放課後も変態で、わがままなストーカー
不備などがあるかもしれませんが、ご了承お願いいたします。
あの後、周りからの視線を浴びせられながらも、何とか昼食を食べることができた。
一体あの昼休みで、俺はどれだけの苦労をしたことか……。たぶん、二日分の苦労は味わったことだろう。
お姫様抱っこをさせられたり、二人が急に不機嫌になったり、周りから様々な視線を送られながら昼食を食べたり、例を挙げればキリがないほどにたくさんあった。
そして現在。
午後の授業も、風火と山紙がまた口喧嘩をしたということ以外、他に問題は起こらずに終了した。
しかし、なぜ風火も山紙も、あんなに波乱万丈すぎるイベント発生しまくりの昼休みを終えた後なのに、全然疲れていない? むしろ元気になっているし。
疑問や不満が残っているが、それをこれ以上気にしては前には進めない。
だからそんなことを気にするな。頭から追い出せ。俺は進むんだ。前へ。
後ろから誰かに呼び止められても、決して止まるな。自分の道だけを見つめて、ただ前へと進むんだ。
俺はそう決意し、肩にカバンを掛けてから一歩前へと踏み出した。
「響野。逃げようとしないで、幼馴染である私と一緒に帰ろうよ」
背後から聞きたくもない幼馴染の声が耳に届き、それと同時に肩をがしっと掴まれる。
決して止まるな、振り返るな。
そこで立ち止まったら、俺は二度と平凡で当たり前の日常には戻れなくなるぞ。
俺はその声に反応を示さずに、前へともう一歩踏み出そうとするが……。
「山紙さんが知らない響野の秘密……。山紙さんにばらすよ……」
「鬼か、お前は」
風火の言葉に、俺は思わず身体ごと振り返って反射的にツッコむ。
振り返って見えた視界には、『水川風火』と横に書かれた自分のカバンを肩に掛け、腰に両手を当てている風火が、偉そうに仁王立ちをしていた。
放課後になったことで、掃除や帰宅する生徒たちのざわめき声が流れる中で、風火が腰に手を当てたまま言う。
「鬼じゃないよ、幼馴染だよ」
「幼馴染の秘密をばらそうとするんだから、こっちにしてみれば鬼だろ」
「鬼だと思っているから、鬼に見えるんだよ」
「『暑いと思うから暑いんだよ』みたいな感じで言うなよ、お前」
俺の返しを聞いて、ふふっと笑い声をこぼして笑顔になる風火。
こうやって、普通に笑っている姿はかわいらしくて和むんだけどな……。
風火は仁王立ちの体勢を崩し、笑顔で言う。
「じゃあ一緒に帰ろうよ、響野」
「できればお前と一緒には、帰りたくないんだけどな」
「あははっ。ご冗談がお上手いですな、お代官様」
「誰がお代官様だ」
「そんなの決まってるじゃん、私だよ」
「お前なの⁉」
声の調子を乱れさせて、俺は驚いてしまった。
驚いた俺を見て、風火はにやにやとした表情で訊いてくる。
「驚いたでしょ、響野?」
「驚くだろ、普通」
さっき風火が話していたことは、俺に向けられていたものだと思っていたのに、それは自分に向けて話していたのだからな。
んっ? 待てよ。
「それじゃあ、お前と一緒に帰るというのは、冗談でいいのか?」
「何をアホなことを言ってるの、響野は? そんなわけないじゃん」
「お前にアホとは言われたくないよ⁉」
まだ放課後になって数分も経っていないのに、俺は風火によって、自分のペースを乱されてしまった。
マズイ。
このケースはどう考えても、今日の朝昼と同じ展開になりそうだ。
しかし、いきなりこれほどまでの発言をかまされるとは思いにも寄らなかった。
もしこれ以上このような発言が飛び出して来たら、俺は風火に対してのツッコミをし過ぎて、リアクション疲れに陥ってしまうかもしれない。
そのような情けない疲労状態なんて、絶対に俺はなりたくはない。なった場合は最悪、変態風火の魔の手によって俺の貞操が社会的に色々と大変なことになってしまう。
幸いにも、ストーカーの山紙は掃除に行っているため、教室にはいないことが唯一の救いだ。正直、風火だけのこの状況なら逃げることもできる。だが。
「響野? もしも逃げるなんて作戦を考えていたら、響野の秘密を容赦なくばらすからね」
「分かってるよ……」
俺の秘密を目の前の変態によって握られているため、そう簡単には逃げることができないのだ。
どうすれば目の前の変態から脱することができるだろうか?
……。
脱するための手が、何一つも思い付かない。
今日の昼休みに、山紙に使用した手をもう一度使おうかと思ったが、何一つ通じていなかったことを思い出し、断念する。
第一、風火には俺を沈めるための強力な武器を持っているのだから、俺がどうやって足掻いても、この状況から切り抜けられないのはすぐにでも把握できる。
そう結論を出した俺は、風火から逃げ出そうという考えを渋々捨て、苦虫を噛み潰しながら了承の返事をする。
「……どう考えてもお前から逃げ出す方法が思い付かないから、諦めて一緒に帰ってやる」
風火は花を咲かせるように笑顔になり、その笑顔と調和する声色で言う。
「さすがだね、響野。判断力が優れているのは今後の人生で役に立つよ!」
これで判断力が優れているのか? というか、そんな判断力がどこで役に立つ。
「じゃあ訊こう。その判断力はどこで使うんだ?」
笑顔を咲かす風火にそう訊いてみると、風火は一瞬思案顔になるが、すぐに笑顔になって答えを返す。
「そうだね。コンビニでクリームパンを買うかアンパンを買うか、それともジャムパンを買うか、そう迷った時に使えるよ!」
「今後の人生に、あまり役立ってないぞ」
「ちゃんと役立ってるよ。クリームパン、アンパン、ジャムパンはどれもおいしいから、買うのに悩むじゃん」
「メロンパンやコッペパンなどの他のパンはどうなんだよ? メロンパンもそれに並ぶほど買うのに悩むだろ」
すると風火は、俺の発言を一蹴するかのように鼻で笑う。
「ふっ、メロンパンはその三つとは次元が違うんだよ」
「いきなり何を言い出してるの⁉」
何でメロンパンだけは、次元が違うと言い出すんだよこいつは。メロンパンもクリームパンも、どう考えても同じ次元だろ。
驚いた俺の反応を見た風火は、やれやれと首を横に振ってから、偉そうに今の発言に対しての説明を始める。
「甘いよ、響野。メロンパンはどのパンよりもはるかにおいしいんだよ。しかも、中にクリームが入っているものや、チョコが入っているものとかあるしね」
「確かにそうだが……」
それを聞き、俺は腕を組んで少し考えてみる。
風火が言っている通り、最近のメロンパンには色々と種類がある。
正直、三つのパンが単品で勝負を挑んだ場合、軍配があがるのはたぶん種類が多いメロンパンかもしれない。
自分の中で風火が言った意見を簡単にまとめ、悔しいが納得してしまう。
そんな俺の様子を見て、風火は勝ち誇ったように笑みを作り出す。
「私の勝ちだね。他のパンと比べて、メロンパンは別格なんだよ」
勝ち誇った笑みを浮かべる風火にイラッとしたが、メロンパンが別格などと言ったどうでもいい話でむきになったらきりがないので、俺は肩にカバンを掛け直して呆れたため息を吐いてから口を開く。
「これでくだらない話はもういいな。早く俺は帰りたいんだよ」
「どうして早く帰りたいの、響野? 私はもっと、響野と愛を育みたいよ」
「俺とお前の間に、そんな関係はない」
俺の言葉を耳にした風火はオヨオヨと泣くようなフリをして、悲しげな表情と口調で言う。
「オヨオヨ。私との関係は遊びだったの、響野?」
風火のくだらない演技を無視して、俺はざわめく教室を出て行こうと歩き出す。
「ちょっ、ちょっと待ってよ響野! 私の迫真の演技を無視しないで! 最低でもツッコミを入れて!」
「最低でもツッコミを入れてと言っても、ツッコミしか入れる要素ないだろ」
ツッコミ以外に入れるものがあるなら教えてくれ。教えてくれたらそれをツッコミの代わりに入れてやるから。
教室を出て行こうとする俺の前まで風火は慌てて駆け、退路を塞ぐように身体を大の字にする。
「待ってよ待ってよ! 響野の秘密、ばらすよっ!」
俺が進む道を通れなくしてから、秘密をばらすと言って脅してくる風火を、しょうもない目で見つめる。
「お前が早くしないからいけないんだろ」
「一緒に帰ると約束したなら、絶対に待つでしょ!」
「正確には、脅されて約束した、だけどな」
「こ、細かいことはどうでもいいよ!」
「人を脅したことが、お前にとって細かいのか?」
もしもそうだったら、物騒な世界だ。
誰かを脅しても、罪に問われたりしないのだからな。
すると、風火は首をブンブン横に振って、否定の意を表してから口を開く。
「脅しは絶対にダメだよ!」
「脅している奴が、何で正論言ってるの⁉」
だったら俺のこと脅すなよ! こっちはえらい迷惑なんだよ!
