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ドロシーSL怪奇譚  作者: どろぴっぴ
2/10

SL病



 2007年に仮想世界セカンドライフが広告代理店主導のもとに日本で大流行を始めてから早十数年。今や世間の四人に一人がセカンドライフにアカウント登録し、成功した仮想世界はその衰えを知らず人口は増え続けていた。最近では企業リージョンと呼ばれる区画が新たに設定され、雨後のタケノコのようにプリム建設されたビルやオフィス内では、各会社がアバターを使って会議を行っている。教育機関の仮想空間への切り替えも進んでおり、いくつかの小学校や中学校では試験的にセカンドライフ内での授業が行われているという。

 とはいえ、仮想世界を主体に業務を執り行える会社などほんの一握りであり、人々は今も乗用車や電車に乗って通勤する現実世界の風景は何ら変わることはない。セカンドライフと言う世界が、外すことのできない社会的な仕組みの一つとなって国民の生活に関わりつつあるだけだ。

 アカウント名syake mayoことシャケ氏も日常的にインワールドで過ごしている、どこにでもいる平凡な国民の一人であった。シャケは友人のderesukeことデレ助と、gugure karuことググさんといつものたまり場で近況を語り合っていた。

 「SL病も社会問題になってきたみたいだよな」

 ギョーザに手足の生えたアバターのデレ助が話題の口火を切った。歩く飯テロと言いたいところだが、デレ助の姿はギョーザとしては少し焼き足りない感じがして、あまり美味しそうに見えない。

 「俺さ、昨日会社のロッカーの中にいつもの迷彩服が見つからなくて探し回ったんだよ。よく考えたらそれってインワールド内の衣装でさ。現実世界の営業周りで迷彩服なんて着るわけないのにな」

 まさしくベトナム帰りのように迷彩服を着こんで肩にライフルを背負った黒人アバターはググさんだ。

 「危ないぞググさん。発症してないか病院に行ってみた方がいい」

 シャケはそうチャットを打つとタバコを口にくわえようとしてはっと動きを止めた。シャケは現実世界では非喫煙者だ。普段タバコを吸う仕草をしているのは、学ランにリーゼント頭の不良姿をしたアバターの方であった。

 SL病。正式には仮想現実失調症。脳が現実世界と仮想世界に認識の境がなくなり、錯誤し始めることで奇行を始める病気である。セカンドライフが全世界的に日常生活に食い込み始めたあたりから、世界保健機関への報告が増えている症例である。だが機関からは「仮想世界へのログインを減らそう」と言った警告は何一つ出ていない。それだけ、セカンドライフが現実世界の一部であり、経済や政治の動きに必要不可欠な大きな歯車になっているということだ。SL病が出たからと言って今さら仮想世界を排除するのは、「二酸化炭素が出ると判明したので息を吐くのをやめましょう」と言うくらい不可能な状態になってしまっている。

 TVによるSL病についての報道としては、老人の運転する車がコンビニに突っこんだというニュースと同じくらいの頻度で取り沙汰されていた。昨日の朝に流れたニュースでは、交番勤務の警官が仮想世界のポップガンと勘違いして実弾拳銃を乱射し、通行人三名が重軽傷を負ったというものだった。

 仲の良い三人組はいったんログアウトし、別の日にインワールド内で会うことにした。しかし、それからというもの、溜まり場にデレ助のギョーザアバターの姿が現れることはなかった。デレ助は普段から肉親である弟のSNSをネタにしていたので、心配になったシャケとググが彼の弟の書き込みを見ると、なんとデレ助は一人暮らしのアパートの一室で衰弱死していた。もう何日も食物を口にしないで寝ることさえ無く活動していたらしい。仮想世界のアバターは食事や睡眠の必要などないが、生命である肉体は別だ。ギョーザのような食べ物の姿をしておきながら、デレ助は現実世界でアバターのような生活をしていたようだ。

 黒人アバターのググさんは、シャケの前で決意を口にした。

 「シャケよ。俺はマンションの八階に家族と住んでいるんだけど、昨日、部屋を出てから地上に降りるテレポーターを探し回ったんだ。近くに階段もエレベーターもあるのに、あの踏んだらダイアログが出る丸いテレポーターを探していたんだよ。そろそろ精神科に行ってみようかと思う。このままじゃ、空中を飛行するためにベランダから飛び出しちまうんじゃないかと、自分自身気が気じゃないんだよ。人生までログアウトするわけにはいかない。俺には家族がいるんだ。しばらく仮想世界から離れるよ。お前も少し考えた方がいい」

 「そうだな。俺も医者に予約の電話を入れてみるよ」

 ググさんと仮想世界で別れた翌日、シャケが現実世界の会社のデスクで業務日報をまとめていた時の事。女子社員が近くの棚の上にある小さな段ボール箱を床へ下ろそうとしていた。

 「ちょっと届かないわ。ねぇ、頼みがあるんだけどこの箱取ってもらえる?」

 女子社員の頼みにシャケは拍子抜けした顔で答えた。

 「プリムを踏み台にすれば届くじゃないか。僕は医者に行く用事があって、急いで午前中で上がらなきゃいけないんだ。身長が小さいと不便だから、会社ではもう少しシェイプを調整して伸ばした方がいいよ」

 シャケはそう言うと事務所のドアを出て行った。後に残された表情の固まったままの女子社員は、会社の携帯を取り出すと慌てた様子で上司に電話をかけた。

 シャケは駅に向かって歩いていたが、彼を見る通行人たちはクスクス笑いながら振り向いた。シャケはゴリラのように前後左右に大きく肩を揺らして、のっしのっしとアニメキャラクターのような歩き方をしていたのだ。

 「おいおい、風を切るにもほどがあるぜ」

 通りすがりの男がからかうように呟いた。シャケはアバターに装備したAOと同じ動作の歩き方をしていたのだ。彼は腕時計を見ると焦りを感じた。帰宅のための各駅電車が来る時間が迫っていたのだ。シャケは走り出した。いや、体操選手のように連続バク転で歩道を邁進しはじめたのだ。それも彼のアバターが普段装備しているAOの走りモードである。通行人たちが仰天して駅へ向かって回転する姿を眺めた。「スゲエ」と言いながら、スマホ取り出して撮影を始める若者も数名いた。

 シャケはバク転しながらの状態で、交通ICカードを自動改札の非接触パネルにかざして通過し、ホームへと滑り込んだ。しかし、残念ながら電車は通過した後だった。

 (くそ、時間がないのに)

 ホームに放送が流れた。

 「『次の電車は、快速キャロット宇都宮方面。危ないですので、黄色い線の内側へお下がりください』」

 次に来る電車は快速だ。それはシャケの降りたい駅には止まらない電車だった。彼はバッグを開けると必死にランドマークを探した。

 (ない。LMがどこにもない!一度家に帰って着替えたいのに)

 シャケはどうしようか考え、ふと気づいた。自分は生きている。つまり、この土地にはライフ設定がされていると言うことだ。ライフがゼロになればホームへ飛ばされる。すぐに家に帰ることができるじゃないか。

 「なんだ。死ねばいいんだ」

 音を立てて向かってくる快速電車を前に、シャケは線路へ飛び込んだ。

挿絵(By みてみん)

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