変態抱っこ、やきもち少女
アブノーマルガールズ第二話です。
不備な点などもあるかもしれませんが、ご了承ください。
神様はやはり、俺には優しくない……。
四時間目終了のチャイムが響き、クラスではざわざわと嬉しそうな声が教室を支配する。
楽しくも無い授業が終わり、みんなの待ちに待った待望の昼休み。
もちろん、普段の俺ならその休み時間を快く受け入れるのだが、さすがに今日は違った。ある約束があるからだ。
現在、俺と風火そして山紙は、昼ごはんを食べるために、四階にある俺たち一年の教室から食堂が設置されている一階へと、三人並んで階段を下りている。
階段を下りる風火の足取りは軽く、まるで散歩に連れられて嬉しそうな子犬のようで、ここが階段じゃなければ今にでもスキップで歩く勢いだ。
因みに、物静かでストーカーの山紙も、心なしか同じように足取りが軽い。
それと引き換え、俺はこのまま階段から転げ落ちて、保健室へと送られたいほど暗く、暗雲な足取りだ。そうは言っても、本当に階段から転げ落ちるのは痛いので絶対に落ちる気は無いが……。
矛盾する俺の足取りを少し恨んでから、右隣で子犬のように嬉しそうに歩く風火に呆れた口調で訊く。
「何でお前まで一緒に付いて来ているんだ……?」
「それは私と響野が、幼馴染だからだよ!」
階段の踊り場に出た風火はビシッと、俺を指差す。その目はなぜかきらりと光っていた。
俺と山紙も踊り場で立ち止まり、俺は風火に変わらぬ口調で言う。
「全然理由になってないだろ……。朝も言ったが、お前はどうしてそう幼馴染という言葉で片付けようとするんだよ」
指を戻して、俺の発言に対して鼻で笑う風火。
一瞬イラッときたが、俺もそろそろ大人だ。そんなことで怒っていたら、人間関係が複雑なこの社会では生きて行けない。
俺は風火の頭にチョップをするのを我慢して、話しを続ける。
「鼻で笑ったっていうことは、何か筋の通った根拠があるんだよな」
すると風火は、腕を組みながら「くっくっくっ」と笑いながら、偉そうに口を開く。
「筋の通った根拠なんて存在しない! 重要なのは、幼馴染という不動の地位だけだ!」
「ふざけるな」
「私はいつでも真面目だよ、響野!」
俺は我慢が限界にきて、風火の頭に強烈なチョップを喰らわせる。
風火は頭を撫でながら階段の踊り場で転げまわり、「痛いよ痛いよ!」と絶叫している。
調子に乗った罰だ。少しは反省しやが――。
「うぅ~痛いよぉ。……で、でも、ちょっと気持ちいいかも……」
転げまわるのをやめ、風火は嬉しそうにそう呟く。
……もうやだ、この幼馴染……。
完全に変態だよ。どこからどう見ても、変態だよ。
しかも今気が付いたけど、上とか下から、騒ぐ俺たちを見ている生徒の視線がたくさん集まっていた。
この状況はやばいな……。
あいにく、今俺たちに視線を向けている生徒たちの中には、まだクラスの連中がいないのが幸いだが、もしもこんなところをクラスの奴らに見られれば、「何? あの変態集団」みたいなレッテルを貼られてしまう。俺は変態ではないのに。
入学早々、そんな不名誉なレッテルを貼られれば、平和な高校生活が崩れ去ることになる。
そのことを考えた俺は、生徒たちの視線から逃げるために、踊り場で少し嬉しそうに倒れている風火の腰を掴んで抱え、山紙と共に階段を駆け下りて行く。
途中、俺の脇に抱える風火が頭を撫でながら微かに気持ちの悪い嬉しげな笑い声をこぼしたような気がするが、それは絶対に俺の聞き間違いだ。絶対に。
何とか俺たちは一階まで駆け下りることができ、なるべく人の目が届かない場所へとそのまま早歩きで向かい、曲がり角を曲がったところで人がいないことを確認してから廊下に風火をごろんと放る。
階段を駆け下りてきたため、少し息を切らしてしまうが、気にせずに呟く。
「はぁ、はぁ、ここまでくれば、大丈夫だろう」
風火の体重は意外と軽かったので、割と簡単に持ち上げられてここまで運ぶことができたので、安心した。バランス崩して階段で転んだら、俺も風火もただでは済まないからな。
「さっさと起きろ、風火」
廊下に転がった風火に声を掛けると、むくりと手を床に着いて起き上がって座り込み、俯きながら呟き出す。
「どうして……。どうして……」
「風火?」
そう俺が起き上がった風火に返事を求めてみると、突然顔をがばっと上げて、風火は俺に向かって文句を言う。
「どうして響野は、私のことをお姫様抱っこで運んでくれなかったの!」
「はっ⁉」
何を言い出しているんだ、こいつは。
風火はムッと俺を睨み付け、思わずその迫力に気圧されしてしまった。俺の隣に立っている山紙も、少し驚いた様子で目を見開いている。
「ふ、風火? どこかで頭でも打ったのか?」
頭に一撃を入れたという心当たりは一つあるが、それは絶対に違う。どちらかというと、マゾスイッチを誤ってオンにしてしまっただけだ。
それ以外に心当たりがあるとしたら、たった今、俺が風火を床に放っただけだが……。
そんな心配をする俺に、風火は劣らずの迫力でとんでもないことを言い切る。
「普通、女の子を運ぶ時はお姫様抱っこでしょ!」
「そんなこと知らないから⁉」
思わず俺は、大声で風火の発言にツッコんでしまった。
「普通はそうなの! 女の子を運ぶ時は、男の子は絶対にお姫様抱っこで運ばないとダメなんだよ!」
「だから知らないから……」
いつそんなルールが設立したんだよ。こいつはゲームのやり過ぎじゃないのか?
俺は隣にいる山紙の方に顔を向けて、どういう反応をしているかと見て見ると、なぜか山紙までもが、うんうんと風火の意見に同意するかのように頷いていた。
まあ、こいつも一応風火と同じ分類の変態だしな。意見を同意するところが同じでも、おかしくはない。
頷く山紙を見てから、俺は風火に向き直って見つめ、風火も頬を膨らませてジッと睨むように見つめてくる。
「むっ……」
風火を見つめていると、段々と先ほどの気迫には慣れて、いつも通り幼い子供のように頬を膨らませて怒る風火にしか見えない。
そんな風火なんかに俺が気圧されるわけがなく、俺は食堂の方に振り返って歩き出そうとする。
「ちょっと、響野!」
すると風火が座り込んだまま俺の服を掴んで、俺の足を止めさせる。
「何だよ風火……」
振り返って服を掴む風火の顔を見ると、何かお願いするかのように真剣に俺と瞳を合わせてくる。
嫌な予感がする……。
風火のお願いなど、今まで聞いてきてよかった覚えなど数少ない。あるとしたら、広戸と友達になれたときぐらいだ。
俺は身構えて、お願いをしようと見つめてくる風火に渋々訊いてみる。
「お前、俺に何か頼もうとしているだろ……」
俺がそう訊くと、風火は真剣な眼差しからコロリと驚きの表情を一瞬浮かべて、すぐにその表情から嬉しそうな笑顔で口を開く。
「さすが響野! だてに私と幼馴染してないね!」
誰だってあんな風に見つめられれば、何か頼みごとをしようとしていることぐらい、すぐに分かるだろ。
「それで、何を俺に頼む気なんだ……?」
呆れた口調でそう訊いてみると、風火は曇りの無い笑顔で言う。
「私を、お姫様抱っこして!」
「……」
嫌な予感が的中した……。
風火の発言によって絶句する俺に向かって、発言をした風火は首を傾げて尋ねてくる。
「あれ、どうしたの響野? ゲームのドット絵みたいな顔して?」
「絶対に俺は、そんなユニークな表情を浮かべられないから、くだらない冗談を言うなよ風火……」
俺がいつも通りツッコむと、風火は満足そうに腕を組んで、何度か頷く。
「さすが響野。私のボケに、あっさりとツッコミを入れてくれるとは、私の幼馴染なだけあるね」
「そろそろお前、幼馴染で引っ張るのをやめろよ……」
そんな俺のツッコミに対しても、ニコニコと笑う風火。
そしてこのまま、俺は食堂へと歩き出したかったのだが……。
「それじゃあ早く、私をお姫様抱っこして!」
ニコニコと笑いながら、風火は俺にそう命令をしてくる。
「するわけがないだろ」
俺はニコニコ笑顔で命令をしてくる風火に、迷うことなく即答で却下する。
どうして俺が、こいつのことをお姫様抱っこしなければならない。
だが、そこで早々に引き下がる風火ではないことは、俺ははっきりと認知している。
「響野が嫌でも、私が嫌じゃなければ、絶対に響野はしなくちゃいけないんだよ」
「どうやってそんなわがままな発想を、お前は思い付くんだよ……」
俺は深いため息を一つ吐き、一応風火のことを説得してみる。
「俺には、お前をお姫様抱っこできる力なんて無いぞ」
「さっき私の腰を掴んで、ここまで運んだじゃん」
俺の言葉は風火にかわされ、額に手を添えてどうするかと悩んでから、仕方が無く了承してやる。
「……分かったよ、風火。ちょっとだけなら姫様抱っこをしてやってもいいが、だけど今は人の目があるから、後でもう少し人の少ないところでやってや――」
「ダメだよ響野。お姫様抱っこは、人の目がある向こうの食堂でやらないと」
……。
やっぱりこいつ、変態だ。
首を横に振って躊躇い無い指示をした風火に、俺は少し慌てて反論をする。
「ふ、風火。俺は人前でやるのが恥ずかしいから、他の場所でやりたいのだが」
もちろん、風火がそんな俺の頼みを聞くわけがないと言うことは、すでに分かっている。
「恥ずかしいからこそ、人の前でやって楽しいんだよ」
にこっ、と風火はかわいらしく微笑み、俺にとっては全然笑顔を作れない言葉を投げ掛けてきた。
「絶対にそれは、嫌だから……」
俺が首を振ってそう断ると、風火はかわいらしい微笑みを崩すことなく、それをそのまま向けながら言う。
「分かったよ、響野。そんなに響野がわがまま言うなら仕方がないね……」
わがまま? それはこっちのセリフなのだが……。
まあいい。
風火にしては、あっさりと諦めてくれそうなので、別に気にせずにこのままスルーしても大丈――。
「それじゃあ食堂じゃなくて、今ここでやってよ」
「何を言っているんだお前は……」
全然大丈夫じゃなかった。
やっぱりこいつは、簡単には諦めてくれない……。
「何を言っているって、別に響野が食堂で私のことをお姫様抱っこしなくても、ここで私をお姫様抱っこすればいいよって言っているんだよ」
風火のかわいらしい微笑みが、どうしてなのか分からないが、悪魔の笑顔のように見える。
そしてその笑顔を決して変えることなく、わずかに首を傾げて訊いてくる。
「何か反論がある?」
「普通にあるよ。俺は人前でやるのが嫌だと言っているだろ風火」
俺のその反論に、「でも……」と思案顔で呟いて言葉を続ける。
「食堂よりここの方が人の目はまだ少ないし、響野は他の場所でならいいって言ったよ」
確かに言ったが、さすがに公然の前でそんなことをするとは言っていない。
思案顔で言う風火の言葉に、俺はさらに反論をぶつける。
「他の場所でならいいって言ったが、公然の前じゃなくてどちらかの家だと俺は考えていたのだが」
「そんなことを言っても、私は絶対に譲らないよ」
俺が風火に反論を言い切ると同時に、風火のわがままが炸裂する。
……結局、こうなるのか。
風火はにやりと口元を少し緩めていじわるな笑顔を作り、今言った発言に言葉を続けて俺の非を責める。
「響野が私に、言葉の足りない約束をしたのが原因なんだから、今ここでお姫様抱っこしてよ」
「うぐっ……。だけど一般的に考えてみれば……」
「へぇー、響野は私との約束を破るんだ」
風火はいじわるな顔のままそう言い、俺はなぜか条件反射のように冷や汗がにじみ出てきた。
「だったら仕方がないよね。幼馴染だけが唯一持つ、対幼馴染キラーを、たった今ここで使うしかないよね」
「幼馴染キラー……。もしかしてそれって……」
「響野の小さい頃の思い出を、容赦なく暴露する!」
風火の言う通り、本当に幼馴染キラーだ!
