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ドロシーSL怪奇譚  作者: どろぴっぴ
9/10

廃屋


 田中はその朝、一台のノートパソコンを拾った。

 まだ薄暗い早朝、会社へ向かう前に地区のゴミ集積所へ可燃物の入ったゴミ袋を車に乗って捨てに来た時、先に置いてあったいくつかのゴミ袋の後ろに隠れるように、ノートパソコンが一台置いてあったのだ。電源用のACアダプターまで本体に差し込まれた状態だった。昨日は不燃ゴミの収集日ではあったが、自治体の決まりではパソコン本体はPCリサイクル法に則って捨てることになっているため、集積所へ出してはいけないはずである。それは違反ゴミである為に、ゴミ収集作業者に置いていかれたままなのかも知れなかった。

 「いい加減な奴が増えたな」

 田中がそう呟きながらゴミ袋をどかしてノートパソコンを手に取ってみると、サイズは17インチよりも大きめだった。BluetoothやWi-Fi搭載のシールも貼ってあり、そこそこ値の張る機種かと思ったが、メーカーは日本のものや海外のPCブランドではないようだ。どこか知らない海外の小規模会社のBTO(Build To Order = 受注品)なのか、刻印らしき文字は読んでも良くわからなかった。持ち主は案外名も知れない会社の安い値段のパソコンに手を出し、内部パーツが寄せ集めの粗悪品でも掴まされてここに捨てたのではないだろうか。ノートパソコンは有価物として資源回収にあたるものだ。持ち去れば窃盗罪が成立する。だが周囲には誰もいないし、壊れていなければ案外良い拾い物かもしれない。田中はそう考えると、拾ったノートパソコンをそのまま車の助手席に積んで会社に出かけた。

 そして会社帰りの事、田中は自宅近くのフリーWi-Fiの表記がある喫茶店にノートパソコンを小脇に抱えて立ち寄った。拾ったノートパソコンが壊れていた場合、そのまま家に持ち帰れば単に余計なゴミを拾ってきたに過ぎない。それでは、処分方法や何やらの責任で家族に何を言われるかわからない。一度喫茶店で状態を確かめてみて、壊れていればまたゴミ集積所に戻しておこうと考えたのだ。

 夕方過ぎではあるが、店内は十名程の客がいた。昔からあってそれなりに繁盛している近所の喫茶店ではあるが、田中にとってはあまり縁がない場所で、入店するのは初めてだった。初老のマスターと話している常連客が座ったカウンター席の他には、いくつかのボックス席がある。ハンバーグセットで夕食を済ませている様子の者や、コーヒーに手を付けずスマホをいじっている者、おしゃべりに興じている女性たちなど様々だ。他にノートパソコンで仕事をしている客もいたので、田中はここなら起動テストができると安堵した。店内の奥で新聞を読んでいるサラリーマンの横のボックス席に案内されると、席についてコーヒーを注文するついでにノートパソコンの電源をコンセントから取ることの承諾を得た。田中はさっそく電源を押して起動確認に入った。

 ノートパソコンは特に画面ノイズなどの異常やブルースクリーンが表示されるような不具合も無く、正常に画面が立ち上がった。田中はやや拍子抜けした。OSはWindowsでパスワード入力を省略した自動サインインになっていた為、すぐにデスクトップアイコンが並ぶ画面になったのだ。どうやらインターネットも問題なく繋がるようだ。

 (なんだよ、普通に使えそうじゃないか)

 アイコンは縦一列程度に並んでいるだけで数は少ない。田中はそれらを眺めていて、あっと声を出して驚きそうになった。アイコンには動画プレイヤーやテレビ視聴アプリの他に、『Firestorm』のショートカットがあったのだ。

 (こいつ!SLプレイヤーじゃないか!)

