結末、そして始まり
頬に散った温かいもの。その正体を否定しようにも、経験があまりにも明確に告げてくる。
途端、溢れてくるのは悲しみ。悔しさ、優しさ、全てが胸を締め付けてくる。
(なんで...怒りも、憎しみも、昂りも。貴女は私に刺されているのに。)
自分の後悔にも似た罪悪感を、流してくれる興奮が何一つ無い。ただただ、そこには優しさがあった。愚かとも呼べる程の、一方的な愛が。
「登、代...ごめん、ね?」
頬に添えられた手が、冷たい。急激に引いていく、押し寄せていた感情。残された自分の感情は...どれだ?これが...
前にも、こんな事があった。そう、これは、まるで...
『ごめん、なさい。登代、愛してる...』
「あ、あぁ...」
力が抜けていく弥勒の体を、支えようとして崩れ落ちる。自分の足に力が入っていない事に、今気づいた。
月が陰り、一切の光源が消える。完全な闇、何も見えない。消えていく熱が、カノジョの存在事消えていくように感じる。
「わた、し...また...」
『っお嬢!失礼します!』
顕現した【混迷の爆音】が、契約者を抱きすくめて笛を吹く。高らかに響いたそれは、爆音と呼ぶにはあまりに優しく、辺りの意識を刈り取った。
腕の中の契約者を抱え直し、精霊は振り返る。鉄錆の臭いが立ち込める凄惨な光景は、見るに堪えない。しかし、やり残しがあるとばかりに歩み寄り...その脚を上げる。
『せめて、意識の無いうちに。』
現在時刻、5時。
残り時間、1日と2時間。
残り参加者、7名。
これが彼女達の結末か...それもまた、選択の一つだ。次に行こう。残るは...彼等の行く末だ。
ポイントは...Code.Sagittarius。
現在時刻、20時。
残り時間、1日と11時間。
残り参加者、10名。
「くそっ、やられた!」
「どうします、か?すぐに」
「いや...俺たちじゃ無理だ。俺はレイズが居ねぇし、その蛇は戦い向けじゃないだろ?足引っ張るだけだ。」
「でも...」
「噛まれて無かったし、なんか別の目的があんじゃないかと思う。すぐには危なくなんねぇだろ、急いでレイズを見つけよう。」
目的地は決まっている。道を進み、山頂に近い建物だ。途中で道案内を放棄したポルクスには、後で説教をしてやらねばならないだろう。
黙々と折れそうに無い木を探して掴み、急な斜面を登っていく。その後ろで、半分這うようにして仁美が続く。
『キュ〜?』
「今思ったんだけどよ、ソイツ浮いてんだし、掴んだり出来ねぇのかな?」
「そんなに、強い、力では、浮いて、無い...と思い、ます」
「お前、大丈夫か?」
かなり苦しそうに呼吸を繰り返す仁美に、健吾はつい振り返る。それで見えたのは、玉のような汗を浮かべる顔の青い少女が一人。
「マジで大丈夫か!?」
「大、丈夫、です...」
「そう見えねぇから聞いてんだけど...」
思わず手を伸ばした健吾の手元で、ボコりと音がなった。次いでバキン、と。
「あ?」
「ぇ...?」
健吾の握っている木が、根元から抜け駆けていた。ヒビの入るそれに、無闇に力をかける訳にもいかず、二人の間にシンとした空気が漂う。
ホッと息を吐いた瞬間に、健吾の頭に土が落ちる。同時に、右手がやけに軽くなった。
「だよなぁ〜!?」
「きゃッ!」
二人纏めて斜面を転がっていき、小石や枝が肌を掠める。このままだと止まらなくなる、ほとんど周囲を把握出来ない中、僅かに見えた細木に手を伸ばす。
ミシリ、と音が響いた物の、何とか耐えてくれたらしく、二人は宙にぶら下がる。間一髪、といった所だったらしい。
「どんっだけ手入れされてねぇんだ、この山...!」
「道から離れてるから、だと思います。」
「そりゃそうか。」
左腕に抱えた仁美に、先に登って貰おうとした時。紅い光が尾を引いて空へ登っていった。その直後、二人の体が大きく下がる。
「おい、まさか...!」
手の中にある木が。若く細いその木が、焼けたように煙を上げている。この痕は見覚えがある、細い物で貫かれた痕。
「たしか、【疾駆す」
最後まで言い切る前に、再び落下を始める。二人の口から絶叫が響く中、ようやく追いついた【辿りそして逆らう】が巻きついた。
『キュー!』
「うおわっ!?」「ひゃっ!」
地面に当たるその瞬間、逆流した力でバウンドする彼等。体勢を立て直す間もなく、地面に招待された。
「っ!つぅ〜...」
「だ、大丈夫ですか、獅子堂さん。」
「おかげさんで、腰打っただけだけどよ...って、そんな事よりも!」
すぐに向き直った健吾の前で、草葉をかき分けて出てきたのは、紅の軍馬。ゆっくりと此方に迫るルクバトに、健吾はすぐに立ち上がって構える。
「無茶ですよ...!」
「大丈夫だ、暴れ馬の世話は仕事でやった事がある!」
「えぇ...?」
欠片も理解できない根拠と共に、ルクバトを睨み続ける健吾に、まるで関係が無いと言わんばかりに近づき続く。
そのまま後ろに行き...突然に駆け出した。その方向は仁美がいるだけ。狙いは考えるまでも無かった。
「させっかよ!」