俺が心の中でツッコミを入れたと同時に、風火は自分の胸に手を当てながら大きく息を吸い込んで肺に空気を入れ込み、大声で俺の過去を暴露しようと構える。
……しょうがない。
正直、別に俺には知られてマズイ様な過去は一つもないが、ここで俺のどうでもいい過去が暴露されれば、そのことでいじられるかもしれないし、平凡な高校生活が壊れるかもしれないからな。あと、これ以上山紙に俺の個人情報を知られたくないということもあるが……。
風火に頭を下げるのは癪だが、平凡な高校生活を守るために、頭を下げることにする。
頭を下げなくても、風火の口を手で閉じれば頭を下げなくてもいいのだが、さっきから俺の腕を力強く掴んでいる山紙がいて、身動きができないので頭を下げるしか方法がないのも理由の内だが……。
「頼む風火……。お前の言うことを素直に聞くから、昔のことは喋れないでくれ」
俺は頭を下げて、廊下に座り込んでいる風火にお願いをする。
この態度を見た風火は、満足げに腕を組んでにやにやと笑い、偉そうに口を開く。
「そうそう。最初っから、響野は私の言うことを素直に聞けばよかったんだよ」
……はぁ。
思いっきりこいつの頭に、チョップを叩き込みたい。
だけど我慢だ。
高校生活を平和に過ごすために……。
風火が俺の過去を暴露するのをやめたことで、俺の腕を掴む山紙は、残念そうに「むっ……」と微かに唸る。
たぶん山紙は、俺の過去について耳に入れておきたかったんだろう。ストーカーとはいえ、さすがに昔のことを知るためには誰かから教えてもらうしかないからな。
満足げに腕を組んでいた風火は、子供みたいな笑顔を咲かせて俺に小さな両手を差し出して、嬉しそうに頼んでくる。
「それじゃ、響野。早くお姫様抱っこして!」
……仕方がないな。
できればこいつのことを、お姫様抱っこなんて恥ずかしいことをしたくはないのだが、過去を暴露されるよりもマシだし、第一約束をしてしまった以上はそれをきっちりと果たさないと、俺のプライドが許さないしな。
ため息を口からこぼしてから、両手を差し出してくる風火をしょうもない眼差しで見つめて、俺は腕を掴む山紙の手を外させてから風火の前で膝立ちになる。
「ほら、早く掴まれよ。なるべく俺は人に見られたくないんだからな……」
俺はそう言いながら一度周りを見渡し、他の生徒がいないことを確認する。
もしもこのシチュエーションをどこかの誰かに見られれば、下手をすればその誰かが他の誰かに教えて、噂がどんどんと広まってしまうかもしれない。
そしたら俺の静かな高校生活が、面倒なイベントばかりのギャルゲーみたいになってしまうかもしれない。因みに、俺がギャルゲーをプレイしたのは二度で、中学校時代に風火が俺に無理矢理プレイをさせた時と、この前風火が押し付けたギャルゲーだけだ。
だから俺が自分から意図的にプレイしたわけではないので、そこのところは勘違いしないでくれ。まあ、内容は面白かったけど……。
そんなことを頭の中で思案していたら、風火が俺の首に両手を絡ませて掴まってくる。
風火が俺の首にしっかりと掴まったことを確認してから、俺は風火の背中に左腕を、腰に右腕を回して、ゆっくりと立ち上がる。
階段で風火の腰を掴んでここまで来たときと同様、風火の体重は軽く、苦にならずに持ち上げることに成功する。
「とりあえず持ち上げたぞ……。これでどうするんだ風――」
風火のことをお姫様抱っこで持ち上げた後、俺は次にどうすればいいのかと確認を取ろうと、腕に抱えている風火の顔に視線を送った瞬間、思わず言葉を途切れさせてしまった。
俺の腕で抱えられている小柄で子供みたいな風火が、俺の首から小さな手を離し、胸の前でギュッと握りしめてながら、キラキラと屈託の知らない幼い子のようなかわいらしい笑顔で、俺を眺めていたからだ。
その破壊力は先ほどまで呆れていた俺にとって、必殺の一撃級の威力を持っており、もしも追加の一撃が加わられれば、俺は呆気なくダウンしてしまうだろう。
「んっ? どうしたの響野?」
風火はその笑顔のまま言葉を途切れさせた俺にそう訊き、俺は慌てて言い訳と同時に言い掛けた言葉の続きを苦笑いで告げる。
「そ、その、ちょっと噛んだんだよ。立ち上がったばかりで、少し息が乱れたから。それでこの後、俺はどうすればいいんだ?」
俺が苦笑い気味の笑顔でそう言うと、風火は屈託の無い笑顔から機嫌悪げな表情に変化して、今の俺の発言に対して不機嫌に言う。
「本当? 私に何も、隠してないよね?」
「当たり前だろ。俺がお前に隠し事なんてやらないから」
さすがに、風火の笑顔に見惚れて言葉を途切れさせたなんて言ったら、後々しつこく、そのことを風火は言ってきそうだからな。
俺のその言い訳を、腕に抱えられる風火は素直に受け止め、不機嫌な顔からいつもの子供みたいな笑顔に戻る。
「響野がそう言うなら、信じてあげるよ。それじゃあ……」
風火は何かを考えるかのように、人差し指を自分の顎にトントンと当て、突然悪者のようににやりと笑って口を開く。
「だったら……。このまま私にキスして!」
俺はそう発言した風火を、重力に従わせて廊下へと落とす。
「うにゃっ!」
重力に従って廊下におしりから落ちた風火は、悲鳴を上げて痛そうに顔をしかめる。
「ううう……。おしりが割れる……」
「そのまま割れてしまえ」
顔をしかめておしりを擦る風火に、俺は額に手を添えながらそう言い切る。
なぜ俺がこいつに、キスなどしないとならない。
風火の言うことに素直に聞くと言ったが、これだけは素直に聞けない。逆に聞いてしまったら、俺の人生が本格的に危うくなってしまう。
額から手を離して、俺は廊下に座り込んでおしりを痛そうに撫でる風火を見下ろして言う。
「お前は調子に乗り過ぎだ」
「別に乗ってないよ! というか、どうして素直に言うことを聞いてくれないの⁉ 約束したのに!」
「だからそれが調子に乗ってるんだよ……」
おしりを擦るのをやめて、片腕を挙げて抗議をする風火に、唸るように答える。
まったく、こいつの調子に乗っている基準はどこなんだ?
憂いの息を一つ吐いて、座り込む風火を上から下へと眺めていたら、俺は少し目にしてはいけないものを目にしてしまった。
……えっと。
あれは、普通は見えても大丈夫なものなのでしょうか?
