人身事故
ヘテロセラ大陸西の沿岸をオープンカーの黒いポルシェが爆走中だった。ハンドルを握るdeathmiyaの横の助手席に座って景色を振られているのは、ドライブ友達のichimokusanことイッチであった。デスミヤは過激な性格だ。溜まり場に行けば爆弾を投げ、サンドボックスに行けば巨大化プリムを隕石のように落とし、外部SNSでは「死ね、アホ、馬鹿」を平気で書き込む。彼を知る世の半分の人が彼を嫌い、もう半分には面白がられているような人物だ。行った先で「デスミヤは呼ぶな」と言われることもある。イッチはデスミヤの行動を面白がるタイプだった。この北大陸と呼ばれるヘテロセラでは、有志によるメインランドラリーが開催される予定で、それに出場するつもりのデスミヤはタイムアタックの練習をしていたのだ。
「前方にヒッチハイカーがいるぞ」
イッチは海に面した板張りの公道の片隅に、一人の男が立っているのを確認した。それは太った体型を専門に作られたメッシュボディで、どうシェイプを調整しても痩せることが不可能なアバターだった。イッチの偏見では、アメリカのスーパーでバケツ容器のようなチョコレートを買っていそうなイメージだ。アカウント名を見るとnuribonと表記してある。『ぬりぼん』と読むのだろうか。ネーミングの響きが何となく日本人に思える。
「豚発見。これは轢き甲斐がありそうだ」
デスミヤはそう答えた。
「おい、轢くのか。話せるなら乗せて見たらどうかな」
イッチは太目アバターという見た目の面白さに興味を持ったが、過激なデスミヤは攻撃で遊ぶ対象としてみなしたようだ。
「SLの公道に立っている奴は車で跳ね飛ばして楽しむためにある。本人だってわかっているさ」
デスミヤの黒ポルシェは急加速すると、道路脇に立っていた太ったアバターを弾き飛ばした。ぬりぼんはゴムボールのように垂直にぽーんと跳ね上がると、うつ伏せで地面に落ちて身体のほこりを払った動作をした。落下時のデフォルトアニメモーションだ。ぬりぼんは跳ねられた瞬間、予期していたかのようなチャットを打った。「しんでしまう」。イッチは画面の前で軽く噴き出した。やはりノリは良さそうな人だ。
デスミヤはさらにバックギアを入れて、海側と反対の崖側に後進を始めた。ポルシェの車両後部と崖の間に太目アバターがドスンと挟まれた。現実なら即死だ。
「たすけてぇ。くるしぃ~」
ぬりぼんが後部トランクの前でキーボードを打つ仕草をしながら一言反応する。デスミヤは「草」と一言入力すると、車を前進させて距離を取り、Uターンでもう一度彼を跳ね飛ばした。太った身体は三度目の衝突で大きく宙を飛び、海の方向へ落ちて行った。
「あーあ。海に落ちちゃったよ」
「これじゃ乗せられないな。行こうか」
デスミヤが車を発進させたとき、「いかないでくれー」という文章が表示された。ぬりぼんなる人物が海の中でチャットを打っているのだろう。イッチはノリが良さそうな人物と知り合う機会だったのにもったいないなと思いつつ、デスミヤと共に車でその場を去った。しかし二人はぬりぼんの存在などすぐに忘れ、ドライブながらの日常的な話題に戻った。
「イッチはどんなヘッドホン使ってる?」
「使っていないよ」
「静かそうでいいな。うちは自動車工場の傍で、車をたくさん積んだトレーラーが良く通るんだ。だからヘッドホン必須だよ」
そう言うとデスミヤはいきなりけたたましい叫びジェスを放った。PCから発せられた大絶叫が部屋に響き渡る。
「おい。うちで殺人事件でも起こったと思われるじゃないか」
デスミヤは再び「草」と一言打つと、コースのゴール地点へと向かった。