首を脇に挟み、抑え込もうとする健吾だが膂力が違いすぎる。仮にも精霊、彼を引きずって動くくらいはできる。
仁美の元まで駆け寄ると、強引に健吾を引き離し、口を開いた。
「っ!...?」
『キュイ?』
しかし咥えられたのは、傍を飛んでいた【辿りそして逆らう】。すぐに転換して帰っていくルクバトに、二人は数瞬の間呆けてしまう。
「はぁっ!?」「えぇっ!?」
すぐに走って追いかける健吾と、理解が追いつかない仁美。それを置き去りにする勢いで駆け抜けたルクバトが、木々の間を抜けていく。
明るく輝くルクバトは、追うのに難しくない。迫る炎はまだ遠い、精霊を取り返す時間はありそうだ。
「待ちやがれっつの!」
『ブルルゥ!』
『何だ、騒々し...貴様は。』
ルクバトに強引にしがみつく健吾に、紅い光が掠める。声の主に視線を移せば、予想通りの精霊が胡座をかいていた。
「アルス...なんとか!」
『もう少し惜しい所までは行って欲しいものだな。』
「どうでもいいっつの、それより...お前、それは。」
『ん?あぁ、そうだ。我の未熟さ故よ、笑いたくば笑うが良い...』
「まだ言ってるし...」
「いや、生きてんのかよ。」
弓を持ったまま座り込む精霊の膝の上で、ゆっくりと四穂が、目を開く。被せられていた腰布をまくると、精霊に寄りかかりながら座った。
「仕方ないって。それに、ボクがもっと」
『主に頼るようでは未熟だ。あるもので成果を出してこそ。』
『何時まで続けますの...?』
後ろで寄りかかっていたらしい精霊が、顔を此方に向けたその時。後ろでガサリと音がし、仁美が顔を出す。
『あら、貴女は...』
「あ...」
ピタリと止まり、警戒を露わにする仁美。しかし、ルクバトが【辿りそして逆らう】を咥えたまま契約者の元に戻るので、慌てて追いすがろうとする。
流石に止めておけと、彼女を捕まえる健吾に、僅かに視線を向けて【疾駆する紅弓】が呟く。
『懸命だ、射抜かれたく無ければ静かにしているんだな。』
「なんで俺達を落としたんだ。」
『狙いはコヤツだ。』
ルクバトから小竜の精霊を受け取る精霊に、その狙いは聞くまでも無い。
小さな傷なども残っていない健吾の存在は、その能力を易く理解させたのだろう。未知の精霊は【辿りそして逆らう】だけなのだから。
「今から立て直すのは、ちょっと時間足りないなぁ、なんて思うんだけど。」
『弱音を吐くな、らしくもない。』
「いや、ボクだってヤダって言う時くらいあるよ?」
『シュー!』
「この子もヤダって。」
延々と射手の腕をしばき続ける精霊に、笑いを堪えている契約者。額に青筋を浮かべるが、胸にかかる重みは完全に脱力しているもの。それだけ弱っている相手を無体にすることも出来ずに、代わりとばかりに健吾を睨む。
「んだよ。」
『貴様、コヤツに』
「俺の精霊じゃない。あと仁美をビビらせんなよな。」
『ふん、過保護な奴だ。』
「それをお前が言うか...?」
組んだ足に座らせた四穂に、腕を回しペリースを被せるその姿は、娘を守る父親に見えなくも無い。
健吾の指摘に、不本意だとでも言わんばかりに鼻で笑い、【辿りそして逆らう】を投げて返した。
『使えんのなら要らん、失せろ。』
「コイツ...!」
『申し訳ありません、この方が不躾な礼儀知らずで。ですが、我々は蠍の毒を受けた身。最後は静かに過ごしたいんです。』
「ボクは、賑やかなのも好きだけどね。」
『敵で無いならな。』
これ以上余計な事を言うなとばかりに、彼女の口を抑える精霊。モゴモゴとしゃべり続ける彼女を見て、同情が怒りを押し流した。
「なんつーか...お前も苦労してんだな。」
『人間にも、少しはマトモな感性の物がいたか。』
「すげぇ微妙な褒められかただな!?いや、褒めてんのか、それ?」
『煩い、少し...』
ふと顔を上げ、背後を振り向いた【疾駆する紅弓】が弓を握る。泡が漂い始める中、何かの倒れる音が響いた。
全員の視線が一点を向いた時、其方から折れた木が投げ飛ばされる。ルクバトに蹴飛ばされ、横に転がるそれが止まるより前に、赤い精霊は立ち上がった。
『引いていろ...主を頼む。』
『動けませんけれどね...頼みますわよ?』
『あれ相手には...確約しかねるな。』
姿を表した大きな影は、鼻息も荒く土を蹴る。月明かりを反射する冷たい輝きが、その下に蠢く筋肉を強調した。
しかし、目の前にいるのが【疾駆する紅弓】だと分かると、途端に金属化を解いて肩を下ろす。
『火の中を駆け回り、やっと土から這い出たと思えば、手負いと人間か...つまらん。』
『敗戦記録の自慢でもしに来たのか?それならば帰るといい。』
『ほぅ...?そのざまの契約者の元で奮わぬ力の貴様が。獅子と二人がかりで我に傷を負わせたのがやっとの貴様が?随分と言うでは無いか。』
嘲るように白い息を吐いた【母なる守護】に、無言で赤い矢が付き合った。
筋肉を隆起させただけでそれを抜いた雄牛が、ゆっくりと顔を向ける。
『傷物の牛肉は不味そうだな。』
『余程に潰れたいらしい。』
契約者の意向を無視した激突が、始まろうとしていた。




