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last Eden  作者: 久遠夏目
2010年
42/73

一雫の涙を降らせて

「ごめん……」


 つぶやくように口からこぼれた言葉。おとといから、何度くり返したことだろう。


「ごめん、ごめん、ごめん……!」


 謝っても、謝りきれない。だって、この言葉を向ける相手は、もうこの世にはいないのだから。

 おととい、ぼくの彼女が死んだ。不慮の事故だった。今日はその葬儀だったのだが、ぼくの目からは涙が出ず、口から「ごめん」という言葉が出てくるだけだった。


「ごめん、ごめんね……」


 哀しくて、泣きたいはずなのに、どうしても泣けない。ぼくはただ、誰もいない公園のベンチに座って頭を垂れ、謝罪の言葉を紡ぐことしかできなかった。


「こんにちは」


 すると、ふと頭上からそんなあいさつが聞こえた。顔を上げれば、目の前に男の人が立っている。

 え、いつの間に? 全然気がつかなかった――呆然としながらその人を見つめていると、ぱちり、と目が合い、彼はにこりと笑った。


「トナリ、いいですか?」

「え?」


 初対面の人間にそんなことを言われても、素直に「どうぞ」と言えるわけがないだろう。しかし、そのやわらかな雰囲気に流されて、ぼくはつい「どうぞ」と口にしてしまった。


「ありがとうございます」


 お礼を言って、すとんとベンチに腰を下ろした彼。よく見ると、とても端正な顔立ちをしている。中性的ってこういう感じを言うのかな……って、そうじゃなくて。


「あの、どちらさまですか?」

「ああ、申し遅れました。ぼくは『泣き屋』です」

「なき、や?」


 初めて聞く言葉だったので、上手く漢字変換ができなかった。やっぱり怪しい人だ、と訝るように顔を歪めて凝視すると、彼は穏やかな笑みを浮かべた。


「ご心配なく。怪しい者ではありません。ぼくは、あなたの代わりに泣くのが仕事なんです」

「は?」


 ぼくの代わりに泣く、ってどういうことだ? ていうか怪しい者じゃないなんて言われても、むしろ「ぼくは怪しい者です」と言っているようにしか聞こえない。

 そんなふうに邪推していると、彼はまたにこ、と笑った。その笑顔が、『誰か』と重なって――


「あなたの大切な方との想い出を、ぼくに教えていただけませんか?」


 ささやくようにそう言った彼の顔は、やっぱり『誰か』に似ていて。先ほどまでの気持ちはどこへやら、ぼくは衝動的に口を開いてしまった。


「……おととい、彼女とデートだったんです」

「はい」

「でも、彼女が少し遅れてきて……そんなの許せばよかったのに、ぼくの心が狭いせいで、喧嘩してしまったんです」

「はい」

「彼女に嫌な思いをさせて、一応デートはしたけどギクシャクして……そんな気まずいまま別れしてしまって」

「はい」

「家に帰ったら、彼女から『ごめんね』ってメールが来て。だから、昨日謝ろうと思ってたのに――」


 そう、思っていたのに。彼女はぼくにメールをくれた三十分後、事故に遭って死んでしまった。だから、ぼくは謝ることができなかっ――


「……ひっく」

「、え?」


 ゆっくりと首をめぐらせれば、トナリに座っていた彼が大粒の涙をこぼしているではないか。突然のことに驚いていると、さらに驚くべきことが起こったのだ。


「少し遅刻しただけなのに、怒ってごめん。でも、君との初めてのデートだったから、少しでも長く一緒にいたかったんだ」

「君は悪くないのにずっとギクシャクして、嫌な思いをさせてごめんね。しかも、君のほうからメールを送ってきてくれて、悪いのはぼくのほうなのに、本当にごめん……!」


 次々と紡がれる言葉に、ぼくの開いた口は塞がらなかった。だって、この人は『ぼく』なのだから。ぼくの気持ちを正確に汲みとり、そして、ぼくの代わりに泣いているのだ。

 だけど、ぼく自身はというと、やっぱり泣くことができなかった。おそらく、「哀しい」という気持ちよりも、「後悔」のほうが先行しているのだろう。

 ぼくの視界は残酷なまでにクリアで、頭では冷静な分析までできているなんて、ぼくはどこまで薄情なのだろうか。すると、


「――メールは、最後まで読みましたか?」

「え?」


 真っ赤に腫らした目で、彼が問う。最後までって言われても、「ごめん」という一言しか書いてな――


「、え」

「何て書いてありましたか?」

「……『また明日ね』」


 彼女からのメールには、そう続いていた。

 呆然と携帯を見つめていたぼくに、ふわり、と微笑みかける彼。そのほおを伝う涙は、とてもキレイだった。


「彼女はきっと、喧嘩なんてもう気にしていなかったんですよ。そんなことは忘れて、明日へ進もうとしていたんです」

「……そう、かもしれません」

「人間は決して過去へは戻れません。後悔したとしても、前に向かって歩いていくことしかできないんですよ」


(――また、明日ね)


 ふ、と彼女の顔が頭よぎった。それは、おととい別れたときのような哀しそうな顔ではなく、デートの前日の、明日も会えるのを楽しみにしているような、嬉しそうな笑顔だった。


「、っ」


 ぽたり、地面に黒いシミが落ちる。まさかと思って目に手を当ててみれば、ぼくの目には涙が浮かんでいた。

 ああ、そうだ。どんなに悔やんでも、どんなに謝りたくても、彼女はもう、いないんだ。


「う、ひっく……ごめん、ごめんね……!」


 一度涙腺を破ってあふれてきた涙は、止めることができなかった。人目も気にせず、ただただ嗚咽を漏らす。ぼくは、ようやく泣くことができたのだ。

 しばらくして落ち着いてきたとき、何も言わずにそばにいてくれた彼がすっと立ち上がった。


「では、ぼくはこれで失礼します」

「あっ、あの……」

「はい?」

「ありがとう、ございました。『なきや』さん」


 かすれた声で途切れ途切れにそう言うと、彼はにこり、とキレイに笑い、静かに去っていった。

 そして、一人残されたぼくの視界が再びにじみ、そのまま声を上げて泣いた。


(また明日ね)


 ねえ、大すきな君。ぼくはまだ、明日には進めないみたいだ。だけど、泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いたら、前を向いて生きていくから。だから、それまではどうかもう少し、後悔させてね。




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