いつも喜んでいよう
砂岡一矢のクリスマスは毎年教会に行く。午前は礼拝、午後からもキャンドルとともにクリスマス礼拝。それが普通だった。両親がクリスチャンで、一矢も小学校の時に洗礼を受けた。
そして今年もクリスマス礼拝が終わり、クッキーやケーキをもらって家に帰って一人で食べる。普段は一人暮らしだ。サラリーマンだし、昼ごはんだって一人が多い。こんな食事は慣れているが、急に違和感が襲ってきた。
「確かにケーキもクッキーもうまい。イエス様がこの世に来てこられた日ってことも知ってる」
ただ、世間ではこんな礼拝に行くクリスチャンは少数派だ。普通の人はみんなと遊び、ワイワイと騒ぐ。クリスマスを一人で過ごす人は、クリぼっちだとバカにされるとも知っていた。
実際、SNSを見ると、友達や彼氏、彼女と騒いでいる投稿ばかりだ。明らかにクリぼっちは少数派。それ以上にクリスチャンもかなりの少数派だ。一見、敬虔そうに見える一矢だが、中身はフツーの二十代の若者だった。
「俺もクリぼっちでしょうか。神様、俺は本当に一人でいいんでしょうか? みんなみたいにクリスマスを過ごすべきでしょうか?」
祈ってしまうぐらいだ。
そして、なんともモヤモヤした気分で翌日を迎えた。クリスマス当日の二十五日だったが、朝、郵便受けを確認すると、妙なクリスマスカードが入っていた。
「なんだ、これは」
部屋に帰ってよく確認すると、送り主は不明だ。文房具店の名前はある。三毛猫文具店というが、検索しても出てこない。
その上、このクリスマスカードをひっくり返すと聖書のことばが書かれていた。「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。1テサロニケ 5:16-18より」。
この聖句は知っている。子供のころ、両親に暗記させられた記憶もあるぐらいだ。牧師の説教では、辛い時こそ、この言葉を忘れずに喜んでいようと言っていた。
おそらくこのカード、教会の誰かが送ってきたのだろう。教会のおばさん軍団、特に牧師夫人とかがイタズラ心でやりそうだが、確かに世間の風潮に合わせ、悶々と暗くなっているのも違う。むしろクリスマスの意味を考えたら、全然OKだ。
「ま、クリぼっちでも別にいっか」
このクリスマスカードを見ていたら、腑に落ちてしまった。
そして年が明けた。教会に向かい、牧師夫人にこのカードを見せた。
「え、知らない。何このカード」
牧師夫人は何も知らないようだった。他の教会のメンバーに聞いても首を振るだけ。
「もしかして神様から直接送られてきたんでは?」
牧師夫人はニヤリと笑う。
「いや、そんなわけないよ」
口ではそう言うが、全くあり得ない話でもない気がする。なんせ神様はなんでもできるから。
「ふふふ、でもそう想像すると楽しくない?」
「そうですね、そんな気がします!」
牧師夫人のはしゃぎ声にうなづく。確かにそう思っていた方が楽しいかも。人間のイタズラだったら勘弁して欲しいが、神様のイタズラだと思ったら、余計に楽しくなってきた。




