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空から降る雷の光が、木々の隙間から漏れる。既に深夜、暗い山中での閃光は網膜に痛みを引き起こす程だ。
地面に突立つ轟音に、背にしがみついた二那の肩がビクリと震えた。それに苛立ちを加速させ、【母なる守護】が暴れ出す。
『ヌゥ!チョコマカト!貴様ハ羽虫カ!』
『What?貴方には羽が見えるのですか?それとも矮小な自分と同サイズな私が、虫に見えたのですか?』
『アアアアァァァァ!!』
角で差した木を引っこ抜き、振り回して投げつける。溢れんばかりの膂力に、背中を冷たい汗が伝う...程に理性を保っていないのが【宝物の瓶】だ。
『Question、どこを狙っているのですか?あぁ、先程言っていた羽虫でしょうか。潰すのにさぞお疲れでしょうね?』
『貴様ァ...!良イダロウ、殺シテクレル!』
変わらぬ突進を繰り返す精霊、勿論それが当たることは無い。頭の代わりに口がペラペラと回る【宝物の瓶】の言葉に、一つ一つ丁寧に反応しては逆上する。
何度目かの木がへし折れた時、その木が地面に沈んだ事も見逃す程に。
『呑まれて死ねぃ、デカブツめが!』
『グゥ!?寄ルな魚擬き!』
金属化を解き、身軽になった【母なる守護】が沈む前に曲がり、飛び上がって迫る【浮沈の銀鱗】を突き上げる。
上の契約者を狙うには、地中からでは不可能なのが困る所。踏ん張る地面のある場所では、【母なる守護】の一撃が易く迎撃してきた。
『Anxiety、すごい音が致しましたが。』
『ふん、我の鱗一つ突き崩せん一撃よ。それと訳の分からん言語を話すな!』
「凄い今更だね。っと、もう下ろしてくれても良いんだけど。」
『ふん、好きに飛べ。同時に潜行してやる。』
「じゃ、遠慮なく。」
腹いせに背中の真樋を揺らして八つ当たりする【浮沈の銀鱗】から、よろけながらも立ち上がってジャンプする。
液状化した地面が足元には広がっているが、精霊が潜るに連れて端から個体に戻っていく。着地する頃には、固まっていそうだ...が。
『潰れろ、童!』
『Danger、マスター。』
「だよね、知ってた。」
懐に手を伸ばす真樋に、瓶の存在を思い出した【母なる守護】が急停止する。上がる土煙の中、二那の腕にガラス片が突き刺さる。
「あぅ...!」
『なんだ、どうした!?』
『余所見をする場合か、デカブツ。』
沈めにかかる大鮫を踏みつけ、【母なる守護】は走り出す。これならば攻撃する方もリスクがある、迂闊に近づけない。
接近を諦めた真樋は、指から滲む血を舐めとりながら観察に徹する。簡易ナイフを投げた際の傷が痛むが、腕に刺さった二那の痛みはより一層のものだろう。
『Please、瓶を。』
「いや、僕が持っておこう。君は陽動に専念してくれ、不意をつきやすい様にね。」
『Roger、マスター。お気をつけて。』
簡易的に方針を確認し、【宝物の瓶】は木々の間を駆け抜ける。振るう小太刀が雄牛を遅い、契約者を狙う。
ワイヤーだけでしがみつく二那を、振り落とす訳にはいかない【母なる守護】。狩衣の精霊が追いつくのは容易だ。
「さて...僕も行かないと。」
素早く動き回り、刃物で翻弄する【宝物の瓶】。
地面を液状化し、沈降を仕掛ける【浮沈の銀鱗】。
二体の精霊を相手取る【母なる守護】は、その巨体で強引な突破を繰り返すが、やっと僅かに疲弊が見えてきた。
この山に来てから暴れ通し、車や【魅惑な死神】等の大きな敵も撥ねてきた。それでようやくかと呆れるが、チャンスはチャンスである。
『Support、何秒で沈められますか?』
『そうだな...三数える間足止めしろ。』
『Roger、頼みます。』
真樋が動き始めたの確認し、本格的に戦闘を仕掛ける精霊達。一撃が命取りとなる雄牛を相手に、一瞬の気の緩みも許されない。
金属化はどうせ解除される。それならば契約者は少しでも遠くにいた方が、力を抑えられていい。【宝物の瓶】が狙うのはそこだ。
「来ないで!」
接近する気配に、腕から抜いた簡易ナイフを振り回す二那。しかし、怯むこと無く二那を掴んだ精霊は、【母なる守護】から引き剥がして放り出す。
地面に倒れた彼女だが、そのトドメを刺そうとすれば、その隙に潰されかねない。故に優先するのは【母なる守護】の拘束だ。
『Just、沈めてください。』
『させる...ものか!』
上で小刀を振るわれようと、関係ないとばかりに暴れ続ける【母なる守護】に、しがみつくしかない。
振り落とされれば大怪我は必須。むしろ動きを制限された【宝物の瓶】に、呆れさえ含んで【浮沈の銀鱗】は怒鳴る。
『そのまま掴んでおれ!隙を見ては刺せ、下は我が何とかしてやる。』
「そんな、【母なる守護】!」
『叫ぶ以外にやることはないのか、小娘ぇ!』
契約者に働けと怒鳴る精霊とは、これ如何に。しかし、その声で二那が動いたのは事実である。それも嫌な方向へ。
