家族
「おじゃましまーす」
そう挨拶したのは見た目10代後半ほどの男子アバター。アカウント名は3asc7fabno1。普通に誰にも読めない名前だ。彼はセカンドライフの新規登録者で、ネットサイト登録のように万一のハッキング予防にこのような記号で登録したのだが、この世界の多くの人たちは思っていたより普通に名前をつけていた。パスワードのような名前なので初めての友人であるmoropon1212ことモロぽんからは、パスたんと名付けてもらった。それをそのままネームタグに表示しているので、これからは誰からもそう呼んで貰えるだろう。
パスたんが来訪したのは、ガエタV大陸をぐるりとなぞる公道沿いの大きな白い一軒家だった。そこにはモロぽんの仮想世界上の『家族』が住んでいるという話だ。モロぽんは長男で、仮想両親と仮想の妹と共に暮らしているらしい。パスたんはこの世界に登録して間もないので、モロぽんにそれを聞いた時も、グローバルなこの世界の片隅ではそのような偽りの家族遊びも良くあることなのだろうと思った。
「新しい友達を連れてきたよー」
玄関を先に上がってそう言葉を投げかけたモロポンもまた、見た目は10代の少年のようだ。パスたんは彼と二人並んでいると同級の学生のようで、様々なアバターのいる世界の中ではとても親近感が湧いてくる。
「あら、いらっしゃい」
最初に家の奥から出てきた女性アバターはアカウント名kaguya okawa。RL指向のメッシュヘッドで驚くほど美人だった。仮想世界にミスコンがあるかどうかは知らないが、着飾って出場すれば優勝候補にでもなりそうな容姿だ。パスたんは一瞬で惚れてドキドキしてしまった。
「パスたん。カグヤは僕のお母さんだよ」
「え?お姉さんじゃないんだ」
どう見てもモロポンを生んだ設定としては見た目が若すぎる。仮想世界のアバターは歳など取らないので当然だが、これでは父親が前妻と離婚してから娶った若い義母のようだ。
「お兄ちゃんおかえりー」
チリンチリンと音を立てて二階の階段から元気よく駆け下りてきた妹と思しきアバターは、アニメヘッドだった。アカウント名はxxxxneko。リボンのついたシュートヘアの頭の上に猫耳が生えており、スカートの上から鈴のついた尻尾が生えている。
「妹のネコちゃんだよ」
「よろしくねー!」
ネコちゃんは顔に手を当てて招きネコのようなポーズで舌を出した。とても可愛いが、こうなると彼らの父親がどんな姿か気になって仕方がない。
「おお、モロの友達になったのか。よろしくな」
パスたんの背後でチャット発言をした人物は、どこからどうみてもヤクザのアバターだった。パンチパーマに先のとがったサングラスに咥え煙草。上着の大きくはだけた部分から覗く筋肉質の胸元には和物の入れ墨が見えている。片手に木刀を握って肩に載せていたので、どこかに殴り込みにでも行って戻って来たような風情だ。そのアカウント名はYakuzaemon。普通に怖い。
「お父さんのことはみんなダディって呼んでる。悪い人じゃないよ。筋の通らないことが大嫌いだけど」
「そうなんだ。よろしくお願いします」
モロぽんのヤクザな父親に挨拶しながら、パスたんは考えてみればこの世界では彼の父親がタイニーロボットやミノタウロスでも何らおかしくはないのだと自分に言い聞かせた。
「うちは苗字を持っているのがお母さんだけだから『大川家』なんだ」
「俺にとっちゃ婿養子に入ったみたいだけどな、ガハハハハ」
つまり、この家でこの一家は友人が大川モロぽん、妹は大川ネコ、父親が大川ヤクザえもんというわけだ。
パスたんは大きなテレビと暖炉のあるリビングルームへと案内され、まさしく同級生の家庭に遊びに来た友人のようなもてなしを受けた。部屋を動き回る妹のネコちゃん以外は、全員がソファに腰を掛けている。パスたんはこの光景も彼らのロールプレイの一つなのだろうと彼らに合わせることにした。
「へぇ~。パスたんの名前はパスワードから来ているんだ」
パスたんの座るソファの背もたれに抱き着くような位置とポーズでネコちゃんが言った。
「うん。読めないアカウント名にモロぽんが愛称を付けてくれたんだ」
「そういや、息子が前に連れてきた友達、コロ、コロナ、なんだっけ」
「コロンブス君でしょ」
父親の物忘れに麗しい母親がつっこんだ。パスたんの視点は実のところ、この母親役であるカグヤに釘付け状態になっていた。この家族ゲームは全員の公認であるためか、カグヤとヤクザえもんはパートナー登録をしていない。あくまでも役割としての家族のようだ。
「そう、コロンブス君。今はもうログインしていないのが残念だが、彼の名前の理由も面白かった気がするな」
「確かアカウント名はcoronbusu君だったよ。あの大航海時代の冒険家から取ったらしいけど、世界的に有名だから簡単には取れないSL名だと思っていたんだって。『意外なことに他に誰も取得者がいなかったんだ』って言ってた」
「ローマ字書きじゃいないわな」
