知らない人
「ねぇ、スイちゃん。この右上の人、誰だかわかる?」
日曜の休日の朝。リンデンホーム群にある自宅でのことだった。インワールドでは長い付き合いの親友であるイソさんが、スナップショットの集合写真を大きく広げたプリム板に張り付けて見せてきた。彼女のアカウント名はisojin ugajinだ。私はアカウント名suisosuiでスイちゃんと呼ばれている。苗字のあった以前のアカウントは人間関係のこじれが原因で破棄してしまった為、仮想世界では一度転生している。シェイプをこねるセンスが皆無でブスアバだった私も、今ではどこに顔を出しても恥ずかしくない最新人気メッシュヘッドの美人女性アバターだ。最近は着せ替えが楽しくて課金が止まらない日々を送っている。不思議なことにアバターでも容姿が優れていれば己に自信が持てるものだ。イソさんが張り付けたその写真には、ちょっと恥ずかしいデフォルト時代の私のアバターの姿も映っていた。当時選んだ海外の安物スキンに描かれた濃い化粧のせいで、良くてバービー人形か、悪くてサンダーバード系女子に見える。スイの主観では、全裸のnoobもどきばかりのアダルトリージョンのヌードビーチなんて『色欲の罪』の亡者たちを描いた地獄絵巻にしか見えない光景だった。目を見張る美男美女などツチノコ並みに珍しい時代だ。
「私のいなかった頃の写真だから知らない」
「いや、スイちゃんいるし。転生前のアカウントでちゃんと映ってるから。でも見てほしいのはそこじゃなくて右上のアバター。赤い服の女の人」
20人ほどが前後に並んだ集合写真。全員が着物や袴の和装で、背後にはお屋敷と呼べそうな大きな古い日本家屋が建っている。かつて多く存在した和風SIMの一つだろう。何のイベントで撮ったものだったかスイも思い出せず、イソさんか他の誰かに呼ばれて行った先でたまたま映っていたのかも知れなかった。写真の右上を見ると、赤い帽子とドレスの女性アバターが映っていた。つばの広いハットの下の顔は、カメラの引いた集合写真のためか画質が悪くはっきりとは見えない。それでも顔や身体の造形は良いとは思えなかった。少し頭が大きめで、手足は棒のように細い。顔面の左右が崩れて見えるのは角度のせいかもしれないが、和装の人々が並ぶ中でのドレス姿は何か異質な印象を受けた。
「誰だろう?すぐにSL辞めた人じゃないのかな」
ドレスコードを気にもしないようなこんな目立つ人物像なら、知っていれば覚えているはずだ。集合写真に映ったアカウントの半数以上はもう仮想世界にはいないだろうし、まだこの世界にいるとしてもすっかり姿も変わっているだろう。
「でね、これが去年のダンスクラブでスイちゃんと撮った写真なんだけど」
イソさんは新たなスナップショットをプリム板に張り付けた。その写真はスイも覚えていた。時たまスイとイソが遊びに行くダンスクラブのイベントで、ダンディナイトと呼ばれる女性アバターも男装してスーツ姿で踊る催しだ。これも最後のお開き後に、クラブに残ったアバターたちで写真撮影を行うのが自然と慣例になっている。口ひげを付けて裏ピースをするスイとイソから少し離れた右端に、赤い人物が映っていた。先ほど見たばかりの赤いドレスの女性アバターである。顔が歪んで手足が異常に細いので、同一人物だとすぐに分かった。古いスナップショットに映っていたのと全く同じ服装を着ている。
「え、なんで!?こんなキモアバがいた覚えがないんだけど」
男性アバターになるか男装しないと参加できないイベントの日に、こんな赤いドレスのデフォルト女性アバターがいたら誰かが注意したはずだ。スイとイソの二人が知らないのだから、少なくともダンスクラブの常連ではあるまい。
「キモアバとか言わないの。スナップショットの整理で発見したんだけど、あの場で見た記憶もなくて。…誰なんだろうこれ。クラブの知り合いたちにも聞いたんだけど、誰も知らないアバターなんだよ」
「ダンディナイトは何枚か撮ってるから、私も確認してみるよ」
イソが朝食の支度でログアウトした後、スイはPC内のスナップショットから去年の同じ日の写真を時間をかけて探し出し、赤いドレスのアバターが映っていることを確かめた。スイも整理整頓が大嫌いなので、スナップショットを放り込んだフォルダもインベントリー同様にぐちゃぐちゃだ。写真も何の感慨もわかないような床の模様や、空中に浮かんでいる誰だかわからないアバター等、何で撮ったのかわからないような対象物も数多くある。データ上の日付の自分自身にどんな精神状態だったのか問い詰めたいくらいだ。
スイはダンディナイトを撮った日の写真の数枚に、赤いドレスの女が映っているのを発見した。どの写真でもスイとイソの二人は隣り合ってダンスしているが、赤いドレスの女性アバターはずっと棒立ちでダンスフロアに立っていた。まるで二人のダンスを眺めているようにも見える。その顔の視線はどちらかといえばイソの方を見ている気がした。
(イソさんのストーカーじゃないの?)
