混迷と雷
現在時刻、21時。
残り時間、1日と10時間。
残り参加者、10名。
月が陰り、夜風を吹き飛ばす振動。一瞬それを感じたかと思えば、次の瞬間には地面に顔を押し付けていた。
「何が...?」
『意識を吹き飛ばす爆音だ、せいぜい頑張ってくれよ、紳士淑女の諸君?』
『高みの見物ですか、感心致しませんね。』
『そう言うなって、俺はサボりのお目付け役やってんだから。それよりほら、来るぞ?』
銀色の閃が顎門を開き、次の行動をさせまいと喰らいに行く。
だがカストルが示すまでも無く、それを予想していた【混迷の爆音】は軽く跳躍し、上から精霊を叩き伏せた。
『ぐぬぅ...何たる脚力。』
「あんまり離れんでよ、アルレシャ!」
『ワガママを言うな!貴様を乗せて相手取る奴では無いわ!』
すぐに深くまで潜水し、勢いをつけて宙の【混迷の爆音】まで飛び上がる【浮沈の銀鱗】は、さしずめ巨大な弾丸。
空中で身動きの取れない【混迷の爆音】は、その速度に反応する術を持ち合わせていない。笛を盾に致命傷を防ぎ、二柱は重力に従って落ちていく。
『不味い...!』
『このまま溺れさせてくれる!』
地面まで【浮沈の銀鱗】と共に落ちれば、二度と逃しては貰えないだろう。
蹴飛ばそうにも、笛に強く噛みつかれていては、武器を持っていかれかねない。吹こうにも、尾ビレが吹き口を射程内に捉えていた。
「そのまま地中に埋めちゃえ、アルレシャ!」
「バカ、離れなよ。巻き込まれる。」
珍しくストレートな罵倒を浴びせ、寿子を引き離す真樋だが、強風に拒まれる。
一瞬の停滞だが、落下から逃げるには致命的な差。液状化に巻き込まれ、地面へと沈んでしまう。浮力を弱めた土は、泳ぐことすらままならない沼だ。
「なぜ...!」
『なぜ?つまらない事聞くなよ、兄弟。俺は敵だぜ?』
「く、君の精霊を呼び戻せ!人間である僕らの方が、敵の精霊よりも脆い!」
「アルレシャ、引き上げて!」
『手のかかる...!』
顔が沈み切る寸前、足にグッと力がかかり、あっという間に上へと押し上げられた。
イルカに飛ばされるボールの様に、【浮沈の銀鱗】に範囲外まで飛ばされた二人は、木々の枝に引っかかり減速しながら地面へと落ちる。
「ぐっ...!」
「痛っ!アルレシャ、もっと優しく!」
『やかましい!構っている場合か!』
笛の音で土を吹き飛ばし、底を蹴って脱出した【混迷の爆音】はこちらを見てゆったりと構えている。
『貴君らを侮っていた事は認めよう、魚の精霊よ。だが二度と同じ手は食わない。』
『ふん、ならば試すまでよ。貴様のその妄言がどこまで続くかな!』
相手が地に足着いている時、深く潜れば契約者が危ない。いつでも飛び出せるように、地表に背ビレを滑らせながら接近する。
意外に広い液状化の範囲に、巻き込まれては堪らない。近寄られる前に笛を振りかぶり、たたき落とす準備を整える。
『来い!』
この一撃で崖下へたたき落とす事も易く、そうすれば契約者を屠るまで数瞬。向こうから近づいてくれるならば、接近に割く力を迎撃へ、一撃へ当てられる。
タイミングを見計らい、飛びだす精霊の頭を潰...せない。天より降った光の柱が、凄まじい衝撃を二柱に浴びせたのだから。
「...盛り上がっている所悪いけど、状況を説明してくれる?」
『思ったより乱暴だな、兄弟...』
「私、男じゃないけど。」
『ぐぇっ!』
首根っこを捕まれ、吊り下げらたカストルの横で。
此方を睨みつける女性は、再び手を振り上げ、下ろす。
『っ!』
『ぐぅ!』
短時間で連発出来る程に抑えているとはいえ、それは雷。直撃した衝撃で、再び二柱は硬直する。
『如何しましょう?』
「それを聞いてから、考えるつもりなのよ。誰が教えてくれる?」
『それなら俺が言うって』
「貴方には聞いてないわ。」
『ぐえっ!くそ、ポルクスめ、逃げたな...』
逃げ出そうと手足を動かせど、一向に抜け出せる気配は無い。諦めた精霊が、警戒を強めて動かない二人と二柱に問いかける。
『もう誰でも良いけどさ、早く説明して終わらせてくれ。俺はもう少し仕事あんだから。』
「させないわよ、余計な事。」
『もうこっちから指名していいか?そこの長身の兄弟、アンタに頼む。一番理解しててマトモそうだ。』
酷い理由で指名され、真樋は顔を顰める。もう少し注目されない時間を作り、【宝物の瓶】の回復時間を稼ぎたかったのだが...こうなっては仕方ない。雷を落とされても堪らないのだから。
「僕達が、その精霊に言われてここへ連れてきた。帰ろうとした矢先、その精霊が襲って来た。それ以上は知らない。」
『簡潔にご苦労、少年。私はお嬢の平穏の為、近づく者を排除しようと来たに過ぎません...しかし、来た以上逃がすつもりもありません、お嬢が、ですが。』
説明は終わりだとばかりに、脚に力を込める精霊。彼が飛び出す先は、精霊の離れた寿子達だ。
「急な奴だな...!ピトス!」
『Roger、マスター。』