鮮やかに染められた、ピンク色の下着。
そう、風火のスカートの下のパンツが、俺が立っている位置からピンポイントに見えているのだ。
たぶん、俺が風火のことを落とした時に、偶然スカートがめくれたのだろう。偶然とは怖い……。
しかし、まさかこいつがこんな年相応な女の子らしいパンツを穿いているとは、驚いた。
こいつは高校生なのに子供っぽいところがあるから、まだ小学生が穿くようなキャラクターパンツを穿いていると思ったのだが、現在見えているパンツは全然予想とは違った。
普段の行動は女の子らしいのだが、性格がアレだからまだ相応のパンツだと思っていたが、裏側もしっかり女の子をしていることが分かり、風火がいつもと違うように見える。
「……」
……やばい。思わず風火のパンツに見惚れてしまった。
俺は冷静になるために、一度息を吸って心を落ち着かせる。
すると、スカートがめくれて自分のパンツが晒されていることに気が付いていない風火は、俺がしている行動を見て不思議そうに訊いてくる。
「? 何か私の方を見てるけど、私に何か変なところでもあるの?」
ああ、俺がやっていることも変だが、お前もある一か所だけかなり変だよ。このままずっと放置しておけば、絶対に露出狂という名を手に入れることができるよ。
冗談はさておき、とにかく風火にこのことを知らせてやろう。
周りからも風火のパンツが見られたら、さすがのこいつも恥ずかしいだろうし、俺も幼馴染が恥をかくのは嫌だしな。変態なのは、もっと嫌だが……。
俺は不思議そうにする風火に、スカートに指を差して今の状況を教えてやる。
「お前は自分のスカートを見てみろ」
「えっ?」
風火は視線を落として自分のスカートを見て、ポッと頬を薄朱に染めてスカートを直し、照れ嬉しで俺に文句を言う。
「もうっ、響野。パンツが見えてるなら、すぐに教えてくれればいいのに」
「何でお前は照れているのに、そんなに嬉しそうなんだよ……」
「だって響野が私のパンツを見てくれたんだよ。嬉しいじゃん」
「どこがだよ……」
やはりこいつは、どこからどう見ても変態だ。
俺は目の前の変態を呆れた目で一瞥してから、身体ごと後ろを振り返って一人食堂へと歩き出そうとした瞬間、座り込む風火がまた俺の服を掴む。
「今度は何だよ風火……」
俺がそう言いながら振り向くと、さっきまで照れ嬉しの表情を浮かべていた風火は、何かを考えるかのような表情を浮かべ直し、俺に数秒前のことについて疑問をぶつけてくる。
「……私のパンツが見えている時に、響野が変な行動をしてたけど、それってどうして?」
「……」
マズイ……。
風火がぶつけてきた疑問によって、俺は額にじわりと冷や汗をにじませる。
数秒前に俺が変な行動をとっていた理由は、風火の女の子らしいピンクのパンツに見惚れていたからだ。
そんなこと、口が裂けても風火には言えない。
もしもそのことを風火なんかに言えば、風火のテンションケージは一気に底上げされて、俺に対してしているいつものアタックが、より一層激しくなるかもしれないからだ。
しかも、俺がこいつのパンツをガン見していたことは事実なので、そのネタを使って脅せば、俺は風火の言いなりになってしまう。
だから命に代えてでも、このことは風火に知られてはならない。知られれば生き地獄以外に結末は無いのだから、選択肢はこれしかない。
俺は唾をごくりと飲み込み、平静を装いながら疑問をぶつけてきた風火に、なるべく俺の心情が悟られないように返事を返す。
「俺も気が付いた時にはちょっと戸惑ってな。すぐに声が出なかったんだよ」
これなら言い訳としても大丈夫なはずだ。誰だっていきなり、異性のパンツを見れば声も出せないはずだ。
だが、そんな俺の見事な言い訳を、風火は素直に受け止めてくれない。
「ふーん。でも、長くなかった? 私が響野に訊く前から黙っていたし……」
ピンチ到来。
今の言い訳で逃れられると思ったのだが、まさか新たに疑問を持って来るとは、予想外だった。
俺はさらにごまかすため、それなりの言い訳を重ねて新たな疑問をぶつけてきた風火に答える。
「最初は風火のことを、少しだけ心配してたんだよ。廊下に落としたのはさすがにやり過ぎたかなって」
……もう言い訳ではなく、真っ赤な嘘だ。
俺はこいつの心配など、微塵もしていなかった。
しかしその嘘がばれたのか、風火は疑うような視線を俺の瞳に送り、唸りながら口を開く。
「う~。全然心配してるようには、見えなかったんだけど……」
しつこいな、こいつ。
何でどうでもいい時はあまりしつこくないのに、こういう重要な時はしつこいんだよ。
だが、どうしよう……?
普段ならすぐにはぐらかす手を思い付くのだが、風火をはぐらかす手がまったく思い付かない。
もしかして、失敗すれば俺の人生が終わるというプレッシャーのせいで、思い付かないのか?
俺は疑いの視線を向けてくる風火を見て、冷や汗を追加させて一歩後ずさる。
その時、俺の横から助けの声が聞こえてくる。
「響野はちゃんと、あなたのことを心配してた……。心配してなさそうに見えたのは、私が響野の腕を掴んだことに、響野が文句を言ってたから……」
突然の山紙からの助けの声に俺は驚いて、隣の山紙の横顔を眺める。
そんな俺にチラリと目を向けて、まかせろと言わんばかりの雰囲気を瞳に漂わせ、俺の代わりに風火に返事をする。
「あなたが私にその響野のことを見たから、それであなたは心配してないと勘違いしただけ……。だから別に、響野が変なことをして声が出なかったわけでも、あなたを心配していなかったわけでもない……」
「だけど……」
「あなたは響野に、偶然パンツが見られて嬉しかったんでしょ……? だったらもう、細かいところはいいでしょ……?」
「ふぐぅ……」
山紙の論により、しつこく疑問などをぶつけてきた風火は、小さく唸りをこぼしてから黙ってしまう。
……さすが山紙だ。
朝の教室でも、風火を一方的に押していただけのことはある。
風火のことを黙らせた山紙に、俺は心の中だけで感謝をしてから額の汗を拭い、座り込む風火を立たせてから二人に提案をする。
「それじゃあ、風火のことをお姫様抱っこし終わったし、そろそろ食堂にでも――」
「私はまだ、抱っこしてもらってない……!」
山紙の力強い声が、最後まで俺の提案を言わせてくれない。
何か二人と関わってから、俺の言葉が最後まで言い切れないことが多くなったと思うのだが、俺の勘違いだろうか?
俺はそのことを考えてから、いきなり変なことを俺の耳に叩き込んできた山紙を無視して、俺は頬を引きずらせながら改めて二人に提案する。
「……気を取り直して、さっそく食堂へと向か――」
「だから私はまだ、お姫様抱っこしてもらってない……」
先ほどの力強い声ではなく、今度はいつも通りの声で俺の言葉を再び遮ってくれる。
「私も、響野に抱っこされたい……」
そう言葉を続け、風火に指をビシッと指してから、さらに言葉を付け足す。
「水川だけわがままを言ってお姫様抱っこは、ズルい……。だから私もお姫様抱っこして……」
理屈にならない言い分を語る山紙。
確かに風火の場合は、ほとんどわがままで抱っこしたわけだが、だからと言って山紙を抱っこするという理由にはどう考えてもならない。
第一、俺は風火から過去のことを暴露すると脅されて抱っこしたわけなのだから、仕方がないことなのだ。
俺はため息を吐き、お願いを断ろうと山紙に俺の顔を向けた瞬間、山紙はサッと俺の真隣に、まるで暗殺者のように音も無く静かに忍び寄り、俺の耳元でささやく。
「響野の秘密、水川にばらすよ……」
山紙の声を聞き、思わず息を飲んでから身体を硬直させる。
……完全にはめられた。
山紙の策に、俺は抜け出すのが不可能なほど巧妙にはめられてしまった。
風火から助けてもらった時に、まさかこんな罠が裏に仕掛けられていたとは、予想にもしなかった。
「私を抱っこして……」
見事に山紙の罠に掛かってしまった俺は、その山紙の言葉に対して糸で操られる人形のようにこくりと頷くしかない。
「分かった、山紙……」
無駄な抵抗はしない。というか、やったところで秘密をばらされてしまえば結局は無意味だ。悲しいよ……。
俺があっさりとした答えを山紙に出すと、それを聞いた風火は慌てて俺を見つめて、戸惑いながら山紙に先ほど閉じられた口を開く。
「ど、どうして響野は、私と違って山紙さんには簡単に了解するの⁉ 私の時は渋々だったのに!」
戸惑いと驚きの色が混ざった顔を見せる風火を、俺は疲れた目で見つめる。
お前を抱っこした時と同様、俺にとって今回も仕方がない状況なんだよ。それぐらい昔からの幼馴染なんだから、少しぐらい察してくれよ……。
そう思っても、現在の状況の俺にはそのことを口に出すことができず、辺りを見渡してから隣にいる山紙に向かって言う。
「……とりあえず、抱っこするから俺の首に掴まってくれ」
「……うん」
山紙は俺の指示にこくりと頷き、俺の首に滑らかそうで綺麗なほっそりとした腕を回す。
首に腕を回すために、山紙は俺の身体に抱き付くように寄り添い、そして少し色白気味の山紙の顔を、俺は至近距離から眺める。
初めて会った時から分かっていたのだが、やはり山紙はかわいい。
目や鼻などがバランスよく整っているかわいらしい顔立ちは、幼い顔立ちでかわいい風火とは違うかわいさを感じられる。
正直に言って、こいつがまだ普通の女子高生なら、何の躊躇いもなしに山紙の告白を受けとっていただろう。
なのに、俺の個人情報をあれほど集めている重度のストーカーでは、何が何でも受け取ることはできない。
「……そんなに熱く、見つめないで……。照れる……」
山紙の顔をずっと眺めていたせいか、俺の首に腕を回す山紙が頬を桃色に染めて、目を逸らすようにして恥ずかしそうに文句を言ってくる。
重度のストーカーでも、こういう仕草はかわいらしいんだけどな……。
しかし、俺たちの周りには風火以外に誰もいないよな? 一応山紙に指示する前に、誰かが近づいていたり、すでに誰かが俺たちの近くにいないか確認したりしたから、いないと思うのだが。
もしも誰かに、特にクラスメートなんかにこの状況を目撃されてしまったら、俺と山紙は恋人的な関係だという噂が広まってしまっても、おかしくはない。
そんなネガティブな不安を頭の中で掲げていると、山紙が棒読みのようなセリフを突然口にする。
「わ~、つまづいちゃった……」
山紙は俺の首に腕を回したままその棒読みセリフを言い切ると同時に、俺の身体に飛び込むように体重を掛けてくる。
「うおっ!」
俺は首にしがみつく山紙と共に、抱き合うような形で背中から廊下へと、俺を下敷きにして倒れ込んでしまった。
「二人とも大丈夫⁉」
風火は驚きの表情を即座に作り、それと一緒に驚きの声を上げる。
「うぐぅ……。どうにか大丈夫だ……」
俺は身体を倒したまま、驚きの声を上げた風火を見て安心させる返事を返す。
本来の俺なら、これしきで倒れるなんてことはないのだが、不意を衝かれてちゃんと身構えておらず、それに自分の世界に入っていたので、運悪くバランスを崩して倒れてしまったのだ。
しかし山紙の棒読みセリフと、俺にしがみついているのにも関わらず、飛び込むように体重を掛けてきたところを冷静に考えてみれば、明らかにわざと俺に倒れてきたことが分かる。
いまだに俺の首に腕を回して、俺と抱き合うような形で倒れている山紙に、まず最初に心配の声を掛けてみる。
「山紙は平気だったか?」
「大丈夫だよ……響野……」
山紙は俺と顔を合わせて、いつも通りの口調でそう返事を返す。
たぶん俺が下になって倒れたため、俺の身体が山紙を守るクッション代わりとなって、山紙自身にはあまり痛みは感じなかったのだろう。
山紙のいつも通りの声をはっきりと耳にした俺は、そんなことを頭の中で考えてみてから、少し不機嫌を声に含ませて、山紙にたった今起こった問題について問いただそうと続けて口を開こうとする。だが、俺が口を開こうとした瞬間に――。
ふにゅう。
とても柔らかで温かく感じられる二つの物体が、俺の身体の上で優しく押されて、思わず口を開くことをやめてしまう。
……柔らかで温かい感触が俺の身体に感じられるのだが、一体これは何なのだろうか?
