聖域
ソーナは友人であるココアの家にTPして驚いた。
昨日までのココアの住まいは、まるでお姫様の一人住まいのような手入れの行き届いた庭と白い邸宅に、内部はレースや花をあしらった意匠の凝った家具の数々が煌びやかに室内を飾っていた。ソーナのお古のPCではちょっと読み込みがきついくらいに、数多くの綺麗な小物や飾り立てでいっぱいだった。装飾のあしらわれたドレッサーやピアノ。衣装棚の中にもきちんとドレスの類が並んでいた。アカウント名cocoalionことココアは、あらゆる点で手抜きをしない景観づくりを行う仮想住民だったのだ。それに彼女はSLにきてまだ2年目、この世界の操作や情報や人付き合いにも慣れて、今が一番楽しい時期だったはずだ。それが彼女の家に来てみれば、空洞のプリムの箱が一つ置いてあるだけ。いや、入り口らしき切り抜かれた開口部が一つだけ側面にあった。ソーナが中を覗いてみると、中央に大き目なプリムが一つと、それを挟むように通常サイズの素プリムが二つ置かれている。まるでイスとテーブルのように。
「いらっしゃい、ソーナさん」
発言を見てカメラを回すと、ソーナの背後には一人のアバターがいた。その人物が一瞬誰だかわからなかったが、名前を見てそれがココアだと気づいた。そこにいたココアの姿はruthだった。
「ちょ、ココアちゃんそれウケるわw」
ソーナはPCの画面を見ながら思わず笑って吹いた。普段のココアは、Twitterでも一枚写真を載せればいいねが100はつく美女アバターだ。それが突然、ruthの姿で待ち構えているなんて不意打ちにもほどがある。そんなジョークネタを披露するような人物ではなかったのだが。
ruthとは古くはデフォルトアバターの中でも基本のロードアバターである。アバターをロード中の姿が現在のようなもやもやとした雲のようなクラウドパーティクルになる以前は、ログイン時点で読み込みに不具合があると、装備品の下はruthの姿になってしまうことで有名だった。日本のプレイヤー界隈では、ruthの特徴的なショートヘアスタイルと頭のサイズから、『和田ア〇子』に例えられて通称『和田』として知られていた。この仮想世界に来て長いソーナことSohnano Kayoもまた、その当時にログインした際にruthになってしまった際には「今日は和田になっちゃってるから後で遊ぼう」や「ごめん、今アッコなんだ」と返事をした記憶がある。
「びっくりした?これが今の私の姿だよ。今はruthで活動してるんだ」
「ええ!?」
「家もプリムの箱にしたんだよ。前の家は読み込みが重かったからね」
ソーナは混乱した。何度か仮想世界の活動を休止はしているが、製作素材についてはプリムからスカルプト、そしてメッシュへの移り変わりを見てきている。同様にデフォルトアバターから、メッシュアバターへの変遷もだ。それが本当なら、ココアのしていることは原始時代に戻るようなものだ。当時とは個人のPCもリンデンのサーバーも性能が向上している。重いからといって先祖返りする意味があるだろうか。
「もうすぐこの土地も処分するんだよ。今はガエタVにある共同体で暮らしてるんだ。呼ぶからソーナさんも一緒に行ってみよう」
ソーナが返事をする前にココアの姿が消え、すぐにTPがダイアログで送られてきた。何だか気は進まないながらもTP要請に答えると、視界が開けたその世界は薄い肌色のような木目調、一面の素プリム色だった。地面は全てプリム板。周囲にはほとんど何もないが、少し先に大きな素プリムの建物があった。マップを確認すると今いる地点はガエタV大陸の中央に近いSIMの中心で、どの道路からも離れている。ソーナの描画距離は普段は45m程度にしているが、自分の周囲にプリム以外のものが見えない為、呼ばれた場所は1SIM分はある大きな区画のようだった。
「ここはこれから町を作るの?」
大きな町を作る際は製作者が適当に建物を置かない限り、最初にプリムを使って大体の位置決めや区画イメージを行うことが多い為、ソーナの目には目の前の光景が建築前の基礎工事程度に見えた。
「このままだよ。聖域はもう完成してるんだ。神殿に行ってみようよ」