俺は頭を抱えて唸り、こちらを力強く見つめてくる風火に言う。
「少しはお前、やっていることと言っていることを統一してくれないか?」
そう俺がお願いすると、大の字で退路を防ぐのをやめ、きょとんとした表情を作った後に首を傾げて訊いてくる。
「えっ、何で?」
「ツッコミをしないといけない要素ができて、俺が疲れるからだよ」
俺のその返答を耳にした風火は、きょとんとしながら傾げていた首を元に戻し、嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「それはよかったじゃん! ツッコミキャラの役割が果たせて」
「仕留めるぞお前!」
頭を抱えていた手を離して、嬉しそうな笑顔でそんなことを言い出す風火に、俺は声を荒げて言う。
昼休みはチョップで済ませたが、今度はグーで殴ってもいいんじゃないのか?
声を荒げてそう発言した俺に対して、風火は全く動じずに、「あははっ」とかわいらしく微笑みと笑い声を溢す。
「ほら、また役割を果たせたよ!」
「マジで仕留めるぞお前!」
全然こいつは、俺が言ったことを頭に入れる気が無いぞ。
やっぱり今度からグーで殴ってやろうか?
再び、風火のツッコミどころ満載の言葉の嵐に遭ってしまい、そこから脱するために俺は一度呼吸を整えてから口を開く。
「……とりあえず、帰るなら早く帰ろうぜ。これ以上教室で騒いでいたら、疲れるだけでずっと家に帰れないからな」
その俺の言葉を聞き、風火は何かを思い出したかのように息を飲む。
「どうしたんだ、風火?」
「響野の家に、私のゲーム忘れて来ちゃった……」
「……」
そういえばこいつ、朝早くから俺の家に不法侵入して部屋でテレビゲームをしていたな。確かに、家を出るときにはゲーム機を持っていなかった。
「あわわ……」と軽く取り乱す風火を見て、俺はバツが悪くなって頭を掻く。
「仕方がない。俺が家に帰ったら、お前の家までゲームを持って行ってやる」
「本当に⁉ さすが響野!」
風火はそれを聞いて我を取り戻し、喜びを含んだ屈託のない笑顔をにっこりと向けてくる。
こいつは、黙っていればかなりかわいいのに、残念ながらその願いは一度も叶えられたことが無い。お願いだから、黙っていてほしい。
俺は喜ぶ風火を一瞥して静かにため息を吐き、教室を出るために歩き出す。
「じゃあ、早く帰ろうぜ。今日はお前らのせいで色々面倒事が多くて、疲れたんだ」
風火の横を通過して教室の出入口まで進もうとすると、背後から少し慌てた声が上がる。
「あ、待ってよ、響野!」
「分かってる」
背後から聞こえた声に振り返り、不機嫌な口調で声の主に訊く。
「帰る準備ができていたから、俺を誘ったんじゃないのか?」
俺に質問をぶつけられた風火は、困ったような顔をして「うっ」と唸り、申し訳なさそうに質問の返事をする。
「えっと、一つだけ用事があって、広戸に頼んでいたものを受け取らないといけないの」
「水川。頼まれた例のブツ、できたよ」
「!」
俺に説明を最後まで言い終えると同時に、たった今教室に入ってきた広戸が紙封筒を片手に風火のことを呼ぶ。
すると、俺と話しをしていた風火は、教室にいるクラスメートの合間を風のように走り抜けて、紙封筒を持つ広戸の元まで駆ける。
「騒がしい奴だな……」
走り去った風火の後ろ姿を眺めて、俺は呆れた声でそう呟く。
しかし、あいつは広戸に何を頼んだんだ?
俺は二人の様子を遠目で観察してみる。
広戸は平然とした態度で手に持っていた封筒を風火に渡し、風火はそれを受け取って中身をちらっと確認してから、悪い笑みを「くっくっくっ……」という笑い声と共に漏らす。
……これはどう考えても、嫌なフラグが立ったとしか思えない。
俺は二人の行動を観察してそう認知し、急ぎ足で風火たちの元に歩き出す。
「風火。今の悪い笑みは何だ?」
突然俺が話し掛けたことによって、風火はビクッと身体全体を震わせ、冷や汗を掻きながらいつもの笑顔で訊き返してくる。
「わ、悪い笑みって何? お、おいしいの?」
「おいしいかおいしくないと訊かれたら、どちらかと言ったらおいしくないだろ。悪い笑みの裏には、大抵苦い思いしかないんだからな」
自分なりにはうまいことを言ったと思うが、どうだっていい。そんなことより、風火が浮かべたあの悪い笑みの方が先決だ。
「おいしいかおいしくないかの問題は置いておき、だからどうしてお前は悪い笑みを浮かべたんだよ」
「わ、私がそんな笑顔を浮かべるわけないじゃん! きっと何かの勘違いだよ!」
いつもの笑顔を崩すことなく、おどけた態度で弁明する風火。だが、その笑顔には冷や汗がダラダラと流れている。
ポーカーフェイスを見習え……。
バレバレなそんな嘘を見抜き、俺はさらに追及する。
「だったら、お前が広戸から受け取ったその封筒の中身、見せてもらおう」
俺は風火の手にある封筒を指差し、それの中身を見せるように命令する。
「ふぇっ⁉ な、な、何を言ってるの響野⁉」
見せろと言う要求に風火の笑顔が跡形もなく消え去り、笑顔の後には驚きの表情が作られていた。
「こ、この封筒は、女の子の秘密だよ!」
「なのに、どうして広戸がそんなものをお前に渡すんだよ」
名前を出された広戸はぴくっと反応し、「あはは」と引きつった笑みを浮かべる。
「そ、そうだ! ちょっと急用を思い出しちゃったよ。ごめん水川、僕はお先に失礼するよ」
「待ってよ広戸! 私を置いて行かないで!」
風火は逃げようとする広戸の腕を、封筒を持っていない手で捕まえる。
「ぼ、僕は関係ないだろ、水川⁉」
「普通に関係あるよ! 私に協力したんだから!」
「最初に僕は、『何があっても僕は責任を取らない』と事前に言っただろ⁉」
「うっ……。そんな約束、覚えてないっ!」
「どうして⁉」
風火の自己中心的な意見に、たじたじの広戸。
この様子を見ていれば、どう考えても風火の手にある封筒は、この騒ぎの一番の鍵を握っていることが明らかに分かる。
俺は広戸を道連れにしようとする風火から、無防備にも晒されている封筒を奪い取る。
「あれっ⁉」
自分の手から封筒の感覚無くなったことに風火はすぐに気が付き、広戸の腕を離して見開いた目で俺を見つめる。
それと同時に風火から解放された広戸は、脱兎のごとく床にあらかじめ置いてあった自分のカバンを持って、教室から逃げ出した。
風火は逃げ出した広戸を放っておいて、俺に言う。
「きょ、響野⁉ それ返してよ!」
風火は俺に奪われた封筒を取り戻そうと、腕を伸ばして奮闘するが、俺は必死に襲い掛かってくる風火の頭を片手で掴み、開いている手で封筒の中身を取り出して見てみる。
「……」
封筒の中身を見た俺は、中身と一緒に封筒を握り潰し、風火の頭を掴んでいる手に力を込める。
「痛い痛い痛い! 本当に痛い! 笑えないほどに痛い!」
「……」
俺に頭を強く握られ、痛みで騒ぐ風火の反応を無視して、さらに力を加える。
「痛っ! かなり痛いよ響野!」
「……」
風火は自分の頭から俺の手を外そうと、両手を使って手を外そうとするが、俺も割と本気で力を使っているので、風火はなかなか外すことができない。
「ごめんね響野! だから少しは返事を返して! 頭が割れちゃうから、頭を離して!」
「……」
必死な風火の問い掛けにも、俺は無視し続ける。
なぜ俺がこれほどにまで風火を痛み付けているかと訊かれれば、答えはシンプル。
さっき風火から奪い取った封筒の中身に、俺の盗撮写真が複数枚も入っていたからだ。
まず、俺が授業を受けている姿や廊下を歩いている姿など、物陰らしき場所で撮影された写真が数枚あった。
しかし、その程度なら俺も笑いながら風火の頭に叩くだけだが、それ以外にも様々な盗撮写真が入っていたのだ。
例を挙げるならば、体育着に着替えている途中の俺の裸姿やトイレにいる時の写真。
風火を告訴すれば、明らかに有罪判決が下るほどに証拠が揃っているのだ。これを本人である俺が見て、怒らないわけがない。
