小悪魔
僕と星奈は閉じた大きな扉の前に立っていた。階段を下りて目の前の扉なので、防火扉だろうか。だが、古めかしい錆びた扉なので違う気もする。お化け屋敷にしては随分と年季のこもった作りをしている。
「ここは出口じゃないのか」
「まだまだです。途中にある、ただの扉ですよ」
星奈の言う、ただの扉というのは何か変だった。お化け屋敷の道なりならば、この扉を開けろという指示ぐらいあるはず。星奈の言葉を信じて付いてきた来たのが間違いだったと、今更ながら後悔する。
「……先輩って、やさしいですよね」
「急にどうした?」
「そのぉ、わたしの我儘に付き合ってくれるんですから」
なるほど。我儘の自覚はあったということか。
「まあ、日頃お世話になっているからな。そのお礼だ」
「もぉーツンデレですか。さあ、この扉開けますよ」
星奈が扉を力強く押すと、ギィーという金属が擦れる音を立てながらゆっくり開いた。
部屋の中は、鉄製の椅子がポツンと、部屋の中央に置いてあるだけで、他の物は一切存在していない。驚かせる仕掛けがあると思い、身構えていたのだが杞憂に終わった。
「どうぞ、先輩から入ってください」
「ああ」
僕は星奈に促されるかたちで、先に部屋の中に入っていく。奥へ進むにつれ、椅子がただの椅子ではないことに気づいた。その椅子には手錠と足枷を掛けられるように備え付けられていたのだ。
つまりここは、拷問部屋ということだろうか。和風のお化け屋敷にしては随分とミスマッチなコンセプトだ。
「どうです、先輩?」
星奈も部屋の中へ入り、扉は再び甲高い悲鳴を上げて不気味に閉まる。
「どうですって、何が?」
「この部屋の感想ですよ」
「感想って言ってもなぁ。拷問部屋だろう?」
「はい正解です。ここは拷問部屋です。感想は?」
「感想と言えば……何もないな。驚かせる仕掛けもないし」
キョロキョロと辺りを見渡すが、一向にその気配は無い。
「そうですか。それじゃあ、わたしが先輩を驚かせましょう」
「星奈が?」
「はい、わたしがです」
「どうやって?」
「ふふ、それじゃあ先輩、目を閉じてください」
星奈は悪戯な笑みを浮かべる。
「ちょっと待て。何をする気だ?」
「あれ~、なんか期待してます?」
星奈は僕に近づくと、手を握りしめた。
「――キス、とかどうです?」
耳元で囁かれたその言葉に、僕は唾を飲み込む。
「わたしが先輩のこと、大好きって知ってました?」
「…………」
星奈は真剣な眼差しで僕のことを見つめる。
星奈の振る舞いを見ていれば、僕に先輩後輩という関係ではなく恋愛感情を寄せているのはわかっていた。
星奈の眼差しに、僕は逃げるようにして目を泳がせる。
冷静になるんだ。ここはお化け屋敷。監視カメラがどこかにあるはず。こんなところを映像として保存されるのはご免だ。それをネットにばら撒かれたら社会的に死んでしまう。
……待つんだ。いや、冷静に、冷静に。これは罠だ。この小悪魔が僕を馬鹿にしているんだ。いつもの冗談に決まっている。
「半分は信じてるけど、もう半分は信じていませんね」
「……僕を馬鹿にしてるんじゃないのか?」
冷静になろうとした僕が発した言葉では、そう言い返すので限界だった。
「ふふっ、それじゃあ、わたしの気持ちが本当なのか証明しますよ。……目を閉じてください」
罠でもいいかな? と思ってしまう。僕は星奈の指示通り、身を任せて目を閉じる。
暗闇の中、星奈の吐息がすぐそこで聞こえる。意識が自然と唇に集中していく。そして、2人の唇が重なると思った瞬間――
「痛っ!!!」
僕の腕に針が刺さったような鋭い痛みが走った。
目を開けて確認すると、注射針を持って笑みを浮かべている星奈。腕からは薄っすらと血がにじみ出ている。本当に針が刺さっていたのだ。
「おいおい、先輩の腕に注射する後輩がいるのかよ!」
結局、星奈は僕のことを馬鹿にして遊んでいただけだ。だが今回はおふざけが過ぎる。
「ごめんさい先輩、この注射器に入っているのは即効性の強い眠気を引き起こす薬なんですよ」
「ちょっと待て。何を言ってるんだ?」
急に頭に霧がかかっているような感覚が襲い掛かって来た。どうにかしようとしても、霧が思考を妨げて言葉すら上手く出せない。そして、だんだんと自力で体を支えることが出来なくなっていき、力を失ってその場に倒れ込んでしまった。
「先輩——いえ、志水翔和。あなたをこれから拉致します。今まで騙してて悪かったですね」
僕を覗き込むように星奈が言葉を口にしているのだが、不思議なことに声は遠くから聞こえてくる。意識がハッキリしない。微睡の状態だ。
もうダメだ。眠気に抗えない。
次の瞬間には、目の前が真っ暗になった。