 田中は普段から、メタバースの祖ともいえる仮想世界セカンドライフに自宅のPCを使って出入りをしている。この拾ったPC内にインストールされた『Firestorm』もまた、多くのセカンドライフプレイヤーが使用しているサードパーティーの3Dビューワーだ。田中は家の近所にもSLをしている人がいたんだなぁと、半ば感動さえしながら感慨深い想いに浸った。

 思い切って『Firestorm』アイコンをダブルクリックしてビューワーを立ち上げてみると、アカウント名とパスワードがそのまま記憶されている状態だった。まるでセキュリティの観念がない人物が使用していたのか、その心配もない一人暮らしなのか、どんな奴がこのノートパソコンを使っていたのだろうと思いながらアカウント名を確認する。Xkill Daikon。それが持ち主のSLアカウント名だった。事が簡単に進んでいくため、好奇心もさらに先へと進んだ。田中は彼のインワールドへ入ってみたくなった。

 喫茶店のWi-Fi回線速度がどんな程度か詳しくわからない為、田中はビューワーのメニューを開いて描画設定などの数値を若干落とすことにした。内心ドキドキしながら、アカウントログイン位置の地域リージョンがホームのまま仮想世界へ入ることに決めたのだ。もしログイン直後のその場に多くのXkill Daikonの知り合いたちがいたらどうしようか。拾って交番にも届けずに使っているとは、犯罪的で人間性を疑われそうでなかなか言いにくいものがある。そんなことを考えながら、ログイン完了までのプログレスバーをじっと見つめた。

 仮想世界が画面内に開けてみれば、そこは雑木林の茂みの中で、空は夕焼けだった。ホームでのログインの為、とりあえず土地設定を見ると所有者はまさしくXkill Daikon本人であった。地図を開くと旧大陸マップが映し出される。大陸に自分名義の土地があるという事は、これはプレミアムアカウントだ。セカンドライフはプレイヤーが土地にオブジェクトなどの品物を置かなければ、おおよそはただの平原があるのみなので、それらの木々や雑草もXkill Daikon本人か設置を許した知り合いの誰かが置いたことになる。

 アバターのもやもやとした読み込みが終わると、そこに立っていたのは大柄な一人の男だった。面構えは南米風で日本の感覚にすればイケメンとも言い難い非常にごつい顔だ。それが有名メッシュボディ店の無料ギフトボディとヘッドであることを田中は知っていた。髪すら装備していない坊主頭だったが一応服は着ていた。それはなんと血まみれの白ワイシャツと黒のジーンズで、片手には包丁を携えているのだ。どこぞの海外のハロウィンイベントで店舗を回って、ちょっとホラーテイストのギフト品でも開封装備したままログアウトしたような姿である。

 (こいつはちょっと友達になりたくないな)

 アバターの見た目でそう判断しながら周囲を見回してみると、この雑草だらけの雑木林は敷地周囲を傾いたコンクリートブロック塀に囲まれており、錆び付いた車や積まれたH鋼、ゴミ混じりの土砂やドラム缶などが散在しており、それら全てに葛のようなつるが巻き付いていた。まるで、放棄された空き家の敷地に産廃が不法に置かれ、そのまま荒れ放題になって行政さえ立ち寄らなくなった土地のようだ。雑木林の合間には半分バラック小屋のような家が一軒建っていた。普通の人間が好き好んで作るような景観とは思えないが、この土地自体が醸し出している立ち寄りがたい得も言われぬ不気味さという点ではかなり良くできていた。雑草だらけの庭の奥には、苔だらけで古びた日本の墓まで11基程並んでいるのだ。

 田中はXkill Daikonのアバターを操作して、廃屋のような一軒の家に正面の引き戸から入ってみた。家の中は部屋が一室あるだけだったが、玄関内にはいきなり頭に斧が突き刺さった女性の死体が横たわり、床にも壁にも血の飛沫のテクスチャーが貼られていた。田中は背筋が寒くなった。壁には無造作に写真が何枚も貼られており、その一枚一枚がまるでホラー映画から殺害シーンを抜き出してインワールドにアップロードしたような、陰惨な光景ばかりだったのである。カメラを寄せてみれば、そこに映っているのは犠牲者の死に顔のアップや死体から臓腑を抜いている誰かの手など、とても直視できるものではない惨状ばかりだった。田中は思わず急に現実に立ち返り、ビューワーの中でカメラを引いて、ガバっと頭を上げると急いで喫茶店内をキョロキョロと首を動かした。こんな吐き気のするものを画面に大写しにしては、グロ画像を見て喜んでいる客だと思われかねないという焦りを感じたのだ。そんな田中の挙動不審ぶりが突然だったことが災いしたのか、隣のボックス席のサラリーマンや離れた席でノートパソコンで仕事をしている客、カウンターのマスターとも目が合ってしまう始末だった。田中は今さら自然なそぶりを意識してコーヒーを飲んだが、それは誰が見てもより不自然なギクシャクした動きだった。