俺はある程度風火が痛みで苦しんだところを見計らって手を離し、風火はうめき声をこぼしながら頭を押さえて床に座り込む。
風火の処罰は、今はこれぐらいにしておき、写真の経緯を問い詰めよう。
処罰を終えたことにより、風火に対する俺の怒りは大体治まり、盗撮写真について訊いてみる。
「風火? この写真をどうしたんだ?」
俺は握りつぶして丸まった写真と封筒を、座り込む風火に見せ付ける。
「痛いよ響野……。もしもあのまま続いてたら、私は真剣に泣いてたよ……」
ほんの少し目頭に涙を溜めながら、拗ねるような口調と表情で文句を訴えてくる風火。
そんな拗ねた様子の風火に、悪いことをした子供を叱るように俺は言う。
「だったら、何でこんな写真を持っているんだよ」
「そ、それは……」
そう問われた風火は、拗ねた表情をしゅんと落ち込ませ、俯き加減になって黙る。
黙ってしまった風火を見下ろし、ため息交じりの声で言う。
「『それは……』で、どうしたんだよ。何か理由があるんだろ?」
すると、風火は俯いていた顔を持ち上げ、苦笑いを浮かべながら訊いてくる。
「え……とっ。理由を話しても、怒らないでくれる?」
「内容によっては怒るかもしれないが、どうせいつもと同じ理由だろ」
俺の返事を聞いた風火はなぜか急に嬉しそうになり、大きく頷いて口を開く。
「うん! そうだよ! 響野のことが好き過ぎて、響野と一緒じゃない時に使う写真を広戸に頼んでおいたの!」
「なあ、風火? 写真は基本的、使うとは言わないんだが……」
「何を言ってるの響野? 写真は使うものでしょ。だって男の子がエッチな写真集を買って、それを見ながら――」
「喋るな! 変態っ!」
「ふぐっ!」
音速を超えたいスピードで、俺は座り込む風火と同じ視点になって空いている手で口を塞ぐ。
女の子が何を堂々と、言ってはいけないことを言おうとしている。しかも周りに人がいるというのに。
問題発言しようとした風火はもごもごと口を動かして、解放しろと目と口の動きで要求してくる。
「大人しくしろ。こんなところで問題発言をしないと約束できるなら、ちゃんと解放してやる」
その提案に、首を縦に振って風火は了承する。
「本当だな? またこんなところで今のことを喋ろうとしたら、今度はお前の口に何か詰めて黙らせるからな」
強く念を押すと、再び風火は首を縦に振って了承する。
それを見て大丈夫だと判断をした俺は、風火の口を塞ぐ手を離して喋られるようにする。
「ふはぁ! 響野、いきなり口を押さえないでよ」
口でも呼吸ができるようになった風火はジト目で見つめてきて、口を塞いだ俺に文句をぶつける。
「お前が変なことを言おうとしたからいけないんだろ。逆に感謝をしてほしいのだが」
「別に変なことは言おうとしてないじゃん。私はただ、ちゃんとした事実を言おうとしただけだよ」
「時と場所と場合。TPOぐらい守れよお前は」
「私は世間の常識なんかには縛られない!」
「痛い宣言を堂々としなくてもいいから。あと、世間の常識を守れない奴は、容赦なく世の中に弾かれるだけだから、そこは最低限守っておけよ」
かっこよさ気な宣言をする風火に、俺は冷静にそうツッコんで簡単にあしらう。
冷静にあしらわれた風火はぷくぅと不機嫌に頬を膨らませ、瞳に俺を映して今のツッコミに対して批判を言う。
「響野のそのツッコミ、簡単過ぎて全然面白くない」
「いや! 別に俺はウケを狙ってツッコんでいるわけじゃないからな⁉」
なぜそんなどうでもいいことを俺に言うんだよ。俺はお笑い芸人のツッコミ担当じゃないからな。
俺はため息を一つ吐いてからゆっくりと立ち上がり、ポケットに握りつぶした写真と封筒を詰め込んで、不機嫌そうに頬を膨らませる風火にそっと手を差し伸べる。
「もういい。俺の写真を持っていたことは、さっきの処罰で済ませてやる。だけど、今度同じようなことをしたら、お前のゲームのセーブデータを消すからな」
頬を膨らませながらそれを聞いた風火は、小さく唸ってから俺が差し伸べる手をしっかりと掴む。
「分かったよ、響野」
「分かればいい」
俺の手を掴んだ風火を引っ張り、スッと立ち上がらせる。
「とりあえず、とっとと帰ろう。今日は疲れたから、俺は早く家で休みたいんだよ」
すると風火は突然いつも通りの笑顔になって、疲れたと言った俺に嬉しさを醸し出した声色で提案する。
「だったら私の家で休みなよ! 昨日スーパーで安売りしてたオレンジジュースもあるし、ポテトチップスコンソメ味もあるよ!」
「断る」
「え~。そんなこと言わずにさ~」
「見え見えの罠を発見して、俺はわざわざそれに引っ掛かる気は無い」
「どうしてよ、私は引っ掛かるよ」
「嘘を吐くなよ。この前ケータイをいじっている時に、『あなたは見事当選しました』みたいな迷惑メールが来ても、普通に無視して削除しただろ」
「引っ掛かったら自分が不利益になる罠なんかに、どうして私が引っ掛からないといけないの?」
「矛盾するようなことを言うなよお前」
呆れた声で、矛盾したことを言い出す風火に文句を言う。
俺の文句に、風火は勝ち誇ったような表情を作って言葉を返してくる。
「ケースバイケースだよ。自分が利益だと思う罠には引っ掛かって、自分に不利益だと思う罠には引っ掛からないんだよ。今回の響野の場合、引っ掛かるのが吉だと私は思うよ」
「何でだよ?」
勝ち誇ったような表情の風火にそう訊き返すと、曇りの無い笑顔で言い切る。
「だってポテトチップスとオレンジジュースが飲める上に、こんなかわいい幼馴染に響野の初めてをたくさん奪ってもらえるんだよ!」
「お前マジで殴るよ⁉」
全然俺に利益なんてないだろ! 変態幼馴染に色々されて、何が嬉しい⁉
俺の反応を見た風火は、変わらぬ笑顔のまま言葉を続ける。
「安心して、響野。私に責められるのが嫌だったら、すぐに受けに変わってあげるから」
「よしっ、風火! 覚悟はできているな!」
こぶしを硬く握りしめ、俺はそのこぶしを容赦なく風火へと放つ。
「ふっ、響野。私が何の対策も考えずに、響野が怒りそうなことを言うと思う?」
風火はにやりと笑みを溢してから、自分の肩に掛けていたカバンで盾を作り、俺の放ったこぶしを見事に防ぐ。
「どう? 私のこの作戦? 驚いて声も――」
俺はカバンによって防がれたこぶしを戻し、もう片方の腕に力を込めて風火のカバンにもう一発こぶしを打ち込む。
「響野⁉ どうして私のカバンに、もう一発こぶしを入れるの⁉」
先ほどまで余裕を醸し出していた風火は目を見開き、戸惑いを隠せない様子で訊いてくる。
そんな風火に、なるべく現在の俺の腹の内を悟られないよう、笑顔を浮かべて答える。
「どうして? 風火のカバンに入っている物を、壊すためだよ」
「お願いだからそんなことしないでよ!」
俺のその説明を耳にした途端、そう叫ぶと同時に風火は盾にしていたカバンを俺から離れさせる。
腹の内を隠すために作っていた笑顔を崩して、俺は必死な形相の風火に首を傾げて尋ねる。
「カバンを盾にしないと、お前が俺に殴られるぞ?」
「もう絶対にカバンを盾にしないよ! 響野にカバンの中身を壊されたくないもん!」
そう言って、自分のカバンを大切そうに抱きかかえ、さらに言葉を紡ぐ。
「こんなかわいい幼馴染を殴りたかったら、遠慮なく殴りなよ!」
「仕方がない……。風火が殴られても大丈夫なら、遠慮なく殴るか」
「冗談だよ響野! 殴らないでよ!」
「どっちだよ、お前は……」
俺は冗談を言い出した風火を見て、深いため息を吐く。
まあ、カバンを殴った時に俺の殴りたいという衝動は抑えられたから、もう風火のことを殴る気は無かったんだがな。
俺がもう殴って来ないと察した風火は、こぶしを打ち込まれた自分のカバンの中身を慌てて確認する。
「ふぅ、よかった……。中身は何とか無事だったよ」
そう呟くと、風火は俺をムッとした表情で睨む。
「カバンの中に入ってるものを、どうして壊そうとするの⁉」
「お前が俺の攻撃を防ぐために、カバンを盾代わりに使ったからだろ」
考えなくても分かることを、なぜ訊いてくる?
