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last Eden  作者: 久遠夏目
2013年
68/73

多神論者の苦悩

「あのー」

「うん?」

「残念なお知らせがあります」

「えっ、何それ。聞きたくない」

「実はですね」

「シカト?」

「実はワタクシ」

「ちょっ、あーあーあーあー聞こえない!」

「浮気をしてしまいました」

「あああああ……あ? 何だって?」


 怪訝そうなカオがこちらに向けられる。そのタイミングとセリフからして、一応わたしが何を言っていたのか、断片的にだとしても聞こえていたらしい。こちらの声をかき消すような大声で叫び、耳まで塞いでいたくせに、それは演技だったということか。

 わたしはふぅ、と一つため息をついてから、彼女のリクエストに答えることにした。


「だから、浮気をしてしまいました」

「誰が?」

「わたしが」

「誰と?」

「先輩と」

「先輩って?」

「同じ部活で同じパートの先輩」

「それって女子じゃないの?」

「そうだよ?」


 わたしがにこ、と笑って肯定すると、彼女は呆れたようなカオになり、はあー、と大きなため息をこぼした。そして、しまいにはぐでっと机に突っ伏してしまったではないか。何がそんなに気に入らなかったのだろうか。先ほどの食いつきの良さから一転して、あまりに露骨な興味の失せ方に哀しくなる。

 すると、彼女はもぞもぞと頭だけを動かして、こちらを見つめてきた。


「女同士は浮気なんて言わないよ。ていうかあんた、そもそも彼氏がいないんだから、浮気のしようがないじゃん」

「いやいや、浮気っていうのは何も異性にだけ当てはまる言葉じゃないんだよ。心が浮ついて変わりやすいことだもん」

「はいはい。で、それがどうしたの?」

「うん。だから、ごめんね」

「は?」

「ごめん」


 眉を下げてもう一度謝れば、浮気をしたと告白――いや、懺悔したときと同じように、わけがわからないというようなカオをされた。

 余計意味がわからないんだけど、と表情に出ていた感情をそのまま言葉にした彼女が身体を起こす。わたしはイスから立ち上がり、すぐ横にあった窓から外を眺めた。もうすぐ、日が沈む。


「わたしさ、君に救われたって言ったこと、あったよね。わたしはあのとき、本当に嬉しくて、君のことを神様みたいだって思ったんだよ。この人なら、わたしのすべてを理解してくれる、ってね」

「大げさな。そんなのムリだよ」

「うん。ムリだった」


 彼女の言葉を、素直に肯定する。もしかしたら、それはただの謙遜で、まずは否定すべきだったのかもしれないけれど、わたしははっきりとそれを肯定した。だって、それが真実だったのだから。

 言えないのか、言わないのかはわからないけれど、無言は先を続けろと促しているのだと勝手に解釈して、わたしは再び言葉を紡いだ。


「君は、わたしのすべてを理解してくれるわけじゃなかった。だから、先輩に浮気したんだ。自分を理解してくれる人のところへ行った。だから、ごめん」


 けれど、ねえ、これは悪いことなのかな?

 三度目の謝罪を口にしながらも、心の中にはそんな疑問が浮かんでいた。ああ、きっとわたしは悪いだなんて本当は思っていないに違いない。だから、そんな疑問が出てくるんだ。


「どうして、謝るの?」


 ぽつり、わずかな沈黙を挟んで投げかけられた質問に驚いて、振り向く。それは、ある意味わたしが望んでいた答えだったはずなのに、何故わたしは驚いているのだろうか。

 彼女も同じことを思ったらしく、変なカオ、と言ってくすくすと笑った。


「そんなの、普通だよ。浮気なんて言わない。人には分相応? 適材適所? ってものがあるんだし」

「そう、かな」

「そうだよ。それに、あんたの言うとおりだよ。わたしは、あんたのすべてを理解することなんかできない。わたしは、神様なんかじゃないんだからさ」


 人は、神様に憧れた。その正しさ、美しさ、善さ、そして、真理を欲し、そのすべてに倣い、追いつけるように努力した。

 だけど、追いつくことは、同等になることを意味する。追いついてしまえば、こんなものかと見下すこともできる。いつかは追い抜くことも可能かもしれないだろう。人は、神様に近づけば近づくほど、神様への憧れを失ってしまうのだ。

 きっと、わたしも同じだった。わたしを救ってくれた神様のような彼女と同等になることで、彼女は神様ではなくなった。だから、わたしは浮気をしてしまったのだ。先輩という、新しい神様を求めて。

 ――じゃあ、彼女は? 地に墜ちた、いや、落とされた神様は、どうなってしまうのだろうか?


「わたしは、神様じゃない」

「じゃあ君は、何なの?」

「わたしは、あんたの友達だよ」


 そう告げた彼女の声はとても力強くて、どこまでもやさしかった。

 ああ、そうか。彼女はわたしの上にも下にもいない。わたしと同じ目線に立って、対等に存在しているのだ。あの日、彼女に手を差しのべられた瞬間に、わたしが彼女と同じところまで引き上げられていたのだ。

 ――それなのに、わたしは。


「ごめん、ね」

「だから謝らなくていいって。今回はわたしが至らなかっただけだし。ていうか何? 浮気ってことは、わたしってあんたの恋人なわけ? いやあ、照れるなあ。……って、ちょっと、突っ込んでくれなきゃ困る――って、もう」


 何泣いてんの、と呆れたようなつぶやきとともに、彼女の腕でごしごしと乱暴に顔を拭かれた。ちょっと痛い。


「バカだね、あんたは。人間なんだから、友達でも一つや二つくらい隠し事があってもいいじゃんか」

「うん」

「わたしなんかより頼れる人はいっぱいいるし、そういうときは素直にそっちを頼ればいいんだよ」

「うん」

「あんたが必要だと思ったときに、わたしを頼ってくれればそれでいいんだから」

「うん」

「はい、もうこれでオワリ」

「うん。あのさ、ごめんね」

「だから――」

「それから、ありがとう」


 何回目かわからない謝罪のあとのお礼。それを聞いたときの彼女の照れくさそうなカオを、わたしはきっと忘れないだろう。そして彼女は、やっぱりわたしの神様だった。




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