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last Eden  作者: 久遠夏目
2009年
32/73

彼女が愛したこの世界を

 彼女は、この世界を愛していた。

 けれどもぼくは、この世界が大嫌いだった。


「この世界は腐っている」

「そんなことないわ」

「この世界は汚い」

「この世界はきれいよ」


 ぼくの言葉をやわらかく否定して、彼女は聖女のような微笑みを浮かべた。

 だけど、ぼくは頑なにそれを否定する。


「この世界は汚れている」

「そんなことないわ」

「この世界は醜いものばかりだ」

「それはあなたがフィルターをかけてこの世界を見ているからよ」

「そんなことない」

「フィルターを外してみれば、きっとこの世界はきれいに見えるはずよ」


 この世界がきれいだなんて嘘だ。それこそ、彼女がフィルターをかけて世界を見ているだけ。彼女の主張は、ぼくには理解できない。


「ぼくは、この世界が嫌いだ」

「わたしは、この世界がすきよ」

「だってこの世界は、こんなにも腐っている」

「だってこの世界は、こんなにもきれいだもの」


 互いに譲らず、主張は平行線をたどる。ぼくと彼女が交わることは、きっと永遠にないのだろう。


「この世界は汚い」

「この世界はきれいよ」

「どうして。現にぼくというこんなに穢れた人間がいるじゃないか」


 もしも世界が真っ白な一枚の紙なのだとしたら、ぼくはそこにぽたりと落ちた一滴の墨汁だ。まさに汚点とでも言うべきもの。たったそれだけで、世界は汚いものに変わる。だから、ぼくには理解できない。

 しかし、彼女はまた笑った。すべてを包みこむように、やさしく、穏やかな笑みを浮かべたのだ。


「いいえ、あなたがいるからこの世界はきれいなのよ」

「……意味がわからない」

「この世界はとてもきれいよ。わたしにはそう見える」

「どうして」

「大切な人がいれば、人は幸せになれるでしょう? 大切な人がいれば、世界は輝いて見えるわ」


 まるで愛する人への告白をするように、彼女はこちらを真っ直ぐに見据えながら先を続けた。


「わたしは、あなたがいるから幸せになれる。あなたがいるからこそ、この世界がきれいに見えるの。だから、わたしはこの世界がすきよ」


 歌うようにささやいて、やはり彼女は笑った。今度は、その年相応の女ノコのような笑みだった。

 大切な、人。ぼくがいるから、彼女の目には世界が美しく映り、それを愛することができる。それを理解できるかどうか、今のぼくにはわからなかった。


「……この世界は、汚い」

「この世界はきれいよ」

「ぼくは、この世界が嫌いだ」

「わたしは、この世界がすきよ」

「ぼくは、」

「あなたがこの世界を嫌いだって言うのなら、わたしがあなたの分までこの世界を愛してあげる」


 ふわり、彼女はやはり微笑む。どこまでもきれいで、どこまでも穢れのない笑みで。


(大切な人がいれば、世界は輝いて見えるわ)


 いつか、ぼくにも理解できるだろうか。彼女が愛したこの世界を、ぼくも愛することができるようになるだろうか。

 そんなぼくを導くかのように、彼女はいつまでも微笑んでいた。




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