敵を愛しなさい
念願のマイホームを手に入れた。三年もたつ。駅や学校、病院やスーパーにも近く、この家の主婦・森脇修子は満足していた。
「そういえば、もうクリスマスが近いわね。そうだ、玄関の扉にリースでも飾ろう!」
修子は笑顔でリースを飾る。夫と息子、飼い猫のジローとの生活。何の不満もない。確かにパートの人間関係や物価高、息子の成績、ローンの返済など悩みはあったが、クリスマスが近い。不満や愚痴よりも楽しく過ごそうと思っていた時だ。
飼い猫のジロー、庭で遊んでいた。時々、息子が庭に出し、遊んでいたので珍しくはないが、今は息子の姿がない。
「ジロー、あんまり外に出ちゃダメよ」
お隣さん、神経質なご老人だった。奥さんをなくし、ちょっと鬱っぽいという噂。猫の鳴き声もうるさいと文句を言われたことがある。お寺さんの除夜の鐘にもクレームをつけ、ご近所の腫れ物だった。これもちょっと頭痛の種だったが、ジローが何か咥えていた。
「ちょっと、ジロー。変なもの食べたらダメだって」
ジローを抱き抱え、家に戻る。リビングのソファに座り、ジローが咥えていたものを確認した。
「何これ?」
それはクリスマスカードだった。二つ折りでリースのデザインが派手だ。しかもこのカード、メッセージも書いてあった。
敵を愛しなさい。マタイの福音書5章44節。
そう書いてあったが、首を傾げる。このカード、誰かの落とし物?
「ジロー、このカード何?」
「ニャ!」
ジローは茶色い系をふわっとさせ、小さく鳴くだけ。それはそうだ。猫が答えるはずはないが、きっと誰かのイタズラだろう。近所の子供たちが遊んでいたと思うと納得。このクリスマスカードはリビングのサイドテーブルの上に置いたら、すぐに忘れてしまった。
「雪野さん、おはようございます!」
翌日、朝からゴミ当番だった。例の問題アリの隣人にも挨拶したが、綺麗に無視。
「うるさい! 猫を飼うな!」
その上、怒鳴られた。背の低い老人のくせに迫力があった。そのギャップに驚き、言い返すタイミングを失う。
ますます隣人が嫌い。パート中も不機嫌になり、夕飯の時にも夫や息子に愚痴をこぼしてしまった。
「それはひどい。修子は悪くない」
「そうだよ、ママは悪くないじゃん!」
夫も息子にも味方してもらったが、それでも全然、機嫌が直らない。何もしていないのに怒鳴られなんて。ジローも比較的小さな猫だ。鳴き声だって大人しいのに。
そんな事をぐるぐる考えていたら、眠れなくなり、夜中、リビングまで降りてきてしまう。白湯を作り、ちびちびと飲んでいると、少しは落ち着くが、ふと、サイドテーブルを見ると、例のクリスマスカードがあった。敵を愛しなさい。なにこの言葉。全然、納得いかない。あの厄介の隣人も受け入れないといけないの?
「ミャア」
いつのまにかジローが起きてきた。修子の膝の上に乗り、鳴いていた。大人しい。細い声だ。
その鳴き声を聞きながら、改めてこのクリスマスカードを見つめた。そんな敵を愛するとか難しい。できない。でも、こんなモヤモヤし、愚痴を周囲にたれながし、夜も眠れないのは、自分が一番損をしているんじゃないか。
エンタメの世界のように、嫌なやつが成敗されることは少ない。隣人のようなご老人とも、適度に付き合っていくのも必要だ。それにジローの鳴き声が隣人に迷惑をかけていた可能性、少しは考えてみてもいいだろう。
「雪野さん、すみません。猫の鳴き声、うるさかったですよね。気をつけますから」
翌日、隣人とすれ違った。舌打ちされるだけ。相変わらずだ。こっちが折れたとしても、そうそう現実は変わらない。
それでも、気分はいい。少なくとも、こんなことでイライラしているよりは。それにもうすぐクリスマスだ。隣人のことを考え、楽しい時間を無駄にしたらバカみたい。
「ジロー、ということで、お隣さんのことは忘れるよ。どう思う?」
リビングのソファにいるジローに声をかける。
「ミャア!」
相変わらず答えはないが、ジローの鳴き声、嬉しそうに聞こえた。