俺の答えを聞いた風火は睨むのをやめて、「そ、そうだけど……」とおろおろした様子でそう言い、弁明するように言葉を口から出す。
「だ、だけど、あえてカバンの中身までも壊そうとしなくても……」
「挑発するようなことを言い出したのはお前だし、結局カバンを盾に使って身を守ったのもお前だろ」
「うぎゅ……」
弁明をしたら逆にそれが仇となって返って来たため、風火はかわいらしく唸る。
唸った風火を見てから、俺は近くの出入口へと歩き出す。
すると、急に風火は慌てだし、教室を出て行こうとする俺の制服の袖を掴んで制止させる。
「待ってよ、響野! かわいい幼馴染を置いてくの⁉」
「置いて行かれたくないなら、早く来いよ」
「あ~。待ってよ響野!」
俺は袖を掴む風火の手を外し、再び歩き出す。
「あっ!」
背後で、「待ってよ!」と風火が騒いでいるが、無視。一々そんなことで立ち止まっていたら、いつまで経っても帰ることができないからな。
教室内で色々あった後、やっとのことで俺は教室から出ることができた。正直、このまま帰りたいが、やかましい風火と帰らなければまた新たな個人情報が山紙に流出されてしまうので、仕方が無く教室前の廊下で待つ。
すぐに風火は教室から出てきて、廊下で待つ俺に頬を膨らませて言う。
「少しぐらい待ってくれてもいいじゃん! 一緒に帰った関係なく、山紙さんに響野の情報を教えるよ!」
「そしたら、お前の持っているゲームのセーブデータ全部、消すぞ。むしろゲーム自体を中古ショップで捌くぞ」
「さりげなく、利益を取ろうとしないでよ⁉」
頬を膨らませて絡んできた風火は、俺の発言によって頬をしぼませ、声を少し荒げる。
俺はそんな風火のことを放っておき、一階にある玄関へと歩き始める。
「だから響野! 私を置いて行かないでよ!」
そう言いながらも、風火は俺の隣まで小走りで駆け寄ってきて、文句をぶつけてくる。
「置いて行かれたくなかったら早く来いって、俺はさっきも言っただろ」
「男の子には優しさが重要だと、私は思っているよ!」
「そうか、お前はそんなことを思っていたのか。あいにく、俺は脅してくる女の子に優しくする主義ではないみたいでな」
「えっ? 私、響野のことを脅していたっけ?」
「お前もう黙れよ」
隣を歩く風火の顔を見ながら俺は不機嫌にそう言い、風火はバツが悪そうにうめきながら黙る。
風火が黙ったことで、先ほどまで騒がしかった俺の周りはだいぶ静かになり、遠くから聞こえてくる他生徒の笑い声だけが耳に届く。
やっと静かになった。
まさか隣にいる変態幼馴染が黙るだけで、これほどまでに静かになるとは、予想にもしなかった。
この静かな空気に喜びを感じながら、一階まで続く階段を風火と共に下りて行く。
もしかして、この静かさのまま家まで帰られるのではないのか?
俺はそう期待をし、喜びによって胸を躍らせながら階段を下り、一階へと到着する。そして現在の静けさを維持して下駄箱に行き、風火と共に靴を履き替えて校舎の外へと……。
「響野……偶然……」
風火と一緒に校舎の外に出ようとした俺の前に、感情があまり込められていない、特徴的な喋り方の女の子がスッと姿を現した。
「お前……。絶対に偶然じゃないだろ」
偶然と言い出した目の前の無表情ストーカー山紙海に、俺は呆れながら言葉を掛ける。
「響野と会ったのは偶然……。私も、丁度今ここに来た……」
「ほう。丁度今ここに来たと言いながら、下駄箱の陰から狙ったように出て来た奴が、良くそんなことを言えるな」
俺の指摘を受けた山紙は一度目を伏せてから、素直に白状する。
「分かった、響野には嘘を吐かない……。響野の言う通り、待ち伏せしてた……」
やっぱりしていたのかよ……。
山紙の供述を耳に入れた俺は、頭を抱えて低く唸る。
すると、容疑を素直に白状した山紙が、さらに俺の頭を抱えさせる発言をぶつけてくる。
「それじゃあ、響野に正直に話したからご褒美をちょうだい……」
「誰が決めた、そんなルール……?」
ご褒美をちょうだいとねだってくる山紙を、俺は頭を抱えながら眺め、呆れた声色で訊き返す。
「私が決めた……」
「本人の了承が取れてないのに、勝手にそんなの作るなよ⁉」
頭から手を離して、俺は山紙と顔を合わせてツッコむ。
「響野に拒否権なんて、無いんだよ……」
「俺にもちゃんと、拒否権はあるからな⁉」
何を言い出してるのこいつは⁉ 割と本気で驚いたよ!
出会って数秒の間で山紙のとんでも発言を浴びせられ、俺は息を荒げてしまう。
少し冷静になるんだ。山紙や風火のペースに乗せられてしまえば、大抵俺だけがひどい目に合ってきた。
そのことは、朝と昼休みで学んだはずだぞ。だからここは、一旦冷静になるんだ……。
荒げていた息を整え、俺はカバンを肩に掛け直して、押され気味の風向きを変えるために提案する。
「とりあえず、俺は風火と一緒に帰るところだけど、山紙はどうする?」
「私も一緒に帰る……」
「おう、分かった。風火もそれでいいよな?」
山紙の返事を聞いた俺は、隣にいる風火に了解を取るために訊いてみる。
「……」
だが、風火は俺の質問に対して返事を返さずに、ムッとした表情で見つめてくる。
「んっ? どうしたんだ風火?」
「……」
返事がない。まるでしかばねのようだ。
……いや、どこからどう見ても生きているから、しかばねではない。
俺は返事を返してこない風火に、少し苛立ちを感じて強めの口調で訊いてみる。
「おいっ、風火。聞こえているなら返事ぐらい返せ」
すると、風火は固く閉じた口を開く代わりに自分のカバンからノートとシャーペンを取出し、ノートに何かを書き始める。
「風火? お前は何をやっているんだ?」
突然の風火の行動に、俺の苛立ちは自然と治まり、その謎の行動に注目する。風火の隣にいる俺だけではなく、正面にいる山紙までもが風火の行動に目を遣っている。
二人から視線を集めながらも、風火はノートに何かを掻き終えて、それを俺たちに見せ付ける。
「ええっと……。『響野がさっき、私に黙れって言ったじゃん!』だと?」
俺たちに自分が思っていることが伝わり、満足げな笑顔で大きく頷く風火。
「……」「……」
正面に立つ山紙は冷たい瞳で風火の姿を映し、俺はノートに書かれた文字と満足げな笑顔を二度見してから、その笑顔の風火にチョップを喰らわす。
「痛っ!」
チョップを喰らった風火は、手に持っていたノートを床に落として、俺に叩かれた箇所に優しく撫で始める。
「痛いよ、響野! 何でいきなり頭を叩くの⁉」
「お前が変なことを固執していたからだろ。そんなことで固執するなら、家に来ないという俺のお願いをちゃんと聞いてくれよ」
「それは嫌に決まってるじゃん」
頭を優しく撫でていた手を離して、風火はさも当たり前のようにそう言う。
もう一発こいつの頭を、叩いた方がいいのではないのか?
