Over the Rainbow
ここは夕方の海沿いの路面電車の駅。遠くに見える海からは潮風が吹く。
フミヤは20代で地元のサラリーマン。最近は職場と自宅の往復の生活となっていて仕事の後は自宅に直行してビールを飲むだけのつまらない生活が続いていた。
「はあ、」
と小さくため息をつくフミヤ。そこへ2車両の路面電車がのろのろとやってきて乗り込む。
路面電車の中には乗客はまばらである。適当に空いている席に座るフミヤ。
フミヤの正面の席には女子高生が座ってスマホをいじっている姿が目に入る。その女子高生は髪を明るく染めていて、みた感じはあまり真面目そうな印象は持たない。
「高校生くらいかな?俺にもあんな頃があったなあ~」
そんなことを思っていたら不意にその女子高生と目が合った。慌てて視線を逸らすフミヤ。
電車は駅に着くたびにだんだん込み始めてきて、満席となった。そこへ杖をついたお婆さんが入ってきた。フミヤはすぐに立ち上がり「どうぞ、座ってください」と席を譲る。
ほかに空いている席もなく、向かい側に立ちつり革を持つ。
視線を感じる。先ほどの女子高生が上目づかいでフミヤを見ている。
「やけにこのこと目が合うな」
次の駅に着いた。ここの駅は乗ってくる乗客がいつも多く電車のドアが開くと次々と多くの乗客が乗ってきた。ギュギュっと突然背中を押されてバランスを崩し、その勢いでフミヤはうっかりつり革を放してしまう。
そして目の前に座っていた女子高生に覆いかぶさってしまった。
むにゅ
フミヤの右手が何やら柔らかいものをつかむ。
「い!?」
「あっ!」
女子高生の胸を思い切り掴んでしまうフミヤ。
「ごめんなさい!突然後ろから押されてバランスを崩してしまって」
慌てふためいて謝罪をする。
「うー、触られた!車掌さん呼ぼうかな?」
フミヤを厳しい目つきで見やる女子高生。
「本当にわざとじゃないんだ!」
「ダメ!許さない!」
「そんな、」
「誠意を見せてよ」
「誠意って、だから謝っているじゃないか?」
周りの乗客は何事かと騒ぎ始めている。2人はしばしの沈黙の後、その女子高生はパッと笑顔になり
「ミックスドーナツ行こうよ!!」
と元気よく言った。
駅からすぐ近くの街のドーナツ屋に2人はいる。2人はドリンクを買って窓際の席に向かい合わせに座る。
「うわっ、ブラックコーヒーだ!お兄さん大人だね。私のオレンジジュースがすごい子供みたいじゃん」
「そんなことより、どうして俺をここに誘ったんだよ?援助交際はだめだぞ」
「アハハ!ナイナイ。ちょっとさ、サラリーマンの人に仕事のことを聞いてみたいんだ」
「仕事のこと?」
「私はレナって名前の見た通りの地元のJK。お兄さんの名前は?」
「フミヤだよ。中小企業の普通のサラリーマンだ。」
「サラリーマンの仕事ってさ、どんな感じなの?やっぱり大変なの?」
「そりゃあ大変だよ。楽な仕事なんてありえないけどな。でも仕事とか人間関係に慣れるまではいろいろ大変だけれど、やることとか仕事の流れが分かってきたら自分で考えて動けるし少しは楽かな?」
「あたしたちって何で仕事なんかしなくちゃいけないのかな?み~んなしんどい思いして仕事してるよね。国が皆に遊ぶお金出してあげたら働かなくてもいいのにね?」
「何を言ってるんだ君は!国民全員が遊んで暮らしている国なんてないぞ。
俺はまだ仕事がどういうものなのかわからないけれど、まあ確かなのは働かないと食べていけないってことだよ。そういう社会のシステムなんだよ」
「社会のシステムかあ、難しいね」
「君たち学生の仕事は勉強かな?部活に勉強に毎日大変だろうけれど、そういった努力は社会に出たときに必ず役に立つはずだ。社会に出て仕事をするときに困らないように学校でいろいろなことを勉強しているはずだぜ。
なあんて、偉そうなこと言ってるけれど、俺も学生時代は勉強なんか楽しくはなかったけどね。君にはなにか夢とか目標はないのか?」
「お兄さんいいこと言うねえ。さすが社会人だね」
レナはプレーンドーナツをぱくりとかじる。
「私、今高校3年だし、大学に行くつもり。まあ、大学に入ったところで別にやりたいこともないけれど。でも今仕事に少し興味があって」
「仕事に興味があるのか、それはすごくいいことだな。失敗してもいいからバイトなり習い事なりやってみたら、いまより視野が広がるぞ」
「アルバイトかあ。あたしにできる仕事なんかあるのかな?」
「ハードルが高そうに思えても、やってみたら意外にできてしまうこともあるよ。まあ、考えるよりも行動かな?」
「お兄さんは悩みとかないの?私が聞いてあげるよ?」
「会ったばかりの女子高生にいい大人が何で悩み事を相談しなきゃいけないんだ?」
「悩み事ないの?いいなあ」
「悩みのない人間なんかいないだろう?」
「じゃあ、話してみてよ?楽になるかもしれないよ」
う~ん、とフミヤはつぶやいて一口コーヒーを飲む。そして口を開く
「気に入らない上司がいてさ、仕事だから毎日顔を合わさないといけない。俺なんて毎日怒られてばっかりなんだ。おまけに会社の経営も傾き始めてて余計に上司の機嫌が悪い。いつも顔色を窺ってるんだよ」
「うわ~、しんどいねそれ。でもそんなの簡単なことだよ?そいつをトイレに呼び出してシメちゃえば言うことを聞くよ!」
「君の発想はなんか飛んでいるな。でもそれができたらスカッとするだろうさ。そんな度胸もないけどな」
「お兄さんの悩みもなかなかヘビーだね」
「ほらな、こんなこと聞いても面白くないだろう?」
レナは頭をかしげて眉間にしわを寄せて何やら考えている。
「ん~、そうだ!いいこと思いついた!!お兄さんあたしについてきてよ」
そういうとレナは鞄を持ち立ち上がった。
「えっ!またどこかに行くのか?」
「ここは、バッティングセンター!?なんで?」
「私スカッとしたいときによくここに来るんだ。まあ、見といてよ!」
そういうとヘルメットをかぶり打席に入りバットを構えるレナ。向かいのヴィジョンに映るピッチャーが投球モーションに入る。130kmの速球が投げ込まれる!
