーマだ。なによりこの記憶がそうだと証明している。
「ふざけてなどいないさ。彼はとても強く気高い人間だ。人の死を何よりも、誰よりも恐れながら決してその弱さを見せようとしない。例えば、彼は僕が死んだくらいで泣かないよ。そんな風に蹲ったりしない」
「―――」
「それぐらいでへこたれるやつじゃない。って言えばいいのかな。きっと彼が弱さを見せるのはあの麗しき女性の前でだけ、なのだろうね。僕の愛を受け入れてもらえないのは残念だが、美しき者同士が互いを求めあうというのもまた素晴らしい愛の形さ!!」
大仰に腕を広げ自分の世界に入っているリン。それを俺は忌々しげに見つめていた。その時初めて俺は目の前の変人に恐怖を感じた。それは自らの内面を除き見られるというおぞましい行為だ。
「お前が俺の何を知っているっていうんだ」
「知らないさ。残念ながらこの僕にも出来ないことはある。君がオーマの皮を被っているままじゃ出来ないことがね。だから、どうか見せてほしい。君の本当の姿を」
「なら―――」
「ん?」
オーマはゆらりと立ち上がり、緩慢な動作で一歩、また一歩とリンに近づく。そして。
「なんら見おせえてやるげおよひおおぉぉ!!!」
オーマの顔が割れ、オーマがいたら悲鳴をあげたであろう正に化物といった容姿をさらけ出した顔喰い人形。植物と昆虫の補食部分を合成したかのような口が広がる中、
「すまない。何と言ったか聞き取れなかった」
全く動じずに、首をかしげるリンを相手に顔喰い人形はそのでろでろのどろどろを以て迫る。
「ふむ・・・、抱擁というやつだね!!」
腕を広げウェルカムするリンは情け容赦なくかじりつかれた。
リーナ。時は、オーマが揺れる影を認識した直後。
「というわけで体乗っ取られちゃったわけですがどうします?」
「・・・・・・・・・・」
問いかけるリーナの正面には人形がただ鎮座していた。
「楽って・・・急に肝が据わりましたね」
「・・・・・・・・・・・・」
返事は無い。なのに少女はまるで会話を楽しむように人形に語り掛ける。
「あ、中身は別でもおじさんの体が死んだらばっちりカウントされますのでご安心ください」
「・・・・・・・・・・」
「その時は安らかにお眠りください」
「・・・・・・・・・・」
誰かに似た、すれた目をしているつぎはぎだらけの人形に。
「それはそうと少しいいですか?」
「・・・・」
「ありがとうございます」
「・・・・・・・」
「あー回線の状況が悪いみたいですね。このまま進めますねー」
丁度リーナの腕に収まるサイズの人形を、リーナは大切そうに持ち上げて、抱き締める。
「・・・・・・」
「というわけで、外の様子です」
そう言って、手を振ったリーナの、人形の目の前に映し出されたのは、館の前、談笑しているオーレリアと・・・・・・・ヒメの姿だった。
「・・・・・・・」
しばらく、リーナは無言を続けた後、問いを発する。今までのおどけを全て落として来たような真剣な表情で。
「お母さんはオーマおじさんを殺すよう私に指示しました。そんな母と話しているあの人を本当に―――」
「・・・」
「―――信じていいんですか?」
リーナの持つ人形がどこかやるせなさを醸し出す。そんな人形の前にはオーマ(偽)にかじりつかれているリンの姿があった。館内を投影した映像である。
「・・・・・・・・・・」
「何やってるんでしょうね」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「意外と早かったですね。リンさん割と有能です」
「・・・・・・・・」
「ああ、まあ正体ばれちゃったので、直に戻ります。残念です」
「・・・・・・・・・」
「ばいばい、オーマおじさん。それとさっきの話」
「・・・・・・・・・・」
「私は味方ですよ。最後の最後まで・・・・だから」
「・・・・・・・・・・・・」
魂の乖離が始まる。もう人形の五感はほとんど働いていないはずだ。だからこそ言える。
「騙されちゃダメですよ」
人形が砂になってリーナの腕からこぼれ落ちていく。
リーナの他に本当に何もいなくなった空間で。
リーナはつぶやく。
「知ってますか、オーマおじさん。吸血鬼ってみんな嘘つきなんですよ?」
ようやく戻ることの出来た体を思うままに動かす。何が辛いって指一本動かせなかったことだ。精神的に苦しくてしかたがない。
「ああ、戻ったんだね、オーマ」(でろでろどろどろ)
「近づくな。変態。気持ち悪い」
「やだな。僕のどこが変だって言うんだい?」(どろろ)
何が変って・・・え?本気で言っているのか?
「人の性格勝手に分析しやがって」
なんとなくそのものずばりを言う気にはなれず、実際気持ち悪かった部分を突っ込んでみる。
「ああ、あれはただの当て推量さ。それとも当たっていたかい?怖がりで強がりなオーマくん」(びよーんびよーん)
「とりあえずそのびよんびよんしたものを取れ!!」
結局言った。
「やだなあ。彼もまた愛を求める求道者仲間なのに」
「俺はその仲間に入ってないからな」
リンの肩にはなにかでろでろしたものが乗っかっていた。意気投合したらしい。俺を巻き込みさえしなければどうでも良いが。
「占いとかと同じやつさ。観察した範囲内で誰にでも当てはまることを言ってカマかけたってわけだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
そういうものなのだろうか。
「ならどこで不審に思った?」
「君が一切リーナ君と話さなくなったことかな。誤魔化されたけど疑いを持つには十分だった。なにせずっと一人でぶつぶつしゃべっているのが君の基本だったからね」
「心外だ」
「とにかく、ほら、鍵だ」(でろん)
「どっから出した!ってか汚っ!!」
「ふむ、それこそ心外というものだよ。目で見るんじゃない心で感じるんだ。彼の友を思う美しき心を」
彼とはそのどろどろのことなのか。
「なら、お前が持ってろ。それ、何処のカギだ?」
「ああ、うん。とうとう大詰めだ。二階一番奥の扉。この館の主の部屋だそうだよ」
「あー確かにそれは山場だな」
いくつかパターンがあるだろう終盤の、出来るだけ穏やかな奴が出てくることを願ってオーマは最後の扉を目指した。
「それでリーナ君は?」
リーナは、戻って来ていなかった。
「ここにはいないが、どっかにいるだろ」
「もしかして」
「本物だよ。俺は」
「偽物はみんなそう言うんだ」
「知ってる・・・」
このタイミングで消えたリーナ。死亡回数の余裕はまだある。つまりそれは。




