喰らい喰らわれる
砕けた甲殻が爆発した蒸気に乗り、辺り一面に飛来する。
ルクバトと【積もる微力】の後ろで、契約者達が顔を伏せてやり過ごす。
『ハッ!他愛無ぇな。』
「ちと派手すぎじゃねぇか?レイズ。」
『十分にやりたかっただけだってぇの。あの馬はくたばろうと戻ってくんだろ?』
「にしてもだろ。ま、助かったけどよ。」
服の首筋を引き、熱気を追い出しながら健吾が吐き捨てる。再会は嬉しいが、相変わらずのパワーに追いつくには、いかんせん疲労が強い。
頭が潰れ、ダラりと下がった触肢の根本を睨みながら、四穂が駆け寄ってきた。険しい顔の彼女に怪訝な顔で振り向くと、健吾はそのまま疑問をぶつける。
「んだよ、変な顔して。こっちはこれ以上やる気はねぇぞ。」
「変な顔って、乙女に使う言葉かな?それより、終わって無いと思うよ。」
『あぁ?負け惜しみかよ。』
「んーん、違う。精霊が倒されたときって、キラキラして消えるんだよ、ボクの【泡沫の人魚姫】がそうだった。」
半信半疑で【魅惑な死神】を見返した健吾の前で、緩やかに蒸気が立ち昇っていく。それ以外に動きは無い。
首を傾げる四穂と肩を竦めた健吾と違い、【積もる微力】は紅色のサソリから目を離さない。
『なんか、変じゃねぇか?』
「あん?なんかってなんだよ?」
『勘。』
「あぁ、なるほどな。」
「今ので納得しちゃうの!?」
再び警戒心を戻した健吾に、唖然とした四穂が叫び声を上げる。その瞬間だった。
揺れた地面が、全員のパニックを招く。混乱する四穂を突き飛ばし、健吾が己の精霊へ叫ぶ。頭は働いていない、何かを察知した訳でもない。単純な思考停止による、最速の行動だ。
「潰せぇ、レイズ!」
『ダアァァララァァァアアア!』
地面が裂ける、砕け散る、どちらが早かっただろうか?飛び出す【魅惑な死神】へ降り注ぐ拳群が、土砂と共に甲殻を撒き散らしていく。
狙えた訳では無いそれが砕いたのは、脱皮したのか一回り大きくなった触肢の先端の鋏。残る一本が【積もる微力】を抑えにかかり、尾針は契約者を狙う。
「お願い、防いで!【辿りそして逆らう】!」
『シャアァ!』
飛び込んだ小竜の精霊が、射出された針を尾節へと還す。獲物を仕留められなかった針は、放った者を刺して振り落とされた。
その最中、挟まれるのも構わず大きく振りかぶって、両拳を打ち出す精霊が、触肢を引きちぎって脱出する。すぐに再生を始める触肢に、苛立ちを顔に浮かべた【積もる微力】が叫ぶ。
『執拗ぇんだよ、てめぇはァ!』
手に持った鋏を二本に割り、再生途中の触肢に突き刺し、それを蹴り込む。吹き出した多量の蒸気があっという間に視界を埋め、秋の夜を熱帯夜へと変貌させる。
契約者達に直撃しては堪らないと、蒸気の吹き出す触肢を蹴り飛ばすルクバトを足場に、上を取った【積もる微力】が掴んだのは、揺れていた毒々しい尾節。
『いい加減に、くたばりやがれぇ!』
自重を持って、直感に任せて振り下ろす。その場所こそ、【魅惑な死神】の心臓だ。抵抗されたのか、甲殻に少しだけ突きたって止まったそれへ、揺らいだ闘気を握りしめた拳を叩き込む。
『ダアァララララァァァアアア!!』
熱気に混ざる紅色の散弾も、【積もる微力】には傷をつけられない。深くまで徐々に進んでいく針に、揺らぐ闘気が次々と蓄積されていく。悲鳴を上げていた紅蠍が、これ以上させてなるものかと暴れ始め、体制を崩した【積もる微力】が膝を着く。