 ノートパソコンが起動することはわかったのだ、そろそろ切り上げて会計しよう。そう考えた田中の目に、画面内で玄関に立ち尽くすXkill Daikonのアバターに後ろから近づいていく、もう一人のアバターが映った。その訪問者の外見はデフォルトアバターのLeonardだった。タキシードを着てやや年のいった白髪の男性アバターである。

 「こんにちは、師匠」

 田中は何と答えたらよいかわからず、単純に思い浮かんだ取りにチャットを返した。

 「ええと、どなたでしたっけ」

 「おや、昨日あんなに意気投合したじゃありませんか」

 これは完全に持ち主であるXkill Daikonにとって面識のある相手である。田中の心中にはもう喫茶店から家に帰りたいという急いた気持ちもあり、違法に入手したノートパソコンで真っ赤な他人が使っているなんて正直に説明している場合ではなかった。ここでゴタゴタするよりは、いっそこんな景観を作ったホラー趣味であろう持ち主に一時的に演じ切ってから、隙を見てログアウトの挨拶をしておさらばしたい。そもそも自分のアカウントではないし後のことなど知った事ではない。田中は適当に答えた。

 「ああ、そうでしたね。我々は気が合いますよね」

 「また殺害写真を拝見したくて。昨日はこれらの写真もご自分で用意したと語っていましたね」

 このLeonardアバターもどうやらホラー趣味の人物が操作しているようである。類は友を呼ぶというやつか。

 「ええもちろんです。昔からの願望を表現しました」

 田中はチャットを打ってから、アカウント所有者のXkill Daikonはどうせ変人なのだからこれくらい言っても許されるだろうと内心で開き直った。

 「願望ではないでしょう。実際に肌を裂いて肉を切り開いた感触を私に教えてくれたじゃないですか。殺害写真をご自分の現実の部屋に飾るわけにもいかないから、こうして仮想世界に家を建てて死体の解体作業の思い出と愉悦に浸っていると、師匠自身から説明いただきましたよ。仮想世界は秘密を隠す隠れ蓑になりますからね。特に師匠がお風呂場で撮った犠牲者の恐怖に満ちた一瞬の表情、あれは良く撮れていますよ」

 田中はLeonardの発言をその場で何度も繰り返して目で追った。するとここに並んだ写真の数々は本物の殺害状況を記録した画像。二人は仮想世界で密会しているサイコパス殺人鬼の師弟なのか。いいや、これはそういうロールプレイに違いない。田中は自分自身にそう言い聞かせた。だが、もし本当ならとんでもないパソコンを拾ってしまったことになる。しかも殺人鬼は田中の家のごく近所であるこの近辺に住んでいる人間なのだ。場合によっては、ノートパソコンを持ち去った人間を血眼になって探しているかも知れない。兎にも角にも今はサイコパスのフリをするしかない。

 「そうそう、こ、この女、モーテルでシャワーを浴びている時に、俺がいきなりカーテンを開けてナイフで滅多刺しにしてやったのさ。驚いて絶叫していたぜ。あははは…」

 「うん?それサイコっていう映画にそっくりだ。手口としちゃ稚拙じゃないかな」

 そんな相手の一言に、田中は思わず表現が安直すぎて別人だとバレたのではないかと不安になった。

 「嘘などつくものか。俺がこの手で殺ったんだ!身体で感触を覚えているぜ」

 田中は精一杯強がった発言を入力しつつ、自分がなぜ殺人鬼の為にこんなことをしなきゃならないのかという自問が頭をよぎった。

 フフッと笑う声が聞こえた。画面内の音声ではない。田中が顔を上げると、喫茶店内で同じようにノートパソコンを持ち込んでいる人物がこちらを見ながらキーを打っていることに気づいた。黒いフード付きのパーカーで顔は良く見えない。もしかしてあれは殺人鬼Xkill Daikonの仲間ではないのか。