別にそんなことを訊かなくても、自分でも分かっているのに、なぜかそう訊いてしまう。
きっと現実を素直には受け止めたくないから、条件反射のように分かっていてもそう訊いてしまうのだろう。
俺のどうでもいい持論は置いておいて、とりあえず現在俺の身体に押されている柔らかい二つの物体の正体を、諦めて受け止めよう。
ふにゅうという擬音がぴったり似合ってしまう、俺の身体に密着する女性だけが持つ、柔らかくて温かい二つの物体。
どう考えても、山紙の胸でしかない。
……やはり理解などしたくなかった。
こんなことを明確に理解したところで、何になる? ただ俺の背中に、膨大の量の冷や汗がにじむだけだ。
しかも思えばこの体勢、普通にマズイのではないか?
俺を下敷きにして、制服越しでも分かるほど柔らかで心地よい山紙の胸を、身体に密着させている体勢など、どう転んでも変態にしか見えない。
例え俺たちがカップルだとしても、こんなことを公然で行っていれば、ただの変態カップルにしかならない。俺と山紙がカップルなんてことは、あまり考えたくないが……。
と、とにかく、このマズイ状況をどうにかしない限り、俺に安息は無い。
「や、山紙? そろそろ俺の上から降りてくれないか?」
俺は少し焦った様子で、身体の上に乗っている山紙に、上からどくようにお願いをする。
胸が当たってるなんてことは、口が裂けても言えない。こいつは風火に近いほどの、変態だからな。余計なことを言って、逆にどいてくれなかったらこの状態が長引いてしまう。
すると、俺のお願いを聞いた山紙が、無表情に近い表情を変えずに、首を横に振る。
「やだ……」
「……はっ?」
俺の願いにそぐわない、とんでも発言が返ってきた。
おかしい……。
山紙が朝の時間で使っていた、とんでも発言がまた使われているように思えるのだが、俺の勘違いだよな?
山紙は俺の間の抜けた顔を見て、俺がもう一度同じことを訊き直す前に、山紙自身が自ら口を再び開いて言葉を発する。
「響野の上から、降りたくない……」
その山紙の言葉に、俺は苦笑いを無理に作ってから、お礼を言う。
「ははは……。俺が聞き直す前に言ってくれて、ありがとうよ」
「どういたしまして……」
俺の身体に胸を密着させながら、ご丁寧にもそう返してくれる。
……。
いやいや⁉ そこで黙ったら、俺の安息は訪れないから! 幸せは歩いて来ないから!
心の中で俺は思いっきり気を乱し、胸を密着させてくる山紙に慌てて言う。
「『どういたしまして……』じゃなくて、俺の上から早く降りろよ⁉」
なるべく周りに人が寄って来ないように、声のボリュームに注意して山紙に命令する。
その時、俺と山紙の様子に気が付いた風火は、俺と同じく慌てた様子で山紙の身体を掴み、俺の身体から引き剥がそうとするが……。
「ていっ……」
「きゃふっ!」
山紙の身体を掴もうとした風火は、かわいらしい鳴き声を溢すと同時に、山紙のほっそりとした足をお腹に喰らい、勢いよく壁へと吹き飛ばされる。
「ふ、ふ、風火⁉」
「にゃ、にゃ、にゃ……?」
山紙の蹴りを喰らって、壁へと吹き飛ばされた風火の名前を呼んでみるが、まともな返答が帰ってこなかった。
くそっ……。俺の身体に乗っている山紙を止められる、唯一の助け舟だったのに、それが一撃で沈められるなんて、予想にもしていなかった。
とりあえず、山紙の蹴りによって一撃で仕留められた風火は、割と頑丈なので心配しなくても平気なのだが、今問題なのは、その一撃を出した山紙の方なのだ。
今言ったように、風火は頑丈なのだ。
それなのに、俺に抱き付くように倒れている状態で、その頑丈な風火を蹴り一発でダウンさせる山紙。
明らかに並大抵の力ではないことは、すぐに分かる。
まあ最初から、別の意味で普通とは違うとは分かっていたのだが、まさかこれほどまでの力を持っていたとは……。
「響野……。これで邪魔者はいなくなった……」
「さらっと怖いことを言うな。というかお前も俺が起き上がるためには邪魔だから、早くどけよ!」
「やだ……」
「やだじゃないから、やだじゃ……」
即答で答えた山紙に、俺は半場気が落ちた口調で文句を口にする。
俺の唯一の助け舟が、速攻で沈められてしまったので、俺は自分一人の力だけでこの状況を打破するしかない。
まず、どうすれば俺の上に乗っている山紙をどかせるだろうか? ストレートにお願いをしたところでは、絶対に言うことは聞いてはくれない。
何かをエサにして、上からどいてもらうようにお願いするのも手だが、さすがにその手はあまり使いたくない。ヘマをすれば、今以上に面倒なことになる可能性もあるしな。
俺はもっと有効的で確実な策はないかと頭の中で試行錯誤してみるが、これといった解決策は出てこない。
俺がそんなことを頭の中で行っている時、あの感触が俺の身体にまた襲い掛かる。
ふにゅう。
つきたてのおもちのように柔らかく、ほんのりと温かみを感じられる、山紙の胸。
それがもう一度、俺の身体に密着する。
やばい……。
山紙の柔らかな胸が俺の身体に吸い付くように密着するたび、冷や汗が身体中から溢れると共に、男としての卑猥な感情までも溢れてくる。
くっ……。冷静になるんだ、俺。
こいつはストーカーだぞ。俺の個人情報を不気味なほどに収集している変人だぞ。そんな奴なんかに、欲情などするな。
卑猥な感情が溢れてきている自分を落ち着かせるように、山紙に対してマイナスとなる言葉を並べる。
だが、男の卑猥な感情とは、時には自分自身の理性までもを押し倒すほどの力を持っていることは、男なら誰でも分かるはずだ。
マイナスとなる言葉をいくら並べたところで、その感情を抑えられるはずがない。
俺の額から溢れ出る冷や汗を見た山紙は、眉を少しも動かさずに俺の耳元で静かに、だけどはっきりとした甘い声でささやく。
「私の胸、気持ちいい……?」
「ぐぅ……」
山紙の甘いささやき声によって、心臓がばくんと高鳴ってしまったような気がする。
しかも、甘いささやき声が耳に残ってしまい、自然にリピートされる。
『私の胸、気持ちいい……?』
リピートされたそれを聞き、また俺の心臓が高鳴る。
クールダウン、クールダウンだ!
山紙の発言がどうした! 俺には人生が係っているんだぞ。
俺は冷静さを取り戻すために、深呼吸をゆっくりと行う。
頭の中で山紙のことを否定するよりも、こっちの方がまだいいかもしれない。この方法なら山紙のことを逆に頭の中から追い出せて、変な感情が湧きにくいみたいだ。
だが、山紙はそんな俺の足掻きを押し潰すように、おもちみたいに柔らかい胸を、形が変形するほど押し付けるに加え、耳元で俺を刺激するような言葉を発する。
「しばらく……こうした方がいい……?」
なぜこいつは、こんな恥ずかしいことを公然とやるんだよ。ここは神聖なる学び舎だよ。
俺の感情を刺激させるような言葉を、追い打ちのごとく投げ掛けてきた山紙に、俺は現在の気持ちを悟らせまいと、平然とした態度で訊いてみる。
「……どうして山紙はこんなことをするんだ? 誰かに見られた色々とマズイだろ?」
すると、俺の身体に胸を密着させながら耳元に顔を近づけていた山紙は、耳元から顔を離し、俺を見つめて堂々と二つの質問に嬉しくもない答えを出す。
「私は響野のことを犯してぐちゃぐちゃにしたいからこんなことをしてる……。もしも誰かに見られても、私たちがこんな関係だという既成事実ができるだけ……」
もうダメだこいつ。
説得なんて甘い考えじゃ、この状況からはどうやっても脱することができない。
……しかし、そろそろ唯一の助け舟は再び出航してくれないだろうか?
沈んだ助け舟に目を遣るが、俺のその思いとは裏腹に、風火が起きる気配は無い。
変態なだけで、本当に使えないなこいつ。山紙に押し倒されてこんな状況になってしまった俺も俺だけど……。
俺は山紙によって倒されてしまったことを、一人後悔する。
無駄な足掻きを終えてほとんど諦め状態の俺を、山紙はお互いの顔と顔が今にでもくっつきそうな距離から見つめながら、とんでもない発言ばかりを吐き出す口を開く。
「響野、諦めてくれた……?」
「……ここで諦めたら、俺は一体どうなるんだ?」
質問に対して質問を返すと、山紙は頬をピンクに染めて嬉しげに言う。
「響野をここで、ぐちゃぐちゃにする……」
「だったら絶対に、俺は諦められないな」
こんなところでそんなことをされれば、俺の将来はもう真っ暗だ。
諦めかけていた俺は再び蘇り、何とか山紙から脱するために交渉をスタートさせる。
「どうすれば俺の上からどいてくれる?」
「響野が私に、ぐちゃぐちゃにされたら……」
その案には乗れない。もし乗った場合は、今やっている交渉の意味が無くなってしまう。
「他にどうすればどいてくれるんだ?」
「響野が私のことを、逆にぐちゃぐちゃにしてくれたら……」
「ごめんなさい……」
やっぱり交渉なんて無駄だ。
俺にはもう、何も手はないのか?