ココアはそう告げると、離れた場所にある素プリムの大きな建築物へ向かって歩き始めた。ソーナはわけが分からず質問を投げかけようとしたが、ココアがどんどん先へ歩いて行ってしまうため、チャットの手を止めて後をついて行った。歩いてみるとこの場所は物凄く軽い。様々な動きや読み込みに一瞬の沈滞も無い。見えている物がほぼ一色の素プリムの為、当然かもしれなかった。目指す方向の建築物は大きな横長の箱で、ココアの土地にあった家と同じく正面に開口部があった。下に土台を置くことでやや高台にしてあり、とても幅の広い階段が10段ほど入り口に向かって続いている。ミニマップ上には建物内に十数名の点が見えた。どこもかしこも同じ色調のために、建物の傍に行って初めて気づいたが近くには扇状にプリムが3列で並べられており、ココアはそれを集会場だと説明した。
二人で階段を上がり建物内部へ進むと、中はがらんどうの広場でまるでテッシュケースの中のようだった。正面の奥の壁にはruthの顔を大写しにした巨大な肖像写真が飾られている。「いらっしゃい」という発言と共に十数名のアバターが奥から近づいてくる。それは全員がruthの姿をしていた。名前のタグ以外にまるで区別がつかないが、同じ顔の一人がデフォルトの動きで手を動かして発言を行った。
「ソーナさんの事は聞いております。ここは外部の者が入らないようにイエローゾーンで区画されていますが、あなたのアカウント名は事前に土地の許可を入れてあります」
「どういうこと。ここは一体何なの?」
ソーナの発言に別のruthが答えた。
「私たちはSL初期から続いている団体でruth教として活動しています。この仮想世界のリソースをできるだけ消費せず、描画の重さでクラッシュすることも無い、世界が軽くストレスのない仮想生活を行っています」
「ソーナさんのPCがそろそろ古く環境に適さないという話を聞き、私たちの一員に相応しいのではないかという、ココアさんからの紹介でお呼びしました」
ソーナは後ずさりした。ココアに話を聞こうと思ったが自分を囲んでいるruthのどれが友人なのか見た目では判別がつかない。名前を見てから友人の方を向き、ソーナは問いただした。
「ココアちゃんどういうこと?私にruthになって過ごせというの?」
「そうだよ。私はもうインベントリーの中を何もかも全部捨てたの。30万点くらいアイテムを持っていたから、物でいっぱいで買ったものを探すこともできなくて。ログインすれば持ち物のキャッシュの読み込み、TPは失敗するし、もう良いことなんて何もなかった。土地があってもとっくに許容量オーバーで何も置けない。新しい服や髪だって、買って一回か二回使ったらもう持ち物の底に沈んでしまう。でも結局、普段の趣味は友人とのおしゃべりが主体だった。自分が何のためにお金を使っているのかもわからなくなってたの。そんな時、ruth教と出会うことができた。私は本来あるべき姿に戻ったのよ。そして、とても自由になった」
「ruthが本当の姿って…」
ソーナの呟きに別のruthが答えた。
「メッシュヘッドやボディはあくまで外側に纏った重い肉体です。さらにメッシュの服を着るとなると、鎧の上から鎧を着て歩いているようなもの。ひとえに美しさや見栄えの為だけにそんな重苦しい生き方をして一体何の意味がありましょう。皆がruthであれば他人のアバターと比べたコンプレックス的な悩みや、スキンやシェイプ為に多額の資金を消費する必要もないのです。チャットで会話する程度の日常なら、椅子代わりのプリムがあれば十分ではないですか。扉を開閉するためにスクリプトを入れ、一杯のコーヒーを飲むポーズの為にスクリプトを入れる。デスクトップ画面のアンダーバーで時間がわかるのに、仮想世界の中にわざわざ時計を置く。人を殺すわけでもないのに銃を装備する。そのような無駄が全てなくなれば、この世界は全体が軽くなるのです。それら全てを必要最小限にすれば仮想世界はもっと広がる。一人一人の独りよがりが世界を重く狭めているのです。歩く環境問題のような装いを辞め、全ての人が等しくruthとなり、プリムに座って会話するだけで、高価で性能の良いPCすら必要なくなるのです」
「あなたを苦しめているのはメッシュに頼るあなた自身であり、メッシュに頼って生きる隣人です。ruthこそ仮想世界におけるもっとも優れた姿。楽園に生きる姿形なのです」