動きのキレは無くとも、人を引っ張り後ろへ跳ぶくらいは出来る。一撃は回避し、すぐに瓶を滞空させて次へ備える。
何が入っているのか、そもそも入っているのかさえ分からない瓶は、どこか不気味な雰囲気を持つ。警戒に越した事は無い、ゲームと言えどセーブ&リセットが出来る訳では無いのだから。
「待ちなさい、【混迷の爆音】。」
『お嬢?なぜ出ていらしたのです。』
「少し用があるのよ...その子たち、遠ざけて。」
『......了解致しました。許可は?』
「そうね、良いわ。」
彼女が首にかけた貝をかざせば、【混迷の爆音】の笛が不気味に発光する。見ているだけで錯視でも起きそうな光を蠢かせるそれを構え、彼は吹き口に唇を添えた。
「来る!」『マスター!』
『ヴァアアアアアアァァァァァァ!!!!』
木々さえ根こそぎ飛ばしそうな爆風が吹き荒れ、至近距離に居た真樋達を吹き飛ばす。
宙に浮いた彼ら目掛け、位置を合わせる程度に跳躍した精霊が、その笛を大きくぶん回す。
『少しばかり付き合って貰おう、悪く思うな。』
「なんでも良い!防げピ」
『Roger、マス』
振り始めた直後から鳴り響く音が意識を刈り取り、気絶した二人と一柱を弾き飛ばす。
笛にうち据えられ、飛んでいくそれを追って精霊は跳ぶ...直前に振り返り、己の契約者を見つめる。
『お嬢、お気をつけて。』
「えぇ、分かってるわ。」
『...』
「どうしたの?」
『...出過ぎた事を申しますが、選択肢も道も、貴女はまだ持っていらっしゃいます。焦ること無きよう。』
それだけ言い残し、精霊は獲物を追っていく。それを無言で見送ると、登代は弥勒に向き直った。弥勒は、彼女から片時も目を逸らせていなかった。
「登代...なの?」
「えぇ、そうよ。会いたかったわ、弥勒。」
様変わりした彼女だが、微笑んだ時の笑窪も、緊張した時に髪を弄る癖も、見慣れた彼女の物だ。何より、このゲームに参加し、山羊の精霊と契約している。
「登代...何であの時、黙って行ってしまったの?」
「ごめんなさい、私も寂しかった...とでも言うと思ったかしら?」
微笑みを消し、彼女は無表情になって弥勒を睨めつける。己の知らない親友の姿に、弥勒は数歩後ずさった。
「何でこんなゲームにいるの?貴女は望めば、なんでも手が届く人だった。それでも尚、足りないの?私に当てつけをするみたいに、まだ欲するの?あぁ、心が黒くなっていくわ、でも貴女がそんな感情を持つわけない。これは私の心。私の薄汚い部分が剥き出しにされる。貴女との時間はこれが堪らなく苦しいのに、貴女は私の前から消えない。眩しく、しつこく、ずっと居続ける。」
「登、代...?」
「何で居なくなったか?そんなの決まりきってる。貴女は私と違うから。貴女は正しい愛を知ってるから。絶対に私と交わることの無い道にいるから。なのに貴女は手を伸ばすから。優しく、強く、清く、気高く、私に手を伸ばすだろうから。
それが、どれほど惨めか!!私が、私を二度と!生かしておけなくなるから!貴女は救える人、でも私は救われるべきでは無い人。だから貴女は、二度と私と居るべきでは無い人よ。」
溜め込んだ怨嗟を吐き出すように捲し立て、登代はその顔に微笑を貼り付けた。子供の頃とも、最初の微笑みとも、吐き出し続けた時とも違う人間であるかのように。
「貴女は完璧で、愛おしく、間違えない。だから私は、貴女が嫌いよ、弥勒。」
これ以上無いほどの拒絶。安らぐと、ずっと一緒にと、そんな言葉を交わした相手とは思えない程に。
静寂に支配された空間で心は、驚愕と困惑で満ちている。降ってわいたその感情は、弥勒の物に相違無いだろう。
「...それは、本心?」
「えぇ、紛れもなく。」
「貴女は何故、ここに?」
「分かるでしょう?この苦しみを終わらせる為。邪魔しないでくれる?」
「...いで。」
フツフツと困惑の変わりに湧き出てくるのは、怒り。あぁ、そういう人だったと、登代は弥勒を視界に捉え続ける。
「ふざけないで!貴女は、私のお願いを聞いてくれないのに、私には聞けって言うの!?抱え込まないで、行かないでって、何度も言ったじゃない!」
「貴女でなかったなら、巻き込んだかもしれないわね...いえ、そう本心から言えてしまう人なら、やっぱり嫌いかしら。」
「意地でも止めてみせるわ。そして、連れて帰る。」
「私の帰る場所なんて無いわ。私から捨てたもの。」
精霊では無いというのに、パチパチと発光する弥勒が一歩を踏み出す。美しい黒髪も僅かに逆立ち、艶やかなストレートが膨らんだ。
やる気なのだと、心を確認せずとも分かる。メスを取り出して腰を落とし、登代は弥勒に問いかけた。
「最後にもう一度聞くわ、リタイアする気は無い?」
「無くなったわ、今さっき。貴女は死なせない。」
「意地っ張りね。何も死のうって訳じゃないわ、心を殺すだけ。」
「ダメよ、友達には笑って欲しいもの。」
二人の間を、冷たい夜風が吹いた。




