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精霊舞闘会~幾星霜の願い~  作者: 古口 宗
第七章 去りゆく者 止まらぬ者
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紅の脈動

 転がった拳銃は手が届く範囲に無い。諦めた八千代が、大きく息を吐いた。


「さってと、投降して貰うぜ。」

「あら、天球儀まで遠いわよ?そこの銃は使わないの?」

「知るかよ、そんな事。俺はあんなの使った事ねぇっつの。なんで撃てる奴ばっかなんだよ。」


 そんなに多くないが。

 閑話休題、押さえつけた八千代から手を離す訳にも行かない。何か拘束できる物でも探さねばと、周囲を見渡した。


「獅子堂さん!撃たれて...」

「おぅ、悪ぃけど治してくんね?」

『無茶な男だ...助かりはしたが。』


 下手に動けば、その瞬間に契約者が死ぬ。流石にその状況で暴れ続ける【魅惑な死神】では無く、精霊達の争いも止まったらしい。

 ルクバトから降りた【疾駆する紅弓】が、ペリースを肩から剥ぎ取って八千代に被せる。あっという間に腕を縛り上げ、簡易的な拘束衣に仕立て上げた。


「器用だな。」

『精霊ならこの程度は出来る。手のない物は知らんがな。』

「キツすぎないかしら?レディの扱いがなってないわね。」

『騎士の礼節でも我に求めるか?貴様の立場と状況を思い返して見るといい。』

「ごもっとも。」


 説得は諦めたように目を閉じる八千代から、健吾は手を離した。腕が動かせないなら、この山の中では走るのも困難だろう。道も遠い。

 小竜の精霊から治療を受けながら健吾が座り込んだ所で、【疾駆する紅弓】にのしかかる人が一人。健吾と契約関係にある彼が危険を察しなかったのなら、敵ではない。


『なにかね、主。』

「これ、重いんだけど〜!どうやって片手で持ってたのさ?」

『何度か預けた記憶があるが?』

「必死すぎて重さ分かんない時だね、ボクは覚えて無いもん。」

『...そうか。』


 最早、なんと言えば良いのか分からない。そういった顔で短い肯定を返した精霊は、弦の張り具合を引いて確かめた。


『少し傷んでいるか...?張り替えた方が良いな。』

「いっつも思うんだけど、その糸どっから出してるの?」

『予備ぐらいは持っている。二桁は切れると思っていたからな...ここまで無様を晒すとは思わなかった。』


 彼の想定では、四六時中戦場に居る気だったらしい。昼も、街中も問わず。


「意外に好戦的だな、お前。」

『その為の精霊だからな。敵を襲い、追い詰め、穿つしか脳の無い、ただの武具だ。』

「ボクにとっては、そうでもなかったけどね。」

『肩に乗るな、張りづらい。』


 そうは言いながらも、払うこともせずに作業を続ける【疾駆する紅弓】に、健吾の頬がつい緩む。交換を終えたのか、張り具合を確認している精霊がそれに気づき、目を細めて睨む。


