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last Eden  作者: 久遠夏目
2008年
19/73

天国に咲く花

「こんにちは。まだ生きてるかい?」


 静かな部屋に響く残酷な言葉。声の主はコツコツと足音を立てながら、こちらに歩いてきた。


「縁起でもないな。生きてるよ」

「そう。それは残念」

「君は遠慮がないね」

「失礼だな。もうすぐ死ぬかもしれない人間に、」


 ――カツン、

 遠慮なんて、必要ないだろう?

 ぼくの目の前で足を止めた彼は愉快そうにささやいて、くすり、と悪魔のような笑みを浮かべた。

 まあ、彼の意見には一理ある。何故なら、彼の言葉どおり、ぼくはもうすぐ死ぬからだ。病名は忘れてしまったけれど、心臓の病気で、ドナーがいないと治る確率はゼロらしいが、ドナーがいたとしても、手術の成功率はとても低いのだとか。つまり、絶望的。

 ついこの間まで普通の生活をしていたのに、今じゃ病院で引きこもりだ。個室で悠々自適なのはいいけれど、キレイすぎるこの病室は、自分がまるで身辺整理を終えた人間のようだと思わせることがある。

 それから、この白さ。人を生かすための医師や看護師が白衣を着ている一方で、死んだ人に着せるのは白装束。どちらも白なのに、生と死でまったく正反対の意味を持っている。果たしてこの病室の白さは、ぼくに生と死のどちらをもたらすのだろうか?


「ドナーは見つかったのかい?」

「まさか。でもいいんだ、別に。どうせもうすぐ死ぬんだし」

「へえ? 最初はあんなに死にたくないって言ってたのに?」


 なるべく何でもないふうに言ったつもりだったけれど、ぼくが強がっていることを見抜いたのか、すかさず嫌味っぽい笑みをよこす彼。相変わらず目ざといなあ。

 しかし、それに屈してしまうのは癪なので、ぼくはあくまでどうでもいいというスタンスで話を続けた。


「現実を受け入れたんだよ。それに、もしドナーが見つかったとしても治る確率が低いなら、別の人に回したほうがいいでしょ?」

「ああ、賢明な判断だね」


 ぼくの意見に即賛成する彼は、とても正直だ。思ったことをそのまま口に出すから真っ直ぐで、偽りがない。もちろんそれを苦痛に思うこともあるけれど、それよりも清々しさが勝るので、ぼくはすきだ。

 それから少し雑談をしたあと、「明日も生きているといいね」と言って、彼は帰っていった。


       * * *


 翌日、ドナーが見つかったと聞いた。

 夕方、違う人に回されたと聞いた。


       * * *


「……っ、何で……っ」

「現実を受け入れたんじゃなかったのかい?」


 漏れた嗚咽の遮るようにして聞こえた声のほうを見ると、彼が病室の入り口に立っていた。その顔に、残酷なほど穏やかな笑みをたたえながら。


「君は昨日、そう言っていたじゃないか」

「ああ、言ったよ。でも、あんなのウソに決まってるじゃないか」

「ウソ?」

「だって、ぼくはまだ十七歳だよ? やりたいことだってたくさんある。まだ死にたくなんかないんだ!」


 ああ、あきらめかけていた想いがあふれてくる。ぼくはまだ死にたくなんかない。生きていたいんだ。治る確率が低いっていうだけで、どうしてこうもドナーが見つからない? ぼくにだって生きる権利があるはずだ。それなのに、


「どうして、死はぼくを選んだ……?」


 ああ、どうやらこの白い病室は、ぼくを死へと導いたようだ。

 ねえ、神様。ぼくはもう救われないのですか?


「君は何を言っているんだい?」


 突如、冷たく鋭い声が響く。ぱっと顔を上げれば、彼が能面のようなカオでこちらを見下ろしていた。


「死が君を選んだ? 思い上がりもいいところだね。死は誰にでも等しくやってくる。君はただ、そのときが早かっただけの話だよ」

「君にはわからないの? ぼくはまだ生きていたいんだよ」


 ぼくがそう訴えると、彼は、彼に似つかわしくない哀しそうな笑みを浮かべた。


「ああ、わからないね。ぼくは死にたいから」


 彼はどこまで残酷なのだろうか。生きたいと言う人間に、死にたいと言うなんて。でも、彼からしたら、ぼくは残酷なんだろう。死にたいと言う人間に、生きたいと言うのだから。

 だけど、ぼくには彼の気持ちを第一に考えてあげられるほどの余裕なんてない。


「どうしてぼくは死ななくちゃいけない……?」


 ぼくの悲痛な叫びを聞いて、彼は目を閉じ、酷く穏やかな声でつぶやいた。


「死は平等なのに、生は不平等だね」


 そして、彼はお大事に、と言って病室を出ていった。

 次の日、彼はいつもと変わらぬあいさつとともに顔を見せたので、ぼくは少しほっとした。いつ死ぬかもわからないぼくにとって、毎日話し相手になってくれる彼は、とても大切な存在なのだから。


       * * *


 死は平等、生は不平等。彼がそう言ってから一ヵ月後に、彼は死んだ。死にたいと言いつつ、絶対に死ななかった彼。いつだったか、それはきっかけがないからだと言っていた。

 そんな彼が、死んだ。ぼくに、心臓を残して。彼の遺書には、自分が死んだらぼくに心臓を提供すると書いてあった。

 霊安室で見た彼はとてもキレイで、死んでいるだなんて信じられなかった。いや、信じたくなかったのかもしれない。だってそうだろう? 確かにぼくは生きたいと言ったよ。それは本音で、決してウソではない。だけど、


「君がいなきゃ、意味がないだろう……?」


 彼の遺体を見下ろすぼくのほおに、つう、と涙が流れ落ちる。そのキレイな死に顔は、どこか微笑んでいるようにも見えた。

 

       * * *


 その後、手術は奇跡的に成功し、今、ぼくの中では彼の心臓が動いている。こうしてぼくは、生を手に入れたのだ。だけど、


「皮肉なものだね。あれほど死にたいと言っていた君が、ぼくの中で生き続けている、なんてさ」


 彼の墓前に花を手向け、ぼくは笑った。




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