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2 王子は囚われる


 スティーブは、卒業パーティーでクロエとの婚約を破棄し、アメリアとの婚約を結ぶと宣言するつもりだった。

 しかし、婚約破棄を宣言する前に、クロエが倒れてしまった。

 彼女が倒れるなど予想外で、スティーブは狼狽える。


「……どうした? 同情でも誘うつもりか?」


 スティーブはアメリアの手をそっと自らの腕から外すと、クロエの元へ向かってその顔を覗き込む。

 そして。

 頬に伝うクロエの涙を見た瞬間、スティーブは衝撃を受けた。濁っていた彼の青い瞳は見開かれ、光を映す。


「クロエ……?」


 クロエは、ここ数年、涙を見せたことがない。それどころか、心からの笑顔も。

 幼い頃はよく泣き、よく笑う、可憐な少女だったのに……いつからだろうか。

 何故、彼女は本心を見せてくれなくなったのだろう。何故、婚約者である自分を頼ってくれなくなったのだろう。


(――私は、いつからそれを寂しく感じ、不満を覚えるようになってしまったのだろうか)


 スティーブは、頭を覆っていた靄が晴れ、次第に思考がすっきりするのを感じていた。

 しかし、揺らぐ心に思いを馳せている場合ではない。


「クロエ。クロエ!」


 彼女の身体を揺らすが、反応はない。


 クロエは、以前からこんなに痩せていただろうか?

 あまり根を詰めるな、と努力家の彼女にねぎらいの言葉をかけたのは、いつのことだっただろう。

 少なくともここ一年は……、と思ったところで、スティーブの頭に鈍い痛みが走る。


(――ここ一年、私は一体何をして、どのように過ごしていたのだったか……?)


 思い出そうとすると、頭によぎる暗い靄が邪魔をする。

 スティーブは、混乱する頭の中で、とにかく急いでクロエを医師の元に――そして自分自身も、医務室に行く必要があると判断した。


「彼女を医務室に運ぶ! 道をあけてくれ!」

「スティーブぅ。そんなの、全部他の人に任せればいいじゃなぁい」

「いや、私が――」


 その時。

 クロエを抱き上げようとするスティーブの腕に、アメリアが触れた。

 振り向いたスティーブは、彼女の紫の瞳に、囚われた。光を宿していた青い瞳は、再び暗く濁っていく。


(――ああ、彼女の瞳は、いつ見ても美しい)


 スティーブはその瞳をいつまでも見ていたかったが、目の前で気を失っているクロエを放置するわけにはいかない。


「しかし……」

「あなたが他の女に触れるところなんて、見たくないのぉ」


 アメリアは、スティーブに腕を絡める。青い瞳は、さらにどんよりと濁ってゆく。


「そう……か。なら、誰かかわりに、彼女を医務室へ」


 スティーブは、彼女の腕から、瞳から、抜け出せない。

 運ばれていくクロエを遠くから見送ると、彼は暗く濁った瞳で、アメリアに微笑みかけた。


 アメリアはスティーブの耳元に唇を寄せ、甘い声で囁く。


「ねえ、スティーブぅ。邪魔者もいなくなったしぃ、今日こそわたしを愛してほしいの……」

「すまない、アメリア。それは、できない」


 スティーブは、即答する。アメリアの表情が、醜く歪んだ。


「……ちっ。まだ墜ちないの?」

「今、何と?」

「何も言ってないよぉ」


 アメリアは再び可憐な笑顔を浮かべて、スティーブに頭を預けた。

 スティーブの頭には、一瞬、違和感がよぎったものの、すぐさま思考に暗い靄がかかる。違和感は頭の隅に追いやられてしまったのだった。



 スティーブがクロエの身体のことを知ったのは、翌日のことだった。

 普段は顔も合わせない国王に、珍しく朝食の席へと呼ばれ、そこで知らされたのである。


「スティーブ。昨日、クロエ嬢が倒れたと聞いたが」

「ええ。卒業パーティーの途中で倒れたと聞きました。貧血だったそうです」

「貧血? 誰がそのようなことを言ったのだ。それに、他人事のように言うが、お前はクロエ嬢が倒れるところを、間近で見ていたのだろう?」

「え……? 間近で……私が……? うっ」


 昨日のことを思い出そうとして、スティーブの頭にまた鈍い痛みが走った。


 血の気を失った顔。

 力なくくずおれる細い身体。

 白い頬に残る、一筋の涙――。


 暗く澱んでいたスティーブの目に、再び青い光が戻ってくる。


「クロエ……、確かに彼女は、私の目の前で……。医務室に運ばれて、その後は」


 彼女が貧血で倒れたのだと伝えてきたのは、誰だったか。

 不思議なことに、スティーブはクロエが貧血だと聞いた覚えはあるのに、誰がそう言ったのか全く覚えていなかった。


「よく聞きなさい。詳しいことは言えないが、クロエ嬢の余命はあと一年だそうだ」

「……は……? 今、何と……?」


 スティーブの頭は、真っ白になった。

 確かに顔色は悪かったし、以前よりも痩せてしまったように思ったが……余命一年?

