あいつを殺して!
十一月も終わりに近づき、真っ赤に燃えるように紅葉していた木は今、半分ほどしか葉っぱを残していない。
そんな木が多く立ち並んでいる夕方の神社で、正隆とその妹のさやかが並んで必死に手を合わせて祈っていた。
「……神様お願いです。どうか、どうかぼくの父さんの敵を取ってください!」
正隆は、合掌しながらおじぎをした。さやかは手をこすりながら頭を下げる。
「バカ! そんな態度だったら、神様がちゃんと聞いてくれないぞ」
正隆は、妹に顔を向けた。さやかは頭を上げる。
「でもお兄ちゃん、もう寒いよ……。早く帰ろう」
そう言って、兄のコートの袖を引っ張る。
「何言ってんだ! お前はあんな結果でいいと思ってるのか?」
「そんなわけないよ! でも、あたしたちじゃどうすることもできないでしょ」
すると正隆は頭を上げ、さやかに向かい合った。
「ぼくは少ない可能性に賭けてみたいんだ」
「また明日来ればいいじゃない。あんまり長くいると、神様に迷惑だよ」
さやかはなだめるように言った。正隆は、はあっとため息をつく。
「……仕方ないな。明日はもっと早く来てお願いしよう」
そうして二人は、神社に背を向けて歩きだした。
「きみたち、ちょっと待ちなさい」
後ろから老人の声が聞こえた。二人は背後を振り向く。
さい銭箱の前に、仙人のような格好をしたおじいさんが立っていた。右手で杖をついている。
「きみたちは最近、よくここに来ておるな。よければじいさんに話してくれんかのう」
「もしかして、あなたは本物の神様?」
正隆はふるえる指で、おじいさんを指さす。神様と呼ばれたおじいさんは、ほっほっほっと笑った。
「そうじゃ。いかにもわしは、ここに住まう神であるぞ」
「本当に神様っていたのね……」
さやかは驚きの顔を隠せないでいる。
「そうか。なら、ぼくの話を聞いてくれよ」
正隆はつばを飲み込んだ。
「実はぼくらの父さんが、仕事帰りの路上で男にナイフで刺されて死んだんだ。その犯人はすぐ逮捕されたんだけど、そいつは大麻の常習犯で、警察の取り調べを受けても、言ってることが意味不明らしい。神様は知っているかどうかわからないけど、実は一昨年から死刑制度が廃止されてしまって、あいつは終身刑までにしかならないんだ」
ここで正隆は、一息入れた。
「ぼく、そんなの嫌だ! 父さんを殺したやつが死刑にならないなんて、ぼくは絶対許せない!」
正隆の声はふるえていた。その声を聞いたさやかはひっくとしゃくりあげ、ピンク色のふっくらしたほっぺたに、涙をぽろぽろと流し始めた。
「……それで、おまえさんはわしに何をしてほしいんじゃ?」
おじいさんは、正隆の目を凝視している。すると、正隆はギュッと両手に握りこぶしをつくった。
「あいつを……あいつを殺して!」
正隆の声に、周りの木に止まっていたカラスが一斉に飛び立つ。おじいさんの目が、一瞬大きくなった。
「ほう驚いたわい。まさかそんなにはっきりと言うとはな。お前さんは恐ろしいのう」
そう言うと、おじいさんはふっとほほ笑んだ。
「わかった。あんたのその願い、わしがかなえてやろう」
正隆は眼を大きく見開いた。
「本当か? ぼく、どうせ無理だろうと思って言ったのに。本当にそんなことできるのかよ」
「ああ、わしはお前さんにとても感動した。これほど子どもに想われているなんて、きみたちのお父さんは幸せじゃ」
おじいさんの言葉に、正隆はこらえていた涙を抑えきれなくなった。
「さやかちゃん、だったかのう? きみもその犯人には死んでほしいと思っているのかい?」
おじいさんは、さやかに近寄った。さやかは、うんと頭をたてに振った。
「……あいつには、生きててほしくない」
さやかは心を決めたように、くちびるをキュッと結んだ。
「ところで、その犯人の名前は何で言うのじゃ?」
おじいさんは、涙を腕でふいている正隆を見た。正隆は言葉を詰まらせながら答える。
「池澤、池澤達彦……」
おじいさんはもごもごとその名前を復唱すると、突然両手を横にバッと広げた。
「うん、おぬしらの願いはしっかり聞いた。さっき言ったように、必ずお前さんの言うとおりにしよう」
おじいさんが自信たっぷりに言う。しかし正隆は、でも、と額にしわを寄せる。
「はっきり言って、ぼくまだおじいさんの事完全には信用してないんだ。ぬか喜びはいやだよ」
するとおじいさんは、正隆の肩にしわくちゃの手を置いた。
「心配するでない。明日の日曜日は、ずっとテレビをつけていなさい。きっとよい知らせが聞けるはずじゃ。だから今日はもう帰るとよい」
「わかった。おじいさんを信じてみるよ。……さやか、母さんが心配するから早く帰ろう」
正隆はさやかの手をギュッと握ると、その場を走り去っていく。
おじいさんは、階段を下りていく二人を静かに見送っていた。
翌日の昼ごろ、正隆がさやかと一緒にテレビを見ながら、母さんが作り置きしてくれたエビピラフを食べていると、テレビ画面の上に『ニュース速報』というテロップが現れた。