スイは言葉をオブラートに包むのが苦手なので、自分が人に気に入られる性格ではないと知っている。対してイソの方は誰に対しても優しいので友達も多いし、自分のように人間関係をこじらせて転生などしたことも無い。スイはそんなイソがずっと仮想世界の親友であることを自慢に思っているし、手放したくないとも思っていた。イソがログインしたら心当たりがないかもう一度聞いてみよう。
スイは昔のスナップショットを振り返るうちに、スクロールする手が止まらなくなり、様々な楽しい出来事を思い出しては画面の前でにやついていた。
そして、急にゾッと背筋が寒くなった。イソと二人で長い洞窟内で3時間もハントの景品集めをした写真。洞窟の奥に赤いドレスの女が立っている。二人で大陸ドライブを決行し、ハンドリング幅の大きすぎるスポーツカーの慣れないドライブ操作で他人の敷地のイエローバリアに突っ込んだ写真。公道の隅に赤いドレスの女が立っている。あれも、これも、イソとの楽しい思い出の写真の片隅に、顔が歪んで手足が枝のように細い、赤いドレスの女性アバターが映りこんでいるのだ。スイは古いフォルダを閉じると、最近撮ったものを一つ一つ確認した。
(やだやだ!怖い!)
スイが自室のスカイボックス内で一人でシェイプの編集をしている写真。顔の造形を確認するために撮ったものだが、その背後に赤いドレスの女の姿があった。彼女が見ていたのはイソではない、スイを見ていたのだ。そして今開いているのは昨日撮ったスナップショットだった。彼女は自分といつどんな関りがあった人なのだろうか。まるで思い出せない。スカイボックスに入り込んだことさえ気づかなかった。
スイは画像フォルダの確認から急いでSLの画面に切り替えると、その場をぐるぐると回り、周囲に誰かいないかを確認した。今は自分以外誰もいない。ミニマップ上にもワールドマップ上にも、付近には自分以外のアバターの反応は見当たらなかった。スイがほっとしたと同時に、イソのログイン表示が上がった。
「『スイちゃん!』」
IMの音が鳴り、イソからのメッセージが届いた。
「『イソさん、良かった!今ね。怖くて怖くてイソさんと話たかったんだよ。聞いて』」
「『スイちゃん、聞いて。思い出した。あの赤いドレスの人、私がSL始めたころにフレンド登録した人だったんだ。ヨミさんっていうの』」
「『…誰それ?』」
「『ヨミさんは脳神経逆位症っていう病気で、会話がうまく成り立たない人だったんだよ。友達もいなくて孤立してたんだけど、私があった次の日に時間をかけてお話しして、彼女の最初の友達になったんだ。でも三日目に『しんもでとだもちでていね』っていうIMだけ残して突然いなくなったの』」
スイは混乱した。ヨミさんという赤いドレスの女性アバターがイソの古いフレだとして、なぜうちのスカイボックスに来たのか。イソの仕込んだ何かのドッキリか。しかし、イソはそんなことを好んでするような性格ではない。だってイソは優しくて、誰からも好かれる人。逆に私は…。
スイは自分のアバターの背後に誰かいないか再びカメラを回して確かめた。誰もいない。そして恐る恐るスナップショットを撮った。アバターの背後。そこには、赤いドレスの女は写ってはいなかった。スイは机に肩肘をついて頭を抱えた。
「『ごめんね、イソさん。なんだか急にドッと疲れた。話は明日、私のリンデンホームの自宅でゆっくり聞いて。今インワにいるのがちょっと怖くて』」
「『うん。わかった。大丈夫?ゆっくり休んで』」
スイはヴューワー隅の×印を押し、ログアウト確認を行って仮想世界から退出した。ビューワーが画面から消えた。真っ黒い画面に疲れたようなRLの自分の顔が映る。ディスプレイ画面は特に設定していないのでアイコンだけが並んでいる。背後に映る窓辺はまだ明るい。画面の自分を見ながらふと、仮想世界のような日本人離れした容姿端麗な顔だったら人生楽しいだろうなと考えた。そして、窓辺に照らされる室内の人影に気づいた。ディスプレイに反射するRLの自分の顔が恐怖でひきつった。背後に映っているのは、赤いハットを被り、左右の顔の崩れた女性。
スイの顔の横で人間のような電子音のような声がした。
「しあたのとだもちをえせか」
その後、仮想世界でスイのログインを確認した者はいない。