レナは思い切りバットを振り込む。カキーンと爽快な音を立ててボールをはじき返した。その1球だけではなくレナはピッチャーの投げるボールを次々と打ち返していく。
「お前、すごいスイングだな。ビックリしたよ」
「あたし、生物の元沢先生が大嫌いなんだ!いつもいつも嫌味を言うし
偉そうだし!
嫌い! カキーン
嫌い!! カキーーン
大キラーい!!! カキーーーン
跳ね返されたボールは勢いよく次々にネットに突き刺さっていく。レナのものすごい剣幕にあっけにとられるフミヤ。
「フー、こんなもんかな?ほいっ。じゃあ次はお兄さんの番ね」
バットを手渡されたフミヤはニヤリと笑った。
「フフフ!俺は大学までずっと野球部で汗を流していたんだ。バットを持つと学生の頃を思い出して血が騒ぐぜ!」
そういうと上着の背広を脱ぎ、ネクタイを緩めて白シャツを腕まくりして打席に入った。
「おお!その意気だよ。かっ飛ばしてみてよ」
カッキーン!っと鋭いスイングで速い球を打ち返したフミヤ。学生の頃グラウンドで白球を追いかけていたころを体が覚えている。
「やるねえ。次はあのボールに日ごろのストレスを全部ぶつけるつもりで打ってみてよ」
「ナイスアイデアだな」
打席で豪快にバットを振り回して次々と快音を飛ばすフミヤ。
久々に心が躍っているのを感じていた。こんな気持ちになっているのはいつ以来だろう。
カキーン、カキーン、カキーン!!
無心でバットを振るうちにすごく良い汗をかいた。
駅まで帰ってきた2人。フミヤは自転車置き場に行こうとする。
「あれ?お兄さんはここからは自転車なの?」
「ああ、運動不足解消のために少しだけ走ってるんだよ」
「じゃあさ、次の駅まで後ろに乗っけてよ。このままオレンジ坂を走っていこうよ」
みかんの木が坂の斜面にたくさん植えられて200mくらいの緩い下り坂となっているところを地元の人たちの間ではオレンジ坂と呼んでいる。
道路の右側には一面に海が広がりトンビが飛び交っていて、道路の左側の斜面にはみかんの木が植えられている。フミヤは後ろにレナを乗せて自転車を立ちこぎして、そのままのスピードで加速してオレンジ坂へと走る。
「よ~し、行くぞ!」
海からの気持ちのいい風を切り裂いてスピードをつけてそのままの勢いで斜面を駆け下りていった。みぞおちがひゅっとする感覚を覚える。2人の乗る自転車はオレンジ坂の斜面を走り抜けていった。海風がゴーゴーとフミヤとレナの体全体を包み込み駆け抜けていく。
「ヒュー!!気持ちいいね。ジェットコースターみたいだ」
200mはあるオレンジ坂を加速してグングン駆け降りていく2人を乗せた自転車。そこを走る車や景色たちが一瞬のうちに置き去りにしていく。
次の路面電車の駅に到着した。
「今日はスカッとしたなあ!お兄さんはどうだった?」
レナは明るい表情でフミヤを見やる。フミヤは照れながら言う。
「ありがとな今日は、なんか日ごろのもやもやが吹っ切れた気がするよ」
「悩んだときは体を動かすといいと思うよ。じゃあ、あたしはここでね」
笑顔で手を振り路面電車にのるレナ。不思議な奴と出会ったけれど、フミヤは元気付けられたのは間違いがない。
【了
数年前にとある文学賞にリアル原稿を投稿したものを大幅に加筆修正しました。なろうには初投稿となります。
爽やかな描写を意識したので、楽しんでもらえたらリアクションお願いします!