お前は神様にはなれない
「ぼく、人を愛することにするよ」
「は? 誰を?」
「ああ、特定の人じゃなくて、人間全部を。全人類を、だよ」
どうしたらそういう思考になるんだ、というセリフを吐いて、彼は微笑んだ。
「君は人間が嫌いなんじゃなかったっけ?」
そう、彼はいつも人間なんか嫌いだと言っていた。愚かで滑稽だと、全人類を見下していた。そして、自分もその愚かな人間の一人なのだと自嘲していたのだ。
だから、どうしてそんなことを言い出したのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。まあ、人間が嫌いなよりはすきなほうがいいのかもしれないけれど、その主体が彼であることを考えると、違和感しかない。
すると、
「ああ、大っ嫌いさ。人間は愚かで滑稽で、自分もその一人だと思うと吐き気がするね」
吐き捨てるようにそう言って、口元に歪んだ笑みを浮かべる彼。しかし、目は笑っていないどころか、憎悪で静かに燃えているように見えた。
しかも、ぼくの言葉を肯定するということは、先ほどの彼自身の言葉を否定することになるのだから、ますますわけがわからなくなってきた。
「じゃあ、何でいきなり人間を愛することにするよ、とか言ったの?」
「ぼくは人間が嫌いで、人間である自分も嫌いなんだ。それなら、ぼくは神様になればいいんじゃないかと思ってね」
「はあ?」
たまに、彼の思考が理解できないと思うことがある。彼の意見に反対するという意味ではなく、意見そのものの意味がわからないという意味だ。今のような意見はとてもいい例だろう。
「何故、人間は愚かで滑稽なんだと思う?」
急な話題転換は彼の得意技だから気にしないし、ぼくは人間を愚かで滑稽だとは思っていない。だけど、聞かれた以上はそうであるということを前提に、彼の質問に答えなければならないということも、ぼくは知っていた。
……こう思うと、ぼくの言動は彼を中心にしているような気がする。まあいいか、今は彼に上手く合わせつつ、その質問に答えることが最優先だ。
「うーん、禁断の木の実を食べたからかな? そうして人間は神様の怒りに触れて、楽園を追放された」
「そうだね。でも、それなら神様は禁断の木の実なんて造らなければよかったんだよ。人間は手を出すなと言われるものほど、手を出したくなるだろう?」
「ああ、確かに」
その時点ですでに愚かな気もするけれどね。
ぼくの同意を得て、彼はさらに話を続ける。
「つまり、神様は人間に愚かであってほしかった――いや、愚かになってほしかったんだよ」
「何のために?」
「人間が完璧だったら、神様なんて必要ないだろう? バベルの塔なんていい例だね。彼らは天に近づこうとして神様の怒りに触れ、言語をバラバラにされてしまった」
くすくす、彼は愉快そうに、そして無邪気に笑った。そんなに人間が愚かなことが可笑しいのだろうか。
「人間が愚かでどうしようもなかったら、神様に助けを求めてくる。神様はそれを望んでいるんだよ」
「そうかもね。でも、それがどうして君が人間を愛することにつながるっていうのさ」
「そう思ったら、何だか人間が愛おしくなってきたんだよ」
「はあ?」
「愚かで、滑稽で、哀れで。神様の気持ちになったら、人間はこんなに面白い生き物なんだってことに気が付いたんだ」
彼は手を広げ、何かの講演会のように熱弁した。なるほど、それが「神様になればいい」という意味と、「人を愛することにする」理由か。
「ま、いいんじゃないの? 何にせよ、君の人間嫌いが直るのはいいことだよ。これで自分のこともすきになれそう?」
小さく息を吐いてから質問を口にした途端、彼の顔から笑顔がすっと消えた。え、何で――
「残念ながら、ぼくは自分をすきになることはできないよ」
「……どうして?」
「だって、ぼくは所詮人間だ。結局、神様になんてなれないんだよ」
いやいや、そんなの仮定の話じゃないか。ぼくだって、君が神になれるなんて思ってないよ――とは、言えなかった。だって、強気な彼がいつも以上に自嘲の笑みを浮かべていたのだから。
「こういうふうに考えるのも、すべて神様の思惑通りなのさ。だってぼくは、神様が望んだ愚かで滑稽な人間、なんだからね」
そして、その笑みはどこか哀しげで、やっぱりぼくは何も言うことができなかった。