リビングルームに笑いが起こり、パスたんも画面を見ながらそれにつられた。そして、日常的にこんな雰囲気で仮想世界に出入りできるなら、モロぽんのような家族遊びもまんざら悪いものではなさそうな気がした。
その後、パスたんは習慣的に大川家に遊びに行くようになり、友人のモロぽんと遊びに出かけるのはもちろん、この仮想世界の仕組みをログイン歴の一番長そうなカグヤに教えてもらったりした。パスたんの目的は次第に、大川家の母親役であるカグヤに近づいて親密になることに変わっていた。彼らの家族遊びとは関係なく、今やパスたんにとってカグヤのアバターの美しさを傍で眺めていることと話すことが、仮想世界で得る心の安らぎの全てだった。パスたんはカグヤに対しては、RLの自分の事だろうと何だろうとさらけ出して喋った。そして大川家にカグヤしかいない時を見計らって、ついに告白した。
「カグヤさん。僕はこの大川家の家族関係とは全く別のところで、あなたのことが好きなんです。僕と付き合ってくれませんか?」
「……そう。家の中でそういう話もあれだし、少し一緒に出掛けましょう」
カグヤが連れてきたのは妖精の国のように美しい花園だった。カグヤが花の上に浮かんだダンスボールに座ると、パスたんもそれにならい、ゆっくりとオルゴールの男女のようにワルツを踊った。
「私と彼らは切っても切れない家族なの。すぐに返事はできないけれど、でもこうして、私一人だけの時ならパスたんと二人で会っても良いかもしれない……」
完璧に色よい返事ではなかったが、それでもパスたんは心躍り夢のような時間を過ごしたと思った。
そしてまた別の日、カグヤもモロぽんもヤクザえもんも出かけ、大川家の家には妹役のネコちゃんがただ一人でいた。パスたんはカグヤを遊園地へ誘いに来たのだが、ネコちゃんがとても暇そうにつまらなそうにしているので代わりに連れて行くことにした。
「わーい!やったー!パスたんとデートデート!」
二人は大型遊園地のジェットコースターや観覧車、お化け屋敷やフリーフォールを満喫し、射的で遊んで大きなぬいぐるみを取ったりした。ネコちゃんがその一つ一つに大喜びする姿を見たパスたんは、仮想世界でこんな彼女がいたら楽しいかも知れないなと感じていた。
そして、数日が経ち、いつものようにパスたんが大川家に遊びに行くと、全員がリビングルームで彼を待っていた。彼ら家族の立ち位置や雰囲気がいつもと違った。友人のモロぽんはソファに座ってうなだれて床を眺めるポーズ。カグヤはダイニングのテーブルの方で一人座り、ヤクザえもんは窓の外を眺めて両腕を組んでいる。ネコちゃんは床にへたり込むように座り、その横の床には遊園地で取ったぬいぐるみが転がっていた。
「妻に告白したというのは本当か。おまけに娘のネコともデートしたそうだな」
父親役のヤクザえもんが背中を見せたままそう語った。
「そ……それは」
カグヤもネコちゃんも何も言わず黙っていた。どういうわけか父親にバレてしまっているようだ。
「女性目的でうちの家族に近づいたなんて、君がそんな人間だとは思わなかったよ。僕のお母さんまでデートに誘うなんて、君には幻滅だ。がっかりだ。もう友達だなんて思いたくない」
モロぽんのアバターが足を組んで座り直すと、その目は呆れたように閉じられた。
「そんなつもりは…」
「言い訳など無用!一家に隠し事などできない。全てわかっているんだ!二度と大川家に来るな。君は土地BANだ!さっさと出ていけ!」
見た目恐ろしいヤクザえもんの激しく凄んだ言葉にパスたんは傷つき、黙って大川家を出た。彼らの家にはチャットログを記録する何かが仕掛けられていたのだろうか。大川家の誰にも嫌われたくはなかった。こんなはずではなかったのに。自分には初めから仮想世界なんて向いていなかったのかもしれない。パスたんはそう考えると、静かにログアウトした。
「まったくけしからん。性欲の権化めが!」
パスたんが出て行った後で、そう言ったのは妹役のネコちゃんだった。
「でもそんな悪い子じゃなかったわよ。可哀そうよ」
父親役のヤクザえもんが腕を組んだままそう言った。
「遊園地…また連れて行って欲しかったのに…」
ソファに座ったモロぽんが悲しそうにそうつぶやく。
「待った待った!みんな人格とアバターがずれちゃってるじゃん。この仮想世界だけが僕らが人格別に行動できる唯一の場所なんだから、ちゃんと守らなきゃダメだろ。キーボードと現実の身体は一つしかないんだぞ!」
母親役のカグヤが慌てた様子で全員を諫めた。
「おっとそうだな。父親は俺だ。だが人格が四人程度でまだ良かったじゃないか。ビリー・ミリガン並みに人格家族が多いと、ヴューワーの同時起動も不可能だからな」
ヤクザえもんが振り返って己の役割に戻った。
「メインで活動できるのも一人だもんねー」
ネコちゃんがぬいぐるみを抱えて尻尾を振る。
「今日はモロちゃんの番よね。また新しい友達を連れてきてね」
カグヤが台所からそう声をかけた。モロぽんはソファから立ち上がると、
「今度は頑張って女の子の友達を見つけるよ」と答えた。
大川家の土地にリビングルームから家族の楽しそうな笑い声とチャットがもれた。