そう思った時、廊下の曲がり角から女子生徒と思われる喋り声が、複数聞こえてくる。
……嬉しさ半分、絶望半分が俺の心に均等に注がれる。
嬉しさが半分ある理由は、この状況を誰かに助けてもらえる可能性があるからだ。だが、それと同時にこの状況を目撃されてしまえば、誤解を間違いなく持たれてしまうという負の思いがあるからだ。
神様とは、俺に優しいのか優しくないのか、分からない。まあどちらかと言えば、優しくないことだけは分かりきっているが……。
山紙は上半身だけを起き上がらせて俺の身体から自分の胸を離し、声が聞こえてくる方向に顔を向けて、唸るように呟く。
「むぅっ……。また邪魔者が……」
それを耳にした俺は、苦笑いを浮かべながら無駄だと確信していた交渉を再開させてみる。
「や、山紙? 人も来そうだし、そろそろ俺の上から降りた方がいいんじゃないか?」
「やだ……」
「だけど人が来てるんだぞ」
「別に大丈夫……。既成事実ができるだけ……」
山紙は声がする方に向けていた顔を、俺の顔へと向き直り、俺と山紙は瞳を見つめ合いながら言葉を交わしあう。
本当に、どうすればどいてくれるんだよこいつは……。ホラーゲームに出てくる不死身の敵キャラ並みにずぶといぞ……。
俺が山紙のことを、ホラーゲームに出てくる敵キャラに例えたすぐ後、先ほどから否定の言葉ばかりをこぼしていた山紙の口から、とうとう俺を幸せにしてくれる言葉が出る。
「でも……。誰かが来たら私たちの営みを落ち着いてできないから、どいてあげる……」
「本当か⁉ 山紙!」
「うん……」
山紙は俺の確かめの言葉に、こくりと頷いてくれる。
かなり嬉しい。
どいてくれる理由がちょっとおかしな気がするが、そんなことは二の次としてかなり嬉しい。ゲームのラスボスを、苦労して倒した時並みに嬉しい。
俺は山紙の言葉を耳に入れたことによって、浮かべていた苦笑いが普通の笑顔にレベルアップし、その笑顔のままで山紙に言う。
「それじゃ、早く俺の上からどいてくれ!」
「響野から降りる前に、一つやりたいことがある……」
嬉しさを声に含ませてそう言う俺に、釘を刺すかのように何かお願いを出してくる。
「……何をする気だ?」
俺は浮かべていた笑顔をすぐに崩し、無表情でいる山紙を怪しむような目で見つめて訊いてみる。
「別に大したことじゃないから、響野は気にしないでいい……」
「全力で気にする。お前のことだから、どうせ俺にマイナスになるようなことだろ」
すると、山紙は俺のその予想に首を横に振って否定を表す。
「違う……。これは、私にも響野にも得になるお願い……」
「俺と山紙が得になる?」
はっきりと自分の論を語る山紙に、俺は訝しげに訊き返した。
俺と山紙が得となる選択肢など、この状況であるのであろうか?
俺が疑問に思うと、山紙はまるでその疑問を見透かしているかのように、タイミングよく答えを出してくれる。
「私が響野の身体から降りる前に、響野の唇を奪いたい……」
……山紙のお願いを落ち着いた気持ちで聞いた俺は、静かにツッコむ。
「どこが俺の得になるんだよ……」
「なるでしょ……。私は響野の唇を奪えて、大好きな人にファーストキスをあげられる……。響野は将来のお嫁さんの、ファーストキスをもらえる……」
「まったくもって俺に得が無いだろ」
「それはすべて、考え方次第……」
何だよその前向きな思考は。
もう少し後ろ向きで考えることを、俺はオススメするぞ。そうすれば、この積極的過ぎる行動も歯止めが利くと思うから。
「じゃあ、奪うね……」
「お前は人の話を聞いているのか? 俺には得が無いから、やっても意味がないだろ」
俺が山紙の発言に対して理由を話して拒否をすると、山紙はジッと俺を見つめて先ほどからの表情を一切も変えずに言う。
「考え方次第……」
「俺がどう考えても、お前のような考え方ができない」
「関係ない……」
「関係なくないだろ⁉」
ついにこいつ、俺の得とか関係ないとか言い出したぞ。
関係ないと言い切った山紙は、吹っ切れたかのように俺の唇を奪おうと、整ったかわいらしい顔をゆっくりと近づけてくる。
もちろん俺は、顔を近づけて唇を奪おうとしてくる山紙から逃れようと、押さえつけられている腕に力を込めて逃げ出そうと全力で抵抗する。だが、風火を一撃で気絶させるほどの力を持つ山紙何かに、基本的家で引きこもってゲームをする俺なんかが勝てるわけがない。
「響野じゃ、私に勝てない……」
山紙は顔を近づけるのを一度止めてから、俺の無駄な抵抗を呆れた口調で軽く流してそのままの口調で続ける。
「素直に諦めて……響野……」
素直に諦めろだと?
人の貞操が係っているのに、どうして俺は素直に諦めなければならない。
「俺は自分の貞操が係っているんだから、素直に諦められるわけがないだろ」
「大丈夫……、私が響野を幸せにするから……」
「俺は自分が決めた人としか一緒にならないから、幸せにしてもらわなくて結構だ」
その答えを無視し、山紙は唇を奪うために顔を近づける動作を再開させる。
俺は再開された山紙の行動に、頬を引きつらせるように苦笑いをし、近づいて来る山紙に言う。
「そろそろ向こうにいる女子生徒たちがこっちに来そうだから、早く降りてくれよ」
「安心して……。私は他の人に、営みの邪魔をされたくないだけだから……。キスぐらいなら見られても平気……」
「俺は平気じゃないからな⁉」
俺は苦笑いから驚きの表情に切り替え、平然とした態度を何一つ崩さずにそんなことを言い出す山紙に、声を荒げて自分の意見を主張する。
しかし、俺がそんな意見を主張したところでやめてもらえるのなら、とっくに俺の上から山紙は降りている。主張が通らないから、こいつが上にいるわけだしな。
……力でも勝てず、論戦でも勝てない。
やはり、俺がどう足掻いても山紙には勝てない。
しかも、相手は最初っから俺を脅すためのカードを手札に持っている。こんな状況で勝てる奴など、存在するわけがない。
ジリジリと迫ってくる、綺麗に整ってかわいらしい山紙の無表情に、乾燥という現象が存在しないかと思わせるほどみずみずしく潤っている唇。
とうとう俺は観念し、自然と掛かっていた身体の力を意図的に抜く。
「やっと諦めてくれた……。じゃあ響野……、奪うね……」
俺が諦めたところを見て、山紙は少し嬉しげに微笑みをこぼして呟き、現在行っている動作を止めることなく続ける。
……もうどうにでもなれ。
そう開き直り、すぐに瞼を閉じる。
この状況を打破できる策など、俺の手の内にはもう無い。だったら男らしく、最後は潔く散りたい。
最初の相手がこんな奴になるとは夢にも思わなかったが、そこは山紙が言った通り前向きに考えよう。例えストーカーだとしても、山紙は普通以上にかわいいんだからな。
いつでも山紙の唇と俺の唇が重なる覚悟を決め、その時を緊張した面持ちで待つ。
だが、俺にその時が来る代わりに、聞き慣れた一人の女の子の制止の叫び声が廊下に響き渡る。
「キスしちゃ、だめぇええええええ!」
その突然の叫び声に、俺は閉じていた瞼を反射的に開いてその叫び声の方に首だけ回して顔を向ける。俺にキスをしようとしていた山紙もその叫び声によって制止し、顔だけを声がした方向に遣っている。
そして俺と山紙が顔を向けたそこには、山紙の一撃によって倒された俺の幼馴染、水川風火が意識を取り戻していた。
「ふ、ふ、風火⁉」
俺は間の抜けたような声で意識を取り戻した風火の名を呼ぶと、風火は唇を奪われそうな俺に心配の声を掛けるのではなく、いきなり自分の腹の内を暴露する。
「響野は私のものだから、キスしたらダメッ!」
「……」
結局、そうなるのかよ……。
俺は言葉を失い、眉をひそめて心の中で憂鬱な唸り声を上げる。
風火は純粋な気持ちで山紙を止めて俺を助けたのではなく、自分自身のために俺にキスを迫ってくる山紙を止めたのだ。
だが、風火が山紙を止めた理由はどうあれ、間一髪のところから助かったのは事実だ。風火にはまったく感謝しないとして、とりあえず早くこの状況から脱出をしよ――。
「えっ、えっとー……。な、何をしているんですか……?」
女の子の声が、俺の耳に入ってくる。
その声は、変態の風火でも、ストーカーの山紙のどちらの声でもない。もちろん、俺の声でもない。
それじゃあ、一体誰の声何だ?
俺は声が聞こえてきた方に顔を向けて、その声の主を確認してみる。
「……」
顔を向けた方向には、見覚えのない女の子が三人ほど並んでおり、全員が驚いた様子で俺たちを瞳に映して、きょとんと目を見開いていた。
「ど、どうも……」
声の主と思われる女の子と目が合った俺は、気まずい空気に浸りながら精一杯の苦笑いを浮かべてそう声を掛ける。
「……」
だが、その声に対して応答を返してくれない。
緊急事態発生。
目の前にいる女の子が誰一人、返事をしてくれない。
しかも、まだきょとんと目を見開いてままだし、どうも嫌な予感しか俺の脳裏に横切らない。
俺が悲観的な発想をしている間も、気まずい空気は俺たちの周りをごく自然と流れる。
「……」
頬を引きつるしかできない、この空気……。
お願いです。誰かこの空気をぶっ壊してください……。
特に、こんな空気にさせた原因でもある山紙さん。俺の上から早く降りて収拾をつけて下さい。あと風火も、ただ黙りながら廊下に座り込んでいるんじゃなくて、何か協力してください。
俺の中でそんな悲しいお願いをしていると、気まずい空気を破るかのように、先ほど声を掛けてきた女の子が口を開く。
「あ、あの……。し、失礼しましたっ!」
誰も破ろうとしなかったあの気まずい空気を破ってくれた女の子は、突然俺たちに謝罪の言葉を述べてから頭を下げた。
女の子が謝ってきた理由など、ここにいる奴らなら誰にだって分かるだろう。その証拠に、謝ってきた女の子の隣にいる二人までもが一緒に頭を下げている。
因みに、風火は座り込みながら笑いをこらえており、山紙はいつも通り平然としている。
たぶん風火は、勘違いをされている俺に対して笑いをこらえていて、山紙の場合は別に何とも思っていないだろう。
……いや! そんなことを冷静に考えている場合じゃないだろ!
