寝ぼけていると、ご主人様の口に私の舌をねじ込みますよ
「ご主人様……、ご主人様………」
ユサユサと身体が揺られる。当然無視して、布団の中に潜り込む。
春眠暁を覚えずとは言ったものだが、今の季節は冬。心地良い布団の中で冬眠暁を覚えずでもいいじゃないか。
「ご主人様……、ご主人様…………、学様、起きてください……」
二度寝を決め込んだところで、もう一度身体を揺さぶられた。惰眠貪る背徳感に浸る邪魔をしないでくれ。と返答したいがこれ以上彼女へ迷惑はかけられない。彼女にとってこれは仕事の一環なのだから。
「んゃ――――」
重い瞼を持ち上げると、キラキラと輝く宝石のような碧眼が僕のことを覗き込んでいた。寝ぼけ眼だった俺は、その美しさに吸い込まれそうで心臓が高鳴る。
静まれ心臓。この子はメイド。毎朝俺のことを起こしてくれる新妻じゃない。ちょっと特殊な中学3年生、冠城学の専属メイドだ。
「おはようございます、ご主人様」
「ん……」
「寝ぼけているとご主人様の口に私の舌をねじ込みますよ」
「―—ん…………ん? いま何て言った?」
「おはようございます、学様」
「…………おはよう珠李」
とんでもないことを口走っていたような気がしたが、まあいいか。
身体を起こして大きく伸びをする。それと同時に、ベッドの隣ではメイド衣装を身に着けた俺と同い年の少女、犬星珠李が一礼した。
「本日は15時に露峰家ご当主様が訪問されます。それ以外の目立った用事はございませんので、受験勉強に集中できるかと思います」
頼んでもいないのに毎朝今日の予定を教えてくれる。朝が苦手なことを知っている癖に淡々とした口調で予定の書かれた黒革手帳を目で追っているのだ。
当然、寝起きで覚えきれない。内容の1つだって頭に入っていないので、その都度予定の時間が近づけば再び教えてくれる。なんだかんだ珠李の習慣になってしまったらしく、今更止めるつもりはないらしい。
「爺さんは?」
「刃様は夕方に帰られると仰っていました。恐らく17時頃かと」
「わかった。ありがと」
「では朝食の準備をしてまいりますね。失礼いたします」
珠李はもう一度礼をして静かに部屋を出て行った。その様子を見届けると、俺は怠惰を振り払う為の大きな欠伸をしてベッドから這い出した。
中学三年生の1人部屋として不釣り合いな二十畳を超える大きな部屋の中から、噴水の見える西洋造りの庭を眺める。
ここは地元で大屋敷と呼ばれる有名な場所。その名の通り、広大な土地を保有した立派な家だ。そんな場所に住まうのは、世界を股にかける大企業、冠城グループを立ち上げた冠城家である。
特別な環境にいることは自覚し、甘やかされた環境であることも理解する。だからこそ、すべて受け入れて使えるものは自分の為に利用する。
とまぁ、そんな上流階級特有の捻くれた思想を反面教師に、これまでの人生を歩んできた。
派閥、後継者争い。血で血を洗う悲惨な出来事を耳にすることも間々ある。
漫画の中で展開されているような醜い光景が身近で起こっているのだ。
それらは百歩譲って頷ける。必然の争いと言える。
――――しかし、専属メイドが付いているってのはどう考えてもおかしい。
後継者争いなんて、家族経営の会社なんかはよく起こる話だ。派閥争いなんかは政治の世界でも良くあることと聞く。
大きな屋敷を家族だけで管理することは難しい。それは理解できる。
でも、現代においてメイドという呼称のお手伝いを雇うのは聊か時代に逆行しているのではないか。
家政婦じゃダメなのか?
珠李に聞いたところ、冠城家メイド問題は祖父――冠城刃が会社を引き継いだ頃が元凶だと分かった。
元々、冠城家は大昔から家政婦を雇っていたそうだが、彼の趣味によってメイド服が制服の条件となって人を雇い始めたそうだ。それに伴い(制服に仕事が伴うのは意味不明だが)仕事の内容も家事だけでなく、秘書の代行、身の周りの世話にまで及んでいく。時が経ち、家政婦はいつの間にか「メイド」としてジョブチェンジを果たしていたのだ。
これが、冠城家メイドの歴史である。名前だけの話なら深いようで浅い。が、本質的なところで冠城家の歴史と切り離すことが出来ない重要なポジションにいる。
……前置きはこのぐらいにして、本題だ。
随分と歴史あるこの家でプライベートな時間と空間を作ることは難しい。何かある度にメイドが部屋を訪れる。1人の時間なんてなかなか作れない。
そんな状況を脱する為、高校入学を期にメイド好きな爺さんにメイド廃止の提言、あるいは1人暮らしをしようと模索しているのである。
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