俺はそんな願望に駆られるが、話しを進めるためにその思いを抑え込んで風火に改めて訊く。
「それで、お前はいいのか? 俺たちと山紙が、一緒に帰ることについては?」
「う~ん、そうだね……」
風火は胸の前で腕を組み、俺の質問にどう返すかをしばしの間考え、すぐにかわいらしい笑顔を浮かべて、快く返事をする。
「うんっ! ダメだね!」
「……」
俺は声を失い、ただ茫然と風火の笑顔を見つめる。
しかし、びっくりしたね。
まさかこんなにかわいらしい笑顔を浮かべながら、否定の言葉を迷うことなく言い切ってしまったんだからな。本当にびっくりしたよ。
風火のかわいらしい笑顔から放たれた否定の言葉を耳にして、思わず声を失ってしまった俺とは違い、山紙は予想をしていたような毅然とした態度で口を開く。
「あなたが否定しようが、私は勝手に響野に付いて行く……」
「残念だけど、響野は幼馴染であるこの私と一緒に帰る約束をしたの。だから山紙さんは一人で寂しく帰ってください!」
「言ったでしょ……。あなたが否定しても、私は響野に付いて行くって……」
「うぐぅ……。しつこいよ、山紙さん。しつこい女の子は、男の子に嫌われるよ!」
「それを言うなら、あなたも同じ……。毎日響野に付きまとっているでしょ……」
「そ、そうだけど! それは私と響野が幼馴染だから、許される範囲なんだよ!」
……全然許される範囲じゃないからね。どう頭の中で思考すれば、そんな考えが出てくるんだろうね。
指摘されて理不尽な意見を主張した風火は、その指摘をしてきた山紙にも同じようなことを言う。
「山紙さんだって、私が知らない響野の情報をストーキングして集めたんでしょ。ストーキングは悪いことだよ!」
「ストーキングは、相手にばれなければギリギリセーフ……」
「普通にセーフじゃないからね⁉ 山紙さん!」
珍しく正論を掲げる風火。
だが、まっとうな正論を捻ってしまうのが、俺たちの目の前にいるストーカーだ。
「世間一般では、基本的ばれなければセーフ……。ばれなければ問題視されない……」
「それでもストーキングは悪いことだからね⁉」
「付きまといを、幼馴染だからと言って許容の範囲に入れてるあなたには、言われたくない……」
「うぐっ……」
山紙の発言によって見事に的を打ち抜かれ、さっきから必死に反論を言い返していた風火は、短く唸ってから黙り込んでしまう。
まあ、風火も同じようなことを常日頃からやっているから、山紙を注意するには説得力がないよな。
俺は二人が言い合っている間に、何とか失われた声を取り戻すことができ、その声を使ってすぐに二人の間に割って入る。
「とりあえず、二人とも一旦冷静になってくれ」
声を聞いた風火と山紙は俺に顔ごと視線を送り、俺の次の言葉を待たずに二人が口を出す。
「山紙さんが悪いんだよね! 響野!」「水川が悪いでしょ……響野……」
「やかましい! お前ら!」
何で俺を困らせようとする時に限って、二人の息はぴったりなんだよ! 絶対に俺に対しての嫌がらせだよな!
二人同時に口を開いた風火と山紙を黙らせ、俺は一度息を深く吸って平静を戻してからため息交じりの声で言う。
「風火が言っていることも、山紙が言っていることも、正直どちらも正しい。これでさっきからの言い合いは終了だ」
かなり無理矢理な感じだが、こうでもしない限り、二人の争いは止まることを知らないだろう。
二人を止めた俺は、そのままの口調で風火に訊いてみる。
「話しを本題に戻すが、風火はどうして山紙と一緒に帰るのが嫌なんだ? それをちゃんと、俺に説明してくれ」
すると、風火は山紙に不機嫌そうな顔を向けてから、俺の要求に渋々答えてくれる。
「山紙さんに、響野を取られたくないから……」
「……またそれかよ、お前は……」
午前の授業中にも、こいつは同じことを言っていたよな。
そんなことを思い出し、不機嫌そうな風火の説明を聞いた俺は、額に手を添えて重い息を一つ吐く。
「風火……。どうしてお前は、どうでもいいことに固執するんだよ」
「どうでもよくないよ! 響野!」
俺がどうでもいいと片づけると、風火は突然むきになって声を上げる。
「響野は純粋なる乙女の恋心を、全然分かってないよ」
「純粋なる乙女の恋心? お前の基準では、どこまでが純粋なんだ?」
「幼馴染の家に不法侵入して、目覚めのキスをするまでが純粋だと思うよ!」
「法に触れている時点で、明らかに純粋の域を超えているだろ」
本当にどういう構造になっているんだよ。このお花畑っ子は……。
俺は額に添える手を離し、早く家へと帰りたいので、山紙のことを説得してみる。
「不純なる乙女の恋心は置いておき、山紙はどうするんだ? 風火が俺を取られたくないという理由で、一緒に帰りたがらないけど」
「不純じゃないよ。純粋なるだよ、響野」
「お前は黙ってろ、風火」
頬を膨らませて異議を申し立てた幼馴染を無視して、俺はもう一度山紙に尋ねてみる。
多少本音を溢すとしたら、できれば二人と一緒には帰りたくないというのが事実なんだがな。
尋ねられた山紙は、頬を膨らませている風火を軽く一瞥してから俺に向き直り、表情を崩すことなく平然と言い切る。
「いつもみたいに、勝手に付いて行く……」
「平然と物騒なことは言わないでくれ、山紙。マジで怖いから」
俺の言葉を聞いて、山紙は小首を傾げて何のことかと訊き返してくる。
「どういう意味なの、響野……?」
「お前の発言を聞く限り、俺のことを毎日ストーキングしていたという実感が湧いてきて、段々と寒気を感じるんだよ」
平然と山紙は言い切ったが、俺にとっては本当にあった怖い話を聞いている時並みに、不気味な寒気を感じられる。
怖い話を、日常会話みたいに使うなよ。
俺に黙れと指示された風火は、今回に限っては固執せずに俺と山紙の間に口を挟む。
「そんなことを言っている山紙さんなんかと、一緒に帰らなくていいよ!」
「さっき黙れと言ったのに、どうして喋るんだよ……」
突然口を挟む風火に、俺は不満を声に含ませて訊いてみる。
すると、風火はビシッと俺を指差して言う。
「私は自由だからね!」
「決め台詞らしきものを言うたびに指を差すの、うざったいからやめてくれない?」
「私は誰の命令にも従わない!」
もう一度ビシッと指差して、決め台詞らしきものを言い切る風火。
おーい。誰かペンチを持っていないか? 目の前にいる幼馴染の指を、なるべく強めに捻って、曲がらない方向に曲げるために使うから。
とりあえず、俺はこちらに向けられている風火の人差し指を片手で握りしめ、その指を曲がらない方向にじわじわと曲げて行く。
「痛っ! 響野、そっちは指が曲がらない方向だからかなり痛いよ!」
曲がらない方向に指を曲げられ、半分泣きそうな表情で俺の指を離そうとする風火に対し、なるべく爽やかに微笑んで答えてやる。
「ああ、知ってるよ。だからこそ曲げているんだよ、風火」
「うわっ! サディストがいる! わざとらしく爽やかそうに微笑んで、サディストを演じてる痛いサディストがいる!」
その風火の発言に、俺は普通にイラッとしたので、指をさらに曲げてやる。
「痛っ! 痛いよ響野! 泣きそうなほど痛いよ! 本当に響野は痛いよ!」
「お前、さりげなく俺のことを痛いと言ってるよな?」
「何を言ってるの響野? さりげなくじゃなくて、堂々と言っているんだよ」
「よしっ。もっと指を曲げて、痛みで喋れなくしてやろう」
「ふっ、ふっ、ふっ。残念なことに、すでに私には半分ほどマゾスイッチが入っていることに、響野は気が付いていないようだね。まあ、私は興奮を表に出さないように、いつも家で特訓してるからね。実を言うと、すでに私の下は――」
「口を開くな、変態!」
俺は指を離して、風火の言葉を俺の大声でかき消す。
何でこいつは、公然と変な情報を公表しようとしてるの⁉ 今日で何回目だよ、この変態が同じようなことをしたのは⁉
風火の言葉を大声でかき消した俺は、その反動で自分の息が荒くなってしまう。
そんな俺の状態なんてお構いなしに、風火は急に大声を出した俺の考えていたことをすぐに察知して、にやにやと頬を緩ませながら口を開く。
「おやおや? 息を乱してどうしたの、響野?」
「はぁ、はぁ。腹立つな、お前……」
にやにやと顔を緩ます風火を無視して、呼吸を整える。
どうして俺の幼馴染は、こんなにも変態何だよ……。誰か俺と、幼馴染を交換してくれないか?
