百万本の薔薇よりたった一つの愛を
「信じてたのに」
その言葉と同時に、ぼくは目を覚ました。頭痛がするような気がして額に手を当てれば、じっとりと汗をかいていた。
ああ、嫌な夢を見た。『あの夢』を見た日はろくなことがない。それは夢であるはずなのに、責めるような声が耳にこびりついて離れない。それほどまでに、『あの夢』はリアルに近いものがあった。
憂鬱な気分で身支度をしていると、インターホンが鳴った。ドアを開けてみると、目の前には大量のバラ――を持った宅配業者がいた。
「お届けものです」
「ああ、どうも」
「サインお願いします」
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ペンを宅配業者に返してドアを閉め、届いたバラを持ってリビングに戻る。こんなものを注文した覚えはない。そう思うなら、受け取りを拒否すればよかったのだろうけれど、『あの夢』のせいで頭が回らなかったのかもしれない。
とりあえず、送り主の欄を見てみるが、そこには知らない名前が記入されているだけ。ただのイタズラにしては、こんなものを送ってくる意味がわからない。一人暮らしの男のところに花――しかもバラなんてどう考えても不要だから、ある意味イヤガラセとも言えるけれど。
「送り主不明、か」
大量のバラを無造作に机の上に置き、それを見つめて脳裏をよぎったのは、忘れかけていた記憶の中の『あのカオ』。そういえば、『彼女』もバラがすきだったっけ。そう、ちょうどこんな真っ赤なバラが。
* * *
ぼくの職業は殺し屋で、彼女はターゲットだった。彼女に近づくためにニセの恋人になり、それなりに仲良くしていた。
彼女は、ぼくを愛していた。
ぼくも、彼女を愛してしまった。
でも、ぼくは彼女を殺した。それが仕事だから。いちいち感情に左右されていては、この仕事は成り立たない。
彼女に銃口を向けて引き金に指をかけた瞬間、彼女は小さくつぶやいた。
「信じてたのに」
何度も何度も夢に見る、責めるような言葉。それはこのとき、彼女の口から出たものだった。
――だけど、ねえ、君はぼくの何を信じていたというの?
確かにぼくたちは恋人だった。キスもしたし、身体を重ねたこともあった。だけど、所詮は仕事。まったく、感情を作るのも楽じゃない。君だって、本当はそんなうわべだけの関係に気付いていたんだろう? それなのにどうして、何を信じていたんだい?
でも、確かに言えるのは、これだけ。
「愛、してたよ」
そうしてぼくは引き金を引いた。
死に逝く彼女への餞別は、彼女の大すきな真っ赤なバラだった。
* * *
彼女が死んだことは世間には知られていない。それが依頼人の頼みだったから。ぼくは名無しの墓を造り、彼女を密葬した。そして、そこにはやはり彼女のすきだった真っ赤なバラの花束を供えた。
ああ、そうか。今日は彼女の命日だった。じゃあ、今日はこの真っ赤なバラを持って、君に逢いに行こうか。