 「喫茶店に来た時からずっとあんたを観察してたんだよ。俺が思っていたより普通の男だったな」

 画面内のLeonardアバターがそうチャット発言をした。現実でもフードの下から視線が飛んできている。やはりあいつだ。

 田中は顔面蒼白になった。急いでノートパソコンを畳んで席を立とうとしたが、それは出来なかった。横のボックス席で新聞を読んでいたサラリーマンに突然席から引きずり出されて床に倒されたのだ。そして後ろから羽交い絞めにされるように重い体重で組み伏せられる。

 「確保!」

 ガチャリと後ろ手に手錠をかけられる音がした。黒いフードの男が田中の元へ近づいてきた。

 「ついに捕まえたぞ。連続殺人鬼め。お前がこの近辺に潜伏していたことは掴んでいたんだ。今日という日にこの喫茶店で出会ったのがお前の運の尽きだな。そのLeonardアバターは俺だよ。お前の前日からの供述もログとして記録してある。まさか殺害写真のコレクションを仮想世界に置いているとはな。だがもう、お前の遊びは終わりだ。観念するんだな!」

 田中は声を出そうとしたがサラリーマンに扮した刑事に膝で首の後ろに乗られて、呼吸の苦しさに涙を流すだけで精いっぱいだった。

 「仮想世界への潜入捜査が功を奏したな」

 「殺人鬼と仲良く話すフリなんて反吐が出る仕事だぜ。連行するぞ」

 田中は店内から引きずられるように連れ出され、俺じゃない俺はやってないと喫茶店内の客たちに大声で訴えながら到着したパトカーに押し込まれた。


 翌日の喫茶店内。開店時間も間もない午前中の事。カウンターを挟んで数人の常連客とマスターが話し込んでいた。

 「昨日は大変だったな、マスター」

 「あの男。なんだか仕草が怪しいなと俺は思っていたんだよ」

 「普段見ない顔だもんな。奥でコソコソカタカタやってたし」

 常連たちが口々に連続殺人犯田中の印象を評していた。マスターは彼らの言葉に何度もうなづくと事の経緯を話し出した。

 「警察に犯人捜しの協力を求められたときはね、私もどうしたものかとちょっと悩んだよ。だけどメタバースでの足跡からこの近辺に連続殺人犯がいる可能性があると言うのだからね。解決しないうちはもう気楽に外も歩けない。殺人鬼が逮捕されて本当に良かったよ。晴れて自由になった気分だ。まさかこの店に犯人が自ら訪れるなんてね。彼のノートパソコンを見てギョッと…まぁそれはともかく、今日のコーヒーはお祝いに無料にしておくよ」

 「ついでに人気のハンバーグも本日無料でどうだい?」

 「ダメダメ!あれは肉の仕込みに時間がかかるんだ」

 初老のマスターは常連たちに対して、コーヒーを振る舞いながら上機嫌に言った。

 「マスター、カウンター裏のパソコン新しいね。最近は売上良さそうだもんな」

 「そろそろニュースの時間だ。こいつでテレビを観てみよう。喫茶店が映らないといいが」

 マスターはカウンター内にあった最近買ったばかりの新品のノートパソコンの電源を入れた。そしてデスクトップ画面に並ぶアイコンから、『Firestorm』のショートカットの下にあったテレビ視聴アプリを起動させた。マスターはノートパソコンをカウンター上に置くと、画面を皆の方へ向けた。そこには民放テレビ局のニュース映像がリアルタイムで配信されていた。画面内には『連続殺人鬼逮捕』と書かれたテロップと共に、レポーターがマイクを持って喫茶店の前で報道している姿があった。画面の隅には田中の顔写真が四角い枠で映し出されている。マスターはノートパソコンの音量を上げた。

 『喫茶店内で現行犯逮捕された田中容疑者は11人女性連続殺害事件について容疑を否認中。警察は容疑者の殺人願望によって仮想世界内に作られた土地と建物を発見しており、潜入捜査で得た供述とともに撮影された画像などの動かぬ証拠を掴んでいると発表しています。現在は押収したノートパソコンを解析し、遺体を遺棄した場所について詳しく取り調べている最中という事です。今後の裁判ではこれまで繰り返された残虐な殺人行為から、極めて重い求刑が科される事は確実なものと思われます』


挿絵(By みてみん)

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