目的と望みと不明瞭な想い
木の根元で、幼子を慰めるように少女に寄り添っていた真樋。その実、慰められたのは誰だったのかと、涙を拭いながら立ち上がる。
『...マスター。』
「分かってる、大丈夫だ。ちゃんと冷静だよ、僕は。それにルールがある。もう奴は僕を襲えない。」
『Roger、マスター。お任せします。』
寿子に被せていた上着を羽織り直し、接近してくる精霊を待つ。接近はバレていると知ってか、完全に近づく前に浮上し振動以外の情報を得ていく【浮沈の銀鱗】だ。
『...申し開きは?』
「無い。」
『そうか。そういうゲームではあるが、そこまで言い切るとは清々しい夜道怪だ。』
恨み言というより、八つ当たりに近い苛立ちをぶつけながら、精霊は寿子に接近した。
『我について、何か?』
「特には。信頼されてるね。」
『貴様の事だ、慰めなどでは無さそうだな。皮肉か?』
「いや、本心だ。僕はかなり心配されていたらしいから。」
『...ふん、聞かんでおいてやる。』
「助かるよ。」
僅かに目が赤い真樋に、本当は根掘り葉掘り聞き出したくて堪らない精霊だったが、そこまで無粋でもないらしい。
『さて、どうしてくれようか...』
「追っていた人は?」
『逃がしたわ、途中で契約が切れたのでな。』
「そっか。ゲームの終了までは...持たないね。」
携帯を開いて時刻を確認し、ルールを思い返す。未契約の精霊の、一日での退場と参加者の襲撃の禁止。
ここの脱出もだが、瓶の殆どを失った今、戦力の低下は無視できない。
「...仕方ない、か。」
『何がだ?』
「負荷があっても、僕一人なら残っている敵には、そもそも戦力にならないだろうし。君と契約したい。」
『...貴様なら分かっていると思うが、我と貴様は相性は良くないぞ。』
「まぁ、隣合う星座だしね。だけど出来なくはない、そうだろ?」
不遜な笑みを貼り付け、真樋は煽るように【浮沈の銀鱗】を見下ろす。それが彼を焚きつけるだろうと、知っていたから。
しかし彼の下手な作り顔なぞ、とうに見通している精霊は溜息を吐くに留める。
『鬱陶しいから、その顔をやめろ。哀れだ。』
「酷いな。」
『事実だ。貴様は無表情でいるくらいがちょうどいい。』
嘲るように吐き捨てると、その身を完全に地上へと浮かばせ、精霊は言霊を紡ぐ。
『《我、【浮沈の銀鱗】の名を揚げて問う。契約を交わすか?》。戯れに付き合ってやらん事もない。』
「応えよう、よろしく頼むよ。」
足に刺すような痛みがはしり、サインが浮かんだと直感する。今更見るまでもなく、魚座のサインだろう。
途端、急激に倦怠感が押し寄せた。体は何ともないが、眠気や疲労に近い疲れ。体が重くなったような怠さ。
「これは...思ったより凄い人だったのかもね、アイドルの人。」
『もう立っておる貴様が言うか?』
「動きたく無くても動くのが日常だったもんで。慣れだよ。」
『我の違和感の方が大事になりそうだな...霊感といったか?気味の悪い。』
五感とは違う、謎の感覚が反応を寄越し続けている。率直に罵倒し、身震いする精霊が問いかける。
『して、貴様は何をするつもりだったのだ?脱出か?』
「このまま?まさか。僕は意外に執念深いみたいでね。」
『...一冊の手帳を追ってこんな所に来たのだ、意外でも無いぞ。』
呆れたように真樋を見ると、背を向けてギリギリまで沈む。乗れ、という事らしい。
『山頂で間違いないか?』
「あぁ、それでいい。ピトス、これを頼む。上からで良いと思うよ。」
『Roger、マスター。』
真樋がそう言って手渡したのは、【母なる守護】が封じられた瓶。最後の瞬間は気絶した金属塊、有効利用するのにちょうどいい。
精霊達に指示を出し終えれば、真樋に出来ることは無くなる。出来うる限り実力を出してもらう為に、離れすぎないようにする程度だ。
短く息を吐き、意識を準備から実行へと移していく。炎が迫ってはいるが、念の為に痕跡を消しておこうかと振り返り...止まる。
「ごめん、少し降ろしてくれる?」
『なんだ、今更。』
「まぁ...なんとなく?」
ゲームであり、実際に死んだのでは無い...とは思う。霊が見えないので、真樋に判断はつかなかったが。
しかし、そのまま置いて行くのは躊躇われた。時間は無い、故に何か出来るわけでは無いが。せめて木に叩きつけられ、そのままというのも無いだろう。
『骸に固執するのか?帰ってくる訳では無いぞ。』
「そうだね、僕も死んだ人の体に対して思い入れなんかを抱くタイプでは無いんだけど...まぁ、なんとなくね。」
『...悪い気がする訳でもない、手短にやれ。』
文句ばかり言っていた気もするが、最初の契約者に思うところもあったのだろう。時間の無い中、真樋が降りるのに協力し、そのまま見守った。
顔に散った血を拭い、抱き上げた寿子を茂みの傍にそっと寝かせる。炎が迫るのも、すぐの事だろう。
『それで終いか?』
「気は済んだよ。言ったろ、元々遺体に何か思うタイプじゃないって。彼女はここにいる訳じゃない。」
『ならば行くぞ。残りの気がかりとやらも片付け、そうそうに脱出せねば。』
