彼女は無邪気に
「………消えたんじゃなかったのか」
座った状態でユイに問いかける。久々に会った相手に対してかける言葉ではないが、そんなの関係ない。
三か月前に居なくなったはずなのに、今頃になって何故。
「なんで消えないといけないの? 私との約束、覚えているでしょ」
少しだけ目を細めたユイが反論する。
彼女が両手を握っているときは機嫌が悪い証拠だ。ここは素直に答えた方がよさそうだな。
「覚えているよ。あの日から一度も忘れていない」
「……本当かなあ。ヒロは忘れっぽいからさ、心配しているんだよ」
ユイは不貞腐れたような物言いで呟いた。
「忘れるわけ……ないだろ。自分の命が懸かっているんだから」
あの日から今日まで、一度たりとも考えなかった日はない。
僕の言葉に感心したのか、ユイは満足げに頷いた。
「――――良かった、ヒロが覚えてくれて。もし忘れていたら……悲しみのあまり手をかけるところだった」
「おい、自分から約束破るなよ」
冗談じゃない。こんな所で死んでたまるか。
「なんでこの大学に居るんだ。しかも、ご丁寧に入学までして」
「さっきも言ったけど、約束を忘れていないか確認しただけ」
「……本当は?」
「他の獲物に手を出されたくない。貴方を感じたい。息遣いを聞きたい。――――四六時中一緒にいないと、誰かに殺されないか心配だったから」
饒舌になりながらユイは僕の腕を抱きしめた。
彼女はいつもこうだ。僕を殺そうとしているのに僕を愛している素振りを見せる。僕から離れたくないと言いつつ三か月前に消え、いきなり現れる。
……本当に意味が分からない。
「言いたいことは分かったから。……抱きつくのは止めて」
「ええー」
「ええー、じゃない」
ユイを無理矢理押し退ける。
殺しに来る人を心配するのもどうかと思うけど……一応嫁入り前なんだから。ベタベタ触るのは止めて欲しい。
「全く……他の人にもこうしていないだろうね」
「していないよ。私がするのはヒロだけって決まっているし」
ユイは顔をクシャっとさせる。見る者を幸せにする笑顔。
僕を殺す、とか考えなければとっくの昔に惚れていたかもしれ――――余計なことは考えるな。
あくまで彼女とは殺伐とした関係。今年までに止めなければ僕は死んでしまう。
絶対にけりをつけなければならない。
それこそ、殺す勢いで。
「なに考えているの」
改めて意気込みをしていると意識が外に引っ張られる。
横目で確認すると、ユイは可憐な風貌からは想像できない握力で僕の頬を抓っていた。
「まさかとは思うけど……他の獲物のことなんて考えていないよね。私、そんなの嫌だなあ」
「違う……ユイのことを考えていただけ……」
必死に弁論するとユイは直ぐに手を離す。抓られた箇所に手を当てると若干腫れていた。
「……痛った」
「大丈夫⁈ お願い死なないで、貴方が死んだら私……私……」
「いや死なないから」
人間の生命力を嘗めるな。もやしっ子の僕でも抓られただけでは死なない。
「もう一回殺してあげるね!」
この子は悪魔か。……慈悲の欠片も存在しない。
感極まって抱きついてきたユイから防戦していると向こう側から誠也がおずおずと忍び寄ってきた。
「……これはどういうことだ。ミズノ」
「どういうことって……なにが?」
「今の状況だ! なんで噂の令嬢と仲良く腕を組んでいるんだ!」
あ、そういえば勧誘の途中だった。
ユイと話していたから気づかなかったけど、向こう側にいる全員が僕らを眺めていた。
誠也はその代表としてこっちに来たのだろう。
「それは誤解だ。別にユイとは仲が良くない」
「ダウト! それならなんでイチャイチャしているんだ」
「イチャ、イチャ?」
そんなこと言われましても。
「俺が精一杯頑張っている傍らでラブラブな雰囲気になっているなんて。いい御身分だな」
唾を吐く勢いで誠也は罵倒する。
「いや、そもそもそういう関係じゃないし」
「はぁ? そんなわけないだろ。どう見てもカップルかなにかだ」
「そんなに言うんなら……彼女に聞いてみたら?」
ユイにバトンを渡す。彼女の口から出れば誠也も分かってくれるはずだ。
僕の誠也の視線が彼女に集中する。他の野次馬も息を呑んで見守っていた。
「あの……ええっと……」
気恥ずかしそうにユイは小さく悶えている。
何回か呼吸を繰り返すと満面の笑みではっきりと答えた。
「はい、ヒロとはそういう仲です」
時が止まる。
僕も誠也も、ここにいる全ての人が凍りついている。
その中でユイ一人だけが首を傾げていた。
「なんてこと言い出すんだ!」
「えー。本当のことでしょ」
手を掴みながら怒ってもユイはえへへとしか言わない。
駄目だ、早くどうにかしないと。
「……白状しろミズノ。俺とお前の仲だろ」
身体を震わせながら誠也の魔の手が迫る。捕まったら僕の命はない。
こうなったら――――
「逃げるよ。ユイ」
僕が導き出した冴えた方法は逃げる。
思いっきり立ち上がり、そのままユイの手を引いた。
誠也を脇に退け、集団をものともせず突っ走る。自分でも信じられない力が僕の中に滾っていた。
「アハハッ! 大学って楽しいね、ヒロ」
ユイは笑い声をあげる。自分から蒔いた種なのに……呑気なものだ。
「僕は胃が痛いよ」
風を切りながら共に駆け抜ける。
後で誠也からなにを言われるか分からないが、
「――――そのときはそのときだ」
取りあえず、今は逃げ出そう