『なんだ。』

「いや、別に?」

『言うことがあるなら、はっきりと言ったらどうだ?』

「だから、何もねぇって。」

『ならば、そのニヤケ面を止めろ。』

「そんなニヤけてるか?」


 自分の頬を引く健吾に、肯定を返すのも馬鹿らしいとばかりに立ち上がり、精霊はルクバトを呼び寄せる。


『火の手が強くなっている、下山せねば死ぬぞ。乗れ、麓までは安全を保証してやる。』

「そいつはありがたいけどよ、まだやる事が残っててな。」

『こんな中でか?』

「こんな中だから、だよ。」


 山頂を見上げる健吾に、そういえば見ない顔があるなと納得する。少し悩む素振りを見せる【疾駆する紅弓】だが、健吾がすぐに声を荒らげた。


「そーだ、アンタ!レイズを何処やったんだよ!」

「あら、答えると思う?」

「良いじゃねぇかよ、ケチだな。」

「良くは無いんじゃないのかなぁ...?」


 あんまりにも理屈を考えていない言葉に、ついツッコんでしまう四穂だが、袖を引く仁美に気を逸らされた健吾には届かない。


「どうした?」

「あ、あれ...」

「ん?」「なになに?」『まさか...!』


 仁美の指さした方向を見る二人の間を、赤い矢が飛び出した。それが付き立ったのは、巨大な触肢。衝撃で千切れたそれの向こう、その光景に息を飲んだのは誰だったか。

 倒れ伏した警官から、半ばで折れた鋏角で心臓を取り出している【魅惑な死神】。あっという間にその場を染め上げる程に吹き出す赤が、夜の中で鮮明に目に焼き付いた。


「く、食ってやがる...人を、精霊が。」

「う...やっぱり吐きそ。」

『ち、やむを得ん!』


 目の前の【魅惑な死神】をフリーにすれば、契約者に危害が及ぶ事は無い。

 仁美と契約でもすれば、健吾がどちらに着くかも明確であり、それは危険だが。目の前の危機より優先すべきことではない。

 矢を抜きはなって八千代へと突き出す精霊だが、飛んできた針への対処にそれは当てられた。だが、この距離ならばその数瞬は時間稼ぎにもならない。


「何焦ってんだよ!?」

『貴様は水瓶とやり合わなかったのか?精霊が不可解な行動をすれば、数段やりにくくなる!』

「あぁ?山羊頭みてぇなもんか。」

『山羊?他にもいるのか...!』


 苦い顔をしながら弓を引く精霊だが、背筋に感じる悪寒にその弓は後方へ放たれる。なんと飛んできたのは死骸。激しく散った血が【疾駆する紅弓】の目を塞ぎ、ひとまずの安全を確保する。


『シュウアアァァァ!』

「なんだよ、それぇ!?」

『ええぃ、何が起きた!』


 濃紫の体が紅くなり、水蒸気の立ち上るその姿。今までと違うのは見ただけで理解出来た。

 何が出来るとは分からないが、考えるよりも先に健吾の体は前に出ていた。目に入った血を落とそうと、躍起になっている【疾駆する紅弓】から矢を奪い突進する。


「獅子堂さん!?」

「仁美、フォロー頼んだ!」


 棒術の経験は無いが、無手で挑むより遥かにマシだ。外から振るわれた触肢は紙一重で避け、守られた顔は諦めて上を狙う。目の前の触肢を足場に潰れた顔に跳び、手に持つ矢を構え...死の気配に顔を向ける。

 凄まじい速度で振り下ろされた尾に、肩を刺されて地面に引きずり落とされる。焼けるような痛みに、広がる異物感と痺れ。煩いほどに鳴らされる警鐘に、それを抜こうとするも、精霊の馬力には敵わない。