早く弁解して誤解を解かないと、変な噂が立ってしまうかもしれない!
俺と山紙の現在の状態は、他から見て見れば明らかにいかがわしい体勢なのだから、芸能人のスキャンダルネタ並みに最悪な噂が立てられてしまう。
不利益となる噂を立てられるのを防ぐため、俺は頭を下げる女の子たちの誤解を解くように言葉を掛ける。
「この状況を見れば、明らかに変な考えが思い浮かぶと思うが、それは勘――」
「勘違いじゃない……」
山紙はキスをするために倒していた身体を起き上がらせ、両手で俺の口を塞いで弁解を改悪させる。
「あなたたちの考え通り、その考えは間違いじゃない……」
「んっ⁉ んんんっ!」
ガチで笑えないほどに改悪させる山紙を見て、俺は必死に言葉を発しようとするが、口を力強く塞がれてちゃんと声を出すことができない。起き上がったことで両手が自由になっていると思ったが、俺の両手は山紙の足に押さえられていて、身動き一つ取れない……。
山紙の今の発言を聞いた三人の女の子たちは、「えっ……?」と疑問気な声を一つ漏らして、俺と山紙に視線を行き来させる。
あの女の子たちはきっと、山紙の発言を信用するかどうか悩んでいるのだろう。
だったら、山紙のことを絶対に信じないでください。信じたら俺の高校生活に、波乱が到来してしまうので……。
視線を俺と山紙に交互させていた女の子の内一人が手を軽く挙げ、口を塞がれて喋れない俺ではなく、その喋れない原因を作っている山紙に苦笑いを浮かべて質問をする。
「私たちが思っていることはえっと……。勘違いなんですか? それとも勘違いじゃないんですか?」
「勘違いじゃない……」
即答。
躊躇いが無く、すがすがしく即答をする山紙。もう俺の頭の中には、不幸な展開しか思い浮かばない。
山紙の答えを即答で聞いた女の子たちはお互いの顔を見合わせ、困った表情で話し合おうとする。
だが、三人が顔を合わせて話そうとした時、俺の上にいるストーカーはそんな彼女たちにジッと威圧的で突き刺さるような視線を送りつけ、話し始めようとした三人をビクッと震えさせて黙らせてしまう。
何をしてくれてるんだよ、お前は……。
口が山紙の手によってふたをされているため、俺は一言も疑問や文句を口から出すことができず、「ううっ……」と目を細めて唸る。
ジッと威圧的な視線を女子生徒たちに突き刺す山紙は、俺の唸り声に気付かず、ただ女子生徒たちを視線で捉えたまま言う。
「私たちのことを見て、まだ理解できないの……? 普通、女の子が男の子を押し倒して、こんなことをすると思う……?」
……してるだろ、お前。
白昼堂々、転ぶふりをして俺のことを押し倒しただろ。真っ赤な嘘を吐くなよ。
もちろん俺はそのことを女子生徒たちに話してあげたいが、何度も言うように、現在俺の口は、男子である俺以上の力を持っている山紙に押さえられているので、話すことができない。女子に力で負けるなんて、悲しいほどに情けない……。
山紙の説明を聞いた三人の女の子は、「確かに……」と声をそろえて納得が行ったように呟き、俺をなぜかしょうもない目で蔑む。
いやいや、待てよ!
何でそんな蔑んだ目で俺を見るの⁉ 俺がこいつに、「俺のことを押し倒して、馬乗りになってくれ」って命令すると思うの⁉
人畜無害な俺が、どうしてそんなプレイを恋人でもない女子にやらせると思う⁉ 仮に恋人がいたとしても、俺はこんなことを昼休みの廊下でやらせないし、むしろ考えもしないよ!
「んっ! うぐうぐ!」
喋ることがままならない俺は、唸りながら首を横に振って否定の意を三人に示す。
しかし、俺がそう否定してみても女の子たちは渋った顔をして認めようとはしない。
マズイぞ、山紙の地味に信憑性がある説明で、三人の考えがほぼ固まってしまったようだ。
確かに、山紙の見た目はほっそりとしている上に肌も色白気味で、とても筋力があるとは思えない。
まあ、実際のところは信じられない力を持っているわけだが、俺がわざとこの体勢を望んでいて山紙が押さえていると説明すれば、合点が行き、納得してしまうだろう。
八方ふさがり。
そのことわざが、ぴったりと当てはまってしまう。
助け舟の風火も、こらえきれずに笑っているので、助けも無い。
しかし、俺の上に乗る山紙は手を緩めず、勘違いをしている三人の女の子たちに聞こえる棒読み声で言う。
「わ~……。響野が興奮して息を荒げてる~……」
「んぐぅ⁉」
山紙の衝撃的発言に、俺は驚きのうめき声をあげる。
というか何を言い出してるの、このクラスメートは⁉
衝撃が走った山紙の発言に俺が目を瞬かせていると、それを聞いた女子生徒三人の蔑む目が急に怯えるような目つきになり、隣同士の服を掴んで数歩後ずさってしまう。
「あ、あ、あの……」
俺たちとほとんど会話をしていた女の子が、後ずさりながら震えた声で何かを言おうと口を開く。
その時、俺の頭の中に『諦め』という二文字が、自然と浮かび上がった。
これ以上俺がどう足掻いたところで、バッドエンドコースから逃れることはできない。
……もう泣きたいよ、俺は……。
悲痛な俺の心の声は、決して彼女たち三人の中には届かず、震えた声で女の子が言い切る。
「す、すみませんでしたっ!」
そう言うと同時に後ろを振り返り、三人は各々違う悲鳴を上げながら来た道へと逃げて行った。
女の子が廊下を駆ける音と、わずかに聞こえてくる悲鳴だけが俺たちの耳に入る。
俺の口を塞いでいた山紙は、俺の口元から手を離してからゆっくりと立ち上がり、無表情のまま言う。
「今回だけは見逃してあげる……」
そして俺の返答を待たずに山紙は食堂へと一人向かい、床で笑っていた風火は、屈託の無いかわいらしい笑顔を浮かべ、何も言わずに立ち上がってから口を開く。
「響野、大丈夫?」
塞がって喋れなかった自分の口を使って、俺は風火の質問に対して疑問を返す。
「なぜ屈託の無い笑顔で、そんなことを俺に訊く?」
「幼馴染だからさ!」
「……瀕死になれ変態」
俺の言葉に、風火は怒ったように頬をぷぅと膨らせて、倒れる俺を見下ろしながら言う。
「変態じゃないよ! 幼馴染だよ!」
「じゃあ、瀕死になれ変態幼馴染」
「だから変態じゃないよ! 第一、どうして瀕死にならなくちゃいけないの!」
「瀕死になれば黙るだろ……。あと、じわじわ風火が苦しんでくれるし……」
「何で最後の方、そんな怖い理由なの⁉」
説明を聞いて、驚いた顔をする風火。
だけど別に、風火がそんな顔を浮かべようと、今の俺にとっては正直どうでもいい。
理由は単純に、変態幼馴染とストーカーが起こした変な誤解によって、平凡な俺の高校生活が見事ぶっ壊されてしまったからだ。
そしてぶっ壊された後に残ったのは、目の前にいる変態と食堂に向かったストーカー……。
最後に、現在俺の身体にまとわりついている無気力感。
もう家に帰りたいよ……。
風火は驚きの表情を崩し、再び笑顔を浮かべる。
「それよりも、笑ってたらお腹が空いたから、私は先に行くね!」
風火は倒れている俺を置いて、食堂へとさっさと歩き出して行く。
「……はぁ」
一人になった俺は、倒れたままの状態で大きなため息を吐いた。
落ちた気分と身体の疲れを引き連れて、俺は二人が待つ食堂へとようやく着いた。
これ以上あんな変態二人と関わりを持たない方がいいのかもしれないが、二人との関係を断ったところで、現状が変わるわけでもない。
だから関係を断つなんてことはしないで、二人とこれからもほどほどに関わって行こう。
……まあ、事実をいうとしたら、どうせ風火は俺の家の鍵を持っているわけだからいつでも家に入ることができるし、山紙も山紙でストーカーだから、今まで通り気が付かないところから俺を観察するだろう。
要するに、俺がこいつらと関わりを持たないとしても、結局こいつらから俺の元に寄ってくるので、諦めて付き合っていくしかないのだ。
そんなことを考えていたら、当たり前のようにため息が自然とこぼれ出る。
今日で何回目だろうか? 軽く二桁になっていることだけは察しているが……。
自然とため息をこぼしてから俺は立ち止まり、他の生徒がいて込み合う食堂を見渡す。
「風火と山紙は……っと」
先に食堂に来ている二人はすでに席を確保していると思うので、俺は近くの席から順に二人を探していく。
そして中央辺りですぐ、見知った子供っぽい幼顔の女の子に、人形のようにバランス良く整った顔立ちの女の子が、俺の目に映った。
「そこにいたのか……」
そう小声で呟くと、席に座っている風火と俺の目が偶然にも合ってしまい、風火は嬉しそうな笑顔で立ち上がって、早く早くと手招きをしてくる。
風火の正面に座る山紙もその行動を見て俺が来ていることに気が付き、後ろを振り返っていつも通りの無表情で凝視する。
「……」
俺は二人の様子を見てから頭を掻き、仕方が無く手招きする風火と凝視してくる山紙の元まで歩き出す。
「遅かったよ! 響野!」
「響野、遅い……」
二人は俺に対する苦情をぶつけ、その苦情にトーンを落とした声で反論を投げる。
「お前らがあんなことをしたからだろ」
「それは関係ない……」
山紙は俺のその反論を、表情を崩すことなく否定する。
「何が関係ないんだ?」
「だって私は、疲れてない……」
「お前は俺にくっついて、十分に満喫していたからな!」
「でも、少し興奮し過ぎてちょっとだけ疲れてる……」
「むしろお前がまったく疲れてなかったら、俺は余計に腹が立ってたよ!」
興奮して声を荒げる俺に、冷静に答える山紙。
明らかに山紙のペースに乗せられていることに気が付き、俺は気持ちを落ち着かせる方法として有効的な手段、深呼吸を実行する。
気を静めるんだ。山紙のペースに乗せられてたら、いつまでも話が進まない上に、発言に対してのツッコミをし続けてしまい、体力を無駄に消費するだけだ。今日は二人によって、かなりの体力を消耗されているから注意しないと。
ジリジリと減らされていくHPケージを意識しながら、気持ちを切り替えて他の話題を振る。
「さっきのことはとりあえず置いておいて、今は昼飯を早く食べようぜ」
その提案に、俺と山紙の会話を楽しそうに鑑賞していた風火は笑顔で頷き、先ほど俺のペースを崩していた山紙も、さっきのことを引っ張らずにこくりと頷いてくれる。
「それじゃあ、食券でも買って昼飯をもらいに行くか……と言いたいところだが、誰かがここに残ってないと、他の誰かに席を取られてしまう可能性があるから、先に風火と山紙は昼飯を買って来てくれよ。俺がここに残っておくから」
俺たちが現在陣取っている席を他の誰かに取られないようにするために、俺はそう二人に提案する。
根を正直に話すとしたら、先に二人が昼飯を買いに行けば、俺はその間にゆっくりと身体と心を休ませることができるからな。誰かに取られないようにするための対策は、その計画を成功させるための口実に過ぎない。
しかも口実とはいえ、ちゃんとした役割を担っているから一石二鳥だ。
だが、そんな考えに二つ返事で返してくれる二人ではなかったことを、俺はすっかり忘れていた。
「「やだ」」
声をそろえて俺の提案を拒否する風火と山紙。
そうだよ。こいつらは素直に俺の意見を鵜呑みする奴らじゃないことを、すっかり忘れてたよ。
こんな当たり前のことを忘れていたとは、自分で感じている疲れ以上に、俺は疲れているんじゃないのか?
