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last Eden  作者: 久遠夏目
2011年
55/73

愛と狂気は紙一重

「わたしはあなたしかいらないの!」

「は?」


 読んでいた本から目を離して顔を上げた彼は、わけがわからないよ何言ってんだコイツお前ってほんとバカ――と声には出さなかったけれど、そんなことを言いたそうな表情をしていた。

 そんな胡散くさいものを見るかのような視線の先、真正面に向かい合って座っていたぼくは、それを一蹴するようににこりと微笑んでみせた。


「いや、この前見たドラマにそんなセリフがあってね」

「ああ、そういうことか」


 その答えに納得したらしく、再び本に視線を落とす彼。もしかしたらぼくの話に興味がないのかもしれないけれど、ぼくはそんなことはお構いなしに先を続けた。


「あなたしかいらない、なんてさ、『恋は盲目』って言葉の典型だよね」

「確かにね」

「でも、それってある意味すごいことだよね。ぼくもそれくらい誰かをすきになってみたいなあ」

「……本当に?」

「もちろん。あーあ、君は彼女持ちだからいいよね」


 ぼくも愛する彼女がほしいよ、なんて愚痴をこぼしながらソファーにもたれる。ふと彼に視線を向ければ、彼は机のある一点をじっと見つめ、何かを考えているようだった。

 何を考えているの、と聞こうとすると、彼のほうが先に口を開いた。


「君は、本当にそんな恋愛がしたいのかい?」

「え?」


 ゆるり、視線を上げた彼と目が合う。その瞳は真剣そのもので、ぼくは何故かわずかな恐怖を感じた。


「あなた、つまり相手しかいらないなんて、ロマンチックで素敵だと普通は思うかもしれないけれど、現実には覚悟が必要なんだ」

「覚悟?」

「そう。相手以外のすべて、たとえば家族や友人すべてを捨てる覚悟。そうだな、駆け落ちするくらいの覚悟は必要だろうね」

「うーん、確かにそうかもだけど、そこまで大げさに考えなくてもいいんじゃない?」

「大げさじゃないさ。相手しかいらないってことは、子供もいらないんだろうね。だって、世界に二人きりになるってことを臨んでいるんだから」


 それこそ大げさ、いや、拡大解釈だろう、と思ったけれど、彼からは有無を言わせないオーラが漂っていたので、ぼくはごくり、とつばを飲みこむことしかできなかった。

 彼は口角を上げ、薄い笑みを浮かべながら先を続ける。


「君はさっき、『恋は盲目』だと言ったけれど、そのほうがまだマシだね。本当は周りに多くの人間がいるけれど、相手と二人きりの世界だと思いこんでいるんだから。もし逆だったら、悲惨なことになるとは思わないかい?」

「逆……?」

「そう。もし周りが見えていたら、そこは二人きりの世界なんかじゃないとわかる。だから、世界を二人だけのものにするために、周りの人間を殺してしまうかもしれないだろう?」

「はあ……君、ちょっと話が飛躍しすぎじゃないの?」

「そうかな? 極論を提示してみただけだよ」


 困ったように眉を下げ、肩をすくめる彼。そのおかげか、少し空気がやわらいだ。

 しかし、彼の話にはついていけない。そう思ってぼくがもう一度ため息をつくと、彼は本を机の上に置いて、長い指をあごの下で組んだ。


「まあつまり、君が軽く発言したそのセリフは、一歩間違えれば狂気にもなりうるってことさ」

「深く考えてなくてすみませんでしたね。でも、ぼくはそれくらい誰かをすきになってみたいって言っただけで、そこまで大げさに話を展開したのは君じゃないか」

「――いや、意外と身近にある話かもしれないよ?」

「え?」


 ぱっと見上げた彼の瞳の奥が、鋭く光る。


「確かに、ぼくの話は極論さ。いくら愛する人と二人きりの世界を望んでいたとしても、周りの人間をすべて排除するなんて不可能だ。じゃあ、その逆ならどうかな?」

「どういう、意味?」

「つまり、周りの人間じゃなくて、相手を殺すってことさ。世界を二人のものにするよりも、相手を自分のものにしたほうが、てっとり早いだろう?」

「もー、まーたそんな極論? そんなの身近にあるわけないじゃん」

「そうだね。ところで君、最近ぼくの彼女を見かけたかい?」

「何? 急に。でも、そういや最近見てな、い……?」


 そこで不意に嫌な予感がして、全身がぞわりとあわ立った。彼は、どうして今、急にそんな話を振ったのだろうか。極論が身近な話、とは、まさか。


「き、み……まさか、彼女を……?」

「さあ? 君の想像に任せるよ。ぼくの話は飛躍しすぎた話、極論なんだろう?」


 ぼくの上ずった声も引きつった顔も気にすることなく、彼はにこり、と微笑んだ。そして、


「ぼくに言えるのは、『相手しかいらない』なんて考えは、狂気でしかないということ。そして、彼女はぼくだけのものだということ。ただ、それだけさ」


 そう囁いて不敵に笑う彼の眼には、確かに狂気が映っていた。




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