その雫が落ちるまで
わたしの大切な人が、死んだ。不慮の事故だったと聞いたけれど、あまりにも突然なことで驚いた。
参列した葬儀で周りを見てみると、当然のように誰もが彼の死を悼み、多くの人が涙を流していた。でも、何故かわたしの目に涙は浮かんでいなかった。視界はとてもクリアで、冷静にほかの人を観察している。
わたしは何だかいたたまれなくなってそこを抜け出し、近くの公園のベンチに腰を下ろした。乾いたほおに手を当てれば、自然とつぶやきがこぼれる。
「どうして、涙が出ないの――?」
「それは、あなたがまだ泣けないからですよ」
「、え?」
どこからか聞こえた声に反応して顔を上げると、数メートル離れたところに誰かが立っていた。その人はこちらに向かって歩き始め、わたしの目の前で足を止めた。
訝しげなカオでそれを見つめるわたしに対して、にこり、と微笑んだその人は、顔立ちがとてもキレイな男の人だった。
「あ、の……どなたですか?」
「ぼくは『泣き屋』です」
「なき、や?」
わたしはその単語を反復したが、聞き慣れない言葉だったせいか、漢字変換ができなかった。
すると、彼はわたしの気持ちを汲み取ったかのように説明を加えた。
「ぼくは、あなたの代わりに泣くのが仕事なんです。亡くなった方との想い出を教えていただけませんか?」
意味がわからない。わたしの代わりに泣くのが仕事ってどういうこと? 突然現れてそんなことを言われても、どうしていいのかわからない。
わたしが戸惑っていることに気付いたのか、すっとかがんでわたしと目線の高さを合わせた彼。そして、視線が交錯したのを確認すると、ふわり、とやわらかな笑みを浮かべた。それが『誰か』に似て――
「大丈夫、怪しい者ではありません。ゆっくりで構いませんので、どうぞお好きなように話してください」
そんなことを自分で言っても余計に怪しいだけなはずなのに、何故かその一言で落ち着いたわたしは、彼との想い出を話し始めてしまった。
「……小学校のとき、掃除をしていたら机にぶつかって花びんを壊してしまったの。それを彼が見ていたんだけど、彼は何も悪くないのに一緒に怒られてくれたの」
「はい」
「中学校のとき、風邪を引いてたのに無理して学校に行ったら悪化しちゃって。それに彼が最初に気付いてくれて、保健室まで連れて行ってくれたの」
「はい」
「高校のとき、勇気を出してバレンタインに告白したの。そしたら彼、真っ赤になって照れながら『ありがとう』って言ってくれたの。あのときの笑顔、すごくかわいかったなあ……」
「はい」
思えば、彼はいつもいつもトナリにいてくれて、たくさんの時間を共有してきた。わたしにとって、とても大切な人だった。
それなのに、どうして――
「……――っく、」
しゃくり上げるような声にはっとして、自分の世界から引き戻される。ゆっくりと顔を上げれば、目の前にいる彼が泣いていた。
「……あなたは、悪くないのに、一緒に怒られちゃってごめんね。でも、本当は少し、嬉しかったんだよ」
「熱があるのに、何で無理して来たんだ、って怒られちゃったね。でも、休みたくなかったんだよ。だって、あなたに会えないでしょう……?」
「告白、するのにすごく勇気がいって、震えてたの。今までの関係を壊したくなかったし……でも、あなたの笑顔を見て、嬉しくて泣きそうになったんだよ……」
そうしてぽろぽろと惜しみなく涙を流すこの人は、わたしの気持ちを正確に汲み取っている。この人は、まぎれもなく『わたし』だった。
「……っ、」
ぱたり、地面に落ちた雫は、わたしの目からこぼれたものだった。
「あ、れ……? わたし、泣いてる……?」
そう認識した途端、涙があふれて止まらなくなった。視界が歪み、乾いていたほおが濡れる。
その様子を見ていた彼は、嬉しそうに笑みをこぼした。その目に涙はすでになく、しかし赤く充血したそれが、彼も確実に泣いていたのだということを物語っている。
「あなたが泣けなかったのは、大切な人が死んだということを受け入れられなかったからです」
そう、わたしは彼が死んだということが信じられなかった。――否、信じたくなかったのだ。
「ゆっくりで、いいんですよ。ゆっくり受け止めていけばいいんです」
大切な人が亡くなったことをすぐに受け止めるなんて、そう簡単にできることではありませんから。
やわらかな声で紡がれた言葉に、わたしは黙ってうなずくことしかできなかった。
そして、彼はわたしが落ち着くまでその場にいてくれた。ようやく一息つけたとき、タイミングを見計らったかのように彼は立ち上がった。
「では、ぼくはこのへんで失礼します」
「あっ、あの!」
「はい?」
くるり、とこちらを振り向く彼に、わたしは精一杯の声を出して言った。
「ありがとう……『なきや』さん」
それに対して彼はにこり、とキレイな笑みで答え、静かに去っていった。
一人残されたわたしは、また泣いた。泣いて泣いて、涙が涸れるんじゃないかっていうくらい、泣き続けていた。
ありがとう、わたしの一番大切な人。わたしはもう、一人で泣けるようになったよ。




