てのひらの使い方
「ん」
「は?」
短い声とともに差し出されたてのひら。しかし、そこには何も乗っていなかった。
季節は冬。二月半ば。しかも、今日は結構寒い。しかし、だからと言って、これは「手をつなごう」という意味ではない。だって、あたしとこの男――性格は悪いしムカつくけれど、ムダに顔は良いクラスメイト――は、恋人なんていう甘ったるい関係ではないのだから。
じゃあ、どうして一緒に帰ってるのかって? ただ玄関でばったり出くわして、帰る方向が一緒だったという、ただそれだけの話だ。
「何、その手」
「お前、今日何日だと思ってんの?」
「は? 十四日だけど」
「つまり?」
「つまり?」
わけがわからずおうむ返しをしたあたしをジト目でにらみ、男は呆れたようにため息をついた。いやいや、ため息をつきたいのはこっちなんですけど。二月十四日が何だっていうのさ。今日は何の日かって――
「――あ」
「バカだろ、お前」
はあ、とまた一つ、盛大なため息をこぼす男。その言動、いちいちムカつくな。
しかし、そうか。今日は世に言う「バレンタインデー」だった。どうりで教室が、いや、学校全体が浮ついた空気だったわけだ。
「いや、ちょっと待て。今日がバレンタインなのはわかったけど、あんたのその手は何?」
「何って、くれるんだろ? チョコレート」
「はあ? うぬぼれないでくれませんかね。誰があんたなんかにあげるって言った?」
「照れんなって。ほかのやつはもっと顔を赤くしてくれたぜ?」
「ほほう、さりげなくモテ自慢ですか。それと、あたしの顔が赤いのは寒さのせいですが何か」
「ちっ、ケチくせぇ女だな」
「はあ!?」
そう毒づいて、男は不機嫌そうにふい、と前を向いた。何であたしがケチ呼ばわりされなきゃならんのだ。恋人でもない男に用意するチョコなんてないっつーの。
――でも、「すきな人」へのチョコなら用意していた。あんまり認めたくないけれど、あたしはこの男のことがすきらしい。
本当は、今日が何の日かなんて知っていた。だから、一日中チャンスをうかがっていたのだけれど、ムダに顔が良いこいつのところにはたくさんのチョコがあった。下駄箱、机の上、もちろん直接渡しにくる女ノコもいたわけで。そんな状況で、渡せるわけがない。
だから、もう半分あきらめていたというのに、何で最後の最後でばったり出くわしちゃうんだよ。しかも、何でそんなピンポイントなこと言ってくるんだよ。そして何でチャンスを逃したんだ、あたし!
確かにこれはチャンスだ。だけど、ピンチはチャンスであるように、逆に言えばチャンスはピンチなわけで、結局ピンチはピンチでしかないわけで……えーと、落ち着け、あたし。とりあえず何か会話をしなければ、不審に思われてしまう。
「ていうか、ほかのコからもらったなら、それで十分だろ」
「十分すぎるくらいだな。むしろ多すぎ」
「少しは否定しろよ」
「でも、すきなコからもらったものじゃないと、何の意味もないんだよね」
「……さすが、モテる男は言うことが違うね」
「すきなコ」。その言葉が胸に重くのしかかる。そうだよね、こいつにだってすきな人くらいいるんだ。何だ、あたし。チャンスとか言っちゃってバカみたい。うぬぼれてたのは、あたしのほう――
「あのさあ、もっかい言うんだけど」
「何?」
「バカだろ、お前」
「……はあ?」
「お前がバカだから俺からキッカケを作ってやったっていうのに、ホンっトにバカだな、お前」
「いや、意味わかんないんですけど」
「だから!」
大声を出してぐるん、とこちらを向いた男のカオがほんのりと赤いのは、寒さのせいだろうか?
「俺は、お前からのチョコがほしいって言ってんだよ!」
「………………へ?」
「バカだろ、お前。ホンっトーにバカだろ」
「……すいません」
何であたしが怒られているのかはわからないけれど、つまりは、うん、あたしはうぬぼれてもいいってこと?
「で?」
「え?」
そう言われて男を見れば、彼はまた何も乗っていないてのひらを差し出していた。
「え? じゃねぇよ。何かあんだろ、渡すものが」
「……うぬぼれんなよ、アホ」
「じゃあ、今カバンの中に突っ込んでる手は何だよ」
「うっさい」
目的を果たせたチョコが男の手に渡り、そのまま相手のカバンにしまわれる。
そして、あたしの前に差し出されたのは、これで三度目の彼のてのひら。
「ん」
「は? もう何もな……」
「お前の手があんだろ」
「……ちっ」
「何で舌打ちなんだよ、かわいくねぇな」
「ツンデレだよ、ツンデレ」
「自分で言うな、キモイ」
「んだとコラ」
「……ほら」
「……うん」
どうやら、この手はつなぐためにあったらしい。