 スティーブは趣味の悪い冗談だと思ったが、間違っても国王が冗談など言うはずがない。


「このままお前が何もしなければ、彼女は一年で死ぬ、と言ったのだ」

「……そんな……!」


 衝撃を受けているスティーブに、畳み掛けるように国王は話を続ける。


「それから、彼女が生きている限り、余はお前とクロエ嬢との婚約を解消する気はない。お前たちがいくら望もうともな」

「私がクロエとの婚約解消を望むなど……」

「……望んでいたのだろう?」


 スティーブの脳裏に、昨日のパーティーで言おうとしていた口上がよみがえってくる。


 ――どうか悪夢であってほしい。

 そう思うが、全て現実だったようだ。


 スティーブは、自分がクロエに行った仕打ちを次々と思い出す。重い石が、心にどんどん積み上がってゆく。


「私は……なんということを……」

「……ようやく思い出したか」

「父上。クロエは……重い病気なのですか? 治る見込みはあるのですか?」

「――余は、何も言わぬ。それが余の答えだ」


 国王は、詳しいことを何一つ教えてくれなかった。

 試すような視線が、スティーブを強く射貫いている。


「スティーブ。自らがどうするべきか、今一度よく考えろ。――禁書庫の鍵を、しばらくお前に預けておく」


 国王はそう告げると席を立ち、スティーブの前にゴトリと重たい鍵を置いて去った。

 禁書庫の件も気にはなるが、スティーブは、先に公爵邸へ見舞いに行くことに決めた。




 スティーブが公爵邸を訪れると、クロエは、侍女に支えられながらも、玄関まで出迎えてくれた。


「殿下、お見舞いありがとうございます」

「ああ、婚約者だからな。当然のことだろう?」


 彼の言った『婚約者』という言葉に、クロエは、気取られぬほどわずかに、眉尻を下げた。


「体調が悪いのだろう? 寝ていなくて良いのか?」

「ええ。大切な殿下をお迎えするのに、ベッドの中という訳には参りませんもの」

「しかし……」


 クロエの顔には血の気がない。化粧をしていてもわかるほど、顔色が悪かった。


「どうして君は、そんなに無理を……」

「今は起き上がれますし、わたくしのことなら、問題ございませんわ。それより殿下……婚約は解消できなかったのですね。申し訳ございません」

「なぜ謝る?」

「殿下は、アメリア様のためを思って、大勢の人がいるあの場で、婚約破棄を宣言するおつもりだったのでしょう」


 スティーブは、目を丸くした。

 クロエは、自分が大勢の前で虚仮(こけ)にされるにもかかわらず、負の感情を呑み込み、それを受け入れようとしていたのだ。


 しかも、自分の余命が僅かだと知った今、他者に構う余裕など普通はないはずなのに――クロエは、スティーブに謝罪している。

 それも、悲しいはずなのに、悔しいはずなのに、微笑みの仮面をつけて。


「わたくしも、婚約を解消していただけるよう、父にお願いしたのですが……無理だと断られてしまいました。わたくしは、どうあってもあと一年間は、殿下を縛り付けてしまう定めのようです。ですが、その後はいなくなりますから……そうしたら、アメリア様と、お幸せになってください」


 クロエは、仮面のような微笑みを、無理矢理顔に貼り付け続けている。

 巧妙に隠された仮面の奥に宿っているのは、深い悲しみと寂しさ。今回ばかりは、スティーブにもそれを感じ取ることができた。




 スティーブは、帰り際に、クロエの主治医に話を聞いた。


「……私からお話しできることは、ございません」


 しかし、主治医からも、満足のいく答えは得られなかった。


「殿下……しかし、一つだけ、言えることがございます。お嬢様の症状は、医術で改善できるものではありません。原因を排除できるのも、お嬢様を取り戻せるのも、殿下だけにございます」

「それは、もしや……」


 スティーブには、主治医の遠回しな言い方に、思い当たることがあった。

 ――答えはおそらく、禁書庫の中だ。


「参考になった。感謝する。私が手を打つまでの間……どうか、クロエをよろしく頼む」

「承知致しました」


 スティーブはすぐさま王宮に帰り、禁書庫へと向かったのだった。



 禁書庫で調べ物を始めたスティーブは、すぐに目的の書物に行き当たった。クロエの症状、そして自身の頭を霞ませていた暗い靄について、思うところがあったのだ。


「……やはりか」


 彼は書物を読みこみ、王宮魔術師を呼んで入念に対策を施す。

 そして、決して気取られぬように、元凶と思われる人物――アメリアを学園の空き教室に呼び出した。


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