そのことを頭に入れておいてから、俺は短い否定の言葉を述べた二人に訊く。
「……どうして嫌なんだ? 別に、この提案に関してなら二人が否定をする意味など無いはずなのだが」
俺の問い掛けに風火と山紙は各々の称号である、変態とストーカーの名にふさわしい言葉で答えてくれる。
「だって私は、響野の苦しむところを見てたいもん」
「ずっと響野のことを、見ていたい……」
「……」
我慢するんだ。
この状況で絶叫何かをしたら、周りから頭のイカれた変人という格付けにされてしまうぞ。
レッテルはまだ剥がせるかもしれないが、さすがに格付けというものはそう簡単に変えることはできない。本来の意味からして。
口から飛び出して行きそうな絶叫を飲み込むと、自分の身体から大量の冷や汗が出現し、身の毛が総立ちする。
よく耐えたと、自分自身を褒めちぎってやりたいが、そんな暇は無い。
俺は称号にふさわしい発言をした二人に目を配り、自分ができる精一杯の苦笑いを浮かべて変態とストーカーに訊く。
「な、何で。何でお前たちは、そんなことを言い出すんだよ?」
地味に声が震えてしまったが、気にする必要は無い。人間、正直に生きることが一番だからな。
俺がそう自己納得している時に、風火が質問に対して幼く笑って口を開く。
「苦しむ姿を見れば、意外と興奮するからだよ!」
「風火! そこは笑って言うとこじゃないからな!」
「安心して響野。私は別に、響野が苦しむところ以外にも笑っているところとか、楽しそうにしてるところも興奮するし、好きだから」
「嬉しいようで、嬉しくないフォローだな」
「まあ私は、響野を見ていればいつでも興奮できるんだけどね。頭の中で響野と色々やっていることを想像したりして。もちろん、響野がそれを体験したいと望めば、私はどこでもやってあげるよ」
「口を閉じろ、変態」
重度な変態幼馴染、水川風火に口を閉じるように命令する。
あんなことをずっと聞いていたら、俺の身体中の水分が全部冷や汗になってしまう。
というか、こいつは俺を見ていつもそんなことを想像していたのかよ。風火との幼馴染関係をよく考えておこう。自分の貞操を守るためにも。
俺が風火との関係についてよく考えると決めた時、ずっと凝視していた山紙が、自分の意見を主張するためにゆっくりと口を開く。
「響野を犯しても、大丈夫……?」
「大丈夫じゃないからな⁉ どうして俺が質問をぶつけたのに、お前は逆に訊いてくるんだよ!」
「だって響野を見ていたら、段々ムラムラしてきて……」
そう言いながら頬をピンクに染め、身をよじよじと小さくよじる山紙。
しかし、突拍子もなくとんでも発言をしてきたな、山紙は……。
もう少し準備ができていれば、声を荒げずになるべく冷静に対処できたのだが、簡単に予想が付かないのが山紙のとんでも発言だな。
荒げてしまった声を元に戻すため、胸を撫でおろして呼吸を一つし、座りながら身をよじる山紙に言う。
「だったらあまり、俺のことを見るなよ。俺を見てムラムラされたら、何か気分が悪いからな」
「やだ」
「やだじゃない、山紙」
「嫌だ」
「俺がなりふり構わず、お前らのボケにツッコミを入れると思ったら、大間違いだからな」
「……ちっ」
「何で棒読みするようにお前は舌打ちをするんだよ。棒読みだと舌打ちじゃないだろ」
結局、山紙のボケに対してまたツッコミを入れてしまい、額に片手を添えてため息を吐く。
俺はずっと、この二人のペースに乗せられっぱなしだな。
俺は額に手を添えていた手を離し、笑顔を振りまく風火とジッとこちらを見つめる山紙に、呆れた目と表情を向けてから、ため息交じりの声で言う。
「……分かった。三人で行こう」
「えっ、本当に!」
幼げな笑顔を浮かべていた風火はその笑顔を驚いた顔に変貌させ、風火の正面に座って俺を見つめていた山紙も、驚いたように目を大きく見開く。
俺だってこんな決断はしたくないんだけどな。
だけど昼ごはんにありつくためには、諦めて三人で行くしかない。席の問題については、俺たちがくだらない会話をしている間に空席ができてきたから、そこも解決された。
要するに、後は昼ごはんを買って空いている席で食べるだけなのだ。
俺の発言を聞いた風火は、驚いた表情のままで真偽を確かめてくる。
「本当に、本当にいいの⁉」
「ああ、早く昼飯を食べたいしな」
「本当に、本当に、本当だよね⁉ 嘘じゃないよね⁉」
「本当だ。嘘じゃない」
「本当に――」
「しつこいなお前!」
何こいつ。
俺が本当のことを言わないとでも思っていたのか? 数十年の付き合いでできた信頼は、一体何だったんだ?
風火が俺のことを信頼してくれていなかったことに軽くショックを受けていると、椅子に座っていた山紙がいつの間にか俺の右隣に立っており、ぽんっと俺の肩を叩く。
「響野……。私はちゃんと、響野を信じてる……」
「気配なく俺の隣に立つの、やめてくれないか?」
初めて山紙と話した時も、いつの間にか俺の目の前にいたしな。こいつのストーカースキルは、忍者並みの隠密能力だぞ。
山紙は俺の肩から手を離してから、あまり感情がこもっていない平坦な声の調子で答える。
「それは無理……。妻はいつでも、夫の影になって支える役だから……」
「お前は誰の妻だよ」
「響野の……」
「俺はお前のことを妻だと認めた覚えは一度もない上に、俺とお前はそんな関係じゃない」
何で俺がこんなストーカーを、妻にもらわねばならない。
一緒に暮らしていたら、部屋中に隠しカメラを仕込まれそうな気がするし、下手をすれば監禁などという物騒な事件を起こされるかもしれない。もちろん監禁される被害者は俺で、監禁をする加害者は山紙だ。
俺と山紙がこんな話をしていると、椅子に座っていた風火は不機嫌そうに眉をひそめ、さっと立ち上がって俺に荒々しく提案をぶつける。
「響野! 山紙さんと話してないで、早くお昼ごはんを買いに行こう!」
急に荒々しい態度で風火がそんなことを言い出したので、俺は思わず気圧されして頷いてしまう。
「わ、分かった、風火……」
「じゃあ、早く行こうよ」
立ち上がっていた風火は俺のすぐ近くまで寄り、俺の手を力強く握りしめてから、引っ張るように食券の販売機が設置されている場所まで早歩きで進み出す。
俺の隣にいた山紙は、風火のこの行動にほんの少し顔をしかめたが黙ったまま俺に寄り添う。
しかし、いきなりどうしたんだ風火は?