『結果論だが、尾を塞ぐのにはいい手だ。』


 やっと視界を取り戻した【疾駆する紅弓】が、いつの間にか離れていた八千代に弓を引く。放たれた矢が空を切った途端、その軌道に影が飛び込んだ。

 濃紫のその爪は、深く刺さった矢の勢いで八千代へ飛び、その重さで目の前へ落下した。


『空中では貫く事も無いか...ルクバト!』


 勇猛な愛馬を呼び出し、すぐに跨った彼だが、すぐに落馬する事になる。投げつけられた健吾を何とか受け止めるが、その間に【魅惑な死神】と八千代の合流を許してしまった。

 白い吐息を吹く精霊には、隠れ潜んでいた時の面影はない。湯気によってなのか、脈打つ様にも見える赤い甲殻は目立つ警戒色。


『真っ向から襲う、毒性を高めた姿か...?それ以外にも何かありそうだが。』

「獅子堂さん、聞こえますか?分かりますか?」

『キュッ!』


 すぐに治療と解毒を開始する精霊に、他の事を言うのも酷だろう。

 健吾がダウンした事により、【疾駆する紅弓】の力も落ちている。四穂よりも体力があるのか、致命的では無い物の...相手が変化している以上、痛手というには十分過ぎた。


「ねぇ、あれを相手にいける?」

『聞く必要は無い、主はただ命じればいい。』

「分かった...撃退して、【疾駆する紅弓(アルスナルケイロン)】!」

『全力で応えよう!』


 針の速度は見切った、変化は無い故に後からでも射落とせる。契約者から離れても、防衛の手は足りるという事だ。

 駆ける愛馬の上で弓を引き絞り、標的を周回する。契約者を隠すように横にズレ続ける精霊は、無機質な目で紅い狩人を睨め続ける。


『流石に遅れることは無いか。ならば、歩けなく...っ!?』


 弓の狙いを変えた所で、違和感に気付いた【疾駆する紅弓】が連続で弓を引く。

 その中を()()()()で駆け抜け、赤衣の精霊に飛び掛る【魅惑な死神】が、鋭く伸びる尾針を突き出した。


『再生、したのか...!』


 やむなく弓で受け止め、すぐに押し上げて発射された針を逸らす。矢を投げて牽制し、その隙に離脱する。

 一際激しく湯気を上げる顔が、ゆっくりと晴れる。完全に治っている鋏角が、獲物を欲して蠢いた。八の目が冷たく光り、再生した針が射出された。


『針も早く生えるという訳か...厄介な。』

「やっと解けた...【魅惑な死神(ラストピオン)】、反撃と行くわよ?」

『契約者の毒も消えたか...?本当に厄介な、変化した者どもめ。』


 単純に時間で抜けたのか、精霊が変化したからなのか知らないが。しっかりとした足取りで立ち上がった八千代が、縛られていたペリースを投げ捨てる。

 地に落ちた赤布に、己の末路を暗示でもされたような心地に、眉根を寄せながら弓弦を引き絞る。限界まで伸ばされた弓が静止し、数瞬の静寂が二柱の間に流れた。


『シュルルル...』

『ハアァ...』


 互いの吐息が、夜風に流れる。【魅惑な死神】の折れた触肢の水蒸気が、一層激しさを増したその瞬間。

 闇夜を貫く彗星が脚の一本を穿ち断つ。再生箇所の切り替わる一瞬の硬直に、最大のダメージ。急に変化したバランスに飛び掛かりは失敗し、苦し紛れに針が射出された。


『っ!掠めただけで軽い痺れが...やはり毒性は見違えた様だな。』


 苦しげに顔を歪めた精霊は、距離を保ちながら駆け回る。触肢よりも脚の再生を優先する【魅惑な死神】は、その場に静止したまま警戒だけを向け続けた。


『このままでは、押し負けるのも時間の問題か...』


 一撃ずつ交換しようと、向こうは再生しこちらは毒が蓄積されていく。それも、最小限のダメージに抑えて、である。部が悪すぎる。

 せめて、一撃がもう少し強く放てれば。せめて、一手多く打ち込めれば。その為にすべき事は、とっくに決まっている。時間稼ぎは僅かだったが、本当に頑丈だと感心する。


『乗れ!そして貴様の相棒を連れて来い!』

「あぁ...?ちょっと待て、頭が回ってねぇんだよ...」

『知らん!治療は乗ってから続けろ、すぐに行け!』

「させないで、止めてちょうだい【魅惑な死神(ラストピオン)】!」


 ルクバトから飛び降り、急接近する紅蠍の脚を穿ち、足止めする。

 その危機感に、すぐに覚醒した健吾が紅馬に跨る。精霊の助けを借りて、よじ登った仁美を腕の中に座らせ、口を開く。


「死ぬなよ、お前。」

『そちらこそ、落馬でなぞと笑う最後は迎えるな。』


 手綱を握る契約者に、走り出した愛馬に、そこに残った精霊に。

 振り返る事は無く、己のやるべき事を開始した。

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