ruthたちは畳みかけるように説得してきていた。ソーナは勝手に呼ばれたにも関わらず、自分一人だけ身に着けているメッシュ製品もここでは害悪であり、外さなければいけないような気さえしてきた。だがソーナは気を持ち直した。おかしいのは彼らの方なのだ。
「だけど、現実ではできないことや理想の姿になるために仮想世界があると思うんだけど」
ソーナの問いにruthの一人が手を動かして答えた。
「それは逆です。仮想世界を現実にないもので満たしてしまうと、それが素晴らしい人生の代替になってしまう可能性があるのです。偽りの世界で心を埋めることで、現実に対する望みを捨ててしまうのです。しかし、私たちruth教のミニマムな生活をすることによって、逆に現実世界を満ち足りたものにしようと努力するようになるでしょう。悲しいことに人間はない物ねだりをする生き物ですから、仮想世界で何もかも充実してしまうことは大変危険な事なのです。私たちの活動は、この世界に漬かった人間の救済にもなるのです」
ソーナの隣のruthが傍に寄った。アバターの顔は同じだが彼女がココアだ。
「私も現実をなおざりにして漬かりかけたんだよ。だからソーナさんも救いたいの。今はruth教の影響を受けて、現実でもミニマリストになったんだよ。断捨離をして現実の部屋には必要なもの以外は何もない。心が満たされて余計な買い物はしなくなったの。ここまで聞いて、私たちの活動が少しでも間違っていると思う?それともソーナさんは今のインベントリー目一杯の仮想生活を続けていくの?」
ソーナは押し黙った、そして押し黙ったままログアウトした。
彼女は画面の前で髪をくしゃくしゃとかきむしって溜息を吐いた。あのままあそこにいて、ほんのわずかでも感化されたら危険だと思ったのだ。もし、一度でもruthになって、あの人たちとの生活に馴染んでしまったらどうなるだろう。彼らの教義を受け入れたら最後、きっと他の場所に行っては「ここは重い」と言い始め、自らメッシュボディやHUDを少しづつ外し、持っているものを減らし続けるに違いない。そして、ruthの姿で聖域に戻り「やっぱりここは軽い」「聖域だ」と安堵するのだ。
しばらくはココアやruth教の人々に遭遇しないように仮想世界の活動を休止しよう、ソーナはそう考えた。
それから数か月後のこと。
信号待ちをしていたとある高校の帰りの通学バスの車内では、生徒たちが何やら同じ方向を見ながらざわついていた。座席から窓越しにスマホ撮影をする者や、吊革につかまって外を凝視する高校生たちは笑いながら、横断歩道を歩いている二人組に注目している。
「今の和田ア〇子のそっくりさんじゃね?」
「ちげーよ。知らないのか。今、流行っているスタイルみたいだぞ」
「わたし知ってる。ミニマリストになって集団活動するんでしょう?」
「ああいう顔になりたくて整形までするらしいよ。どこが仕掛けたブームか知らないけどさ」
「どうせ電通だろ」
車道の信号が青に切り替わり、生徒たちを乗せた通学バスはアハハという車内の笑い声と共に駅へ向かって走り去って行った。
ソーナはその日の夕方、会社から一人暮らしのアパートに帰宅していた。途中のコンビニで買ったスパゲティを電子レンジで温めながらラジオのスイッチを入れる。部屋は脱ぎ捨てた服がベッドや椅子に放ったまま、散らかり放題である。彼女は片付けが苦手だった。
スパゲティを置いて食卓に着くと、ラジオからは最近よく耳にする番組スポンサーの曲が流れていた。
『あなたもルース♪私もルース♪ルースルースルースのひか~り~♪その輝きが人々の明日と未来を見つめます。共に幸せの光を。ルースの光が、午後6時をお知らせします』
ラジオの時報と共に玄関のチャイムが鳴った。ソーナはインターホンのボタンを押して返事をする。
「はーい」
「ごめんください。ルースの光です。救済ボランティアについて少しだけお話しさせてください」
ソーナはインターホンのカメラを覗くと、その場で固まったように膝だけをガクガクと震わせ始めた。
玄関の外を映した画面の向こうには二人組の人物が立っており、まったく瓜二つの顔をしたruthがこちらを覗き込んでいたのだ。