呼吸を整え、そんな無理なお願いを思案していると……。
「……んっ?」
辺りを見回してみると、周りの生徒が俺たちに視線を集中させていることに、気が付いてしまう。
「……」
その光景に俺は思わず絶句し、言葉が出てこない。
……いつの間に、これほどまでに視線が集まっているんだよ……。
しかも、俺たちに向けられている視線のほとんどは、俺たちがうるさいせいか、迷惑そうな視線ばかりだ。
そんなことまでも気が付いてしまった俺は、この場にいることが申し訳なく感じ、早くここから去るために二人にある提案を挙げる。
「と、とりあえず。一度言い合いは終わらせて、今は場所を移そうぜ」
場所を移せば、周りからの視線も落ち着くだろう。二人とも俺の提案を素直に飲んでくれよ。
しかし、風火たちは俺の挙げた提案を、素直に飲んではくれない。
「どうして、響野? 別にここでも大丈夫じゃん」
「私も同じ意見……」
くっ……。こいつら、空気というものをまったく読もうとはしないのか? 周りをちゃんと見渡せよ……。
空気が読めない二人に対して、俺は心の中でどっぷりと重たいため息を吐く。
変態二人が、この調子では仕方がない。こうなったら、強行手段だ。
俺は重いため息を吐いた心を瞬時に切り替え、身体ごと振り向いてから二人の手を握りしめる。
「ふぇ⁉ いきなり何⁉」
自分の手を握りしめられたことで、風火は間の抜けたようなかわいらしい声を上げ、俺の顔を驚いた表情で見つめる。
また、山紙も驚いた表情を浮かべて俺の顔を見つめたが、風火とは違って声を上げることはなく、手を握りしめてから数秒経つと頬をピンクに染めて、俯いてしまう。
そして俺は、驚く二人の気持ちなどお構いなしに手を引き、視線が集まらない校舎の外へと早足で出て行く。
俺は黙ったまま歩き続け、先ほどいた玄関から離れたところで風火が俺に訊いてくる。
「響野、どうして急に外なんかに出たの?」
風火から質問をぶつけられた俺は、周りを見渡して視線を向けて来る奴がいないことを確認してから立ち止まり、風火の質問に呆れながら答える。
「お前たちは気が付いていなかったのか? 俺たちが騒いでいるところを、他の生徒たちに見られていたのを……」
「え~? 見られていたの~? わ~、驚いた~」
風火は目を見開いて、わざとらしい驚きの声を上げる。
その反応を見た俺はこぶしを作り、それを風火に見せ付けながら言う。
「……お前、一発ぶん殴られないと、そのむかつく性格を直せないのか?」
風火は驚きの表情から、上品そうな微笑みに表情を変えて言う。
「何を言ってるの響野? 個性は人らしさを作るためには、必要不可欠なんだよ」
「人を不快にさせる個性は、なるべく隠すことを俺はオススメするぞ」
「やだよ、めんどくさい」
「めんどくさいじゃない」
上品な微笑みのまま、「めんどくさい」と言い切る風火に呆れた視線を送る。
俺のそんな視線を送られた風火は、微笑みを崩し、やる気の無さそうな顔で反論を返す。
「自分の本心を隠すのはめんどくさいじゃん。響野には分からないの?」
「安心しろ。俺はいつも、お前を殴りたいという気持ちでいっぱいだが、ちゃんとそれを自分の中で抑えているからな」
すると、風火はいつもの嬉しそうな笑顔を浮かべてから、喜びを含んだ声で言う。
「その発言って、裏を返せば私のことをいつも思ってくれてるっていう意味だよね!」
「……お前のそのプラス思考が、かなり羨ましいよ」
風火は俺の言葉を聞き、自慢げに鼻を鳴らして「いいでしょ!」と、偉そうに腰に手を当てる。
ああ、本当に羨ましいよ……。
俺は風火と会話をするのに疲れたため、立ち止まっていた足を再び前へと進ませる。
「あっ、待ってよ、響野!」
「響野……先に行かないで……」
先に歩き出した俺の後ろを、すぐに追い掛けてくる二人の変態。
こいつらが変態じゃない上に、性格ももう少し大人しかったら、最高なんだけどな。二人とも、普通にかわいいし。
俺の後ろを追い掛けてきた二人は左右に別れ、風火は俺の左手、山紙は俺の右手を突然握りしめてきた。
「なっ⁉ お前ら、何でいきなり手を繋いでくるんだよ⁉」
急に手を繋がれた俺は、声を荒げて左右の二人に質問をぶつける。
すると、風火は力強く俺の手を握りしめ、俺の質問を無視して嬉しげな笑顔で注文してくる。
「響野! 私の家まで、しっかりとエスコートしてね!」
「ちゃんと俺の質問に答えてから注文しろ」
こいつは一体、何様のつもりなんだ?
俺が風火に構っていると、もう片方の手をクイクイと山紙が引っ張り、質問に答えてくれる。
「一緒に帰って、響野の家で二人の愛を育むため……」
「あまりふざけた返答をするなよ、山紙……」
「ふざけてない……。私はいつでも真面目……」
「真面目だったら、不純異性行為を誘発するような発言を控えろ」
「……やっぱり私は、真面目じゃない……」
「そうなのか、でも安心しろ。最初から俺はお前と愛を育む気は、さらさらないから」
俺がそう言い流すと、山紙は不満げなジト目で見つめてきて、握りしめる手に力をより加えて離そうとはしない。
それを見た俺は苦笑いを浮かべ、無駄だとは分かっているが、二人に一応訊いてみる。
「……二人とも。俺が手を離してくれとお願いしても、離してくれないよな?」
「もちろんだよ!」「うん……」
たちが悪いことに、風火と山紙は声を合わせて嬉しそうに頷く。
何でだろうね。俺は何か、悪いことでもしたのかな?
もしそうだとしたら、俺はどれだけ悪いことをしたんだろう? 重度の変態二人と、手を繋ぎながら下校すると言う、重い罰を受けるほどの悪いことって……。
自分の不条理な運命にため息を一つ吐いてから、俺の手を強く握りしめる二人に言う。
「お前ら。変態を二人も連れて歩く俺の身にもなれよ……」
「何を言ってるの、響野? 変態じゃなくて、テイクアウト可能な、とびっきりかわいい幼馴染でしょ!」
俺の発言に対し、顔を向けて嬉しそうな笑顔で言い切る風火。
「響野……。私は変態じゃなくて、婚約者……。因みに、いつでも夜の相手はできる……」
続いて、山紙はいつもと同じ無表情で俺にそう言う。
……。
もう誰か、この二人を引き取ってはくれないだろうか?
『憂鬱』という二文字を頭の中で思い浮かべながら、俺は変態に手を引かれて下校したのであった。
今日、俺はどれだけの辱めを受けたのだろうか?
疑問にそう思い、俺は大まかの記憶をたどって、思い出す作業に没頭する。
まず始めに、山紙によって俺のトップシークレットが教室で暴露され、次に廊下で風火をお姫様抱っこした後、山紙に押し倒されてその光景を三人の女子生徒に目撃された。
その後、二人は食堂で俺の腕に抱き付き、周りの視線が俺に集中すると言った、辱めを受けた。
……。
合計は四回……。
割と少ないと感じるかもしれないが、その辱めの一つ一つが俺の人生を大きく狂わせる要素を含んでいることを考えれば、少なくも感じられない。
そして今、さらに一回追加されている。
「響野! ちゃんと私の歩調に合わせて歩いてよ!」
「響野……。別に水川の歩調に合わせなくてもいいから、私の歩調に合わせて……」
「なっ⁉ 響野! 山紙さんの言うことより、私の言うことを聞いて!」
「響野は私の言うことだけを聞いて……。水川の言うことは、聞かなくていい……」
「ダメだよ響野! 響野は私だけの言うことを聞くんだよ!」
「私の言うことだけを聞いて……。響野……」
「お前ら、本当にうるさいな」
俺の悲痛の嘆きを聞いた風火と山紙は、やかましく言葉を溢れさせていた口をピタリと閉じる。
現在の状況は先ほど学校を出た時と同じく、二人と手を繋いでいることによって俺の両手が塞がれている状態だ。
つまり、今のやかましい会話は俺を間に挟んで交わしているわけで、二人の間にいるこちらからにしてみれば、ありがたくもない迷惑行為なのだ。
しかし、そんなことは後でいくらでも言えるのでとりあえず置いておき、最優先課題を先に片づけよう。
学園からの下校路を二人の変態と手を繋いで歩く俺は、あることを頼むためにその場に立ち止まり、微かに唸ってから変態たちにその頼みを申し出る。
「なあ、二人とも。いい加減俺の両手を開放してくれないか?」
俺が苦笑い気味の笑顔でそう頼んでみると、変態の風火と山紙はその場で歩くのをやめ、視線をこちらによこしてから、口をそろえて返事を返す。
「「やだ」」
「……」
普段は仲が悪いのに、やはりこういう時になると息がぴったりだ。絶対に仕組んでるよね、お前ら……。
二人の即答を聞いた俺は、そんな憶測を頭の中で思いながら苦笑い気味の笑顔を崩し、疲れた表情で言う。
「素直に頷いてくれよ、二人とも……」
「? どうして響野? こんなにかわいい幼馴染と手を繋いで帰れるんだよ」
風火は俺の言葉を聞き、俺の意図などはまったく気にしようとはせずに、持論を披露し出す。
何が『かわいい幼馴染と手を繋いで帰れる』だ。この年になって幼馴染と手を繋いで帰ったら、ただ恥ずかしいだけだろ。手を繋いでいる幼馴染が、彼女ならともかく。
風火の持論を頭の中で否定してから、俺は疲れた表情のままで口を開く。
「俺の公式幼馴染と胸を張っていつも自負しているなら、少しぐらい俺の意図をくみ取ってくれてもいいんじゃないのか?」
すると風火は、俺の手を拘束していないもう片方の手の人差し指を立てて、それを見せ付けながら反論を返してくる。
「響野。私はいつも、響野のことを考えて行動しているんだよ」
「俺のことを考えて?」
風火の意味の分からない反論を耳にした俺は、疑問気な声で訊き返す。
「そうだよ響野。言葉の通り、私は響野のことを考えているんだよ!」
「その言葉は変態的な意味ではないよな? 毎日空想の俺を使って、変な妄想をしてるとか……」
「んっ? それは毎日やってることだから、安心して!」
「即刻やめろ」
「無理だよ。もしも響野の妄想をやめたら、私の響野エネルギーが一気に減っちゃうもん」
「どんどん減らせ」
「響野エネルギーを減らしたら、私はエネルギーに飢えて響野本体を襲っちゃうよ?」
「どんだけ迷惑な設定だよ⁉」
「幼馴染ですから」
「幼馴染は関係ない!」
俺は驚きの声を上げるしかできない。
しかし、普段から俺の妄想をすることで風火は欲望を抑えていたとは……。もし普段から妄想をしていなかったら、今頃俺はどうなっていたんだ……?