重みを増していく針は、もう抜くことの出来ない程に力が蓄積している。一息着いた戦士の精霊が、必死に引き抜こうと力を入れている尾をガッシリと掴んだ。
『無駄なことしてんじゃ...ねぇ!』
ヒビが入る尾を、更に握りしめていく。両手の間で、嫌な音が響き、吹き出す蒸気が増えていく。
『ちぃ!おいレオ、離れすぎてねぇか!?』
「無茶いうな!そんだけ暴れ回ってるバケモンに近寄れるか!」
『鋏捥いでやったろうが!』
「潰れて死ぬわ!」
絶叫する健吾だが、それでもギリギリまで【魅惑な死神】に接近する。
すぐ目の前で土を掻く脚も、吹き出す蒸気に乗って飛んでくる甲殻の破片も、振り回される突き刺された鋏も。全てに心拍が荒れるが、【積もる微力】が戦うには近くにいるしか無いのだ。
『ち、鬱陶しい!』
意地でも振り落とそうと暴れる【魅惑な死神】に、八つ当たりの様に一撃を入れて離脱する。このままでは、契約者が巻き込まれかねないから。
案の定、疲労困憊な健吾を掴み、近くを駆けていたルクバトに放り捨てる。隙を伺って周回していた紅馬は、突然の事に驚きながらも、落とす事無く背に乗せた。
「おま、ちと乱暴過ぎねぇか?」
『黙ってろ。んな事よりも、少しでも体力もどせ、押し切れねぇだろうがよ。』
少しでも攻撃の手を緩めれば、その途端に回復していく。
『つーか、レオ!お前これを見たことあるみたいだったよなぁ!なんで戻ってたんだ、コイツは!』
「あぁ?確か...刺さってた矢をこねくり回してたら、勝手に...」
「矢?【疾駆する紅弓】の?」
距離を取った健吾達に、首を傾げながら四穂が尋ねれば、鼻で笑いとばしながら【積もる微力】が答える。
『矢じゃねぇと戻らねぇってこたァ無いだろ。なら...臓器でも潰しゃいいのか?それなら一つしかねぇな。』
「精霊って内臓ねぇのか?」
『そういう意味じゃねぇよ!アイツがあんだけ嫌がってたのも、食って変化したのも、心臓だろうが。』
「あ、アンタレス...?」
仁美の呟きが拾われるよりも早く、飛び込んで来た【魅惑な死神】が周囲を薙ぎ払う。もう再生が終わったのか、二本の触肢は健在だ。
背中に刺さった尾節は未だに抜けていないが、尾の方は再生し必死に力を込めているのが見て取れる。
『おいおい、マヌケな格好でも見せに来たかよ!』
「言ってる場合か!余裕があるのはお前だけなんだよ!」
『腕だけなら抑えられんだよ!熱いのは堪えて着いてこいや、レオ!』
「殺す気かクソ...!仁美、【辿りそして逆らう】借りてくぞ!」
漂う精霊を引っ捕まえて、契約精霊の後を追う健吾に、満足気に口角を上げた戦士は拳を振りかぶる。勢いよく突き出される拳を触肢で受け、【魅惑な死神】が後ろへと押し出される。
『オラ、踏ん張れやァ!』
続けて二発、三発と重く深い一撃を叩き入れる。触肢だけならば、目の前にいる限り契約者は安全、踏み込んだ攻撃をしても問題ない。自分には反撃が通じないのだから。
曲がり、割れ、先端が飛んでいく触肢を、それでも健吾へと伸ばす。健吾が自分で対応すると信じ、【積もる微力】の猛攻は止まらない。
「お構い無しかよ、良いけどよ!」
