今日は四年に一度の日
現代ファンタジーです。
彼女に会ったのは二月二十九日、その日は閏日だった。
バイトが終わり、いつもと変わらず僕は帰り道を歩いていた。
この道は外灯もなにもなく、深夜のせいか他に光源がない。その代わり、仄かに輝く月が僕を照らしていた。
「……寒い」
春間近、と言ってもまだ二月。調子に乗ってコートを羽織らずに外出したのがまずかった。
すー、と息を吸い込む。夜特有の空気。誰も居ない静けさと、高揚感がミックスされた匂いが体内を巡り、浸透していく。体温と気温が等しくなって寒気が無くなる、そんな気がした。
「音楽でも聴くか」
ただ歩いているだけだとつまらない。ポケットからイヤホンを取り出し、耳につけ、端子をスマホのジャックに挿入する。音楽アプリを起動させるとプレイリストの洋楽が勝手に選曲された。
音が出ているのを確認し、止めていた足を再び進める。
一歩目を踏み出した直後、一陣の風と共に桜の花弁が細道を吹き抜けた。
襲い掛かる衝撃に思わず身を屈める。桜吹雪はそのまま僕を追い越し、そのまま彼方へ行った。
「……なんだったんだ?」
開花宣言はまだされていないはずなのにどういうことだ?
外れたイヤホンをかけ直しながら不思議に思っていると、目の前――――数十メートル先に人影が立っていた。
突然現れた影。先程は居なかったはずなのに、いつの間に現れたのだろうか。
反射的に後ずさりする。すると、奥にいる誰かがこちらの方へ歩き出した。
脳から緊急信号が送られる。本能か、それとも理性かは不明だが、早くここから逃げろと自分自身に強く訴えかけていた。
小刻みに震えている脚に力を入れるが、動かない。否、動けない。
呪われているように全く反応しない下半身。まるで誰かにしがみつかれているみたいだ。
この状況でも、鼓動は早鐘を打っている。やけにうるさい心音のせいでこれが現実であると身をもって分かった。
立ち往生している間にそいつとの距離は短くなる。少しずつ、それでいて確実に僕に迫る影。
半分に差し掛かった辺りで得体のしれない存在がなにかを確認できた。
影の正体は――――少女だった。
闇夜に溶け込んだ黒髪、細身の身体、白いワンピース。顔つきまでは認識できないが、恐らく中学生だと思う。
正体が分かったことで安堵する。身体から緊張が一気に抜けた。
僕に気づいていないのか、下を向きながら少女は歩いている。だが、彼女の右手には本来ないはずの物が握られていた。
「――――は?」
月明かりによって鈍色に光る刀身。錆びついているのか、赤茶色の点々が浮き出ている。彼女は小さいナイフを持っていたのだ。
僕との距離が近づけば近づくほど、少女の異常さが見て取れた。白いワンピースには所々真紅に染まり、錆だと勘違いしていたナイフには血らしきものが付着している。ハロウィンの仮装にしては季節外れだ。
僕の考えを意に介さず、数メートルに迫った少女はナイフを前に突き出した。ここまで来れば理解力の低い僕でも、解る。
目の前の少女は人殺しなのだと。
ごくり、と息を呑む。顔を逸らそうとするが、彼女の瞳から逃れられない。身動きの取れない状況が更に悪化し、声も出なくなった。
必死に逃げようとする僕をあざ笑うように少女が接近する。
彼女と重なるのは時間の問題だった。
三、二、一
刹那の時が恒久に感じる。
ナイフを振り上げる少女。それを最後に僕は瞼を閉じた。
死を覚悟した瞬間、
『ごおん――――』
何処か鳴り響く鐘の音。それと同時にぴたりとナイフが止まる。金属特有の嫌な冷たさが首筋に伝わった。
おかしい。いつまで経っても痛みが来ない。
恐る恐る目を開け、状況を確認する。広がる視界。死を覚悟したせいか、景色がモノクロに色褪せていた。
そして――――
人殺しが至近距離で僕の首にナイフを当てていた。
間近で見る彼女の顔は、陳腐ではあるが綺麗としか言いようがない。穢れを知らぬ白い肌、黒にも似たボルドーの双眼と唇は血を連想させる程、紅い。
とうに身動きは取れるのに、彼女から目が離せなかった。
「……残念」
少女の声が微かに聞こえる。鈴を転がすような、聞いていて心地の良い声色だった。
何事もなかったかのように少女はナイフを仕舞い、一歩後ろに下がる。
少しだけ妖艶に、それでいて年相応のはにかんだ笑顔を僕に魅せた。
「良かったね。死ななくて」
すれ違う間際、耳元で囁かれる。その言葉を残し、彼女は僕が来た道を進んで行った。
一人取り残された僕。ふと、首元に手を添えると、
「……うわ」
薄く、それでいて確かに血が付いていた。
読んでいただきありがとうございます。
宜しければ評価、ブクマ、感想、レビューをよろしくお願いします。