もしかしてと思い、正隆はテレビを食い入るように見つめる。
『殺人の容疑で刑事告訴されていた池澤達彦被告が、心臓発作で病死』
信じられない文章を読んだ正隆は、ローカルテレビにチャンネルを変えた。
アナウンサーが怖い顔をして、犯人が突然死んだ事を報道している。
『なお、先ほど裁判所は、被告人死亡のため裁判を行わない事を発表しました』
「うそだろ……」
信じられない、という顔をして正隆は、ガタンとイスを倒して立ち上がった。
「お兄ちゃん、なにが起きたの?」
さやかは、驚きで頭が混乱しているようだ。だが、それは正隆も同じで、
「そんなの分かんないよ! とにかく、きのうの神社に行ってみよう」
と、さやかの手首をつかむと、ひっぱるようにして家を飛び出した。
神社の階段を全速力で登りきると、きのうと同じ場所におじいさんが立っていた。
「犯人が死んだって……ハアハア……本当なのか?」
正隆は、なんとか声をふりしぼって尋ねた。
「お前さん、ニュースを見ていたんじゃろ? あの通りじゃよ。きのうの約束じゃからの」
「じいちゃん、犯人はもういないの?」
さやかは兄の手を強く握る。
「ああさやかちゃん、安心してよいぞ。あの悪魔はこの世からいなくなったのじゃ」
おじいさんは、さやかの頭を優しくなでた。すると緊張が解けたのか、さやかは手を離しておじいさんに抱きつき、わんわんと声をあげて泣きだした。
「よしよし、もう大丈夫じゃよ」
おじいさんは右手で、さやかの背中をなでる。正隆も、滝のような涙が止まらない。これで、父さんの敵を取ることができた。
二人が落ち着いたころ、おじいさんが口を開いた。
「二人とも、本当によかったのう。これでお父さんも喜んでいるだろう。ところで」
と、おじいさんは左手を正隆の前に突き出した。
「え、この手、何?」
「きまっておるじゃろう。きみたちは『お礼』という言葉を知らんのか?」
そう言って、おじいさんはさらに左手を近くに持っていった。
「あ、ああそうだよね。神様にお願いしたんだもん。なにかお礼しなくちゃ。……お金でいい?」
「お金はいらん。わしがそんなもの持っていても仕方なかろう?」
あ、そうか、と言って正隆はあわてて考え始める。
「じいちゃん、なにがほしいの?」
さやかがうれしそうに、おじいさんの服にうずめていた顔をあげる。
「う〜んそうじゃのう……、お兄ちゃんの大切なものが一つほしいのう」
「え、ぼくの大切なもの? なんだろう……ゲームかな、それともカードかな?」
正隆は、頭をかきながらうんうんとうなる。
「もっと大切なものがあるじゃろうに……」
おじいさんはため息をつくと左手をひっこめ、さやかの頭に置く。
「ぐっ」
突然、おじいさんのもとにいたさやかが苦しみ始めた。口から泡を吹き、必死に胸をかきむしっている。
「どうした、さやか!」
正隆は、さやかに駆け寄る。だが正隆が触れる前に、さやかは動きをピタリと止めると、目と口を見開いたままその場に倒れこんだ。
「おい! 一体どうしたんだ?」
正隆が、さやかのほっぺたをたたく。だがさやかが反応する様子はない。
「もう死んでおるよ」
おじいさんがつぶやいた。
「じいさん、なんでだ? どうしてさやかは倒れたんだ?」
正隆は、さやかを抱きながら訊いた。
「さっき言ったじゃねえか。お前の大切なものをいただくと」
おじいさんの口調が変わった。その時、おじいさんの背中がゆっくりと二つに割れ、中から別の生き物が現れた。
「いや〜助かったぜ。魔王様の命令で、あと一回契約をして依頼を達成しないと地獄に帰れなかったもんでな」
「悪魔……」
正隆は目の前に立っている元おじいさんを凝視した。しっぽがあり、翼が生えていて、無数の牙が口からのぞいている。目が緑色にギラギラ光っていて、ヒヒヒ、と気味悪い声を出している姿はまさしく悪魔そのものだ。
「そう、お前の言う通りさ。まあ、それだけオレの変装が上手だったということか」
悪魔はヒャッヒャッヒャと口をあけて笑う。
「それじゃ……、もうさやかは死んでるのか?」
正隆は、歯をガチガチと鳴らしている。
「ああそうだ。オレさまがこいつの心臓の動きを止めてやったというわけだ」
悪魔は、冷たくなり始めたさやかの体をけった。
「ふざけるな! こんな事約束してないじゃないか。早くさやかを返せ!」
涙声で、正隆は叫ぶ。悪魔は口のはしを曲げて、ふん、と笑った。
「生き物を生き返らせるなんてこと、オレにはできねえよ。それに、この事を話したらお前は契約してくれそうになかったしな」
「……さやかを、ぼくのさやかを返してくれ……」
「はっはっはっは! また誰かに恨みを持ったら、是非オレを呼んでくれよ。すぐにそいつを殺してやるからさ」
悪魔は口が裂けそうなほど大きく口を開けて笑うと、あっという間に地面に溶けていった。神社に、いつもの静寂が戻る。
「さやか、ぼくが悪かったよ。お願いだから、もう一度目をあけてくれ……」
正隆は、まだ少し温もりがあるさやかの胸に顔をうずめ、泣き叫んだ。