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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

足軽稼ぎ

作者: 小城

 塚原卜伝の弟子の一人に、たちばな越後守えちごのかみ永房ながふさという人がいた。諸国流浪卜伝一行80人の内では、古老の一人で冴えない男であった。一方で「彼の越後の受け太刀は日本無双。」と卜伝からも言われた男で、諸人稽古の折の受けには良く起用された。だが、衆人環視の前ではことごとく弱い男で、そのようなところを揶揄されて、「橘の太刀は秘蔵の受け太刀。」と言われた。生国は越後とも言われるが定かではない。卜伝の死後は郷里に戻ったとも言うがこれも定かではない。

 あるとき卜伝の高弟、松岡兵庫助が永房の受けを是非にと所望した。

「然らば、今日、今宵に我が元に参上願いたり。」

と松岡に永房は返答した。

「(秘蔵の受け太刀などとは嘘偽りに過ぎない。)」

端からそう思っていた松岡は夜半、永房のもとへ行った。

 その日は新月の夜で、辺りは暗闇で何も見えない。松岡が指定された場所へ来ると永房は大分前から既にそこにいたらしく灯火一つ持って座っていた。

「白刃と木刀のどちらを御所望か?」

永房は松岡に聞いた。こんな暗闇で受け太刀の稽古も何もあるまいと思いつつも、半ば馬鹿にされたと思った松岡は、故あれば永房を斬り捨てようと思い白刃を抜いた。

「どこからでもお打ちなされ。」

永房は何を持っているのかは分からないが、微かに気づく相手の気配を当てにして、松岡は剛腕を鳴らして、滅茶苦茶に打ちかかった。

「(命の保証はできぬ。)」

この頃の稽古はときには死人も出ることがある。

 二度、三度と白刃を斬りつけるが、あるときは、横からなされ、あるときは、刀の根元を真っ向から受けられた。

「(一撃たりとも入らぬ…。)」

松岡の放つ斬撃は一撃でも入れば致命傷なのだが、右袈裟に斬れば左に流され、左袈裟に斬れば右に流される。突いたと思ったら腕を掴まれて、転ばされてしまう始末だった。それらがすべて新月の下の闇夜のもとで行われた。

「参った。」

遂に松岡は根を上げた。

「貴殿は斬るとき体が流れる癖がある。」

永房はそう言った。

帰る途次、松岡は何故、この稽古が新月の闇夜のもとで行われたのか分かった。衆人環視の前で行われたならば、松岡は己の失態を恥じて切腹していたかもしれない。

「まるで天狗を相手にしているようであった。」

後年、徳川家の剣術指南役にも抜擢された松岡兵庫助は弟子たちにそう言ったという。

 さて、この永房、彼にはひとつ曰くがある。あるとき、卜伝の弟子の一人が永房に兵法を志した訳を聞いたことがあった。永房はこう語った。

 若年のみぎり彼は足軽稼ぎで生計を立てていた。当時、足軽というのは、合戦主としては頭数を揃えるのに都合が良く重宝された。しかし、その対価として、雇い主たちは足軽たちの乱妨狼藉を黙認することがあった。

「某もそうした足軽の一人であった。」

永房は戦場で掠奪した金品を行商して生計を立てていた。

 あるとき、行商である国の豪農の屋敷を訪れたことがあった。その屋敷の主も商で富を築いた者で、その屋敷には商いの情報を求めて、様々な国からの行商人たちの集まる場所となっていた。その屋敷の主には妻がいた。

「優しい人であった。」

永房は言う。その妻は自分たちのような立場の者たちにも、気さくに声を掛けてくれた。

「心遣いが伝わってきた。」

度々、永房もその屋敷を訪れるようになった。

 それからも、永房は足軽稼ぎを続けては、その屋敷に行商で訪れ続けていた。

「あるとき、急に怖くなった。」

足軽稼ぎをするのも、その屋敷を訪れるのもだという。

「その奥方と親しくなるにつれて、もし、この屋敷と奥方が戦に巻き込まれたらどうなるのかと思い始めた。」

という。この豪農の屋敷が戦場になれば、今まで、永房たちがやってきた足軽稼ぎによる乱妨狼藉の被害に、この屋敷も主の妻も合うことになるだろう。

「そう思うと、それから一向に戦場での足軽稼ぎも出来なくなってしまった。」

という。

 それから、どうやって生計を立てていこうかと迷っていたとき、塚原卜伝の一行に出会ったという。

その話を聞いた卜伝の弟子の一人は

「卜伝先生と旅路を共にし、兵法を志したのは全くの偶然なのか、それとも、その屋敷の奥方たちを乱妨狼藉から守る術を得たかったのでございましょうか?」

と永房に聞いたが、永房の答えは

「分かりませぬ。」

だった。

 それ以来、その屋敷へは訪れていないし、主の妻にもあっていないという。風の噂では、どこか都へ引っ越したとか、奥方は去る大名の目に留められたとか言うが定かではない。

「ただ、某は自分の心の安心と生計を立てる手だてが欲しかったのです。」

永房はそう答えたという。

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