踏ん張ることにほとんどの力を入れている【魅惑な死神】、その触肢の動きも緩慢だ。
簡単とは行かずとも、今の健吾でも回避できる。【積もる微力】を挟むように動き続ける事にさえ気を使えば、後は考える事も無い。
「ルクバト!レイズを上に跳ね上げてくれ!一撃デカいの見舞ってくれるだろうよ!」
『上等だ、死ぬなよ!来い赤いの!』
腰を落とし、殴り蹴りこんでいる【積もる微力】が、健吾の叫びに被せるように吼える。
チラリと四穂を振り返る忠馬に、彼女が頷いた瞬間に駆け出した。矢のように接近したルクバトが、軽く跳んだ【積もる微力】の足裏を思い切り蹴り飛ばした。
その隙を逃すようなら、ここまで生き残っていない。すぐに健吾につかみかかった【魅惑な死神】だが、健吾の傍には小さな精霊も控えている。
「ありがとよ、【辿りそして逆らう】...やれぇ、【積もる微力】ォ!」
『ダァララァァアアア!!』
落下の衝撃も合わせ、全力の一撃が打ち込まれる。その先には、突きたった尾節。既に押し込まれ続いていたそれに、トドメとばかりに大きな衝撃がはしり、深くめり込んだ。それと同時に闘気が乗り移り、大きく揺らぐ。
『潰れろ、イグニッション!』
『ギシャアァァァ!』
揺らいだ闘気が弾け、二度目の衝撃。腹まで突き抜けた針が地面に刺さり、【魅惑な死神】の断末魔が響く。
ありえないほどに膨れ上がった水蒸気爆発に、近くにいた健吾と三柱が吹き飛ばされる。即座に癒し始める【辿りそして逆らう】の下で、健吾が顔を上げた。
「は、覚えのある光景...!」
『笑ってんなよ、レオ。まだ終わりじゃ無さそうだぜ、一応な。』
ゆっくりと晴れていく霧の中から、濃紫の【魅惑な死神】が這い出てくる。無傷になり、しかし一回り小さくなった精霊が、此方を威嚇しながら後ずさる。
そんな精霊に、獰猛な笑みを浮かべながら金色の戦士は歩み寄る。砕いても爆発せず、再生もしない、熱くもない精霊。なんと叩き壊しやすいのだろう、と。
『逃げねぇ姿勢は立派だな、褒めてやるぜ。じゃあな、蜘蛛ヤロー。』
握りしめた拳を振り上げ、大きく振りかぶって突き落とす。砕けた甲殻と飛び散る青。最後に振りかざされた尾節が、【積もる微力】の胸板を引っ掻き...そして落ちる。暫くの痙攣の後に、暗殺者は光の粒子になって消えていく。
「綺麗...」
「ふぅ、疲れたァ...!とっとと逃げんぞ、炎に巻かれら溜まったもんじゃねぇからよ。」
「それなら、ボクの出番だよね...本当は、【疾駆する紅弓】がいてくれたら心強いんだけど。」
顔色に僅かに影を落とした四穂だが、次の瞬間にはいつもの明るい笑顔を貼り付けてルクバトを撫でた。
「それじゃ、脱出しようよ!お願いできる?ルクバト。」
鼻先をグイッと押し付け、乗りやすいように僅かに屈んだルクバトに、四穂が慣れたように跨った。
「っとと。三人乗れるかな...」
「俺が乗ったら潰れそうだな...」
『残るとか言うなよ?レオ。とっとと市街地に行かねぇと、この山はもう囲まれんぞ。』
「分かってんだよ、それくらい。まぁ、アレだ。最悪、火の手が上がってる境を往復してもらおうぜ。」
そこまでは歩きだな、と健吾が零し、誰からともなく歩き始めた直後。瓦礫が吹き飛び、土が跳ねる。
振り返った三人の目の前で、立ち込める土煙の中から、苛立つ金属が姿を表した。