さっきまでは何ともなかったのに、突然不機嫌そうになって荒々しく俺の手を引っ張って来るなんて。
俺は何も、こいつの機嫌を悪くするようなことはしていないはずだから、原因は俺ではないと思うのだが……。
そんなことを頭の中で思案している最中にも、風火は俺の手を引っ張ってズイズイと食堂に集まっている人の合間を歩いて行く。
風火のそんな様子に圧倒されてなのか、それとも奇妙な俺たち三人に圧倒されてなのかは分からないが、途中から俺たちが避けて人の合間を通るのではなく、向こう側から避けて道ができるようになった。
まるで海が割れているようだな……。
アニメや漫画で、仙人らしき人物が謎の超能力を使って海に道を作っている描写などがあるが、それみたいに食堂に集まっている人が道の端に避けてくれているのだ。
こういう時、自分が偉くなったような優劣感が得られて気分が良いと思うのだが、残念ながら俺にはそんな大物が持つような感情が疎いので、周りから集中する視線で息が詰まりそうになる。
ああ、もう昼飯抜きでもいいから早く昼休みが終わってほしい。
そのようなことを願っていると、俺の手を引っ張る風火が立ち止まり、不機嫌そうな顔をこちらに向けて俺に尋ねてくる。
「響野は何を食べるの?」
「不機嫌そうに訊いてくるのは、頼むからやめてくれないか?」
訪ねてきた側が不機嫌だと、尋ねられた側もそれを見て調子が狂ってしまう。
「私と付き合えば、機嫌を直してあげる」
「無理を言うな」
何でこいつは急に無理難題を言い出すんだよ……。
俺がそう言い返すと、風火は不機嫌なまま言う。
「なら難易度を下げて、私の愛人になって」
「それは下がったの⁉ 絶対に下がってないよね⁉」
「分かった。妥協して、私の夫でいいよ」
「正式な関係にランクアップだよね⁉ ちゃんとランクを下げてくれない⁉」
すると、風火は不機嫌そうな表情からいつもの笑顔になって、嬉しくない言葉を告げる。
「響野がツッコむところを見たいから、無理!」
「何か恨みでもあるの⁉」
風火の非情な発言に、戸惑いの声を上げる。
俺が風火に何をやったのか心当たりが無いのに、なぜそんなことを言われなくてはならない⁉
色々とツッコミを入れてやりたいが、俺は風火の表情を見て思わず言葉を止める。
先ほどの不機嫌そうな表情ではなく、いつも通りの笑顔。
やはり、落ち込んだ様子の風火よりも、笑顔の風火の方が良いな。
そんなことを思いながら目の前の幼馴染の笑顔を眺めていると、不意を衝くかのように背後から山紙の声が聞こえてきた。
「……響野」
「? 何だ、山――」
後ろに顔を振り返って山紙の表情を見た瞬間、俺は声のボリュームを思わずゼロにしてしまった。
なぜなら、先ほど笑顔を浮かべた風火とは対照的に、虫の居所が悪そうなジト目で俺のことを山紙が凝視していたからだ。
「ええっと……。何で今度は、山紙が機嫌を悪くしているんだよ……?」
ジト目で凝視してくる山紙は、この質問に対してジト目をやめることなくそのままの状態で返答する。
「私は別に、不機嫌じゃない……。響野と水川が楽しそうに話していたから、少し虫の居所が騒いだだけ……」
「それはどう考えても不機嫌だろ! 何で無駄な嘘を吐くの⁉」
声を荒げてツッコミを入れる。
しかし、風火の次は山紙の機嫌が悪くなってしまった。
どうして二人は、俺のことをこんなに困らせるんだよ。
お姫様抱っこさせたり、俺を無理矢理押し倒したり。それを目撃されて、見知らぬ女子生徒たちに勘違いされてしまい、変態のレッテルを貼られるし……。
散々すぎるだろ、俺の昼休み。
「でも、響野……。一度だけなら、響野が浮気しても許してあげる……」
「お前と恋人関係でもないんだから、浮気なんて存在しないだろ」
「今は浮気じゃなくても、将来は浮気になる……」
「俺は将来、お前と一緒になる気は微塵の欠片すら無いからな⁉」
「安心して……。浮気した時の罰は、軽くするから……」
「罰を与える時点で、許してないだろ!」
「もしも今度浮気したら、私の家で響野を拉致監禁する……」
「罰、全然軽くないよ⁉」
軽い罰とか言いながら、警察沙汰の事件を起こす気だよ、こいつは!
俺が山紙のとんでも発言全部にツッコミを入れると、機嫌悪げなジト目でこちらを見ていた山紙は、いつもの無表情に戻って、納得するように頷く。
「さすが響野……華麗なツッコミ……」
「そんなことで褒められても、まったく嬉しくないからな!」
納得するように頷く山紙に、またツッコミを入れる俺。
すると、さっきからずっと風火と山紙にツッコミを入れていたせいか、肩で息をするほど息が切れていた。
……こいつらと話していると、本当に疲れてくる……。
まさかツッコミをし過ぎて息切れを起こすとは、不名誉として扱っていいのか名誉として扱っていいのか、正直に言って分からない。
まあ、そんなどうでもいい悩みは置いておき、二人の機嫌がやっと直ったのだから、さっさと話しの本題に戻るとしよう。
「話しを戻すが、俺は向こうに着いてから決めることにするよ」
「えっ、何の話だっけ……?」
「脳天殴るぞ、お前」
何こいつ。不機嫌そうに話を振ってきて、どうしてその内容を忘れるんだよ。
俺は風火の頭を殴りたい衝動を抑え込んでから、話しを振ってきた本人に話の道筋を説明してやる。
「最初、お前が不機嫌そうに、昼ごはん何を食べるのかって俺に訊いてきたんだろ。それで俺がお前の不機嫌な態度を見て注意をしたら、話が思いっきりズレたんだよ」
その説明を聞いた風火はポンッと手を叩き、「なるほど」と理解した様子になってから首を傾げて、俺にあることを訊いてくる。
「あれっ? じゃあ、話しがズレたのは響野が悪いよね?」
「半分はお前が悪いがな」
首を傾げる風火に、俺は不満げな表情を見せ付けて言う。
何で話しがズレた責任を、全部俺に押し付けようとするんだよこいつは。
……そういえば、なぜ風火が不機嫌そうにしていたのかを、まだ訊いていなかったな。
俺は浮かべていた不満げな顔を崩してから、まだ首を傾げている風火に不機嫌だった理由を訊いてみる。
「しかし、なんでお前は不機嫌だったんだよ? 俺が何かしたか?」
首を傾げていた風火は急に俺に理由を訊かれ、首を元に戻すと同時にムッと頬を膨らませ睨んでくる。
「どうしてそんな顔をするんだよ?」
頬を膨らませて睨んでくる風火にそう言うと、膨らませていた頬をしぼませて小さく唸ってから文句を俺に返してくる。
「響野は私の公式幼馴染なのに、山紙さんと楽しそうに話していたからだよ」
「お前ら二人の思考は同じなのか⁉」
驚くことに、二人が不機嫌になった理由は偶然にも一致していた。
そんなことに俺が驚いていると、山紙が自分の身体を密着させるように、俺の腕に抱き付いてきた。
「へぇっ⁉ 何をしているんだよお前は!」
突然抱き付いてきた山紙に、俺はただ目を見開いて驚き、隣にいた風火も同じく驚いた様子で目を見開いている。
「や、山紙さん⁉ 何で響野に抱き付いているの⁉」
風火は目を見開きながら問い掛けるが、山紙は無表情のままさらに抱き付き、身体を俺の腕に密着させて答えない。
「おいっ、山紙!」
俺からも訊こうとするが、口を固く結んで答えようとはしない。
いきなりどうしたんだ、山紙は?
疑問を頭に浮かべて意識をそれに向けるが、意識はずっとそれに向けることはできなかった。
周りにいる他の生徒たちが、俺たち三人に注目していたからだ。
原因は色々とあるが、その中でも一番の原因はたぶん、現在山紙が行っている行動だと俺は考えている。
こんな人が集まる食堂の中、騒がしい上こうも堂々と腕に抱き付いている姿を見れば、誰だって視線を向けてしまうだろう。早く、この状況をどうにかしなければ。
俺はそう一心に思い、山紙を腕から離そうと、もう一つの腕を使って腕に抱き付く山紙を離そうと試みるが……。
「私は響野から、離れるつもりはない……」
力強く俺の腕に抱き付き、微動だにしない。
あはは。離れないや、こいつ。
……いやいや、笑っている場合じゃないよ⁉ 女の子が自分の腕に抱き付いている状況なら普通は喜ぶかもしれないが、この状況では喜んではいられないよ!
何と言っても、周りから集まる視線が痛い。
諦めずに俺は、山紙を腕から引き剥がそうと試してみるが、ぴったりと密着したまま外れる様子はまったくうかがえない。
……どうすればいいんだ。
俺がそう思ったその時、隣にいる風火が不満げに眉をひそめて俺の腕に抱き付く山紙に、ビシッと指差して言い切る。
「離れて山紙さん! 響野が困ってるよ!」
「おおっ……」
風火が言い切った言葉に、山紙が反応するよりも先に俺が感嘆の声を漏らしてしまった。
普段の風火なら、『響野は私のものだよ!』とかほざいているはずなのに、今の発言では『響野が困っているよ!』と、そう言い切ってくれたのだ。
要するに風火は、山紙によって俺が取られると思って止めたわけではなく、俺をちゃんと心配して山紙を止めてくれたのだ。
風火も、やっと俺の身を考えてくれるようになったか……。
こんな危機的状況にも関わらず、俺は風火のちょっとした成長に心を打たれていると、なぜか風火は不満げな顔を浮かべたまま、こそこそと俺の空いているもう一方の腕に近づき、ギュッと抱き付いてくる。
ギュッと腕に抱き付いてきた小柄な風火は、高校生なのにどうも子供らしく見えて微笑ましい。
まあ、普段の行いが子供らしいということや、元々が童顔という点がプラスされて、さらにそんな感じに見えるんだよな。うん。
俺はもう片方の腕に抱き付いた小柄な風火を、数秒の間何も言わずに微笑ましく眺めてから、その表情を変えずに首を傾げて訊いてみる。
「風火? 何で俺の腕に抱き付いているの?」
微笑ましいこの雰囲気を崩さずに不満顔の風火に尋ねると、急に風火はキリっとした真剣な顔になってから、見上げるように俺と目を合わせて口を開く。
「響野を山紙さんから守るためだよ」
「本当はただ、俺にくっつきたいだけじゃないのか?」
「ギクッ……。そ、そんなわけないよ、響野」
「最初のギクッというリアクションは、一体何なんだ?」
「私の口癖だよ! ギクッ」
「……まともな嘘を吐け、風火」
俺は丁重に扱っていた微笑ましい雰囲気をぶっ壊して、腕にしがみつく風火に言い放つ。
しかし、こいつが成長したと思ってしまった俺は、明らかに、シンプルに、鼻で笑ってしまえるほどにバカだった。
俺は自分自身に落胆すると同時に、腕に抱き付く二人に対してため息を吐く。
「いい加減にしろよ、お前ら……」
山紙に続いて風火までもが俺の腕に抱き付いたため、周りからの視線はより一層集まり、さらにその中から殺意や嫉妬のこもった視線も感じてきた。
ああ……。俺の平凡な高校生活は、復元が難しいくらいに崩壊してしまった……。
すると、周りからの視線をものともしないたくましい二人は、俺の暗いこの思案をまったく配慮せずに言う。
「それじゃあ、早くお昼を買いに行こうよ!」
「響野……昼休み終わっちゃうから、早く行こう……」
風火の屈託の無い笑顔に、山紙の無表情。
そんな二人の顔を見つめて、俺はもう素直に従う。
「……分かったから」
そう答え、俺は周りから好奇と嫉妬の目を向けられながら、三人で再び歩き出した。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
一話のあとがきで書いた通り、この作品は落選した小説です。それなのに二話目も読んでいただき、本当にありがとうございます。
ストックが物語のストックが無くなるまで、掲載したいと思いますので、何卒よろしくお願いします。