一雫の涙を降らせて
「ごめん……」
つぶやくように口からこぼれた言葉。おとといから、何度くり返したことだろう。
「ごめん、ごめん、ごめん……!」
謝っても、謝りきれない。だって、この言葉を向ける相手は、もうこの世にはいないのだから。
おととい、ぼくの彼女が死んだ。不慮の事故だった。今日はその葬儀だったのだが、ぼくの目からは涙が出ず、口から「ごめん」という言葉が出てくるだけだった。
「ごめん、ごめんね……」
哀しくて、泣きたいはずなのに、どうしても泣けない。ぼくはただ、誰もいない公園のベンチに座って頭を垂れ、謝罪の言葉を紡ぐことしかできなかった。
「こんにちは」
すると、ふと頭上からそんなあいさつが聞こえた。顔を上げれば、目の前に男の人が立っている。
え、いつの間に? 全然気がつかなかった――呆然としながらその人を見つめていると、ぱちり、と目が合い、彼はにこりと笑った。
「トナリ、いいですか?」
「え?」
初対面の人間にそんなことを言われても、素直に「どうぞ」と言えるわけがないだろう。しかし、そのやわらかな雰囲気に流されて、ぼくはつい「どうぞ」と口にしてしまった。
「ありがとうございます」
お礼を言って、すとんとベンチに腰を下ろした彼。よく見ると、とても端正な顔立ちをしている。中性的ってこういう感じを言うのかな……って、そうじゃなくて。
「あの、どちらさまですか?」
「ああ、申し遅れました。ぼくは『泣き屋』です」
「なき、や?」
初めて聞く言葉だったので、上手く漢字変換ができなかった。やっぱり怪しい人だ、と訝るように顔を歪めて凝視すると、彼は穏やかな笑みを浮かべた。
「ご心配なく。怪しい者ではありません。ぼくは、あなたの代わりに泣くのが仕事なんです」
「は?」
ぼくの代わりに泣く、ってどういうことだ? ていうか怪しい者じゃないなんて言われても、むしろ「ぼくは怪しい者です」と言っているようにしか聞こえない。
そんなふうに邪推していると、彼はまたにこ、と笑った。その笑顔が、『誰か』と重なって――
「あなたの大切な方との想い出を、ぼくに教えていただけませんか?」
ささやくようにそう言った彼の顔は、やっぱり『誰か』に似ていて。先ほどまでの気持ちはどこへやら、ぼくは衝動的に口を開いてしまった。
「……おととい、彼女とデートだったんです」
「はい」
「でも、彼女が少し遅れてきて……そんなの許せばよかったのに、ぼくの心が狭いせいで、喧嘩してしまったんです」
「はい」
「彼女に嫌な思いをさせて、一応デートはしたけどギクシャクして……そんな気まずいまま別れしてしまって」
「はい」
「家に帰ったら、彼女から『ごめんね』ってメールが来て。だから、昨日謝ろうと思ってたのに――」
そう、思っていたのに。彼女はぼくにメールをくれた三十分後、事故に遭って死んでしまった。だから、ぼくは謝ることができなかっ――
「……ひっく」
「、え?」
ゆっくりと首をめぐらせれば、トナリに座っていた彼が大粒の涙をこぼしているではないか。突然のことに驚いていると、さらに驚くべきことが起こったのだ。
「少し遅刻しただけなのに、怒ってごめん。でも、君との初めてのデートだったから、少しでも長く一緒にいたかったんだ」
「君は悪くないのにずっとギクシャクして、嫌な思いをさせてごめんね。しかも、君のほうからメールを送ってきてくれて、悪いのはぼくのほうなのに、本当にごめん……!」
次々と紡がれる言葉に、ぼくの開いた口は塞がらなかった。だって、この人は『ぼく』なのだから。ぼくの気持ちを正確に汲みとり、そして、ぼくの代わりに泣いているのだ。
だけど、ぼく自身はというと、やっぱり泣くことができなかった。おそらく、「哀しい」という気持ちよりも、「後悔」のほうが先行しているのだろう。
ぼくの視界は残酷なまでにクリアで、頭では冷静な分析までできているなんて、ぼくはどこまで薄情なのだろうか。すると、
「――メールは、最後まで読みましたか?」
「え?」
真っ赤に腫らした目で、彼が問う。最後までって言われても、「ごめん」という一言しか書いてな――
「、え」
「何て書いてありましたか?」
「……『また明日ね』」
彼女からのメールには、そう続いていた。
呆然と携帯を見つめていたぼくに、ふわり、と微笑みかける彼。そのほおを伝う涙は、とてもキレイだった。
「彼女はきっと、喧嘩なんてもう気にしていなかったんですよ。そんなことは忘れて、明日へ進もうとしていたんです」
「……そう、かもしれません」
「人間は決して過去へは戻れません。後悔したとしても、前に向かって歩いていくことしかできないんですよ」
(――また、明日ね)
ふ、と彼女の顔が頭よぎった。それは、おととい別れたときのような哀しそうな顔ではなく、デートの前日の、明日も会えるのを楽しみにしているような、嬉しそうな笑顔だった。
「、っ」
ぽたり、地面に黒いシミが落ちる。まさかと思って目に手を当ててみれば、ぼくの目には涙が浮かんでいた。
ああ、そうだ。どんなに悔やんでも、どんなに謝りたくても、彼女はもう、いないんだ。
「う、ひっく……ごめん、ごめんね……!」
一度涙腺を破ってあふれてきた涙は、止めることができなかった。人目も気にせず、ただただ嗚咽を漏らす。ぼくは、ようやく泣くことができたのだ。
しばらくして落ち着いてきたとき、何も言わずにそばにいてくれた彼がすっと立ち上がった。
「では、ぼくはこれで失礼します」
「あっ、あの……」
「はい?」
「ありがとう、ございました。『なきや』さん」
かすれた声で途切れ途切れにそう言うと、彼はにこり、とキレイに笑い、静かに去っていった。
そして、一人残されたぼくの視界が再びにじみ、そのまま声を上げて泣いた。
(また明日ね)
ねえ、大すきな君。ぼくはまだ、明日には進めないみたいだ。だけど、泣いて泣いて、涙が涸れるまで泣いたら、前を向いて生きていくから。だから、それまではどうかもう少し、後悔させてね。