変態幼馴染の水川風火に、新たな恐怖を覚えてから、俺は唸りながら尋ねる。
「それで、お前はいつも俺のことを考えて行動していると言ったが、正確の意味を俺に教えてくれ……」
俺が尋ねると、風火は立てていた指を下ろしてから嬉しそうな笑みを浮かべ、自分が得意なことを他に自慢する子供のような口ぶりで、説明を始める。
「じゃあ教えるね。まず、私は基本的に響野にプラスになるように行動をしていることだけは最初に言っとくね!」
おっと。いきなり聞き捨てならないセリフが飛び込んできたぞ。
だが、まだ始まったばかりだ。今のは見逃してやろう。
風火の説明に違和感を持つ点があるが、とりあえず最後まで話しに耳を傾けてみる。
「私が毎日響野に行っている行為は、響野が女の子とのスキンシップに苦労をしないようにしているんだよ。こんなかわいい女の子といつも一緒にいれば、普通に女の子との関わりを持てるでしょ」
「……確かに」
意外と的を射ていた風火の発言を聞き、違和感を覚えていた俺は素直に納得をしてしまう。
風火の言う通り、喋る相手が自分の性別とは違う女の子であろうが、俺は基本的普段と変わることなく会話をすることができる。
普通の男性の姿を見る限り、女の子と話す際にはデレッとした雰囲気を醸し出すことや、まともに喋ることができない人がいるが、俺にはそう言うことがあまり無い。
ある意味そこはプラスだと思い、続けて風火の声に耳を澄ます。
「次に私が響野に与えているプラスは、男の子が願う欲望を満たしてあげている! これは一番大きなところだよ!」
「……いつ俺が、お前によって欲望が満たされた?」
声に耳を澄ましていた俺は、ツッコミをせざるおえない風火の言葉に、反射的に口を挟んでしまう。たぶん、誰だってツッコミを入れてしまうだろう。
「……響野。私が気分よく説明をしてあげているのに、何で口を挟むの……?」
「お前が担っていない面を、プラス要素として挙げているからだよ……」
「話しは最後まで聞いてよ響野!」
頬を膨らませ風火は文句を言い、俺はそれを呆れた目で凝視しながら、ため息を溢す。
「……まあ、仕方がない。一応黙って聞いてやる」
「最初からそうしてよ」
「ツッコミを入れざるおえない発言を、お前が突然口走ったからだろ」
俺に反論をぶつけられた風火は、ムッとこちらを睨んでから、不機嫌そうに説明を再開させる。
「むぅ……。私が朝早く響野を迎えに行ったり、くっついたりすれば、一般的な男の子が願う欲望は満たされるんだよ。普通の男の子は、かわいい女の子が家まで迎えに来たりすることを日頃から願っているからね」
……どこ情報だよ、それは?
いざ風火の説明を聞くと、頬を引きつるしかない疑問が俺に降り掛かってきた。
「質問するけど、いつ俺がそんなことを願った? 一度も思い当たる節が無いのだが……」
説明が終わったところを見計らって俺が質問してみると、風火はやれやれと小首を傾げてから、呆れた表情で返答をくれる。
「だって、私がいつもやっているんだから、響野にそんな欲望が芽生えるわけがないじゃん。逆に私がやっていなかったら、今頃響野は『どうして俺の幼馴染は朝迎えに来ないんだよ!』って、のたうち回ってるよ」
「……のたうち回らねぇよ」
呆れた表情で言った風火に、声のトーンを落として言い返す。
何を根拠に言ってるんだよ、こいつは……。
風火の呆れた表情を眺めながらそう考えていると、もう一方の手がクイクイと引かれて、俺の名を呼ぶ声が耳に届く。
「響野……。私もいつも、響野のために行動してる……」
「山紙。面倒だから、風火に対しての無駄な対抗心を湧かないでくれ」
風火を見ていた俺は顔をすぐに山紙に向けて、これ以上厄介ごとが増えないように断りを先に入れる。
なるべく面倒なことには、巻き込まれたくはないからな。先に釘を打っておかないと。
だが、山紙はそんな俺の断りを堂々と無視して、変わらぬ無表情で説明を始める。
「私が毎日響野を観察してるのは、響野に身の危険が加わらないようにするため……」
「山紙は俺の話し聞いてるのか⁉ 無駄な抵抗心を湧かさなくていいからな⁉」
説明を始めてしまった山紙に、俺は慌てて制止の言葉を掛ける。
しかし、俺のその制止などお構いなしに、山紙は言葉の続きを語り出す。
「他には、もしも響野が急に体調を崩した時、すぐに駆けつけて看病することができるように……」
「安心しろ山紙。お前の前で倒れたら確実に死を意味するから、絶対に倒れる気は無い」
こんな奴の前で倒れたら何をされるかなんて、すでに予想が立っている。最悪、山紙の自宅にテイクアウト=拉致、という可能性もありえる……。
そう考えているだけで、背中に冷たい線が通る。もうあまり、変な想像はしない方がいいな。心臓に悪い。
変な想像はあまりしないと心の中で軽く決意をし、俺は無表情でこちらを見つめてくる山紙と、呆れた表情で俺と山紙の会話を聞いている風火に、疲労帯びた声で尋ねる。
「それで思ったのだが、いつ俺が二人にそんなことをお願いした? 二人はまるで、俺のためにやってあげているみたいに説明しているが……。別にやらなくてもいいんだけど」
その発言を俺の口から聞いてしまった二人は、目を見開いて驚いたような表情を同時に浮かべ、現在の心境を包み隠さずに表に見せ付ける。
「何を言ってるの響野⁉ おかしいよ⁉」
「響野……それはおかしい……!」
「いや、おかしいのはお前ら二人だからな」
驚いた顔でそう言う二人に、俺は不満げな視線を送る。
すると、風火は首を横に振って、俺の言葉に否定の意を表す。
「おかしくないよ響野。逆におかしいと思う響野がおかしいんだよ!」
「何で俺がおかしいんだよ……?」
朝早くから人の家に不法侵入したり、ストーカー行為をしたりしている奴らの方が、明らかに変だろ。なのに、なぜ俺がおかしいと言われなければならない。
俺の疑問に対して風火と山紙の変態二人は、驚きの表情からジト目気味の目つきになり、その目で俺を見つめながら変態幼馴染が口を開く。
「だってかわいい女の子と毎日関わっているのに、それを自分から捨てようとしているんだよ。健全男子高校生なら、おかしいことじゃん」
「ほう……。家に許可無く侵入する幼馴染の方が、俺なんかよりもよっぽどおかしいと俺は思うけどな」
「全然おかしくはないよ」
「なら、俺が納得する理由を言ってみろ」
「それは、私たちが幼馴染だからだよ」
ビシッと人差し指で俺を指差し、ジト目のまま堂々と言い切る風火。
もちろん。そのような理由を聞かされたところで、俺が納得して頷くわけがない。
「もう少し筋の通った理由を話してくれ。理由として成り立つ部分が、まったくないから」
「大丈夫だよ。何度も言うように、幼馴染は万能なんだから」
「俺も何度も言うが、幼馴染というのは決して万能な存在ではないからな」
「何を言ってるの? 幼馴染というのは、昔から何をやっても許される存在なんだよ。隣に住む幼馴染の家に侵入するのも、その幼馴染の貞操を奪うのも」
「どちらも許されるわけがないだろ。お前の頭の中は、一体どうなっているんだ……?」