少し沈み込み、背を低くした【浮沈の銀鱗】に飛び乗る。目指すべき山頂はすぐそこだ。
良し、良いだろう。再生を戻せ。場所はジェミニの片割れだ。
「さて、諦めてくれるかな?」
「そうね...乱入者がここまで重なるなんて、思わなかったわ。」
「...重なる?」
『兄弟!上だ、避けろ!』
カストルの声が響き、皆が上を向いたその時。小さな人影が月を遮ったと思えば、次の瞬間には大きな影が周囲を飲み込んだ。
その真下に居たのは、三成と登代。必然、場の硬直は解かれ、三成と登代が走り出した途端に戦場は再始動する。
「...金属の、牛?」
『離れろよ、兄弟。ポルクスがやられた、それに新手が...三柱と来たもんだ。』
周囲を確認する暇は無い。カストルに任せ、自身は安全圏への離脱を優先する。
その間に、登代と合流した【混迷の爆音】がトゥバンとも三成とも距離を取る。牛を中心に三竦み、追い詰めた物が振り出しに戻ってしまった。
『Hello、いいタイミングだったようですね。』
「次からはアポを取ってくれるかな?」
『Roger、次がありましたら。』
すぐに引き金を引いた三成の後ろで、土が水音を立てる。
『兄弟、走れぇ!』
牛の上に降り立った狩衣の精霊に着弾したか、確認する間も無く走り出す。しかし、地中を進む敵はその後を正確に追いかける。
「双寺院さん!こちらへ!」
「すまない、助かる!」
身を投げ出す様に弥勒の側へ飛び退いた瞬間、稲光が地を貫いた。背後での轟音を聞きながら、三成は登代を確認する。
退く気は無いようで、【混迷の爆音】に武器を構えるよう言っているようだ。少しの反論をしていた様だが、すぐに此方に向き直っている。
「ご無事ですか?」
「あぁ、おかげでね。」
「今まで何処に...いえ、聞かない事にします。」
「...終わったら全部話そうか。それより、起きた様だよ。」
弾丸は命中していたのか、白布の額に穴が開いた【宝物の瓶】がユラりと立ち上がり、飛び降りる。
その数瞬後、伏していた金属が動き出す。ゆっくりと辺りを睥睨すると、一転して激昂の声を上げた。
『何度モ舐メタ真似ヲシオッテェー!』
『Noisy、不快なスピーカーですね。』
『轢キ潰ス!』
余計な事を口走る精霊に、【母なる守護】は走り出す。土を、葉を、枝をも巻き上げて突進するその先には、眉根を寄せる登代がいる。
「何が狙いなのかしら。止めて、【混迷の爆音】。」
『少々無茶ぶりです、お嬢。』
笛を振り回し、爆音によって加速させる。音により気絶した【母なる守護】へ、その勢いのままに叩き下ろした。
地面に猛烈に押し付けられ、土埃を上げながら停止した【母なる守護】から、契約者を抱えてすぐに距離を取る。
案の定、意識が戻った瞬間に闇雲に暴れる精霊は、狙ってもいないだろう木々をへし折っていく。
「ご苦労さま。」
『過度な期待はお止め下さい、安全に行きませんか?』
「大丈夫よ、弥勒は私を殺さないわ。そういう子よ。」
『お嬢、やはりあ』
「私は勝つ、願いのために。協力、してくれるのでしょう?」
『...えぇ、無論です。』
そのまま静観する為に、さらに距離を取ろうと跳ねる【混迷の爆音】だったが、頬に一線の紅が走る。
熱い感覚に、切られたのだと確信した。登代の怒りを感じていたせいで、接近に気づけなかった。
『Sorry、逃がすなと言う命ですので。』
『また傀儡を演じるか?』
『Yes、私は精霊。主が虚ろならば支え、欲すれば満たすだけです。』
『腑抜けは終わったか...お嬢、どうする?』
「叩き潰して。順番が変わるだけよ。」
精霊が笛を振る前に距離を取った【宝物の瓶】が、一つになった瓶を滞空させて静止する。
待ちの構え、接近すれば確殺とも言える武器を持つ【混迷の爆音】に対し、あまりに悪手。故に警戒する。
『Question、貴方は何のために戦いますか?』
『知れたことを。我が主の為、私の想いはそれ一つ。』
『What、では何故そのまま争うのです?』
『何が言いたい?』
『Clear、彼女の願いと目的は一致し』
『図にのらない事だ、貴殿らと同じにしないで頂きたい。』
問答は終わりだとばかりに、誰のかも分からない怒りと焦燥に身を委ねる【混迷の爆音】。強力な脚力で地を蹴れば、冷たいを空気を置き去りに爆音を轟かせる。
ロケットの様に迫る燕尾服の精霊に、対応する手立ては無い...【宝物の瓶】には。
『これでも食らっておれ!』
強烈に振り切られた尾ビレが、液状の土を跳ね飛ばす。空中で固体に戻るそれは、冬の土壌らしい硬度を持っている。
顔にぶつかれば、仰け反らざるを得ない程には大質量。進行が止まり、音が止んだその一瞬があれば、狩衣の精霊が駆けるには十分だった。
『...Ask、理由をお聞きしても?』
『悪ぃな、兄弟。この姉ちゃんに死んでほらうと、何にほ分からずじはいなのよ。』
登代の首筋に添えられた小太刀が、喋るカストルの口に合わせて揺れる。いつの間に肩に登っていたのか、気づかなかった。
停滞。冷たい風が吹く中で、三度束の間の静寂が訪れた。