あくる日、同じラリーコースをデスミヤと共に走行中、昨日太目アバターをはねた道路脇に5~6名のアバターが立っているのを確認した。デスミヤが速度を落として彼らに近づくと、彼らが囲んでいる道路脇に花束が添えられている。それはまるで、交通事故の被害者を弔うような光景だった。確かにここで昨日、アバターを車で撥ねはしたが、これはちょっと大げさな行為だ。イッチはそう思った。
「何かあったんですか?」
デスミヤは白々しく質問した。アバター全員が黒いポルシェの方を向く。
「ここで昨日、ぬりぼんさんという一人の友人が亡くなったんです」
「彼は昔から仮想世界のヒッチハイクが趣味でした。アバターだけは最後にここに立っていたようなんです」
「死因は心臓発作によるものだそうだ」
「僕たちが全員ログインしていなかったのが悔やまれる。発作が起きた時に、すぐに救急車を手配できれば助かったかもしれないのに」
イッチとデスミヤは血の気が引く思いがした。あの時、ぬりぼん氏が助けを訴えていたのは、現実の心臓発作で苦しんでいた為なのか。その時はまだ生きていたのだ。最後にアバターがここにいたということは、何とか通りがかりの誰かに助けてもらおうと海から操作して戻って着た後、PCの前で力尽きたということだ。彼の命が助かるチャンスを奪ったのは自分たちではないのか。
「そうですか。お悔やみを申し上げます」
デスミヤは車を発進させた。
「なぁ、デスミヤ。さっきの話」
「真に受けるなよ。昨日の腹いせさ。どうせあの中の一人がぬりぼんとやらのサブ垢に違いない。俺たちがタイムアタックの練習で通るのを待っていたんだ」
さらにその翌日、デスミヤは一人でタイムアタックの練習を行っていた。イッチがまだログインしていない時間帯だ。デスミヤにとって、彼は自分を相手にしてくれる数少ない友人だが、一緒に車に乗っていると所々で会話が発生してしまうため、真剣な練習ができない。ラリーの日も近く、練習期間も大詰めだった。
そして例の花束が添えられていた海岸線の公道へと差し掛かる。デスミヤは一気にシフトダウンをして車を止めた。そこにはあの太ったアバターのぬりぼんが、道路の真ん中に立っていたのだ。
「けっ。やっぱり生きてるじゃねーか」
道路の真ん中に突っ立っているとは良い度胸だ。今度こそ引導を渡してやろう。デスミヤは一気に加速させると、相手に向かって黒いポルシェを突っ込ませた。車はそのままアバターを通り抜け、少し先に急停止した。変だな。そう思ってデスミヤが車から降りると、ぬりぼんのアバターは変わらずに立っている。デスミヤが自分のアバターを相手に近づけると、そのまま身体をするりと通り抜けた。
「ゴースト現象か」
SLにはその場にアバターがいないにも関わらず、姿だけが残されている稀有な現象がある。本人がその場所に戻ると消えてしまうデータ上の残像だ。デスミヤがぬりぼんの太った顔を眺めると、その眼はぎょろりとこちらを向いた。そしてヘッドホンから男の声が聞こえた。
「思い知れ」
ぬりぼんの姿が消えた時、家の外で天地がひっくり返るような物凄い衝撃音がした。それと同時に部屋の壁がスナック菓子でも砕くように破壊され、鋼鉄のトレーラーの正面が彼の背後から突っ込んできた。デスミヤの現実の身体は車体と部屋壁とPCデスクの間に挟まれ、すぐに呼吸ができなくなった。ディスプレイ画面はどこかへ吹き飛んでしまい、かろうじて片手が届く位置にキーボードが転がっている。このままでは死んでしまう。デスミヤは口をパクパクさせて助けを呼ぼうとした。
「ヒッチハイカーがいるよ」
ちょうどその時、ピンクのキャデラックに乗った男女カップルがデスミヤのアバターが立っている公道に差し掛かった。
「ああいうのは撥ねてもいいんだよ。どうせ放置してるだけなんだ」
男性アバターはアクセル操作を行い、デスミヤのアバターを跳ね飛ばした。
「たすけて」
海に向かって落ちてゆく彼は一言チャットでつぶやいた。