完全に【母なる守護】へと集中していた真樋の、その手に持つ瓶を叩き落としたのだ。高い集中力故に、注意力が散漫。そんな真樋の性格に頼ってのがむしゃらな動きだが、確かに瓶は地に転がった。
すぐに拾おうとする真樋に、簡易ナイフを突きつけて制止し、瓶をは蹴り転がす。
「...見くびってたよ、以外に行動力あるね。」
「自分でも驚いていますよ...とにかく、座ってください。もう何もしないで。」
「黙って潰されろって?」
「それは...!」
黙って死ね、と言えるほど、覚悟が決まっている訳では無い。元々の気質が大人しすぎるのだ。誰かに言われ、促され、流されて。
そんな人の言いくるめ方は、真樋はとても良く心得ていた。ひたすらに意志を問い続ける。自尊心を攻撃してやる。そんなやり方だ。
「君は自分の為に、僕らに死ねと言っているんだろ?自分が契約した精霊を嗾けて、熟した果実みたいに内臓をバラ撒けって。」
「そうじゃない!ただ...もう襲うのを止めて。」
「それで止まるの?あの精霊が?君は僕らを安心させて、それで騙すみたいに後ろから殺すのかい?」
「私が止めるわ、ちゃんと。」
「ガラス片を突きつけながら言う言葉でも、言いなりになってる人の言葉でも無いね。」
同情を誘う事はしない、あくまでも上から言葉を吐き続ける。演技くさくならないよう、自然に。
迷いがで始めたのを確認し、勢いに任せて立ち上がる。服の上から、ほんのりと血が滲む程度に皮膚を掠めるガラス片。その感触に、取り落としたそれは踏みつけておく。
「分かってくれてありがとう。」
「ちが、これは!」
「何さ、しつこいな。」
思ったより食い下がる二那に、真樋は顔を顰める。根は頑固な所があり、環境で脆くなったタイプ、と予想する。
こういう場合は、変な所で爆発する恐れがあり、これ以上会話を続けたくない。とはいえ、貧血気味であり足の感覚も万全と言い難い彼に、成人女性を振り払うのは難しい。
『何を遊んでいる?』
「遊ぶのは苦手なんだけどね。」
『聞いていない。それより、早く』
『させるものかぁ!』
「お構い無しとはね!」
「きゃ!」
突っ込んでくる【母なる守護】に、二那を突き飛ばした真樋が飛び退く。さすがに目の前でミンチが出来上がるのは頂けない。
迎撃する様に尾ビレを縦に一回転させる【浮沈の銀鱗】だが、易く角で弾きあげられてしまった。木をへし折りながら止まった精霊の上で、【宝物の瓶】が小太刀を突き刺した。痛みに再び激しく暴れる雄牛に、誰も近づけない。
だが、【宝物の瓶】のしがみついている時間が減っている。疲労は溜まっているのだろう。
『小僧、瓶を構えておけ。』
「分かって...しまった、向こうだ。」
荒れる牛の向こう、二那が倒れている側。そこに転がる瓶を見て、真樋は空を仰いだ。満点の綺麗な星空が目に映る。
冬に差し掛かる時期だ、天秤座でも見えそうである。真上を見上げれば北斗七星に小熊座が...
「ん?真上?」
『おい、貴様。思考を逸らすな。』
「あ、ごめん。でもあの位置に僕が取りに行くのは...」
二那に拾われるのも時間の問題だろう、どう取り返すものか。というか、【宝物の瓶】の酔いがまだ持つか心配だ。
そう思案する真樋の横で、大鮫は銀色の鱗を光らせて飛び出す。せめて二那を襲ってやるという魂胆だ。
『ええぃ、走れ愚か者!』
多少刺されるのを介さず、引っこ抜いた木を液状化した地面へと叩き込む。地中では上からド突かれた【浮沈の銀鱗】が、悶絶していそうだ。
その間に起き上がった二那が、瓶に手を伸ばす。しかし、目前でその瓶を拾う手。ハッと上を見れば、息を切らした少女が一人。
「ごめん、お姉さん。やけどうちも、負けられへんから。」
「貴女は...」
「ホントにごめんなさい!お兄さん、これ落としたらいけんのやろ!」
放物線を描いて飛んできたそれを、真樋はしっかりと受け止める。
液状化した地面が再びその位置を変えている。地中で泳ぎ出したのは理解出来た。しかたなく瓶は諦め、逃げるために走り出した二那を、精霊は追っていく。
「二方面同時制圧体制...ま、何とかなりそうかな。」
『このまま疲弊を...待つとでも思うか!』
狙っていた【浮沈の銀鱗】が離れた事で、重くなるデメリットが少なくなった。突き刺された小太刀で金属化した【母なる守護】が走り出した。
単純な動きを開始したとて、金属には刀は刺さらない。しがみつこうにも滑ってしまい、【宝物の瓶】はあっという間に放り出された。
向かう先は...【浮沈の銀鱗】の契約者、宇尾崎寿子である。
「こっち!?」
「後ろに走れ!間に合う!」
金属化した【母なる守護】は一度突進を開始すれば、蹄の摩擦から考えて曲がるのは不可能に近い。単純な直線運動、いくら速くてもそれならば飛び道具が確実に当たる。
「いっけぇ!」
蓋を外した瓶が、一直線に飛び出した。全力で振りかぶって投げられたそれは、みるまに【母なる守護】に迫り...そして、彼方より爆音が轟いた。