しかも、最初っから最後まで完全に法に触れているし、最後に関しては完全に幼馴染の一線を越えてしまっている。どう考えても、幼馴染ではもう片づけることができないだろ。
風火の無茶苦茶な『幼馴染万能説』を否定した俺は、続けて何かを言おうとしたが、これ以上何を言っても無駄だと悟り、言葉の流れを止める。
今のこいつに、反論や否定を返したところで帰って来るのは反論ばかりで、了承の言葉は何度も言い合いをしないと聞くことができないだろう。さすがにそこまで長期戦にはなりたくない。正直に言うと、くだらないことで疲れたくはないのが本音だ。
俺が言葉を続けないと分かった風火はジト目で見つめてくるのをやめ、少し不思議そうな顔で訊いてくる。
「あれっ? 続けて何か言うと思ったら、何も言わないの?」
「お前に何か反論しても、俺が無駄に疲れるだけだろ……。誰かさんたちのせいで、今日は割と疲れたからな」
風火はその発言を聞き、呆れたようなため息を吐いてから俺を情けなさそうに見る。
「はぁ……。まだこんなに若いのに、どうして響野はそんな年寄りみたいなことを言うんだろうね。私は響野の幼馴染として、本当に情けないと思うよ。しくしく」
「ほとんどお前らのせいだろ⁉ 俺を年寄り扱いするなよ⁉」
俺を年寄り扱いしようとする風火に対して、声の調子を乱して文句をぶつける。
「人のせいにするのは良くないよ、響野。そこまで堕ちたの?」
「別に人のせいにしてないだろ⁉ 俺は事実を述べてるだけだ!」
「落ち着いて響野、冷静になって考えてみてよ。私がいつ、響野を疲れさせるようなことをしたの?」
「ほぼ毎時間だよ⁉ 自覚が無いのかお前は⁉」
「えっ、何を言ってるの響野? 自覚あるに決まってるじゃん。普通に考えれば分かるよね?」
「もうやだ! こんな幼馴染何かとずっと付き合っていきたくはない!」
俺は後悔と憂鬱によって絶叫する。
「付き合う……? もしかして、今まで私のこと彼女みたいに思ってきてくれたの?」
「まったく思ってない! むしろマイナスだ!」
「え~。何でマイナスなの? 今この瞬間までの私のアピールは、どう考えてもプラスになるじゃん。響野は鈍感だなぁ」
「すごいね、お前。どうしてそんなにプラスで考えることができるの……」
俺は風火に顔を向け、やつれた表情で言う。
もうやめてください……。
俺がこいつに何をやった? 誰か分かるなら、それを俺に教えてくれ。
その時、憂鬱状態の俺に超人的なプラス思考を見せびらかす風火が、俺の手を握っていない方の手を自分の前でぐっと握りしめ、難しい問題の答えが出たような笑顔で俺に言う。
「待って……。マイナスっていうことは、それにまたマイナスを掛ければプラスになるよねっ!」
「一体全体、お前のプラス思考はどうなっているんだ……?」
笑顔で言い切る風火に、俺は思わずそんなことを訊いてしまった。
確かに、公式上の問題ならマイナスにマイナスを掛ければ、プラスになる。だけどそれは公式上の問題で、現実とは違うだろ……。
笑顔の風火から俺は答えを聞かずに顔をそむけ、疲れと呆れを含んだため息を吐く。
すると、風火とは逆の方向から視線が送られていたことに気が付き、そちらに目を遣る。
「……どうした、山紙……? 俺に何か用か……?」
俺がそう尋ねると、先ほどのジト目のまま視線を送っていた山紙が、ほんの少し頬を不機嫌そうに膨らませて、口を開いて言葉を出す。
「さっきからずっと見てたのに……どうして反応してくれないの……」
「そうなのか、すまない山紙。だが、お前も俺と風火の会話を見ていれば、反応する暇など無いと分かるだろ」
「……分かった、響野……。そう言うなら、素直に納得する……」
不機嫌を含んでいた頬は静かにしぼみ、こくりと山紙は頷く。
ストーカーでありながらも、小動物チックなかわいらしいその行動を見ていた俺は自分の頬を緩ませ、風火によって精神的ダメージを受けているのにもかかわらず、自然と微笑みを向けてしまう。
うむ……。やはり、山紙はストーカーであることを除けば、普通にかわいい。
無口で口数が少ないところや表情に乏しいところも、今みたいにかわいらしい行動をすれば、プラスとしての役割を果たしてしまう。
山紙の行動を見てそう実感していると、山紙が俺に無表情のままとんでも発言をぶちかます。
「素直に納得したから、今日の夜は一緒に寝よう……」
……もしも今の発言が幼い子供だった場合、どれだけかわいい発言だろうか?
幼い子供というのは、混じりっ気のない純粋で綺麗な心を持っている。
綺麗な心と言うことはつまり、『今日の夜は一緒に寝よう……』には何の下心や企みは無く、純粋に一緒に寝ようという意味なのだ。
だが、今その発言をしたのは現役バリバリのストーカー少女である、山紙海だ。
その言葉の裏には、明らかに下心が満載されていることだろう。
まあ、そんな説明はどうだっていい。俺は素直に、ただ返事を返せばいいだけだ。
「拒否する」
「別にいい、夜中に夜這いするだけだから……」
「やめてくれ山紙。お前はそれを、絶対に実行しそうだから……」
俺は真剣な表情で、そう答える。
ストーカーであるこいつなら、冗談ではなく本当に実行しかねない。さすがにそんなことが起きれば、色々と問題だ。今日はきちんと戸締りしよう。
山紙のとんでも発言を俺の隣で耳にした風火は、突然俺の腕に抱き付き、山紙を睨みながら口を開く。
「響野は私のものなんだから、一緒に何か寝させないから!」
風火のその行動と発言に山紙はムッと眉をひそめ、お約束のように俺の腕に抱き付く。
「響野は私のもの……。あなたに文句を言われる筋合いはない……」
「何言ってるの! 響野は私のものだよっ!」
「あなたのものじゃなくて、私のもの……」
「俺はどちらのものでもない。あと、俺の腕から離れろ」
「「やだ」」
二人は同時に顔を向け、俺に否定の二文字をハモらせて言う。
息が合い過ぎだね……。二人とも……。
否定の言葉を聞いた俺がため息を吐くと、追い打ちのように口を開く変態たち。
「あっ、そういえば、今日の昼休みもこんな感じだったよね」
「確かに……、同じ感じだった……」
喧嘩を忘れて納得する二人。
俺を挟む喧嘩が治まったのはいいのだが、問題なのは腕に抱き付く行為だ。一人ならまだ世間に対する言い訳が利くが、二人はさすがに利かない。
抱き付く風火と山紙に、俺はもう一度頼んでみる。
「お願いだ。俺の腕から離れてくれ」
「「やだ」」
再び口をそろえて、否定の二文字をぶつける幼馴染とクラスメート。
「離してほしければ、私と付き合ってよ」
「一緒に寝ると約束してくれたら、開放する……」
「……」
選択肢……無いよね……。それって……。
俺はそう結論し、昼休みと同様の素直な気持ちで歩き出す。
「やっと自分に正直になったね、響野!」
「正直が一番……」
「勘違いするな。選択肢がないから、諦めただけだ……」
そう言い捨て、腕を組まれて歩きづらいと思いながらも、三人で帰り道を歩いて行った。
お読みいただき、ありがとうございます。
そして今回も、私の作品に最後までお付き合いしていただき、本当にありがとうございました。
次話もお読みしていただいている方がいる限り、お出ししたいと思いますのでこれからもお願いいたします。